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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

GUITAR WORKSHOP Vol.1/various

2010年08月04日 23時34分31秒 | JAZZ-Fusion
 大村憲司、渡辺香津美、森園勝敏、山岸潤史の四人が2曲かづつを持ち寄りって制作された1977年という時代ならではの一種のオムニバス。当時はこうしたワークショップ物というのが海外でブームのようになっていたこともあって、きっと本作はその日本版といった感じで企画されたのだろう。4人が共演しているのは最後の曲だけではあるのだが、この豪華なメンツがひとつのアルバムで聴けるのはやはり豪華である。
 1977年といえばフュージョン最盛期、時にそのブームを牽引したギタリスト達は大人気だったし、ジャズ・シーンは盛り上がっていた。ここに参加した4人の音楽的思惑はそれぞれだろうが、各人ともその後に展開する活動に備えて「不穏な?動き」を見せていた時期でもあっただけに、フュージョン的な様式美に加え、やはりあの時代ならではのホットな勢いが伝わる。

 私のお目当てとしては、当然今の流れで森園のギター。この時期はちょうどプリズムに加入する直前くらいの時期だと思うのだけれど、音楽的にはプリズムとその後のレイドバックした音楽の調度中間くらいに当たるスタイルだと思う。「デイ・ドリーム」はアルバム冒頭を飾るに相応しい珍しく非常にポップな装いの作品。「アウト・オブ・ブルー」はブラス・セクションを従えての収録だが、これなどプリズム以降の森園のソロ作品の音楽を予告していたような仕上がりだ。
 大村憲司の作品には、「レフト・ハンデッド・ウーマン」は、アール・クルーばりのアコギもフィーチャーしたリゾート・フュージョン風の作品。大村のパートには、この時期ならではというべきか、作本龍一が入っていて、彼の弾くソリーナの冷たい響きがいかにもこの77年という時代を感じさせる。「男が女を愛する時」ではゴスペル風な作品で大村はちょっとケニー・バレルを思わせるアーシーさを出している。坂本も当時得意だったリチャード・ティー風なエレピを披露。

 渡辺香津美のパートは「ネプチュア」と「ジェントル・アフタヌーン」の2曲。これらは多分、私が聴いたもっとも渡辺のもっとも古い演奏になるのかもしれない(私が彼を知ったのはYMOやKYLYNなので)。この時点で渡辺は非常に優等生然として、4人の中では誰よりも正統派のジャズ・ギターを披露している。緻密なアレンジ、周到なフレーズの組み立て方などもうこの時期から完全に出来上がっているのはさすがというべきだろう。もっともその後に展開させることになる、脱ジャンル的な尖ったところはまだあまりない。
 山岸潤史の2曲のうち「モーニン・ブライト」は、フュージョンといっても、スポーティーさやポップさが売りのそれではなく、どちらかというとCTI的な大人のムードで仕上げている(ちなみにこの曲と森園の「アウト・オブ・ブルー」にも入っているブラス隊は、その後のスペクトラムとなる)。2曲目の「グルーヴィン」なファンキー・スタイルで前曲とは対照的にかなり饒舌なギターワークを披露している。ちなみにこの曲のコーラスは山下達郎がコーラスだ。

 という訳で、まさに四人四様のギターが楽しめてアルバムなのだが、やはり77年という年はそうした熱狂状態にあったのか、フュージョンというキーワードが共通項だったのか、4人共ある程度似通ったフレーズもみられたりするのは興味深い。したがって前半の4曲は、どれもけっこう秀逸な出来で、それぞれの個性か出ていて楽しく聴けるのだが、後半にさしかかると、判で押したように均一な曲やスタイルをとってしまっているところがあり、それぞれのギタリストの個性が埋没しがちなところを感じないでもない。
 ちなみに4人が一同に会するのはラストの「アイム・イン・ユー」で(もちろんP.フランプトン作のあの曲)、アレンジは渡辺が担当、4人が短いソロをリレーしていく構成で楽しい仕上がりになっている。どうせなら、この手の共演がもう一曲くらい入っていてもよかったという気もした。
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渡辺香津美/DEAR TOKYO

2010年05月22日 15時12分50秒 | JAZZ-Fusion
 2001年に発表された渡辺香津美としては珍しい「ウィズ・オーケストラ・アルバム」。当時の渡辺はレゾナンスヴォックス以降、「MO'BOP」でまでの時期は、尖ったジャズ・ロック/フュージョン路線から後退して、アコギを中心したものや比較的オーソドックスな4ビート、クラシカル路線といった多方面に音楽的翼を広げていった活動期に当たる。本作などまさにそうした一連の試みのひとつとして出来上がった作品といえるだろう。
 基本バンドは渡辺の他、キーボードに笹路正徳、ベースが高水健司、そしてドラムスに山木秀夫(なんのことはない清水靖晃こそいないが、往年のカズミ・バンドそのものである)、これに何人かのゲスト、そしてビッグ・バンド+ストリングスという布陣で収録されている。ライナーを読むと、どうやら「ウィズ・オーケストラ物を作る」というアイデア自体はかねてから笹路正徳がもっていて、セッションギタリストの時の渡辺の瞬発力、反応の良さのようなものが欲しくて、彼に声をかけたというものらしい

 内容的には昔のCTIのイージーリスニング・ジャズをもう少し硬派にしたような仕上がりである。一曲目の「カヴァティーナ(映画「ディア・ハンター」のテーマ)」がいくらかクラシカルなアコギをフィーチャーしたニューエイジ風なギター協奏曲、そして8曲目の「ボナペティ」がアコギのソロではあるが、後はきちんとリズムセクションが加わったジャズ・ミュージックだ。収録曲では既成の曲(ミンガス、バカラック、ローラ・ニーロなど)が多いが、渡辺の「ロンサム・キャット」や笹路の「マジック・ランド」なども再演されている。
 笹路のアレンジは日本人らしくクラウス・オガーマン風の暗いトーン、オリバー・ネルソン風なダイナミックさ、ドン・セベスキー的な色彩感などいろいろな手駒を披露して器用なところを見せているが、やはり基本的にはCTIの一連のアルバムがモデルとしてあったように感じられる。それを受けた渡辺もおそらくそうしたコンセプトとすぐに察知したのだろう、ほぼ全編に渡りウェス・モンゴメリー風なギターワークを披露しているのは興味深いところだ。演奏としては、いかにも70年代後半のAORといった感じの、デイブ・グルーシン風AORなアレンジで再演された「ロンサム・キャット」が良かった。

