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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

渡辺香津美/エンドレスウェイ

2010年09月07日 23時26分51秒 | JAZZ
 1975年の作品でソロ第3作で、私が聴いた渡辺の作品としては、多分これ一番古い作品ということになるだろう。75年だから当然といえば、当然かもしれないが、フュージョン期以前の制作なるため、本作も新主流派~「ビッチズ・ブリュー」あたりを音楽を起点とする、ジャズ・ロックというか、音楽主義的なクロスオーバー作品というか、ともかくアメリカでいうと70-72年くらいのスタイルを忠実に敷衍しているという感じなのは、「渡辺といえばフュージョン」という先入観のある私には、いささか驚きだった。

01.オン・ザ・ホライゾン
 ミドルテンポで茫洋としたムードで進む新主流派風なムード(H.ハンコックの「処女航海」あたり)を持った作品。まずは向井や土岐の管を大きくフィーチャーし、渡辺のギターは3番目に登場する。徐々にに高潮し、次第な奔放なプレイへと展開していく渡辺のソロは中々のもので、この時期から既に「出来上がっていた」ことを感じさせるが、やや勢い余って、曲のスタイルと合っていない点がないでもない。

02.サッドネス
 ギター・トリオ+向井で演奏されたバラードタイプの作品。渡辺のソロは、W.モンゴメリーやジム・ホールなど先達たちのスタイルをよく消化したソツがないプレイをしているが、前曲同様、当時の彼はまだ若かったのだろう、-ラリー・コリエルを意識過ぎたところがあったのかもしれない-時にオーバーアクションな表情も見せる。その点、向井のプレイは十分に雰囲気を掴んだシックなものになっている。

03.エンドレス・ウェイ
 こちらはトリオというミニマムな編成を生かした動きの激しい作品。リズムは基本ファンク・ビートで、渡辺のギターもマクラフリン的な激しさを感じさせるプレイに終始している。したがって、全体としては「ライブ・エヴィル」的な猥雑と熱狂があり、執拗なまでにリピートされるファンクなリズムとそこに乗る狂おしく奔放なソロという点で、「ライブ・エヴィル」でも、そのものずばり「ホワット・アイ・セイ」を思わせる。もっとも途中で「ジャック・ジョンソン」にもなったしまったりするのだが。

「ザ・セカンド・ウィンド(EW)」
 1曲目と同じ5人編成での演奏。こちらはチック・コリアを意識したのかもしれない、スパニッシュ調な雰囲気がある。ソロは土岐→向井→渡辺の順で、ソロの組み立て方というか、ややカオスな感じのところは「ビッチズ・ブリュー」あたりの多少音楽をスマートしたような趣もある。渡辺のソロはやや意気込過ぎなところはあるが、次第にアウトしていく展開はなかなかのスリリング。
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CARMEN CUESTA / One Kiss

2010年07月02日 23時32分26秒 | JAZZ
 最近ネットでフォープレイを脱退したラリー・カールトンの後釜として、チャック・ローブが参加するらしいことを知った(ネームヴァリューという点でアル・ディ・メオラの参加もありかとは思っていたがさすがにそれはなかったようだ-笑)。彼はリー・リトナーやR.カールトンに比べると、日本では圧倒的に知名度がないが、アメリカではフュージョン系のギタリストとしてはもちろんだが、フュージョン系のプロデューサー業でもトップランクの存在である。この抜擢劇には、かつてボブ・ジェームスの作品に彼がギタリスト&プロデューサーとして何度も関わったことから実現したのだろうが、フォープレイ参加によって、この地味な実力者に日本でも注目が集まるのだろうか?。

 本作はこのチャック・ローブがプロデュースしたカーメン・クエスタという女性ボーカリストの2003年のアルバムだ。彼女は日本ではC.ローブ以上に無名な人だが、実は彼の奥方で、ボーカリストとしても数枚の作品を残している。彼女はスペイン人で、本国ではミュージカルなどを歌っていた人らしい(主役級の存在だったとのこと、きっと本国は有名人だったのだろう)。スタン・ゲッツのスペイン公演が縁でローブと結婚したらしいのだが、結婚後、チャック・ローブ全面バックアップの元、作り上げたのが作品のひとつが本作という訳だ。発売元は「ドイツのGRP」といわれたスキップというレーベルで、一時日本でも発売されていた。したがって、私が持っているのもデジバック使用の国内盤で、けっこうフュージョン系ボーカルの新星として売っていく気満々だったことを伺わせる。

 さて、本作の内容だが、まずカーメン・クエスタのボーカルが、ラテン的な濃いキャラクターではなく、まるで羽毛のように軽やかさがチャーミングであり、ジャズ/フュージョンというより、そのままポップス系で通用しそうなキュートなボーカルである。若干ニュアンスは違うが、ボサノバなどを歌うとハマりそうな声質といったらいいかもしれない(実際ボサノバも歌っている)。バックはローブが仕切っているだけに、スムースで心地よい典型的なフュージョン・サウンドで、ほとんど申し分ない仕上がり。収録されたオリジナル曲に今一歩精細がないのが残念ではあるが(なので、ジョージの「While My Guitar Gently Weeps」のカバーが光か輝いてしまった-笑)、BGM的に流すには非常に心地よいボーカルでありサウンドだ。
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DIANA KRALL / Quiet Nights_(Edit Ver)

