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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

CITY BOY / Dinner at the Ritz

2010年02月04日 23時31分17秒 | ROCK-POP
 1970年代中盤から後半にかけてブリティッシュ・ロックの世界では、そのスタイルの成熟にビートルズの伝統がプラスされて、ハードロックやプログレといった当時の流行のスタイルに色目を使いつつも、あくまでもポップ・スタイルをベースにした一癖(或いは二癖)あるバンドが沢山居た。その筆頭はやはり10ccということになるだろうが、その他にも地味ながらコックニー・レーベル、イエロー・ドッグ、セイラー、パイロット、サッド・カフェといったバンドがそれだった。広い意味で考えればロキシー・ミュージックや801、クイーン、ELO(中期以降)もその部類といえるだろう。
 このシティ・ボーイも当時活躍したそうしたバンドのひとつである。彼らは多少後発デビューということもあって、前述のブリティッシュ・ポップ・ロックの美点を全てを兼ね備え、しかもそれらの要素を満遍なく総合化したような音楽をやっていて、地味ながらブリティッシュ・ロックの爛熟期を体現化してようなバンドであった。

 本作は彼らの第2作に当たり、彼らの最高傑作といえる第3作「Young Men Gone West」や第4作「Book Early」に向けた重要なステップともいえる作品だ。シティ・ボーイの音楽は10cc風なポップで、時にボードヴィル調コーラス・ワーク、メロディアスなセンス、ハードロック的に切り立ったエッジのサウンドなどをバランス良く配置したところに特徴があったのだけれど、ややとっ散らかった感はあれ、それらの要素が全て出そろい、とにかもかくにも音楽に結実したのがこの作品という訳だ(第1作は全体に音楽が微温的なものに終始して、ここまで吹っ切れていない)。
 例えば、3曲「Narcissus」では都会的なエレピにハードロック的な重いリフが絡み、イコライジングされたボーカルでミステリアスに進みつつ、中間部ではクイーンもかくやという感じのオペラティックなコーラスを中心に展開、途中変拍子を絡めつつ、先の読めないローラー・コースター的な展開を「ポップに」やってしまっているし、「Goodbye Blue Monday」もテーマのリピートがほとんどなく、次々テーマを繰り出していく「糸の切れた凧」のような実験的なアレンジの曲をごくまっとうなポップとしてやってしまっているのが痛快だ。まさに爛熟期のブリティッシュ・ロックである。

 ちなみに本作のラストに収録された「State Secrets」は、3パートに分かれた組曲風な大作で、このバンドが10ccやクイーンはもちろん、イエスやジェントル・ジャイアントにも、なんならイーグルスにでもなれることを、さらりと披露してみせた実にハイブリッドな作品になっていて、けだしアルバム中の聴き物になっている。今や完全に忘れ去られてしまっているバンドであるが、この曲を聴くだけでもこのバンドのユニークさが分かろうというものである。私が本作を初めて聴いたのは高校二年の時だったと思うが、あれから30数年、先日ようやくCDを手に入れ、さきほど実に久しぶりに聴いた訳だけれど、このバンドの魅力がちっとも色あせていないことを再認識した次第である。
 余談だが、本作のタイトル・トラックには、ピーター・ハミルを筆頭に当時全盛期を迎えていたVDGGの面々が参加している。この一事をもってしても、このバンドの凄さが分かろうものである。
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The CARPENTERS / Christmas Portrait

2009年12月17日 23時07分01秒 | ROCK-POP
 そういえば、これも持ってなかったな....とベンチャーズのアルバムと一緒にポチっとしたのがこのアルバム。昔から有名なクリスマス・アルバムだったが、なぜだかこれまで断片的にしか聴いてこなかったのが不思議だ。カーペンターズというと、オリジナル作品のソフト・ロック的なポップ・サウンドはいいけれど、こういうクリスマス物だと、どうもバンド自体の中庸さが、例えばジャズのそれと比べると、まっとう過ぎて食い足りないかも?みたいな危惧を感じさせていたのだろう。ともあれ、聴く前からあれこれ予測しても仕方ない....とりあえず、ここ2,3日聴いているところだ。カーペンターズのクリスマス・アルバムは都合2枚(「クリスマス・ポートレイト」と「オールド・ファッションド・クリスマス」)あり、これはその中からリチャード・カーペンター自身によって、主要曲が抜粋された「決定盤」である。もっとも、2枚目の「オールド・ファッションド・クリスマス」自体、1枚目の「クリスマス・ポートレイト」の未発表テイクなどを使ったアルバムなのだったので、ひょっとするとリチャード・カーペンターにとっては、これが「正しい形」なのかもしれない。

 さて、アルバムはリチャード・カーペンターのボーカルを多重して、マントラも真っ青なアカペラ・ボーカルによる「天なる神には」をイントロに、様々なクリスマス音楽がメドレーとなった「序曲」にメドレーで繋がる。オーケストラをフィーチャーしたシンフォニックな作品だが、編曲はピーター・ナイト(英国系ロック・バンドのオーケストラ・アレンジで有名になり、リチャードは「緑の地平線」で始めて起用した)が担当している。英国のプロムーナード・ミュージック風な堅実なドラマチックさ、いくらかハリウッド風な甘さが加味されたアレンジだ。またまたメドレーで続く「オールド・ファッションド・クリスマス」はリチャードのオリジナル。さて、この3曲はカレン・カーペンターの死後に録音されたものだから、リチャードやコーラスは入っても、当然彼女の声は聴こえない。まさしく序曲扱いなのであろう、ちと長いが....。
 この後ようやくカレンがボーカルで歌われる「クリスマス・ワルツ」が登場して、いよいよここからが実質的な本編である。計18曲、どれも超有名曲ばかりで、それが比較的短めのサイズで(みじかいもので1分、長いものでも5分程度)、しかも多彩なアレンジを施されて、あたかも巨大なクリスマス・メドレーのように歌われていく。印象に残った曲をピックアップしてみよう。