 という訳で、購入時に一聴してあまりピンとこなかったアルバムなのだが、久しぶりに聴いたらなかなかその渋さが味わい深い仕上がりなのでちょっと驚いているところである。ただ、なんとしても惜しいのは、オケのアレンジにコクというか雰囲気が乏しい点か。CTIの往年のアレンジャーたちのオーケストレーション比べると、確かにそれらしい音はなっているのだが、どうも「何かが違う」という感じがしてしようがない。難しいところである。
 ちなみに往年のカズミバンドが揃っているが、さすがにアルバムのコンセプトがオケとの共演という枠が大きかったのか、カズミバンド的な尖ったバンドプレイはほぼ皆無といってもよく、3人とも非常にコクのあるプレイではあるが、基本的には律儀にセッション・ミュージシャン的な手堅いプレイに終始している感じだ。
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CHICK COREA'S ELEKTRIC BAND II / Paint the World

2010年01月28日 23時25分51秒 | JAZZ-Fusion
 コリアとマリエンサルを除いてメンツが一新され、バンド名の最後にも「II」がついたCCEBの93年の作品、新メンバーはギターにマイク・ミラー、ベースがジミー・アール、ドラムがゲイリー・ノヴァクの4人、新人という程でもないが、さして有名でもない「無名の凄腕」を集めてくるのは、RTFや初代CCEBと同じパターンで、ここに集められたメンバーも初代CCEBほどではないが、確かな腕前のメンツではある。このバンドは本作が余り話題にならず、なし崩し的にフェイドアウトしてしまったことから、現在ではほとんど忘れられてしまっているが、それは集められたメンツの力量不足というよりは、コリアの指向した音楽の変化ということのが大きかったと思う。RTFでいえば調度「ミュージック・マジック」みたいなもので、バンド・フォーマットでやりたいことをやり尽くした後で、コリア自身がやりたい音楽を暗中模索していた時期にもろにぶつかったのが災いしたとしか思えない。

 本作ではきっちりかっちりしていた初代CCEBに比べ、音楽そのものがリラックスというか、ある意味レイドバックしているのが特徴である。具体的にいえば、前作までの都会的なポップさからよりアーシーで多少ブルージーなセンスが目立ち、サウンド的にもどちらといえばCCAB的な生バンド的な感触を大幅に取り入れ(コリアはEピアノに大々的に回帰している)、ライブな音作りになっている。これは新メンバーによってもたらされた音楽変化というよりは、おそらくコリアが予め決めていたコンセプトだったのだろう(マリエンサルの演奏スタイルが微妙に変化している点に注目)。その意に沿った形で演奏を繰り広げたメンツの演奏がいささか地味になったのは、その意味では必然でもあった。ことにウェックルとパティトゥッチのコンビに比較された、本作でのジミー・アールとゲイリー・ノヴァクはさぞやプレッシャーだったであろうと思うが(笑)、新メンバーが従来型の演奏をして、クウォリティ的に全く遜色がないことは、例えば4曲目「CTA」のトリッキーなリズムをちょっと粘っこいグルーブ感でなんなく乗り切っているパフォーマンスを聴けば良く分かろうものである。

 収録曲では、前作と同様、前半に比較的ポップでコンパクトな楽曲が並び、後半に行くに従って込み入った曲、或いは大作がお出ましになるという構成になっている。前述のとおり「CTA」、あと「Ished」あたりは従来型のトリッキーな楽曲で楽しく聴ける。「Ant and the Elephant」も8ビートと4バートが複雑に交錯するCCEBらしい楽曲だが、ちとレイドバックしすぎでイマイチ盛り上がりに欠ける点を感じないでもない。「Ritual」はCCAB的なコンセプトでまとめたアコースティックな曲、アールとノヴァクのうねるグルーブ感が従来とは違ったムードを出していて、ひょっとするとこの曲あたりに「II」の未来があったのかも....という気にさせる聴き応えあるナンバーだ。「Spanish Sketch」はお約束ともいえるスパニッシュ調の楽曲で、これはほとんどRTFに回帰してしまった仕上がりになっていて、そろそろCCEBのコンセプトがここで行き詰まってきたことを如実に感じさせたりもする。

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CHICK COREA'S ELEKTRIC BAND / Beneath the Mask

2010年01月26日 23時55分04秒 | JAZZ-Fusion
 1991年に発表されたチック・コリア・エレクトリック・バンドの第5作にして最終作である。私はこの作品を今回初めて聴いたのだが、まさに最終作に相応しいどこをとっても完成され切った作品になっていると思った。表向き「ライトイヤーズ」的なポップ・センスが全面的に出ているものの、あまりに売れ筋なポップさを狙いすぎて、バンドの個性がスタイルに埋没気味だった「ライトイヤーズ」に比べれば、前作「インサイド・アウト」で獲得した高いテンションとテクニカルさ、一部「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」的なスペイシーな感覚に、ポップなフュージョン・サウンドにほどよくミックスされていて、全体の感触としてはかなり聴きやすい音楽ではあるものの、頃合いのバランスになっているのがいい。まさにCCEBの総決算といってもいい出来だ。主な曲をメモってみたい。

 冒頭の3曲ははCCEBが再びポップなファンキー・フュージョンに戻ってきたことを感じさせるキャッチーな作品。ただ「ライトイヤーズ」と違うのは、前述の通りバンドのもの凄く高く演奏自体が非常に充実しているということだ。この後何度も書くことなるが、ことにウェックルとパティトゥッチのリズム隊はこのバンド史上最高のテンションを発揮していて、当たり前なものになりかねないこうした曲でもやけにハイな仕立りにしまっている。「Wave Goodbye」は「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」で展開されたような幻想味の強いサウンドだが、パティトゥッチが強力なグルーブ感でもってバンドをひっぱっているところが「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」の諸曲とは少々違うテンションを感じさせることになっているのがいい。「Lifescape」は「インサイド・アウト」のシリアスさをぐっと滑らかにしたような作品で、複雑なキメや変拍子が実にさりげなく溶け込んでいるアレンジが絶妙。また、ギャンバレのギターが聴き所満載である。「Jammin E. Cricket」もウェックルとパティトゥッチが強力なグルーブ感を醸し出す、まるでアート・オブ・ノイズみたいなメカニカル・ファンキー・ナンバーでカッコ良く、こういうサウンドであれば、中間部で聴かれる「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」ばりの中間部の浮遊感も生きてくるというものである。