2010年06月19日 22時28分19秒 | JAZZ
 昨年聴いたアルバムで、最大の「がっかり砲」といえば、やはりダイアナ・クラールの「クワイエット・ナイト」であろうか。オガーマン、リピューマ、アル・シュミットと、かの大傑作「ルック・オブ・ラブ」の制作陣が再び一同に会した、当方も思わず期待せずにはいられない作品だったのだが、実際に聴いてみると、華やいで垢抜けた「ルック・オブ・ラブ」のムードに比べると、全体に渋味といささか通好みな落ち着きが全面に出た地味な作品になってしまっていたのだ

 おそらくこの人は、根が音楽主義的な秀才なのだろう。どうも本作ではジャズ界のセックス・シンボルになるのを拒否している節があり、これだけのゴージャスなメンツを集めながら、選曲といい、アレンジといい、どうしてこんなに抑圧的になるのだろうと思うくらいに、地味な仕上がりになってしまっている。そこで、昨年の「ホエン・アイ・ルック・イン・ユア・アイズ」に倣って、本作を曲順を変えることでもう少し自分好みのアルバムに再構成できないだろうかとここ数日あれこれ考えてきたところで、とりあえず考えたのが下記の構成である(そんな訳で、ここ数日本作を集中的に聴いているうちに、アルバム自体かなり良くなってきたのが、実は一番幸いだったりするのだが-笑)。

 基本的な方針としては、もうすこし派手で快適な曲を目立つところに配置すること、これに尽きる。なので派手目の曲やボサノバの名曲を前半に集中させて、華やかさを演出して、後半は落ち着いたミッドナイトなムードの曲を集めてみた。これで前半と後半でほぼ30分づづ、いささか長いが昔でいうLPのA面とB面である。あと、3曲のボーナス・トラックは全て除外して、本当にLPくらいの時間でまとめると、もっと締まった構成になるかもしれない。「Every Time We Say Goodbye」くらいはアルバムラストにおいてもいいが、「I See Your Face Before Me」は「Every Time」と似たような曲調だし、「How Can You Mend A Broken Heart」は本アルバムにあっては極めて異質な曲だからだ。


DIANA KRALL / Quiet Nights_Edit

01 Where Or When (01)
02 The Boy From Ipanema (04)
03 Too Marvelous For Words (02)
04 So Nice (08)
05 Este Seu Olhar (07)
06 I've Grown Accustomed To Your Face (03)
07 I See Your Face Before Me (BT)

01 Walk On By (05)
02 Quiet Nights (09)
03 You're My Thrill (06)
04 Guess I'll Hang My Tears Out To Dry (10)
05 Every Time We Say Goodbye (BT)
06 How Can You Mend A Broken Heart (BT)
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ウィントン・マルサリス/ブルー・インターリュード

2010年03月09日 21時22分22秒 | JAZZ
 ウィントン・マルサリスが92年に発表した作品である。私がマルサリスのアルバムをリアルタイムで追いかけたのは、実はこの作品までであった。この作品のニューオリンズ風な音楽の肌触りの強さ、そしてこの種の音楽の気楽さとは相反するような非常にコンセプチュアルで、ガッチガッチに組み立てられた音楽の様相に「もういい加減、勘弁してくれよ」と辟易して、彼に見切りをつけてしまったのだ。今から思えば、作りたい音楽は全てレコード会社が金を出してくれるという、あまりに恵まれ過ぎていたせいもあったのだろうが、この前のブルース3部作といい、ジャズという音楽ジャンルのアカデミズムを確立させたいと意欲と「自分探し」的な自己膠着感が妙にスパークしてしまい、ちとこの種のアルバムを作りすぎたのも事実だと思う。

 さて、本作だが「ブルー・インターリュード」という37分の大作(モノローグを入れれば43分)をメインに据えたアルバムで、メンバーは前作の6人に更にトロンボーンのウィクリフ・ゴードンを加えた七重奏団で収録されている。この大作はマルサリス自身がピアノを弾きつつ、音楽のあらすじを開設したモノローグがついていて、そこから切れ目なく本編に繋がるという趣向になっているが、音楽で語られる物語は神話の世界で繰り広げられる2人の恋人同士の紆余曲折といったもので、特に目を引くようなものではない。音楽的には主人公ふたりのテーマがライト・モチーフのように繰り返し現れつつ、進んでいくのだが、その音楽はニューオリンズ風なものベースに、時にデューク・エリントン風だったり、ジョージ・ガーシュウィンのようであったりするのが特徴なのだろう。ただし、ストーリーにイマイチ訴求力がないの加え、それに付随する音楽の起承転結があまり明確ではないためか、単にだらだらと音楽が続いていくような感が、どうしようもなくつきまとってしまうのも事実である。

 マルサリスは解説によれば、物語が始まってしばらくすると、主人公シュガーケインがスイティー・パイに恋愛感情を抱く、この部分は様々な楽器によりスウィンギーに音楽が進んでいくという。これなどおおよそ4分半過ぎから約7分間くらいところの音楽をさしているのだろう。確かに音楽はにわかにスウィンギーなものに転じて、各種ソロをフィーチャーして華やいだムードを醸しだし、なかなか魅力的な部分である。ただし、それがなんらかの物語性を感じさせるかといったら、残念ながらあまり感じられないというしかない。その後のニューオリンズ風な音楽でもって、ふたりの語らいを描写しているあたりで、更に音楽と物語は遊離してしまい、しまいには「この音楽は一体何を語っているのだ?」とイライラしてきてしまうのである。20分過ぎあたりになると、曲は再びミディアム・テンポでスウィンギーなものに転じ、更にアップテンポに発展していくが、このあたりは音楽的にはかなり魅力的だが(おそらくハイライトになるのだろう)、ストーリー性と音楽が噛み合っていない感はぬぐえない。