 私の大好きな「ハブ・ユアセルフ・メリー・リトル・クリスマス」と「クリスマス・ソング」は幸いにも3分半程度のフルサイズで歌われている。カレン・カーペンターのボーカルでこの曲が聴けるのは幸せだが、当時、彼女はまだ28歳、ジャズ、ポピュラーともにお歴々のボーカルが居並ぶ曲だけに、誠実に歌ってはいるが、やはり一杯一杯な感じはある。「クリスマス・タイム/夢の中に」は個人的には馴染みがない曲だが、そういう曲だとカレン・カーペンターをウォームなボーカルを十分に堪能できる。アレンジも典型的なカーペンターズ調でいい。「ホーム・フォー・ザ・ホリデイズ」は「トップ・オブ・ザ・ワールド」風なカントリー・スタイルで屈託なく楽しめる。「ウィンター・ワンダーランド / シルヴァー・ベルズ / ホワイト・クリスマス」はハリウッド・ミュージカル風なメドレーだ。「リトル・オルター・ボーイ」も知らない曲だが、実にしっとりとしたバラード風な歌唱がいい。「クリスマスはわが家で」はビリー・メイのオーケストラ・アレンジに乗ったスタンダード・ナンバー風。こういうアレンジ、曲だと、やはり彼女の若さが気にならないでもない。彼女がもっと長生きして20年後に歌ったら、きっともっと素晴らしいものになっただろうと惜しまれる。ラストの「きよしこの夜」はコーラス、オーケストラも交えてドラマチックな編曲だ。
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The VENTURES' Christmas Album

2009年12月14日 22時50分27秒 | ROCK-POP
 ここ半世紀くらいの間、日本の街角で一番鳴っているクリスマス・ミュージックといったら、意外にコレではないか。ベンチャーズのクリスマス・アルバムは1965年に発表され、以来40年以上、何度となく再発され続け、いつもこのシーズンになると、-洒落な場所でこそ聴くことはなくなったけれど-駅前だの商店街だのどこかで鳴っているような気がする。アメリカなら往年の大物歌手たちのソースがいろいろかかりもするだろうが、この日本で昭和40年代から現在まで、これほど息の長いクリスマス・ミュージックというのは、他にちょっと思い浮かばない。私自身、今年もこのアルバムからの曲に、どこかでもう数回は出くわしているはずで、現にこのアルバムを今聴いているきっかけとなったのも、数日前に千葉市のあるところで、これが流れているに遭遇し、「そういえば、ベンチャーズのクリスマス・アルバム持ってなかったよな」と思って、帰宅してポチっとしたものが、さきほど届いたからである。

 さて、このアルバムだが有名クリスマス・ナンバーを12曲とりあげている。1965年に録音したものだから、ベンチャーズの全盛期でもあり(日本での人もピークだった頃だ)、クリスマスだからといって、奇を衒ったり、必要以上にクリスマス的ムードに迎合したりもせず、ストレートで豪快、ノリのいいベンチャーズ・サウンドでクリスマス・ミュージックを料理しているところがいい。まぁ、あえて、このアルバムの売りというか、趣向があるとすれば、どの曲にもイントロやリフに彼らのヒット曲が使用されているというところだろう。例えば1曲目の「そりすべり」では、お馴染み「ウォーク・ドント・ラン」をイントロをそのまま使って、やにわに「そりすべり」に雪崩れ込んでいくアレンジになっている。ベンチャーズはこれまでもかなり似たようなリフやアレンジを使い回していたけれど、これは明らかにパロディ的な意味で使われたもので、実に楽しい。私が気がついただけでも、「グリーンスリーブス」では「シーズ・ノットゼア(ゾンビーズ)」、「赤鼻のトナカイ」では「アイ・フィール・ファイン(ビートルズ)」 「ジングル・ベル・ロック」では「メンフィス・テネシー」、「ジングル・ベル」では「ホワッド・アイ・セイ(レイ・チャールズ)」といった曲が使われているのだ。恐らく他の曲もそうだろう。

 今回、実に久しぶりにこのアルバムを聴いてみて、やはり印象に残ったのは「ジングル・ベル」「サンタが街にやってくる」「赤鼻のトナカイ」の3曲である。前述の通り、このアルバムは1965年に発売されていて、当時は幼稚園生だった訳だけれど、アルバム本体こそなかったものの、このアルバムからピックアップされた4曲が入ったEP盤が自宅にはあり(おそらく愚兄が購入したのであろう)、これを聴くともなく、でも繰り返し聴いていたと思われるのだが、その4曲とは、先の3曲に「ホワイトクリスマス」を加えたものだったのである。「ジングル・ベル」のイントロに使われた「ホワッド・アイ・セイ」など当時、レイ・チャールズのレコードもあって、それも良く耳に聞こえてきたが、私などこちらがむしろオリジナルに聴こえてしまうくらいドンピシャのアレンジで、子供心にもかなり強烈なインパクトがあったものだ。ちなみに本作の一曲目は「そりすべり」だが、当時出た日本盤の1曲目は「ジングル・ベル」に変更されていたそうな。さもありなんである。