 「Charged Particles」は「インサイド・アウト」的なゴリゴリ感、大仰さをコンパクトにまとめたような作品で、個人的にはアルバム中のお気に入りの作品となった。「Free Step」はポップなラテン・フュージョンの衣をまとった作品で、全体としては滑らかでリラックスして進むが、実にはかなり仕掛け満載のテクニカルな作品で、ウェックルとパティトゥッチが表向きニコニコ、実は怒髪天みたいテンションになっているのが凄い。「99 Flavors」は当時、ヤマハが出していたデジタル・シンセの最新機SY99にあやかった曲で、かのデジタル・シンセらしいクリアだがアナログ的太さも感じさせるサウンドを随所に散りばめている。「Illusions」は10分近い大作で、幻想的サウンドとハイテンションなインタープレイの合体を目論んだ作品という感じだろうか。こういう作品だと必ず顔だすバルトーク的シリアスさや複雑なアレンジを、無理なくポップなサウンドに収束させているあたり、CCEBの進化プロセスの最終形を感じさせる。
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チック・コリア・エレクトリック・バンド/インサイド・アウト

2010年01月26日 00時03分30秒 | JAZZ-Fusion
 1990年発表の第4作。前作はそれまでの2作にあったテクノロジーの追求、ポップ指向といったものへの反動といった趣の強かったが、幻想味やスパニッシュ風味という点ではみるべきものがあったものの、これだけのメンツを集めた割にはいささか地味過ぎたきらいがなくもなかった。きっとチック・コリアは本作の制作にあたり、この辺を大いに意識したのだろう。1曲目のタイトル・チューンこそ、当時流行のメロウなポップ・フュージョンではあるものの(マリエンサルのサックスがまるでデビッド・サンボーン-笑)、それ以外はまるで前作で欲求不満を解消するかの如く、全編に渡ってCCEBというテクニック集団の特性を生かした、-かつての作品でいえば-「スリー・カルテッツ」的なゴリゴリ感にバルトーク的なシリアスさが満載されたけっこうハードコアな作品となっている。

 二つのパートのメドレーからなる「メイク・ア・ウィッシュ」は、バルトーク風なイントロから、実に込み入ったキメと4ビートが縦横に交錯するかなりテクニカルな本編となる。ソロはギャンバレ、マリエンサル、コリアの順でスピーディーに展開、ハイライトはギャンバレのアラン・ホールズワースを思わせるギター・ソロか、ウェックルとパティトゥッチのリズム隊もここぞとばかりの活躍振りで実に爽快なプレイを展開している。やはり2部からなる「ストレッチ・イット」もバルトーク風なテーマから、第二部ではメローなフュージョン的な要素も目配せしつつ、やはり各メンツのソロをふんだんに配置して、高テンションな演奏を展開している。アルバム中最長の大作「テイル・オブ・デアリング」は4パートからなる組曲で、シリアスな導入から、第二部では「メイク・ア・ウィッシュ」と同樣なソロ・パートが展開され、第3部ではまさにバルトークとしかいいようがない、複雑極まりないリズム的なテーマ(ピアノとドラムのユニゾン)が展開され、ギャンバレのギター・ソロも追い打ちをかけて、この大作のハイライトとなっている。

 という訳で、個人的にはCCEBといえば、これまで本作をもっとも愛聴してきたせいもあるが、これが一番バンド面の資質がよく出た作品なのではないかと思う。シリアスやハード路線といっても、当時所属していたレーベルがGRPということもあって、ある程度はポップさにも目配せしており、このあたりのバランスが、実のところ一番このメンツには合っていたのではないかと思ったりもするのだが、どうだろうか。まぁ、少なくとも前二作よりデビュー作や「ライヴ・フロム・エラリオズ」、そしてCCABを愛好する私のようなムキには、このアルバムの随所に展開されるスリリングなインタープレイは掛け値なしに価値があるものだと思う。
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チック・コリア・エレクトリック・バンド/アイ・オブ・ザ・ビホルダー

2010年01月20日 23時58分15秒 | JAZZ-Fusion
チック・コリア・エレクトリック・バンドの第三作。前2作では最新鋭の各種デジタル楽器を駆使し、モダンでポップなサウンドをクリエイトしたチック・コリアだが、2作でそのあたりは達成したと踏んだのか、飽きてしまったのか、それとも思った程売れなかったのか、その全てだったのか、とにかく本作では前二作とはかなり趣を変えた作品になっている。具体的にいえば、当時、売れ筋だったファンク・フュージョン的なリフやリズム・パターンをひっこめ、幻想的なシンセ・オーケストレーション、チック・コリアお得意のスペイン趣味を随所に押し出しつつ、やや生真面目手にまとめた作品といえるだろう。相変わらずデジタル・シンセは多用しているものの、本作ではアコピの出番も多いし、他のメンバーも総じてアコスティック系の楽器を多用しているのも特徴だ。あれこれ深読みするムキもあるが、要するにややテクノロジー偏重だった前二作の反動でもって作られたというのが、意外にアルバムのコンセプトなのかもしれない。

 アルバムはトータル・アルバム風というか、全体が組曲のような感じになっている。冒頭から3曲目までは、シンセ・オーケストレーション、アコギ、アコピなどフィーチャーした短い楽曲がメドレー風に続き、4曲目「パッセージ」でもって、ようやく比較的前2作のパターンで作られたポップなフィーリングをもったフュージョンらしい作品となる。もっともこれも前に比べるとかなりゆったりしているが。5曲目の「ビューティー」はRTFの無国籍アコスティック・サウンドを80年代に甦らせたような作品だが、けっこう長い作品の割にはどうもイマイチ盛り上がりに欠く印象がないでもない。続く「キャスケイド」は組曲風の作品だが、前二作の作風をいったん解体して、構成する要素をすっきりと再構成したような趣がある。タイトル・トラックと「アムネジア」はおそらく本作で一番、CCEBらしいタイトな作品か、前者のスパニッシュ風なテーマに入り組んだ展開、後者のボーダレスに8ビートに4ビートを交錯させていくお馴染みのやり口は、「ライヴ・フロム・エラリオズ」の「トゥィーク」を思わせるものとなっている。