 そんな訳で、昨年末あたりからかなり繰り返し、しつこくこの作品を聴いているのだが、やはり印象としては芳しくない。良く分からないが、こういうストーリー、音楽的起伏はひっょとすると黒人文化圏の人にとっては、非常に馴染みやすいのかな?とも思ったりもするのだが、少なくとも私には「良く分からない」としかいいようがない。試しに本作のライナーを読んでみたところ、筆者である小川孝夫という人も、この作品の実像を掴みあぐねて、途方にくれているのが良く分かる。「楽しいばかりがジャズじゃない、時には真剣に演奏に対峙する必要もあるだろう」と書いているが、これなど裏を返せば、「本作はつまらない」といっているようなものではないか。まぁ、そういうアルバムなのだろうと思う。まぁ、ライブなどで聴いたら、また違った感興があるのもしれないが。
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WYNTON MARSALIS / Levee Low Moan

2010年02月26日 23時51分32秒 | JAZZ
 「ソウル・ジェスチャーズ・イン・サザン・ブルー三部作」の最終作。本作では前作のメンバーに、アルトサックスのウェッセル・アンダーソンが加わり、三管+ピアノ・トリオの6人編成になっている。多分、そのせいだろう、本作は前二作に比べると、まず音楽全体の重量感が増し、サウンドの色彩感や多彩さがぐっと広がった印象強い。それは、冒頭に収録されたタイトル曲のテーマ部分などを聴けば一目瞭然だ。一見、何気ないような落ち着いた響きに見せつつ、分厚い三管の響きの中でピアノやベースが複雑に絡みあう様は、実はかなり考え抜かれた色合いというかタペストリーがあって、良い意味で複雑なサウンド(隠し味満載というか)になっているのだ。マルサリスは本作の後、更に管を増強して七重奏団、そして八重奏団、やがてジャズ・オーケストラへと編成をどんどん拡大していくが、このあたりは彼の作曲家&編曲家指向みたいなところが良く出ていると思う。つまり、トランペッターとして演奏することもさることながら、音楽全体を存分にコンポジションしたい人なのである。

 アルバムは全部で5曲で、組曲スタイルでアルバムをきっちりかっちりまとめていた前作よりは、三部作の第一作「シック・イン・ザ・サウス」と似た感じで、7分から12分程度の曲が割と散文的に並んでいる。前述の通りタイトル・トラックはかなり重厚な響きに満ちた落ち着いたブルース、2曲目「Jig`s Jigs」はタイトル通りジグのデフォルメしたようなリズムの中、各種楽器が非常に多彩なソロを響かせる作品。3曲目「ソゥ・ディス・イズ・ジャズ、HUH?」もアンサンブル主体のスタティックな作品。4曲目の「イン・ザ・ハウス・オブ・ウィリアムス」は本作では一番、アーシーなブルースっぽさを見せつつ、比較的ダイナミックに進んでいく作品で、個人的にはアルバム中もっとも気に入った曲となった。最後の「スパーブ・スターリング」は冒頭のタイトル曲の意味深なムードの解決編とでもいえそうな曲で、この飄々として明るさはエリントン的ともいえそうだ。という訳で、本作は響きが多彩になったのが売りといえるが、どうも決め手になる曲が見あたらないのが難点かもしれない。個人的にはこの三部作の中では一番地味な印象だ。
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ウィントン・マルサリス/アップタウン・ルーラー組曲

2010年02月25日 22時42分42秒 | JAZZ
 「ソウル・ジェスチャーズ・イン・サザン・ブルー三部作」の中核をなす第2作。今回はゲストは前作のような大物ゲストなし、レギュラー・メンバーのみによる演奏になっている。もっとも、マルサリスとマーカス・ロバーツは前作のままだが、ベースがボブ・ハースからレジナルド・ヴィール、ドラムスがジェフ・ワッツからハーリン・ライリーへとそれぞれスイッチして、新たにサックスにトッド・ウィリアムスが入って、一応、形の上では以前の二管編成に戻っているのは興味深い(やがてどんどん編成は拡大していくことになるのだが)。なにしろ前作ではジョー・ヘンダーソンが参加していたこともあり、ブルースやディキシーへの先祖返りというコンセプトからすると、やはりサックスのブルージーな響きは不可欠と判断したのだろう。

 さて、本作の内容だがアルバム全体がひとつの組曲の体裁をとった作品になっている。マルサリスはこうした先祖返りコンセプトの作品を、何故か非常に大規模な作品でやりたがるクセがあり、これ以前には「ザ・マジェスティ・オブ・ザ・ブルース」があったし、その後は「ブルーインターリュード」とか「シティ・ムーブメント」など続々と、かつ規模を肥大させながら作り続けていくことになるのだが、これもそうした作品の「走り」のひとつのもいえるだろう。
 構成としては、アルバムの両端に「詩篇23」というややトラッドな香りのするコラール風の短いインストがテーマ曲のように配置されていて、トータル・アルバムとして体裁を整え、その間に比較的独立した7曲が挿入された体裁になっている。ライナーによれは、元々は「アップタウン・ルーラー」、「プレイヤー」、「ハーモニーク」、「ダウン・ホーム・ウィズ・ホーミー」の4曲で構成されるはずだったそうなのだが、アルバム制作に当たってよりトータルで大規模な形に拡大したのだろう。