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BLOOD SWEAT & TEARS / More Than Ever

2009年11月21日 00時18分49秒 | ROCK-POP
 1976年に発表された彼らの歴史でも異色作と呼ぶに相応しい作品。なにが異色なのか、といえば、投げやりなジャケットも異色だが、やはりアレンジにボブ・ジェームスを連れてきたことだろう。デビッド・クレイトン・トーマスが復活しての「New City」は出来としては今二歩くらいの出来ではあったけれど、一応BSTらしい仕上がりとはいえた。ところが、それがどうして突然ボブ・ジェームスなのか、どうも釈然としない。おそらく前々作「Mirror Image」でヘンリー・コスビーが呼んできたようなパターンなのだろうが、それにしても、これだけ「軒を貸して母屋を取られる」状態だとなおさらだ。なにしろメンツからして、もうバンドの体をなしていない。ベースのゲイリー・キング、キーボードはホブ・ジェームスにリチャード・ティー、ギターにスティーブ・カーン、エリック・ゲイル、パーカスにドン・アライアス、ジョン・ファデスを筆頭に数人にブラス隊と、もう補強したとかそういうレベルではなく、ほぼ完全なボブ・ジェームス・バンドなのである。

 音楽的にも1曲目の「They」からして、ブラスにせよ、リズム・パターンにしても、ほぼまごうことなき「CTI時代のボブ・ジェームスの音」である。途中、込み入ったリズムでインスト・パートが延々と進行していくところなど、「はげ山の一夜」的なダイナミックさをフィーチャーし、タイトル曲や「You're the One」もストリングを配置したクラシカル路線というのもそれ的だ。「Katy Bell」も多少カントリーくさいアレンジだが、やはりこのブラスはどう聴いてもBSTではなく、ボブ・ジェームスのプラス隊だ。
 作曲面でみても、ラリー・ウィルスが作曲した唯一のインスト「Heavy Blue」もボブ・ジェームスの「3」か「4」に入っていそうな、ファンキー・フュージョンという感じだし、唯一、クレイトン・トーマスが作曲に絡んだ数曲にボブ・ジェームスらしからぬアーシーさを感じさせるといったところだろうか。ちなみに意外にもパティ・オーイスティンが作った「Sweet Sadie the Savior」というソウル風な曲は、なぜだか本アルバム中、一番BSTらしかったりする。

 ともあれ、これで「Mirror Image」でやらかしたような、これまでのBSTファンが真っ青になるくらいのポップさだとか、快適フュージョンみたいな路線にいってれば、これはこれで良かったのだろうが、残念ながら、この時期のボブ・ジェームスはまだポップさというものにまだ吹っ切れていなかった時期なので、例えば、後年ケニー・ロギンスのアルバムを手がけた時のようなぶっち切ったポップさのようなものが未だ発揮していない憾みがあるのはちと残念。あと2年あとだったら、もっと素晴らしいアルバムになったと思うのだが....。
 という訳で、このアルバムを最後にBSTは古巣のCBSを離れ、唯一残っていたオリジナル・メンバーであるコロンビーも脱退。それ以降のBSTは実質的にクレイトン・トーマスとそのバックバンドみたいな形で継続されていくことになる。私もさすがにこれ以降の彼らのアルバムは購入していない。
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クリーム/ライヴ・アット・ロイヤル・アルバート・ホール

2009年10月18日 23時01分47秒 | ROCK-POP
 2005年5月にイギリスのロイヤルアルバート・ホールで行われたクリームの再結成コンサートの模様がNHKのBSでオンエアーされた。先日のジェフ・ベックのライブもそうだったけれど、このステージの模様もより収録曲を増やしてDVDで発売されてもいるようだが、こうしてテレビで観れるのはありがたい。12日に録画してあったものだが、休日の夜のリラックスタイムということで、さきほどから観ているところである。会場はロイヤルアルバート・ホールだが、これは彼らのラスト・コンサートの会場がここだったから選ばれたのだろう。37年振りである。当時60歳になったクラプトンはしょっちゅう観ているから、特に違和感もないが、久々に現れたジャック・ブルースは62歳、ジンジャー・ベイカーに至っては66歳で、誰が観たってすっかり老人である(そらーそーだよな-笑)。

 「あーあ、せめて10年前だったらなぁ、この老け込み方だと、よれよれの演奏でもしょーがないか」という感じで観始めたのだが、冒頭の「アイム・ソー・グラッド」「スプーンフル」あたりは、いささかもたつところはあったものの、尻上がりに調子を上げていって、やがてすっかり自らペースにリスナーをのせていくあたりは、さすが往年のバンドだけはある。当然、60年代のサイケだの、インプロの神懸かったテンションとかはある訳もないが、ここでは特にブルースがかった「ローリン・アンド・タンブリン」「ストーミー・マンデイ」といった、先祖返り的作品で実に堂々たる音楽を展開、「やっぱこいつらすげーわ」の連打であった。クラプトンついてはいわずもながなとはいえ、いつも彼のライブパフォーマンスからすれば、段違いにギター・ソロのスペースが長く、それだけどもうれしくなること請け合いだ。やはりクラプトンはAORなんかに収まっている人ではなく、あくまでもロック・ギタリストであったことを再認識させてくれた。また、ジャック・ブルースはベースにせよ、ボーカルにしたところで例のアクのようなものは依然として健在、66歳のジンジャー・ベイカーも驚くほど老獪にリズムをキープしているのは驚きであった。