 という訳で、本作はトータル・アルバムなのだろうが、どうも彼の描いたストーリーがリスナーにイマイチ伝わらないところがあるのではないか(チック・コリアという人のこの種のアルバムはたいていそうなんだけど)。また、ドラマを感じさせるには、前半はちと散文的過ぎるし、後半のハイライトに当たる部分はあっさりし過ぎの感があると思う。特に「アムネジア」がせっかく盛り上がったところでフェイドアウトするのは意味不明だ。こんなこといったらコリアに怒られるかもしれないけれど、前作もやり過ぎだが、本作は逆にやらな過ぎと....いったところかもしれない。
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チック・コリア・エレクトリック・バンド/ライト・イヤーズ

2010年01月19日 23時12分19秒 | JAZZ-Fusion
 1987年にリリースされたCCEBの第2作である。昨夜も書いた通り、いわゆるチック・コリア・エレクトリック・バンドの5人が揃うのがこのアルバムであり(一部、前作にも参加したカルロス・リオスのギターも参加)、このバンドの一般的なサウンドのイメージを確立したのも、だいたいこの作品あたりだと思われる。多分、この作品も私はこれまで聴いたことがなく(初めて聴いたとはとても思えない曲もあるので、ひょっとすると聴いていたかもしれない)、先日急遽購入してきて、さっきから聴いているところなのだが、アルバム全体の印象としては、基本的には前作の延長線ではあるものの、全体にやけにポップであり、それぞれの曲もかなりコンパクトにまとめたといった感じである。前作にあったMIDIやシーケンサー、そしてデジタル・シンセといった最新の飛び道具に目がくらんで(?)、やや作り込み過ぎ、音を詰め込み過ぎなところを、すっきりとさせたサウンドということもできるかもしれない。また、新しい拠点がトミー・リビューマとデイブ・グルーシンが仕切るGRPという売れ筋の作品を量産しなければいけないメジャー・レーベルだった....という影響も大きかったと思う。

 そんな訳で出来上がったアルバムは前述の通り、非常にポップである。相変わらず最新鋭のデジタル・シンセやMIDI機器を駆使した非常にきらびやかなサウンドだが、長いインプロ、トリッキーな仕掛け、複雑な変拍子といったチック・コリア的にゴリゴリしたところは、ほぼ一掃してしまっており、あの時代に猫も杓子も追いかけていた「ポップなファンク・フュージョン」というスタイルにCCEB自身が埋もれてしまっている感がなくもない(ひょっとすると、この手の音楽はCCEBが「走り」「元ネタ」だったのかもしれないが、なにしろあっという間に一般化してまった)。なので、新加入のフランク・ギャンバレとエリック・マリエンサルという逸材も、本作ではチック・コリアの作り出すデジタル・シンセ中心のバンド・アンサンブルの中に妙に神妙に収まってしまっているのはちと残念だ。曲目としては5曲目の「タイムトラック」が、全体をスムースに流しつつ、隠し味的にソロをバランス良く配置してなかなかの仕上がり。また、「ビュウ・フロム・アウト・サイド」はいくらかチック・コリア的ゴリゴリ感が感じられる歯ごたえのある作品になっているくらいか。残りはFMに乗せてもなんの違和感もない、実に口当たりのいいサウンドになっているが、だからこそ食い足りないというのもまた事実だ。
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The Chick Corea Elektric Band

2010年01月18日 23時37分57秒 | JAZZ-Fusion
 1986年に発表されたチック・コリア・エレクトリック・バンド(CCEB)のデビュー作。録音時期としては先に取り上げた「ライヴ・フロム・エラリオズ」の方が早いが、あれは後年発表された一種のレア音源であり、一般リスナーが彼らを知ったのは、当然この作品が最初のものである。この時期のCCEBは当初の構想通り、メンバーはコリアにパティトゥッチとウェックルの3人で、ゲスト的にギターのカルロス・リオスとスコット・ヘンダーソンが参加してサウンド補強するという形をとっている。フランク・ギャンバレのギター、エリック・マリエンサルのサックスが加わって、バンドの布陣が固定するのは、これの翌年に発表された「ライトイヤーズ」からである。
 実をいうと、私がCCEBを聴いたのは、これより更に後の「アイ・オブ・ザ・ビホルダー」あたりからで、初期の2作は聴いたこともなければ、CDも持っていなかった。どうせ、かなりポップなフュージョン路線だろうと、あまり触手が伸びなかったせいだが、先日、聴いた最初期の音源「ライヴ・フロム・エラリオズ」があまりにも良かったため、これは看過出来ないと思い、数日前に急遽購入してきた。

 さて、この初めて聴く彼らのデビュー作だが、エレクトリック・バンドというのがバンド名に込められた意図が非常によく分かる内容だ。「ライヴ・フロム・エラリオズ」はなんだかんだといいつつも、インプロ重視のトリオ演奏だったのに比べると、こちらはとにかく当時最新鋭のデジタル・シンセ、シーケンサー、シモンズ系のパーカスといった飛び道具のオンパレードである(クレジットにはヤマハのTX系、フェアライト、リン、そしてシンクラヴィアなど錚々たるシンセ並ぶ)。これが発表された頃、私は打ち込み音楽に夢中で、デジタルシンセやドラムマシンなどを何台も購入して、Cubaseというシーケンスソフトでもって、自ら打ち込み音楽をやっていた時期なので、この手のサウンドは実に懐かしくもある。
 デジタル・シンセ特有のマリンバを金属的にしたようなクリアなエレピ系、重厚さはないがキレ味の良いブラス系、シンセ・ベース、遠近感のあるシモンズのドラム・サウンドなどをデジタル・リバーブ特有の光沢感....といったものは、当時のまさに「最先端のサウンド」であり、こういうものを多少なりともかじっている人間にとっては(私は下手の横好きだったので全く物になりませんでしたけどね-笑)、ものすごく金のかかる「憧れの音」だったのである。