 演奏は大半の曲がスタティックで洗練されたブルースである。この組曲の中核となるのは、「アップタウン・ルーラー」と「ダウン・ホーム・ウィズ・ホーミー」だろうが、後者はよくスウィングし、演奏のテンションも高いアルバムのハイライトを飾るに相応しい仕上がりなのだが、とにかくそこまでがやたらと長い。最初の「アップタウン・ルーラー」はまだいいとしても、それ以降、延々と似たような曲調、均質な演奏が淡々と続くので、真面目に聴こうとすると、いささか単調な感がどうしてもしてしまうのだ。やはり、当初のコンセプト通り4曲で、せいぜい2,30分くらいの分量とした方が、組曲としてもタイトな仕上がりになったのではないか、と聴くたびに思ってしまう。
 とはいえ、実はこのアルバム、深夜のBGMとしてさらりと流すのなら、実にハイセンスなムード・ミュージックではある。実際、昨年末から新年にかけての休み中、寝室での睡眠導入音楽としてこれがずいぶんと活躍した。なので、個人的にはけっこう愛着があるアルバムなのだが、それではあの生真面目なマルサリスはきっと喜ぶまい(笑)。
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ウイントン・マルサリス/シック・イン・ザ・サウス

2010年02月09日 21時48分41秒 | JAZZ
 ウィントン・マルサリスが1991年に発表した「ソウル・ジェスチャーズ・イン・サザン・ブルー三部作」の第1部にあたるアルバム。作品の系譜として見ると、「J MOOD」と「ライブ・アット・ブルース・アレイ」で完成を見たといってもいい新伝承派的な音楽から、89年の「ザ・マジェスティ・オブ・ザ・ブルース」でにわかに強まったブルース、ディキシー・ランド・ジャズ指向により大胆に推進させたアルバム群といえるかもしれない。なにしろこの三部作はたった1年で完結、その後の作品も私の聴く限り、この路線を迷うことなく突っ走っているようだから、早々とメインストリーム・ジャズを征服してしまった、この天才トランペッターは、もはや自らのルーツを確認する作業へと移行するくらいしかやることがなくなってしまったとも思えなくもない。もっとも、彼はこれら作品にほぼ平行してと「スタンダード・タイム」シリーズもやっていくことになるから、メインストリーム・ジャズ的な音楽はそちらの方で....みたいな意識もあったのかもしれないが。

 さて、本作の内容だがひとくちにいってブルースである。もちろんブルースといっても、そこはマルサリスがやるブルースだから、アーシーで泥臭いフィーリングが横溢していたり、情念がドロドロしていたりするような代物ではなく、非常に洗練されたものになっている。また、本作は三部作のしょっぱなであり、自らのバンドのブルース・フィーリングに、いささかの不安があったのか、ゲストにエルヴィン・ジョーンズとジョー・ヘンダーソンという大物を迎えているのが特徴だ。私はブルース・ロックは好きだが、どうもガチガチのブルースは苦手なので、本作の収録曲について、形容する言葉が余り思い浮かばなかったりするのだが(笑)、さすがにふたりの参加した2曲は、2人の超ベテランらしいオーラを醸し出していて聴き応えがある。特に2曲目のスロー・ブルースの「エルヴィーン」では、2人の持つ粘っこい重量感といかにもジャズ的なアーシーなセンスが不気味なまでに濃厚なブルース・フィーリングと感じさせて、それに感化されたのかマルサリスを筆頭に、かなり陶酔的な雰囲気のプレイとなっている。ラストの「L.C.オン・ザ・カット」は「エルヴィーン」に比べるといささかリラックスしているが、ほぼ同様のテンションある演奏となっている。こんなスローなプレイでこういう雰囲気を出せるエルヴィン・ジョーンズという人はやはり凄いドラマーだとつくづく思う。

 アルバム中盤に収録されたタイトル・トラックと「ソゥ・ディス・イズ・ジャス,HUH?」は、新伝承派風なスマートな趣を持った曲で、特に前者はトリッキーなリズムの仕掛けや鋭敏かつ推進力を感じさせるアンサンブルなど、この時期のマルサリスらしさが感じられる演奏になっている。後者は新伝承派とブルース的なものがほどよく溶け合ったような仕上がり、いずれにしてもこの2曲は従来の感覚でも十分に楽しめる作品といったところだろう。
 という訳で、実はここ2ヶ月ほど、私はこの三部作をかなりの頻度で聴いてるのだが、こうして聴き込んでいくとこの作品もなかなか良い。リアルタイムで聴いた頃は、その良さがさっぱり分からなかったのだが(私がマルサリスを見限るきっかけとなった作品群だし-笑い)、今聴くとマルサリスらしい生真面目な緊張感と洗練故にブルース的なアクをけっこう中和していて、けっこうBGM的に楽しめたりするのである。
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カーリン・アリソン/バラード~コルトレーンに捧ぐ

2010年01月17日 17時09分30秒 | JAZZ
 年末に取り上げたイヴォンヌ・ウォルターの「アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー」と同じアイデア、つまりコルトレーンの「バラード」を丸ごと歌ってしまったアルバムである。カーリン・アリソンという人は寡聞にして初めて聴く人だが、1992年にレコード・デビューし、本作が7作目か8作目となるようだから、中堅白人ジャズ・シンガーといったポジションといったところだろう(このアルバムの後、現在まで5作くらいあるようだ、ボサノバ・アルバムなどもあるようだ)。レーベルはコンコードだし、本作もかなり豪華な布陣(ジョン・バティトゥッチ、ルシス・ナッシュ、ジェームス・カーター、ボブ・バーグ他)で収録されているから、それなりにステータスもセールスも実績のある人なのだろう。ちなみに本作は2000年に制作されており、当然イヴォンヌ・ウォルターのそれに先行している。なんでも同じ頃イヴォンヌ・ウォルターも同じ企画を温めていたのだが、本作が出てしまったので、しばらくアルバムを制作を凍結していたのだそうだ。