 そんな訳で、クリームというバンドもずいぶん長いこと聴いてないけれど(しばらく前にボックスセットは購入したんだけどな)、久々に聴き返してみようか、ついでに全盛期のマウンテンとかあんまり聴いたことなかったよな、そういえばクラプトンの代わりにゲイリー・ムーアの入ったBBMってバンドがあったよな、ジャック・ブルースがフリー・ジャズに接近した時期の音楽ってどんなんだったの....などなど、視聴している間いろいろなところに想いをはせた90分であった。
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ブラッド・スウェット&ティアーズ3

2009年10月02日 20時50分30秒 | ROCK-POP
 BS&Tの最高傑作といえば、その全活動歴を通じ、第2作「血と涙と汗」というのが衆目の一致するところだろう。第1作と同様、序曲と終曲を額縁に廃したトータル・アルバム的な構成、ジャズを中心に様々な音楽要素を取り込みつつも、実験や前衛ではなく、もはやAOR的といいたいような完成度でもって音楽を仕上げているところ(秀逸なアレンジというべきか)、「スピニング・ホイール」や「ユーヴ・メイド・ミー・ソー・ヴェリー・ハッピー」といった大ヒットナンバーを擁している点、デビッド・クレイトン・トーマスという類い希なロック・ボーカリストが生き生きと躍動して、ロック的なダイナミズムが横溢している点などなど、確かにアルバムは歴史的なロック・ヴィンテージ・アルバムとして非常に良質なアルバムだと思う。

 じゃぁ、BS&Tは「血と涙と汗」しかないのか。他のアルバムは全て大したことのない作品なのかといえば、そうでもないと思う。確かにここでしばらく取り上げてきたジェリー・フィッシャーをフィーチャーしたアルバム群は大傑作というほどのものではないと思うが、少なくとも第4作目まではどれも傑作たり得る作品だ。ことに「血と涙と汗」の余勢をかりて制作された本作は、前作にかなり肉薄する仕上がりだと思う。前述のとおりBS&Tは前作でバンド自体はほぼ完璧に完成され尽くしており、このアルバムでは取り入れる音楽の幅を更に拡張し、ダイナミックな振幅をより強調した方向で制作された思われる。つまり全体としては前作に比べ、より多彩でスケールの大きな作品に仕上がっているのだ。

 アルバムは、冒頭に収録されたゴスペル風な「ハイ・デ・ホー」、中世的な「ザ・バトル」「4万人の頭目」、シンガー・ソング・ライター風な「ファイアー・アンド・レイン」、「悲しきスージー」、「ヒー・イズ・ア・ランナー」といった一見BS&Tらしからぬ曲も味わい深いが(これらの楽曲は結果的に次作への伏線となる、今の視点で聴くとこちらの楽曲群の方がむしろ良かったりする)、ロックとジャズの狹をダイナミックに行き交う「マック・イヴィル」、「マック・イヴィビル変奏曲」のメドレーは前作以上にBS&Tらしさを感じさせるし、「サムシン・カミン・オン」は、前作の「微笑みの研究」でみせたジャズとロックのハイブリッド感覚をさらに拡張したような仕上がりで、途中フリー・ジャズ的なインプロを経て、オルガン・ソロからテーマに収束していくプロセスは筆舌に尽くしがたいスリリングさがある。まさに秀逸という他はない。

 ついでに書けば、「悪魔によせる交響楽/悪魔を憐れむ歌」は、このアルバムの本当の目玉かもしれない。元はストーンズの有名曲だが、初期のプロコやバルトークを思わせるバーバリックなダイナミズムにラテン・ジャズ的な要素を苦もなく合体させ、全体を異様なスケール感で仕立てた異色作だ。この曲に盛り込まれた音楽的な情報量の豊富さ、アレンジの見事さは尋常ではなく(英国のバンドであればこれだけの素材があれば20分はかけて演奏することだろう)、このバンドの音楽的な懐の広さを見せつけた曲といえる。
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The Best Of Mark-Almond

2009年08月13日 00時48分18秒 | ROCK-POP
 マーク・アモンドは大好きなバンドである。マーク・アモンドは70年代前半にイギリスでデビューしたジョン・マーク(ヴォーカル)とジョニー・アーモンド(サックス)による変則的なコンビで、ミもフタもない形容をしてしまえば、「苦みばしったジャズ風味が濃厚に効いた一種のフォーク・ロック」みたいな音楽をやっていた。ただ、ありがちな複合音楽ではなく、異様に虚脱して、冷え切ったような倦怠感が横溢したその音楽は、当時(多分、今も)ちょっと他に比べるものがないような独特のムードをもっていて、それ故かなり通向きな孤高の作品として、知る人ぞ知るというバンドだったように記憶している(ミュージック・ライフなんかには、小さいけれどちゃんと広告はのってましたけどね)。