 本作を聴くと、そうした最新のテクノロジーに触発された音楽という感が非常に強い。なにしろこの時期は音楽テクノロジーという点は、ある種「産業革命」のような時代だったので、テクノロジーの発達が音楽の創作に直接的な動機となるようなことが、いろいろなところでみられたけれど、それがテクノやロックの世界だけなく、ジャズの分野からもチック・コリアのような人からもアクティブに発信されていたということだろう。
 まぁ、そういう音楽なので「ライヴ・フロム・エラリオズ」のような長尺インプロはあまりなく、全体は尺はかなり刈り込まれ、全体はきっちりかっちりアレンジされかなりポップな楽曲が続いている。比較的インプロ度、ゴリゴリ度(?)が高い楽曲としては、 デイブ・ウェックルお得意のラテン・リズムがフィーチャーしつつ、自在に4ビート行き交う「ゴット・ア・マッチ」、RTF的ゴリゴリ感を口当たりの良いサウンドに還元させてみせた「シルヴァー・テンプル」あたりが楽しめる。また「キング・コックローチ」もその系列だ。これらの曲では、コリアもさることながら、若武者ウェックルとパティトゥッチのリズムが圧倒的だ。ありがちな求道的に楽器を追求していくシリアスなタイプではなく、妙に明るい開放感と天衣無縫なプレイ、いろいろな意味で当時衝撃的だったけれど、それがよく分かるプレイだ。
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チック・コリア・エレクトリック・バンド/ライヴ・フロム・エラリオズ

2010年01月13日 23時00分58秒 | JAZZ-Fusion
70年代のRTF、その後の多彩なソロ活動を経て、チック・コリアはこのエレクトリック・バンドで再生する。いや、再生というよりは刷新と呼ぶべきかもしれない。RTF以降のチック・コリアのかなりの数のアルバムを何年がかりで聴いてきたけれど、やはり今からクロノジカルに聴いていくと、RTF解散後は旺盛な創作意欲でもって、確かにクリエイティブな活動はしていたと思うけれど、ハードコアなテクニカル路線スペイン、バルトーク、ファンタジー趣味といった様々な音楽要素をとっかえひっかえ使い回している感もなくはなく、相変わらずテクニックやクウォリティはさすがだったけれど、次第に活力を失い、なんとなく袋小路に入ってしまったような感もなくはなかった。82年の「Touchstone」の1曲では奇しくもRTFを再結成してしまっているが、これなどある意味では彼の行き詰まり感を象徴しているような出来事だったのかもしれない。

 まぁ、そんな状況を意識していたのか、無意識だったのかはよくわからないが、ともあれチック・コリアは1985年にこれまでの人脈とは一切断絶した若いメンバー共に新しいバンドを結成する、それがチック・コリア・エレクトリック・バンドである。このバンドは当初、チック・コリアにジョン・パティトゥッチとデイブ・ウェックルでもってスタートし、デビュー作では何人かのサポート・メンバーが加わり、やがてフランク・ギャンバレとエリック・マリエンサルが加わって固定したバンドとなるが、本作はそのエレクトリック・バンドのスタート時点を捉えた1985年のライブである。メンツは当然の如くトリオ編成で、いわばその後に展開することになるアコースティック・バンドと同様なメンツな訳だけれど、冒頭にも書いたとおり、パティトゥッチとウェックルという若手を得て、チック・コリアの音楽が見事に刷新されたことを物語る、活気と生気に富んだ実に素晴らしい演奏になっている。1曲のエレピはRTFを思わせる懐かしいフレーズだが、ドラムとベースがファンキーなリズムでもって乱入してくると、音楽の佇まいはがらりと変わるのだ。

 収録曲は8曲、トリオだからその後のエレクトリック・バンドほどカラフルでもポップなサウンドでもないが、とにかくリズム・セクションが画期的に斬新だ。明らかに過去のジャズの伝統を引きずっておらず、基本8か16ビート、シーケンサーとの共演になんの違和感も覚えない、妙に明るく屈託のない超絶技巧のふたりのリズムに乗って、チック・コリアが久々に鼓舞している様は実に楽しい。ひょっとするとチック・コリア自身のプレイはそんなに変わっていないのかもしれないのだが、ベースとドラムが変わるだけで、これだけ音楽の様相が違ってしまう良い見本かもしれない。あっ、そうそうチック・コリア自身の変化というなら、このエレクトリック・バンドで「エレクトリック」の所以かもしれない、デジタル・シンセ群をここで大幅にとりいれているという点がある。今となってはいささか時代を感じさせるいかにもなサウンドもあるが、とにかく従来のフェンダー、アナログシンセ、そしてピアノといった組み合わせから脱却しており、聴こえてくる音そのものがアップ・トゥ・デートな新鮮さがあったのは事実だ。とにかくここでチック・コリアはここで自らをリセットすることに成功したのである。
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MILES DAVIS / A Tribute To Jack Johnson

2010年01月09日 22時28分58秒 | JAZZ-Fusion
 昨夜、ライフタイムの「エマージェンシー」を聴いて、「そういえば、最近、「ジャック・ジョンソン」聴いてなかったよな」など思い出して、今夜はマクラフリン絡みでこのアルバムも聴いてみた。もちろんこの作品、当然のことながらマイルス・デイヴィスのものなんだけど、ファンならご承知の通り、旧A面の「Right Off」の冒頭から、豪快なノリでぶちかましているジョン・マクラフリンのカッティッングがあまりにカッコ良すぎて、「ジャック・ジョンソン」といえば、わたし的には「ジャック・ジョンソンといえばマクラフリン」ということになってしまっているのである(そういう人多いのではないか?)。とにかく、このくらいカッコ良いリフというのもないのではないと思う。ファンキーなリズムにのって、ザクザクしたギターのリフ、そしてまるでオブジェのようなソロを自由にぶん投げているような感じなのだが、この豪快さが実にカッコ良く、ある意味でロック以上にロック的なワイルドさを感じる。1970年にこういう音楽がジャズから出てきたというのは、ある意味画期的だったと思う。