 さて、本作の内容だがイヴォンヌ・ウォルターがベースとピアノという極めてシンプルでストイックなバッキングで歌っていたのに比べると、こちらはピアノ・トリオ+サックスというバッキングが付いているから、聴こえてくる音楽はこちらの方が数段豪華であるし、GRPを思わせるリッチな音質という点でもポイントが高い。カーリン・アリソンのヴォーカルは、妙なアクのない素直である意味ポップな声である。また、こういうバラードばかりを歌うというのは、かなりしんどいハズだが、全く危なげなく非常に安定して歌っているので(スキャットもそつなくこなしている)、瀟洒なバックとともに安心して音楽に身を任せていられるという感じだ。そんな訳で、本作はまるでGRPのアルバムを聴いているような上質感があり、どこといって、欠点がないのは良作であるのは確かなのだけれど、なんでいうか、コルトレーンの「バラード」にあった、異様に隔絶したストイックな佇まいのようが、ちと欠けるような気がしないでもない。その意味では、イヴォンヌ・ウォルターの方が、本家のDNAを感じさせたような気がしないでもなかったが....。
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ジャネット・サイデル/ディア ブロッサム

2010年01月17日 12時24分54秒 | JAZZ
 ジャネット・サイデルは寺島靖国氏のお気に入りシンガーということで、一時かなりジャズ・ファンの間で話題になった人で、きちんと国内盤も発売されていた。私はその話しを聴き、興味津々で何枚か購入してきたものの。どうも「夜と酒とタバコとジャズ」みたいなイメージとは対極にある、なんていうかあまりに健全な趣味性とあっけらかんとしたオプティミズムが横溢したキャラクターに、自分のイメージしてるジャズとはちとかけ離れたものだったので....と思い、何度か聴いてはみたものの(今調べてみたら、クリスマスアルバムまで購入していた)、そのまま放置してあった。確か4,5年くらい前だったと思う。今は日曜の午後のということもあって、ちょいとリラックスした気分でなにか毛色の違った音楽でも聴いてみようかと思い、久しぶりにこれを取り出してきた、久しぶりに聴いたら、また違ったイメージがあるのでは....みたいな期待もある。

 さて、ん年ぶりにジャネット・サイデルだが、けっこういい。この人はブルースがかったところが全くなく、音楽はジャズといっても基本的に脱色ラウンジ系みたいな感じだし、ボーカルも非常に乾いていて飄々としたところが特徴なので、こういうのを夜に酒飲みながら聴いてみたいとは、相変わらず思わないものの、今みたいな気怠い真っ昼間に聴くにはいい感じである。本作はタイトルからも分かる通り、ブロッサム・ディアリーへのトリビュート作品ということで、多分彼女の十八番を中心に歌われているものだろう。サイデルもディアリーも共にウィスパー声ということで、多分に共通点は感じるが、サイデルにはディアリーのような毒気がなく、ある意味健康的なチャーミングさとコロコロと玉を転がすような声がポイントで、9曲目の「アイムヒップ」などそうした特徴がよく出ている。また彼女はピアノ弾き語りということで、12曲目の「ブルース」などそうしたスタイルで歌っているが、ジャズというよりはミュージカルか都会的なシンガー・ソングライターのような感じである。

 という訳で、夜の酒のお供にはちとなんだが、今みたいな時間帯のBGMにはなかなかいい、「そっか、こういう時には聴けば行ける音楽だったんだねぃ」とちょっと目から鱗である。つまりチェスキー・レーベルでやっているような音楽なのだろう。ちなみに最長でも4分くらいの短いナンバーが18曲という構成も肩が凝らなくていい感じである(ただ、日本人のイラストレーターが日本用に作ったと思われる、いかにもOL向けな可愛い系のジャケはいかにも過ぎてなんだかなぁ....という感がなくもないのだが-笑)。
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ナタリー・コール/アンフォゲッタブル

2010年01月16日 23時23分21秒 | JAZZ
 ナタリー・コールは元々今で云うR&B、当時ならソウルやブラック・コンテンポラリー(ブラコンね、今やこれも完全に死語となりました-笑)の分野で歌って人だったが、マンハッタンからエレクトラ・レーベルへの移籍に伴って、心機一転の一作という感じで作り上げたのがこの作品である。彼女の父親はナット・キング・コールであり、彼女は元々そうした親の七光り的なデビューしたところはあったけれど、前述のように一貫して父親の立ち位置とは違うポジションとは違う立ち位置で活躍してきてた人ではあったのだが、当時の活動が思わしくなかったのか(セールスの降下、麻薬中毒などもあったらしい)、このアルバムでは一転して父親のブランド力を最大限に活用したアルバムになっている。なにしろ収録曲全てがナット・キング・コールの十八番、アレンジは瀟洒極まりないジャズ・オーケストラやビッグ・バンド(クレジットを見れば、集まった面々の多彩さ、豪華さ一目瞭然である)、おまけにラストでは編集によって亡き父親とデュエットしてしまうというオマケまでついていたのだから、まさに「ナット・キングコールの娘」以外の何者でもないというアルバムである。