 私が最初に購入した彼らのアルバムは、初期のアルバムからピックアップしたベスト盤だった。ジャケットの一角がカットされた米盤で、しかも中古盤をたぶん千葉のディスク・ユニオンで500円くらいで購入してきたように記憶している。当時、10代後半のガキが、よくぞこんなアルバムを購入したものだと、今では妙に感心したりもするが(笑)、きっと、アルバム冒頭に収録された「The City」という比較的大規模なメドレーの評判でも、音楽雑誌かなにかで聞き及んだのだろう。
 で、これを購入して初めて聴いた時の異様な感触は忘れられない。まず、「これは、なんと陰鬱で、冷え冷えとした音楽なのだ!」という拒否感に近いものを感じるものの、何度か聴いているうち、フォーク的なモノローグのようなボーカルとジャジーなセンスに裏打ちされた趣味の良いサウンドでもって、都会的な寂寥感を見事に表現した音楽に、いいようもなく魅了されてしまったのだ。

 ところが、私が持っている彼らのアルバムは長いこと、このベスト盤だけだった。レギュラー・アルバムも当然欲しかったが、なにしろ80年代に彼らの音楽は完璧なオールドウェイブになっていたので、カタログはおしなべて廃盤だったのである。なので、このアルバムをずいぶん繰り返し聴くことになった。なにしろ、彼らの全アルバムをCDで揃えることができたのは、はるか後年、それこそ21世紀にはいってからだ。かような次第で、私の場合、マーク・アモンドというとなんといってもこのベスト盤なのである。一曲目は「The City」。ボサノバやジャズをベースにドラマチックに仕上げた代表曲である。2曲目はオリジナル・アルバム通り、痛ましいほどの沈痛さが逆に異様に美しさを醸し出す「Tramp And The Young Girl」が続き、3曲目「One Way Sunday」でほのかに明るく希望をのぞかせてA面が終わるという構成はさながら、それ自体が組曲のようで、ふとしたきっかけで今聴いているところだけど、やはり何度聴いても素晴らしい。

 という訳で、これもいいきっかけかもしれない、数年前購入し、ひととおりさらっと聴いて、放置したままになっている彼らの全アルバムをクロノジカルに(彼らの後期のヒストリーには、意外な人脈が沢山登場するのも興味深いし)、きっちりと聴いてみる時期がきたかな?....などと思っているところである。


Title: The Best Of Mark-Almond(1973)

1. The City
2. Tramp And The Young Girl
3. One Way Sunday

4. The Ghetto
5. Song For You
6. Friends
7. Solitude
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BLOOD SWEAT & TEARS / New City

2009年03月27日 23時21分45秒 | ROCK-POP
 デビッド・クレイトン・トーマスが5年振りに復活した75年の作品(通算第8作)。ご存じのとおりクレイトン・トーマスは第2作から第4作目までBSTのアルバムで、バンドの看板ヴォーカリストとして圧倒的存在感を発揮したし、作曲なども担当していたから、「BSTってのはオレなんだよ」とか思い上がってしまったのかもしれない。BSTを脱退するとソロ・アーティストとして、順風満帆、大成の道を歩むのだろうとばかり思っていたら、私はほとんど聴いたことがないのだが(クラウス・オガーマンがアレンジした曲などもあるようだ)、何作か出たソロ・アルバムはどうも本体BST以上に苦戦したらしく、1975年にめでたくクレイトン・トーマスはBSTに復帰した。やっと調子を掴んできたところでバンドから追い出されたジェリー・フッシャーは悲惨だが....。

 アルバムは1曲目「Ride Captain Ride」は、ジャズ・ロックでも、前作のようなソウル路線でもなく、ちょっとBSTというにはいささかレイドバックして、ちょっとアーシーなアメリカン・ロック風の音で始まるのだが、クレイトン・トーマスのヴォーカルが入ると、それだけでBSTという気がしてしまう存在感はやはり凄い。途中でフュージョン風なエレピ・ソロがさりげなく繰り出されるあたりはニヤリとさせる部分だ。2曲目の「Life」は多少前作の雰囲気を残したファンキーな作品だが、これまたクレイトン・トーマスが歌っていることでえもいわれぬ重厚感を感じさせていい。また、7曲目の「Applause」は脱退直前4作目のジェントルで知的なBSTが戻っているようなところもある。9曲目の「Got to Get You into My Life」はもちろんビートルズの作品で、この曲は奇しくもビートルズがブラス・ロックに先鞭をつけた作品として知られているが、さすがにBSTはオリジナル通りにブラスをなぞることに抵抗あったのか、いくらかひねったアレンジに仕立て上げなおしている。

 という訳で、このクレイトン・トーマスの復活作、アレンジはまずまず練られているし(全盛期に匹敵するようなものではないが)、適度なポップさも悪くない。途中お遊びみたいな曲が2,3あって、これがアルバム全体の緊張感を弱めているところと、どうもコレ一曲という決定打がないのが残念だが、全体としてみればなかなかの出来である。初期の4作以降の作品としては、前作の「Mirror Image」と並んで佳作の部類だと思う。おそらくメンバーも起死回生の一発が見事不発に終わった前作から、クレイトン・トーマスを呼び戻し、今度こそ逆転サヨナラ満塁ホームランを狙ったことは想像に難くないが、残念ながらこれも不発に終わってしまった。1970年代初頭からBSTは迷走を続けたが、クレイトン・トーマスが戻った時、時代はそろそろニューロックの終わりを迎えはじめていたのだった。
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ジェフ・ベック/ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラヴ

2009年02月21日 23時15分58秒 | ROCK-POP
 つい先日まで来日していたジェフ・ベックだが、これはそれに合わせたのか、昨晩NHKのBS hiで放映された、2007年11月イギリスはロニー・スコッツ・クラヴにおける行われたライブである。このライブは既にCDでも出ているが、映像の方はBBCでシューティングされたものらしいので、恐らくそうした事情でNHKでオンエア可能となったのだろう。この映像と全く同一になるかどうかはともかくとしても、このライブはDVDとしても間もなく発売されるようだから、その意味では「ワールドプレミアライブ」という番組名もまんざら看板倒れではない(笑)。

 さてジェフ・ベックだが、近年の活動についていえと「そういえば、ライブ盤を連打してたな」くらいの知識しかなく、今回のライブなどについても全く予備知識なしに観はじめたのが、スタジオではテクノだのドラムンベースだのやっているらしいが、今回のライブはギター、ベース、キーボード、ドラムという4ピース・バンドによる、基本的には四半世紀前と全く変わらない、実にオーソドックスなベック流王道ロック・インストゥメンタルであった。
 ただし、今回のライブは少人数の会場、BBCのシューティングということからして、なにか特別なコンサートだったのだろう、ベックのテンションもかなり高く、かつて自分の書いたフレーズをそのまま引用すると「ロック・ギターの完璧なお手本であると同時に完璧にワン・アンド・オンリーな世界でもあるという、二律背反をいとも簡単に実現してしまっている」あの暗い情念とテンション、そしてシャープなダイナミズムが渾然一体となった、例のフレージングを全開している(それをドアップで観れる)のは、けだし見物であった。いやー、この人の個性というか音楽的な自我みたいなものはもはや時代を超えてます。

 ちなみにメンツだが、当代ナンバーワン・ドラマーといっても過言ではないヴィニー・カリウタを格闘相手に、話題の女流ベーシスト、タル・ウィルケンフェルドとキーボードのジェイソン・リベイロが脇を固めるという布陣。カリウタは例によって凄まじいテクニックだが、ライブだと更に壊れたコンピュータのような壮絶な暴れ方で、まさにベックと肉弾戦を演じている。昔より高速に演奏される「スキャッターブレイン」など、さすがに縦割りでみれば乱れがちなところもないではないが、音楽はとんでもなく凄いことになっていて、きっと会場にいたら、息がぜいぜいしてくるんじゃないと思うほどだ。
 ちなみに男なら誰でも思わず目がいく(笑)、ベースのタル・ウィルケンフェルドはまだ20代前半の妙齢のベーシストだが、今の若い世代らしく、テクニックもボキャも十全なのに加え(ただしジャズ系ではないようだ)、ゆったりとしたグルーブ感があってなかなかもの。ああいう重鎮に囲まれて萎縮する訳でも、またいきりたつ訳でもなく実に伸び伸びとニコニコ演奏しているのは絵的にも楽しいものがあった。キーボードは初めて聴く人だが、まぁ、この人も今時な「超絶技巧な軽いヤツ」という感じ。

 ついでに書くと、イギリスのR&B系の女性ボーカルをゲストに迎えたボーカル作品では、ブルージーなギターが堪能できて、音楽的に似ていた訳でもないが、大昔のジェフ・ベック・グルーブを思い出してしまったりしたが....。
 大昔といえば会場にはジミー・ペイジだの、ロバート・プラントなどの有名人が一杯だが、そうこうしているうちにラストのゲストであるエリック・クラプトンの登場。ヤッピー風に洗練されたオジサンになってしまったクラプトンに比べ、ベックの方はまるで時間が止まったようなロック・ミュージシャンといった風情で、このルックスの対比はいろいろな意味で歳月の流れを感じさせるに十分(笑)。でも、こういうシチュエーションで聴くと、クラプトンの陰影ある流れるようなギター・フレーズもやっぱ素晴らしいよなぁ....という訳で、あれよあれよという間の90分。楽しかったぁ。

 
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Connie Talbot / Connie's Christmas Album

2008年12月25日 13時08分53秒 | ROCK-POP
 先日の訪台の際に購入してきたもの。例の台北三越の裏にあるショップで新作をチェックしていたところ、いかにもクリスマス系といったジャケが気になって、台湾アーティストのコンピレーション、さもなくば国外アーティスト作品のOEMというアルバム悪くない....とか、勝手に決めつけて手に取ったのだが、本日、中身を聴いてみたところ、このアルバムの主はコニー・タルボットという英国の少女タレントのアルバムなのであった。なんのことはない、ジャケに写っている幼稚園くらいの女のコがその人なのだが、よくよくジャケットを見ると、どでかく「Connie's Christmas Album」とある、ほんと良く見ろよぉ....って感じである。

 さて、このコニー・タルボットだが、日本ではほとんど知名度がないみたいだが(けっこう有名だっりする?)、英国のオーディション番組かなにかで「オーバー・レインポウ」を歌って一躍大スターになった子らしい。ここでは当然、クリスマス・スタンダーズを歌っているのだが、アメリカのよく出てくるあざといくらい歌がうまく出来すぎな子供キャラに比べると、堅実で地味なところ英国らしいといえるかもしれないが、基本的には同じようなキャラという感じだ。歌はうまいが正調な感じではなく、こまっしゃくれて、けっこうソウルフルだったりするのは、いかにも今風といえるかもしれない。ただ、正直いって音楽だけ聴いてもなぁ....という感じがする。ジャケで見るとそうでもないが、動画で見ると、この子、いかにも英国のかわいらしい子って感じで(ジェーン・アッシャーみたいな感じ)、こういう映像でシンクロさせて聴くのが正解なのかもしれない。
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the Art Of Noise / And What Have You Done .....