 曲はご存じの通り、ほとんどジャム・セッションであり、冒頭のリフともつかないリフだけが決まっていて、おそらく何テイクかだらだらと録り直していったのだろう。ここに収録されている演奏だと、2分過ぎたところでマイルスのトランペットが御大よろしく入ってきて、およそこの数年前の演奏とは質的にも感覚的にも違ったソロを展開しているのだけれど、そのアブストラクトさといい、ノイジーなセンスといい、バッキングというにはあまりにオンにリミックスされたマクラフリンのギターの方が、圧倒的な存在感を放っているのはまさに音楽の妙としかいいようがない。もちろん、マイケル・ヘンダーソンとビリー・コブハムが作り出すファンキーなリズムの「濃さ」あってこそ、このギター・リフなんだろろうけれど、ともかくここでのバンド全体のグルーブ感は、マイルス・デイヴィス自身ですら、二度と再現できなかったのではないかと思うほど希有なものだ。別セッションを挿入したとおぼしき中間部が終わると、再び冒頭のリフが再現されるが、こちらはオルガンも加わってさらに熱っぽい演奏になっている。

 後半部分のリフも死ぬほどカッコいい。マクラフリンがどうしてこんなファンキーなカッティングをしているのか、よくわらかないところもあるのだが(誰かが持ち込んだテーマなのか)、ファンキーもどき、ロックもどき、フリージャズもどきでギトギトと攻めまくったところで、再びテーマが回帰するあた呼吸もよいし、とにかくカッコ良すぎである。マクラフリンはマイルス・バンドの後に、マハビシャヌを結成して傑作も何作が生み出す訳だけど、はたしてこれ匹敵する瞬間を生み出させただろうか?....などと考えると、ちと複雑な気分にもなるのだが。
 ちなみにこのアルバム、旧B面の方は全く別のセッションで音楽的にも全く趣が違う(ギターはおそらくマクラフリンではないだろう)。どちらといえば「イン・ア・サイレント・ウェイ」系列の音楽で、こういうスペイシーな音楽も悪くないが、やはり旧A面より大分落ちると思う。
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ザ・トニー・ウィリアムス・ライフタイム/エマージェンシー

2010年01月08日 23時15分59秒 | JAZZ-Fusion
 恥ずかしながらトニー・ウィリアムスのライフタイムは、これまでマトモに聴いたことがほとんどなかった。このバンドから輩出したメンバーは錚々たるものがあるし、マイルス門下のバンドとしても有名なバンドだったのだが、トニー・ウィリアムというとどうしても「フォア&モア」のレガート・シンバルによる超高速4ビートか、70年代中盤以降のパワフルなどすこいドラムみたいなイメージが強かったのか、どうも彼の作ったジャズ・ロック系の音楽は敷居が高い感じがしたのだ。このアルバムも購入したのは、多分数年前くらいになると思うが、本当にようやっと聴いたという感じである。データ的なところを押さえておくと、マルイス・バンドを脱退したウィリアムスが、ギターとジョン・マクラフリンとオルガンのラリー・ヤングを誘ってトリオとして結成、制作は1969年の5月に2日間で録音された(ライナーを読むとマイルスの「ビッチズ・ブリュウ」の数ヶ月前の録音とある、ほうほう)。なお、オリジナル・アルバムは2枚組だ。

 さて、本アルバムだが、一聴して60年代終盤~70年代初頭特有の渦巻くようなカオスが一杯である。なんだか聴いていて、ジャズ/フュージョンというより、同じ時期にB級ブリティッシュ・ロック(ヴァーティゴ・レーベルあたりのあの音ね)を聴いているような気分になってくる。なにしろ2日で録られたアルバムである、フリー的なインプロの途中に4ビートも交えるなど、アレンジ的にもいくらか作り込んだ気配があるが、おそらくレコーディング現場の実体はジャム・セッションに毛の生えた程度のものだったのだろう。司令塔ウィリアムスの繰り出すリズムに乗って、ジミヘン的な歪んだエッジに振りまきつつ、異常にテンションの高いフレーズを繰り出すマクラフリンに、それこそ70年代初頭、サイケの残光という感じのラリー・ヤングのオルガンが自由に絡み合い、フリー・ジャズ一歩手前のところで独特なカオス空間生み出しているが、こういうのはお互い手の内があまり見えない、初顔合わせ状態だからこそ可能なサウンドだったともいえる。ともあれ、この混沌とざらついたサウンドの感触は、いかにもあの時代特有のもので、聴いているとなんだかローティーンの頃にタイムスリップしたような気分になる(また、意図したのかどうか、ベタっとして、妙に分離の悪いナロウな録音がなんとも風情がある)。

 マクラフリン視点で見ると、「ホエア」のギターはマハビシュヌ以前のブリティッシュ・ジャズ的なスタイルで、その後の彼を知っていると、まだ突き抜けていない憾みはあるが、これはこれで別の感興があるプレイだ。「スペクトラム」はいかにもマクラフリン、随所に出てくるユニゾンによるキメ、細かいフレーズを組み合わせたソロなど、こちらはその後のマハビシュヌがうっすらと見える曲である。アルバム中では珍しく全編4ビートで通しており、ウィリアムスはいつも彼のプレイ、ヤングの左手のベース・ラインが絶妙のグルーブ感を出しているし、このアルバムの全8曲の中ではもっともタイトにまとまっている。このギターを聴いてマイルスは自分のバンドに彼を呼んで、「ジャック・ジョンソン」みたいなプレイをさせる構想を思いついたのでは....なんて勘ぐりをしたくなる曲でもある。「スペクトル・ロード」はボーカル入りのアーシーで珍しくブルージーな作品だが、中間部で切れ切れに、まるでオブジェのように配置されたソロの中にマクラフリンらしいフレーズがけっこう見え隠れしているのがいい。
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An Evening Of FOURPLAY <vol.2>