 この起死回生の一作は、彼女自身のボーカルの熟成と豪華なブロダクション、そしてナット・キング・コールのような音楽が受ける時代的素地が組み合わさって、なんと彼女の最大のヒット作となってしまう。げにおそろしきは家系というブランドである。このアルバムはナット・キング・コールのやっていた音楽を、彼以外のボーカルによって聴くアルバムといってもいいが、これを例えばナタリー・コールではなく、ダイアン・シューアだとかやっていたら、きっとジャズ的にはもっと素晴らしいアルバムにはなったかもしれないが、多分ここまで資本をかけられなかったろうし、大ヒットにもならなかったと思う。要するに娘がナット・キング・コールをリスペクトするというエクスキューズがあったからこそ可能になったアルバムなのである。ブックレットに散りばめられた父親との写真の数々などを見ながら、ちょいと幸せな気分でこのアルバムを聴いていると、こういうのはつくづく「良い世襲」だったと思う。今の日本は総理大臣を筆頭に、アホな世襲が多すぎて、すっかり「世襲=悪」になってしまっているが、彼女がこのアルバム以降、活動をモダンなR&Bではなく、ジャズ・ボーカル路線にシフトし、なおかつ成功していることを考えれば、いわずもがなである。
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ジャシンタ/枯葉(SACD)

2010年01月14日 22時16分44秒 | JAZZ
 ジャシンタの第2作である。1998年に製作されたデビュー作の翌年にすぐ作られていているので、おそらく第一作が-例えオーディオ・ファンを中心とした購買層だったにせよ-かなり好評だったのだろう。集められたメンバーは全く同じ面々に加え、曲によってはジョン・ラバーブラ(ビル・エヴァンスの最後のトリオでのドラマー)、アンソニー・ウィルソン(この人は後年、ダイアナ・クラークのアルバムで有名になる)のギター、あとトランペットやオルガンなどが加わり、前作より多少サウンドにバラエティを出した内容になっている。録音の方は例によって、真空管マイクを使用したオーバーダビングなしのアナログ2チャンネル一発録りで、SACDというオーバースペックな器を生かした問答無用な超優秀録音である。

 さて、内容だが選曲的には前作と同様、日本人にもポピュラリティのある大スタンダードを中心としているが、まずはベースの深々としたソロから始まる「アンド・ザ・エンジェルス・シング」がいい、彼女にしては珍しいミディアム・テンポのスウィンギーな曲調だが、例によって気怠く囁くよう官能性の高いボーカルが心地よく、テディ・エドワーズのテナーのソロとあいまって極上のムードを醸し出している。2曲目の「スカイラーク」はアンソニー・ウィルスンのギターが参加してるだけに、なんとなくダイアナ・クラールを思い出してしまう、もっとジャシンタのボーカルはもっと退廃的でけだるいのだけれど....。4曲目の「ミッドナイト・サン」はエラ・フィッツジェラルドのヴァージョンを下敷きしたようなアレンジだが、アルバムでも随一のムーディーさである(ケイ赤城のピアノが美しい)。5曲目の「枯葉」はフランス語と英語のチャンポンで歌っているのがおもしろいが、基本はナット・キングコールのようだ。

 6曲目の「酒とばらの日々」は再びアンソニー・ウィルスンのギターをフィーチャーした非常にミッドナイトなムードな仕上がりになっている。8曲目の「トラヴェリング・ライト」はウィル・ミラーのトランペットをフィーチャー、9曲目「サムシング・ゴッダ・ギブ」はアルバム中、唯一のアップテンポの作品。バックはともかく、ボーカルはどちらかといえばポップス系みたいになっているが、こうのも悪くない。10曲は「ムーンリバー」は、最初の2分半はアカペラで歌っていて、後半はケイ赤城のちょっとアブストラクトなピアノ・ソロが続く変わった構成になったアレンジである。という訳で第2作は内容のヴァリエーション、彼女の歌の存在感というかクウォリティなどなど、以前は同じようなものだと思っていたが、じっくりと聴いてみると前作より明らかに良い内容になっていると思った。
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ジャシンタ/ベン・ウェブスターに捧ぐ(SACD)

2010年01月14日 00時01分34秒 | JAZZ
 ジャシンタといえばしばらく前に彼女が作ったボサノバ・アルバムを取り上げたことがあったけれど、こちらは彼女の本邦デビュウ作だ。前のところで書いたけれど、ジャシンタは2000年代の初頭SACD黎明期に、そのメディアの優位性を見せつけるような超優秀録音のアルバムを連打したことで、オーディオ・ファンから一躍注目された存在でもある。特にあの頃、オーディオユニオンにあしげく通っていた人なら、たいてい彼女の歌声を聴いているのではないか?(もちろん、私もそのひとりなのだが-笑)。で、これもあの時の書いたのだが、彼女の歌はジャズ・ボーカルにありがちなクセがほとんどなく、ポップス的といいたいような素直さと透明感があって、まずはこれが親しみやすいことに加え、バックを担当面々が練達のメンツを揃えていたせいで、ジャズとしての風格やムードも十分兼ね備えていたのが、また大きな魅力になってのであった。