2008年11月30日 15時55分08秒 | ROCK-POP
 アート・オブ・ノイズのZTT時代の未発表音源を集めた4枚組のアルバム。確か一昨年に出てものだったと思うが、すぐに購入したはいいが、長いこと放置してあったものを、ようやくここ数日かけて聴いたものである。アルバムの構成としては、最初の3枚が未発表音源の集成、最後の一枚は80年代に12インチ・シングルで出たものから、未CD化のものを集めたという体裁だが、ZTT時代の彼らといえば、結局、オリジナル・アルバム一枚とシングルを数枚(とはいえ、様々なヴァージョンがあったのは周知のとおり)出しただけなので、音源的はそれらを全てフォローしているといっても過言ではないし、恐らくそういう意図で作られているのだとも思う。

 いうまでもないことだが、アート・オブ・ノイズは打ち込み主体で音楽を作ってきたプロジェクトだから、ここに収録されているマテリアルは基本的にはリミックスばかりである。それが、例えばデモ段階のものだったり、オクラ入りになったものだったりする訳だが、例の「ビート・ボックス」2種と「モーメンツ・イン・ラブ」を中心に、「このヴァージョンにはあの音がはいってない」とか「あそこで入ってた音の元ソースはこうだったのか」、あとヴァージョンの長尺などいうことをちまちま楽しめる人なら、ほとんど最高のアルバムになっている。できうれば、制作プロセスが見えるような形で構成してくれたら、マニアとしてはもっと楽しめたと思うのだが、そこはそれアート・オブ・ノイズだからして、曲順というか構成は例によって脈絡不明な雑然としたものになっているのは、前記のように「ZTT時代のアート・オブ・ノイズを裏っぽく総括する」みたいな意図からのものであろう。もちろんそれはそれで彼ららしくて楽しめるし、ディスクを重ねるごとにオリジナルをどんどん解体してような構成になっているよう意図も感じないでもないのだが....。

 個人的に楽しかったのは、「ビートボックス」の「クロース」のディバージョンと交互に現れるディスク2で、この周到なしつこさは圧巻だし、ディスク4に収録されたそれぞれ20分、14分にも及ぶ「クロース」の「モーメンツ・イン・ラブ」の長尺な展開もおもしろかった。ちなみに音質的にも最新のリマスターでほとんど最新録音なみの音圧、クリアさに甦っているのもポイント高いし、不満な点といえば当然入るだろうと思っていた、「モーメンツ・イン・ラブ」の一般に知られているヴァージョンのど頭に入っているロマンティックでクラシカルなピアノ・ソロが、単体のマテリアルとして入ってなかったくらいのだろうか。ともあれ、できればもう10年早く聴きたかったという思いもあるが、個人的には最高に楽しめる作品である。
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BLOOD SWEAT & TEARS / Mirror Image

2008年09月14日 18時37分38秒 | ROCK-POP
 「No Sweat」に続く74年の作品。「No Sweat」同様日本では全く話題にならなかった作品で、私もジャケットくらいしか記憶にない。とにかくデビッド・クレイトン・トーマス脱退後のBSTは、日本では完全にロック・ファンから見放されていたのだ。もっともそれは本国アメリカでも似たようなものだったのだろう、メンバーも恐らくそのあたりを考えたのか、プロデュースにヘンリー・コスビーを迎えた本作では、まさに起死回生の一発を狙うかのごとき、大胆にイメージ・チェンジした作品になっている。私はソウル畑にはまるで疎いので、ヘンリー・コスビーといっても実はピンとこないのだが、調べてみるとモータウンの大物で、スティービー・ワンダーの後見人的なプロデューサーだったらしい。どういうコネクションでこういう人選になったのかはわからないが、前作ではポール・バックマスターなんか連れてきたバンドとしてはこれだけでも180%路線変更だとわかる。

 出来上がった作品は、ヘンリー・コスビーが持ち込んだとおぼしき70年代のモータウン・サウンドが全編に彩られている。特に冒頭の「Tell Me That I'm Wrong」など、カッティング・ギター、ダンサンブルなドラム、リゾート風なストリングスとファンキーなブラスと、ほぼ完全にモータウン・サウンドで、前作の生真面目など雲散霧消、一瞬聴いてするこちらが青くなる。2曲目はジェリー・フッシャーより一段とソウルフルでイケイケなJerry Lacroixのボーカルをフィーチャーして、ボーカルまでそれ風になっている。ファンキーなギターとコーラスをフィーチャーした3曲目も同様だ。とにかくもうこれ以上ないくらいポップな仕上がりでおそれいってしまう。
 ちなみに旧B面にあたるボーカル作品を両サイドに配置したメドレー形式で、真ん中に配置された4つの楽章はポップに傾きすぎたA面を懺悔するかの如くインスト・バンドとしてのBSTをアピールしている。ポップでなおかつテクニカルという、ほとんど当時のフュージョン・サウンドとオーバーラップするような雰囲気で、エレピをフィーチャーした第1楽章、ギターとスキャットをフィーチャーした第2楽章、もろにチック・コリア....というかRTF風な第3楽章と聴き所満載だ。