2010年01月05日 23時54分37秒 | JAZZ-Fusion
 第2部は第1部後半に引き続いて、第一作からの作品が続く。1曲目の「Wish You Were Here」は、オリジナルではバラード風というにはあまりにも淡彩な仕上がりだったが、ここでは更になだらかな起伏とゆったりとしたテンションで演奏されている。こういう演奏ではあれば、とかくだらけて間延びしたものになりやすい訳だけれど、そのあたりをぎりぎりのところで回避して、じわじわと演奏のテンションを上げていくあたり、練達の4人だからこそ楽しめるプロセスだろう。
 2曲目の「Moonjogger」はボブ・ジェームスのアコピのソロからスタート、かなり長目のソロだが、本編が始まってしまえばオリジナルの骨格はきっちりキープしているのは第1部と同様だ。ボブ・ジェームスの作品らしく、リズムもソロの配置もけっこう入り組んだ曲のハズだが、全然普通というかモノトーンな演奏に封じ込めてしまっているのが彼ららしい。

 次からは第2作からのセレクションへと移行。まずは3曲目「A Summer Child」はかのアルバムでもけっこう地味な曲だったが、ゴスペル風味が見え隠れしているあたりがいいスパイスになっている、演奏自体は前曲に引き続いてモノトーンでリトナーが実に気持ち良さそうにギターを弾いている。4曲目の「Amoroso」は非常に上品なソフィスティケーションされたラテン作品で、いかにもリトナー時代のフォープレイを感じさせる演奏、後半のリトナーとメイソンのちょっとしたバトルはいからもライブ的感興があって楽しい。
 比較的地味目の演奏が続いたところで第2部のハイライトになるのが「Between The Sheets」だ。オリジナル通りゲスト・ボーカルにチャカ・カーンを加え、濃厚なソウル風味とアンビエント的感触が渾然としていりまじったフォープレイとしかいいようがない演奏になっている。もちろんライブだからして、スタジオ盤以上に濃厚な作品だが、ここでのチャカ・カーンの存在感はさすが、一気にフォープレイの4人を配下にしてしまっている(笑)。オーラス前にはベイリーとペリーのボーカルもフィーチャーされている。

 ラストは「Flying East」はファンキーなリズムにのった、メイソンとイーストの一見普通、実は超強力なリズム・セクションのグルーブ感がいい。ラストだけあってノリもいい。DVDだとこのままエンド・タイトルになってしまうが、この部分でリトナーがウェス・モンゴメリーの「Bumpin' On Sunset」を引用しているのが洒落ている。そういえばリトナーがウェス・モンゴメリーのトリビュート・アルバムを作ったのは確かこの時期だったはずだ。
 という訳で、第2部はちと前半の数曲が<ちと中だるみのところがないでもなかったが、後半ではきっちりと盛り上げてくれたので、こちらも大いに楽しめた、満足である。できれば第2作目なら「Anthem」、デビュー作なら「Max-O-Man」といった曲も演奏して欲しかったところだが....。
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An Evening Of FOURPLAY <vol.1>

2010年01月04日 23時12分48秒 | JAZZ-Fusion
 1993年のFourplayが全盛期のLiveDVDである。1993年といえば、彼らの最高傑作の一枚である「Between the Sheets」が発売された年だが、おそらくこのアルバムの発売に併せたパフォーマンスを収録したものであろう。1993年だからギターは当然、ラリー・カールトンではなくリー・リトナー、いつもの3人の他には、バックに元EW&Fフィリップ・ベイリー、リトナーの作品ではよくクレジットを見かけるフィル・ペリーの顔も見える。会場は映像の様子からして、どこかの大きめのスタジオを使い、そこに少数のオーディエンスを入れているのだろう。こういうスタイルは大昔観たチック・コリア・アコースティク・バンドのライブなんかもそうだったし、この他にもジャズやフュージョンのライブ・ヴィデオというけっこう多いような気がするのだが、ジャズの場合、狭いクラブに機材を持ち込むより、いっそのことスタジオに客を呼び込んでしまい、照明でも工夫すれば、大して変わらんだろ....とったところなのだろうか。

 さて、問題のパフォーマンスだが、実に素晴らしいとしかいいようがない。ライブだからして、各人のソロ・パートは当然スタジオ盤よりたくさんフィーチャーされているし、ライブらしいノリも横溢しているが、本編部分ではスタジオ盤と同様なストイックな端正さをきっちり保持しているのは意外だった。こういうジャズ・ミュージシャン達のライブだから、スタジオ録音のようなタイトさは後退させても、当然ソロ・パフォーマンスを優先させているのだろうと思っていたのである。1曲目に収録された名曲「Chant」はほぼスタジオのアレンジをなぞっているし、2曲目の「Monterey」は冒頭でリトナーのソロがフィチャーされるものの、本編は意外にもオリジナル通りに進んでいく。まぁ、それだけきっちりとアレンジされていた曲ということなのかもしれないが....。
 3曲目「101 Eastbound」と4曲目「Midnight Stroll」では、ふんだんにソロ・パートが出てくるが、伸び伸びとソロをとっているようでいて、きっちりとフォープレイ的な、スカスカだが妙に質感が高く、饒舌ではないが、各々パートが存在感のアンサンブルから、あくまでも逸脱していないバランスで行っている点がいい。ついでにいえば「101 Eastbound」のイントロで見せる、ちょっと遊んだグルーブ感など、まさに超一流ミュージシャン達のみが持つ、以心伝心の凄さを見せつけてくれる。

 5曲目「After The Dance」はフュージョンというより、もろにソウル風な作品でここではフォープレイの4人はバック・ミュージシャン的スタイルで、スタジオ盤同様練りに練った黒光りするようなアンサンブルを披露している。ラストの「Bali Run」はフォープレイ(というかボブ・ジェームスというべきかも)名曲中の名曲だが、ここでもほぼスタジオに忠実な演奏だ。もっともスタジオ盤にあったドラマチックなシンセ・オーケストレーションを、ボブ・ジェームスひとりで全てを再現できないので(ヤマハのMIDIピアノという多飛び道具でひとりユニゾンしているのがボブ・ジェームスらしい-笑)、その分リトナーとイーストのユニゾン(ご両人になんという余裕の表情!)で見せ場をつくってカバーしており、これはこれでまた一興....という訳で、第1部を見終わったところだが、第2部は明日の夜の楽しみにでもしておこうか。
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チック・コリア・トリオ/ARC