 本作はタイトルからも分かる通り、ヴォーカルによるベン・ウェブスターへのトリビュート・アルバムになっている。私はベン・ウェブスターのアルバムを数枚しか持っていないので、ここに収録された10曲がいずれも彼の十八番だったのかどうかはわからないが、いずれにしても、「Georgia on My Mind」「Love Is Here to Stay」「Tenderly」「Stardust」「Danny Boy」を始めとして、どれも超有名曲ばかりであり、多くの曲はテディ・エドワーズがそれこそベン・ウェブスターばりの渋いテナーで華を添えているのが、ジャズ的ムードを盛り上げている(ケイ赤城のくっきりとしたピアノもいい)。私が聴いた印象だと、やはりムーディーなバラードにアレンジされた「Georgia on My Mind」や「Tenderly」、あと「Stardust」といった曲が良く、スタンダード大好きオジサンの夜のお酒のお供には上々の仕上がりである。「Over the Rainbow」はちと退廃的に過ぎたようだが。一方、「Love Is Here to Stay」「How Long Has This Been Going On?」では意外にもポップでスウィングしたところをみせたりもして、バラード一辺倒という訳でもなく、そこそこヴァリエーションを持たせているのはさすがだ。

 ちなみに録音は冒頭にも書いたとおり超優秀である。質感にこだわってアナログ録音を採用したようだが、にもかかわらずヒスノイズが聞こえてこない好SN比なのに加えて、スタジオの広さまで分かりそうな、空気感と各楽器の縁取りをリアルに伝える鮮度感が実に絶妙にバランスしているのが素晴らしい。このアルバムを制作したのは、Groove Mateというマイナー・レーベルのようだが、オーバーダビングなしの一発録り的な鮮度感は大きいとしても、やはり高鮮度感が売りだが、いささか植物的なチェスキーなどとも違った艶やかなハイクウォリティ・サウンドである。それにしても、弱小レーベルにどうしてこんなリッチな録音のだろう?。要はエンジニアの耳次第ということなのだろうか。ある種驚異ではある。
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アマンダ・ブレッカー/ヒア・アイ・アム

2010年01月06日 23時37分03秒 | JAZZ
 アマンダ・ブレッカーはイリアーヌ・エリアスとランディ・ブレッカーの娘である。かつて彼女の母親であるイリアーヌが作った「ファンタジア」というアルバムで、イリアーヌが親ばか丸出しで、どう考えても気恥ずかしくなるようジャリ声を入れていたことがあったけれど、あの時の子供が今や立派に成長してジャズ・シンガーになってアルバムを出しているという訳だ。いやはや、月日の経つのは早い。まだまだお美しいとはいえ、娘がこんなに成長しているんじゃ、イリアーヌもオバサンになる訳である(失礼-笑)。さて、アマンダ・ブレッカーだが、先ほど一応ジャズ・シンガーとは書いたものの、基本的にはシンガー・ソングライター的なスタンスで音楽をやっている人だと思う。こういう境界線上のシンガーとしては、ノラ・ジョーンズという先輩がいるが、まぁ、基本的にはああいう線の音楽といって間違いないところだろう。

 ボーカルは母親に似てちょっと低めのアルト声ではあるが、母親のようないがらっぽさは皆無で、非常に素直、チャラチャラしたところがなく落ち着いた伸びやかな声をしている。こういう表現は大嫌いなのだが、今時な形容でいえば「癒される声」といったところだろうか。また、歌い方が基本的にポップス系でジャズ的なフェイク、ヴィブラートといったクセがほとんどないのも、そうした印象を倍加していると思う。収録曲は12曲だが、過半数の曲は自分で書いており、ゴスペル風な味付けがされた3曲目の「ウェイステッド・タイム」など、ちょっと漠としたぬくもり感が気持ちよく、一聴して魅了されてしまった。5曲目の「アイ・キャント・メイク・ユー・ラブ・ミー」もゴスペル風にアレンジされて初々しくしっとりしたボーカルが実に「聴かせる」ナンバーだ。同様に「シンキング・オブ・ユー」などもよく、本作はバラード系の作品が光るものがあると思う。母親のご威光でボサノバなどもやっているかと思ったら、そうした作品はほとんど皆無で、どちらかといわずともやけにアメリカの土の匂いのする作品が多い。2枚目ではボサノバなどもやっている模様なので、このアルバムでのカラーが彼女の本来の資質なのかどうは不明だが、非常にいい素質がありそうなのは確かだ。

 なお、プロデュースやアレンジはイリアーヌがやっているかと思ったら、マンハッタン・ジャズ・クインテットのデビッド・マシューズが担当している。ゲスト的に両親が1,2曲づつソロで華を添えているが、基本バンドは-聴いたことにない人ばかりだが-おそらくニューヨークのフュージョン系の1.5流どころで固めていて、非常に手堅いバッキングである。なお、プロデュース陣は全て日本人だから、本作は「日本発の舶来ジャズ」の一種だと思われる。そういえばインナーに写っている(これまた日本人のカメラマンが撮ったでろあろう)清潔そうで、アクのなさそうな彼女の姿は、まるで日本の大学生か高校生の女の子のような風情である(笑)。という訳で、ありがちな「親の七光りアルバム」だと思っていたら、予想外に良い出来でちとうれしくなった。うーむ、これは2枚目も買わねばなるまい。
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イヴォンヌ・ウォルター/アイ・ウィッシュ・アイ・ニュー