2009年12月22日 00時21分27秒 | JAZZ-Fusion
 こちらは遡って1970年の作品。この時期のチック・コリアの音楽遍歴をまとめると、ざっくりといって、1968年の「ナウ・ヒー・シングス」で一躍注目を集め、マイルス・バンドへ加入、そこでしばらく活動した後に脱退、1970年にベースのデイヴ・ホランド(マイルス・バンドで一緒だった)とドラムのバリー・アルトシュルを誘って、サークルを結成する....という感じだろうか。このアルバムはチック・コリア・トリオ名義だが、おそらくメンツ的にも音楽的にもサークルそのものだったと思われる。サークル自体はフリー・ジャズにかなり近づいた音楽をやっていたようだが、ここで聴ける音楽はまさにフリー・ジャズ的なものである。
 アルバムはショーターの「ルフェルティティ」から始まる。本作では唯一、隅々までアレンジされたオーソドックスなジャズに近い作品である。もちろんこの時期のチック・コリアだからして、当たり前な4ビートなどやっていないが、「ナウ・ヒー・シングス・ナウ・ヒー・ソブス」の続編よろしく、かなり複雑にアレンジされ、かなり自由にアドリブを展開するものの、まずはフリー・ジャズ嫌いでも受け入れらそうな作品になっている。2曲目の「バラード・フォー・ティリー」はホランドのベースが主導し、それにコリアがインスパイアされているような落ち着いたインプロビゼーション、全編に漂ういささか虚脱したようなムードがいかにも1970年という時代のひとこまを感じさせる。タイトル・トラックは「トリオ・ミュージック -トリオ・インプロヴィゼイションズ-」でやったようなフリーなインプロで、けたたましいところまでいかないが、かなりパーカッシブな演奏になっている。

 ホランド作の「ヴェダーナ」は、ベースが発信源となり前半は印象派風な曖昧模糊としたムードで続き、中盤以降は爆発的なインプロの応酬となる。この曲が実際どの程度スコアリングされていたのか知るよしもないが、昔はまるでフリーのように感じたが、今の感覚で聴くとけっこうそこそこアレンジされていたのかな....という気もする。「サナトス」は長いインプロの途中を抽出したような趣、内容的には完全なフリー・ジャズだ。いかなる意図か、非常に長いフェイドインから始まり、やがて同じように長いフェイドアウトで締めくくられる。ラストの「ゲームス」はやはりホランド作、「ヴェダーナ」もそうだったがホランド作品は、コリアのようにはじけるような趣がなく、非常に落ち着いていて、フリーといってもかなり構造化されているのが特徴と感じた。
 という訳で、このサークルという活動、やはりチック・コリアとしては、時代の要請も基づき「一度はやっておかなければならなかったジャズの解体作業」といった通過儀礼的な活動だったような感が強い。その後に展開される音楽活動を既に知っている者からすれば、ここで聴ける音楽も悪くはないが、やはりチック・コリアという人が持つ多彩な手の内の中の、小さな一手に過ぎなかったようにも思える。ちなみにこのサークルが解散すると、その次の来るのがリターン・トゥ・フォーエバーなのは周知の通りである。
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CHICK COREA / Touchstone

2009年12月18日 23時59分55秒 | JAZZ-Fusion
 先日取り上げた「トリオ・ミュージック」と同じ1982年の作品だが、こちらは大局的には1976年の「妖精」以来ずっと続けてきたフュージョン路線の音楽をベースに、これまでやってきた様々な音楽的要素をあちこちつまみ食いしたような内容になっている。それは、集まったメンツが、パコ・デルシア、リー・コニッツ、アレックス・アクーニャ、ドン・アライアス、ゲイル・モラン、第2期RTFその他多数という多彩というか、よくわからない布陣なことからも分かる。1曲目は11分にも及ぶタイトル・チューンは、冒頭モランのスウィングル・シンガーズ風のスキャット・ボーカルに始まり、中間部はパコ・デルシアのアコギをフィーチャーしたエキゾチックなアコースティック路線になる。2曲目の「Yellow Nimbus」はスーパー・ギター・トリオからディメオラが抜け、マクラフリンがチック・コリアに置き換わったような音楽で、コリア得意のスパニッシュ調のヴァリエーションともいえる内容である。

 3曲目はこんなところで出てくるかという感じの、リー・コニッツをフィーチャーした「Duende」はメランコリックでクラシカルな小品だ。4曲目の「Compadres」は第2期RTFの同窓会的作品である。「浪漫の騎士」あたりのシンフォニックなサウンドに、往年のテンションを多少リラックスして再現したという趣であるが、どうして1982年にこれなのかという疑問は残る(ちなみにドラムスが入る曲は実質的にこれだけで、本アルバムの他の曲はパーカスだけである)。5曲目「Estancia」はコリアのカラフルなシンセ・サウンドをラテンのリズムで展開してみました....といった「マイ・スパニッシュ・ハート」路線の作品。6曲目「Dance of Chance」は、アルバム・ラストに相応しい、アルバム中もっともドラマチック、もっとも入り組んだリズム、もっともゴリゴリしたコリアらしい作品になっている。おおよそ、RTF以降にコリアがやってきたひとつの典型ともいえるような作品だが、トランペットをフィーチャーしているのが目新しい点といるかもしれないが(フルートもフィーチャーされるが、こうなると一気にRTF風になってしまう)、基本的には「いつもチック・コリア」ではある。

 ちなみに、このアルバム、トニー・コーハンという人が書いた同名作品に基づいたコンセプト・アルバムのようなのだが、どうもコリアがこの手の作品を作って、おもしろかった試しがない(ドラマがイマイチ伝わらないというか、なんというか)のは、音楽でもってストーリーを語るという点と、即興的にインプロヴィゼーションを展開していくというジャズの特徴が、どう考えても両立しづらい点にあると思うのだが、どうだろう。いずれにしても、このアルバムあたりで、そろそろコリア自身これまでの培ってきた人脈と音楽を作ることが、既に限界に達していることを自覚したら違いない。期せずして音楽がソレを語ってしまっているように思う。いずれにしても、コリアはこれ以降、紆余曲折を経て全く新しいメンバーを集めて、音楽を刷新していくことになるのだ。
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