2009年12月28日 00時05分02秒 | JAZZ
 オランダ出身の女性ジャズ・ヴォーカリスト、イヴォンヌ・ウォルターの本邦デビュー作。いろいろ話題になったのでご存じの方もいるとは思うが、本作はジョン・コルトレーンの「バラード」の収録曲をまるごと歌ってしまうという一種の変形トリビュート・アルバムになっているのである。コルトレーンの「バラード」といえば、「疾風怒濤なジョン・コルトレーンがつかの間見せたリラクゼーション」という希少価値も手伝って、他のアーティストの同種のアルバムとは、ほとんど隔絶したオーラが漂っているアルバムだが、このアルバムではその額縁を借りつつ、ヴォーカル・アルバムとして作り替えてしまおうというところだろう。コルトレーンの「バラード」はタイトルからも分かるとおり、スタンダードのバラード物を取り上げたアルバムだから、同じセレクションで歌物のアルバムを作ること自体はそれほど難しいことでもないだろうが、この種の企画が近年まで出てこなかったのは、やはり「バラード」というアルバム自体が古典として生乾きであったからだろう。逆にいえばこういう作品が出てくること自体、「バラード」という作品が、ジャズ史上の完全なる古典となったということの裏返しなんだろうと思う(ジャズ・ベスト25みたいな意味ではなく)。

 さて、本作だが、収録されたのは全部で12曲、まずは「バラード」の曲を1曲目から7曲目までをそのまま歌い、後の5曲は、コルトレーンのもうひとつの古典「ウィズ・ジョニーハートマン」から3曲と「バラード」の残り1曲、そして「ネイマ」が歌われている。全ての曲がピアノ+ベースというシンプルなバックで歌われているが、これは「バラード」のコルトレーンをそのまま彼女に置き換えた....というコンセプトなのだろう。なにしろオリジナルが巨人コルトレーンだからして、いろいろ文句をつける向きもあるだろうが、「バラード」のワン&オンリーな世界というか、あの静謐なムードをそれなりに再現していると思う。彼女の声は同郷のアン・バートンに似ているといわれているそうだが、私はアン・バートンを聴いたことがないのでよく分からない。あまりフェイクしたり、デフォルメせず、噛んで含めるような歌い方をしつつ、どこかドライな風情が漂っているのは、「バラード」的な世界にけっこう合っていると思う。普通ならバックがピアノとベースだけだと、バラードとはいえ退屈してしまう私だが、あまりそう感じなかったところにこのアルバムの説得力があると思う。いずれにしても、オッサンが夜に飲む酒のお供にぴったりのアルバムだ。もっとも聴いていて、オリジナルはどうだったかな?....と、寄り道したくなるアルバムでもあるが。
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WINTON MARSALIS / Christmas Jazz Jam

2009年12月25日 22時23分11秒 | JAZZ
 こちらは出たばかりのウィントン・マルサリスのクリスマス・アルバムだ。前回の「Crescent City Christmas Card」が1989年の制作だから、20年振りのクリスマス物ということなる。ついでに書けば、私が最近けっこう聴いている彼のアルバムは1990年代初頭くらいのものばかりだから、一気に20年近くの年月を越えて(私はこの間に出た彼のアルバムを私は全く聴いていない)、最新の彼の作品を聴いたということにもなる。ちなみに前回のアルバムの時、彼は28歳だったから、今回のはだいたい48歳の時ということになる訳だけど(考えてみれば、彼はまだ48歳なのだ)、まさにジャズのメインストリームをあっと言う間に征服し、血気盛んだった秀才が、50近くになってどんな音楽をやっているのか....そんな興味も感じさせるアルバムだ。

 内容だが、基本的にはほとんどアルカイックといってもいい、ディキシー・ランド・ジャズである(マルサリス+10ピース・バンドという編成、曲にょってはボーカルも入る)。その意味では前回の「Crescent City Christmas Card」と似たようなところがないでもないが、今回は肌触りが大分違う。前回が全体に楷書体の演奏、アレンジで、生真面目かつ律儀に作られたアルバムだったとすると、本作は一曲目の「サンタが街にやってくる」から、ぐっと肩の力が抜けた、素直に音楽が楽しさのようなものを全面に出しているのが如実に感じられる仕上がりだ。なにしろアルバム・タイトルが「クリスマス・ジャム」だから、当然といえば当然かもしれないが、なにしろ最近は彼の若き日の制作した、細部までコントロールしきったような音楽を聴いていたので、このリラックスぶり、豪快のスウィングしている様は、やはり20年という歳月を感じないではいられない。「ジングル・ベルス」や「ブルー・クリスマス」などの曲で感じられる、良い意味で弛緩したムードなどその典型だ。また、定番の「Christmas Song」と「Have Yourself a Merry Little Christmas」は、前者はかなりムーディ、後者はこのアルバムでは唯一モダンで都会的なアレンジで演奏されているが、どちらもかなりいい仕上がりだ。

 他の曲も八割方お馴染みのものばかりである。前述の通り、基本的にはオプティミズム全開といった感じのディキシー・ランド・ジャズなので、あまり自分の嗜好からすると好みの音楽とはいえないが(もっともモダンなアレンジなども当然随所に取り入れてはいそうなのだが)、とりあえずどの曲も非常に快活にスウィングしているし、問答無用に楽しんでいることが伝わってくるので、以前の作品のような息苦しいところがないのはいい。もっともマルサリスだからして、完全主義的なところは随所に出てくるが、このくらいならあまり気にもならない。
 という訳で、本年のクリスマス・アルバム・シリーズは都合8枚も紹介することできた。例年に比べればけっこう多い方か。ちなみにマルサリスに始まり、マルサリスに終わったのは全くの偶然である(笑)。
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