 そんな訳で、このアルバムだが地味な前2作に比べると、吹っ切れたような魅力があって楽しめる。もっと早くこうすればよかったんだよ、と今となれば思わないでもない。が、72年にこのアルバムをつくるのはBSTにしてから、無理だっただろう。ここで聴ける音楽はロックもソウルもジャズも、守備範囲が少しづつ溶解し始めた74年という時代だったからこそできたという気もするのだ。ちなみにBSTは次のアルバムでデビッド・クレイトン・トーマスが復帰するため、ジェリー・フッシャー時代はこれが最後となる。このアルバムが売れていればそういうこともなかったのだろうが、これもさっぱり売れず、結局、このアルバムのポップさは徒花に終わってしまうことになる訳だ。
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R&S Ambient Classics / various artists

2008年09月13日 22時59分34秒 | ROCK-POP
 このところ自宅ですっかり「パソコンおじさん」しているせいなのかどうかわからないが(笑)、そういう作業をしているよく聴くのが、テクノ....それもアンビエント系である。夜にパソコンにソフトをインストールしたり、設定をいじくったりしている時に、こういう音楽をあまりうるさくない音量で流していると実にいい、作業がはかどるような気がする(実は全然はかどってないんですが-笑)。私はテクノ系の音楽というと、実は70年代後半の創生期の頃から付かず離れずくらいのスタンスで聴いているのだが、「アーティスティックな記名性があるテクノ」という点でいうと、80年代のアート・オブ・ノイズ、ソウル・トウ・ソウル、せいぜいスクエアプッシャーあたりで終わっているような気がする。どうもデトロイト・テクノだとか、アンビエント・テクノみたいな音楽は、あまりに刹那的に量産され、かつどれもそれをつくるアーティストの記名性が、テクノ的なスタイルを追い越せず、結局、やけに匿名性の高いテクノ村みたいなものが形成されているようなところがあると思うのだ。まぁ、こちらが年取ってそういうのに追いついていけない....という事情も当然あるだろうが。


 さて、このアルバムだがR&Sというテクノレーベルから出た作品のオムニバス・アルバムで90年代前半に出たものだ。この時期ソニーはこの手のオムニバスを盛んに出していて、私もかなり枚数を購入したのだが、これもその一枚という訳ある。私はR&Sというレーベルも収録された大半のアーティストもまったく知らないのだが、ブレイクする前のケン・イシイの作品なども収録されているから、けっこう老舗なのだろう。アルバム・タイトルにアンビエントと冠しているだけあって、テクノビートの嵐といった作品があまりなく、どちらかといえばスペイシーで静謐な白玉シンセを背景に温度感の低いビートが淡々と鳴る....という作品が多い。収録された作品は、前述のとおりなかなかアーティストの記名性がつかめない作品が多いのだが、ヨーロッパ大陸系のThomas FehlmannとかBiosphereあたりは、独特の温度感の低さとロマン的な情感が交錯して楽しめるし、私のようなオッサンからするとLocustとかQuadrantみたいなノンビート系な音は古典的かつ正統派のアンビエント・サウンドに聞こえたりして、これも心地良い。
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カーペンターズ/雨の日と月曜日は

2008年08月22日 23時56分56秒 | ROCK-POP
 本作は「雨の日と月曜日は」という当時大ヒットした曲から始まるせいで、70年代このアルバムの邦題は「雨の日と月曜日は」であった(オリジナルのアルバム・タイトルは「Carpenters」)。その後、かの曲以上に「スーパースター」がヒットしてしまったせいか、途中からアルバム・タイトルも「スーパースター」になったような記憶があるが、当時のカーペンターズはシングル・ヒットを連打するいわゆるポップ・グルーブという受け止められ方をしていたせいで、アルバム・タイトルもシングル・ヒットが最大のキーワードとなったいた訳だ。アルバムに収録されたシングル・ヒット曲のタイトルを、オリジナル・タイトルすら無視して付けてしまうのというは、それこそビートルズの頃からあったけれど、それが横行していたのも、思えば70年代前半くらいまでだったのではないだったような気がする。彼らの作品も72年に出た第四作はうまい具合に「ア・ソング・フォー・ユー」がヒットしたせいで、このタイトルで発売されたが、次の73年の第五作では「シング」が大ヒットしてもアルバム・タイトルは「ナウ&ゼン」のままであったから、シングル・ヒットがアルバム・タイトルまで干渉してくるような、日本のお国事情もこのくらいまでだったのもかしれない。

 閑話休題、さてさて、この第三作だがご存じのとおり71年発表のカーペンターズ全盛期を飾る作品のひとつで、前述のとおり「雨の日と月曜日は」と「スーパースター」という2大ヒット曲をフィーチャーしている(ついでにいえば「ふたりの誓い」も大ヒットしたから三大というべきかもしれない)。なにしろ当時は彼らの全盛期だけあってラジオなどでいろいろな曲を聴いてはいたので、過半数の曲は私でも既知であるのだけれど、実際のところアルバムを通して聴くのはたぶんこれが初めてだ。
 アルバム冒頭が「雨の日と月曜日は」で、いきなり例のハーモニカのイントロが聴こえてくるのは個人的にはちと居心地が悪いのだが(これまでライブやベスト盤で定番になっている「スーパースター」からほとんどメドレーの如く「雨の日と月曜日は」につながっていく構成に慣れ親しんでいたので)、収録曲は粒ぞろいだ。この時期のカーペンターズは、その後の彼らのように音楽の幅があまり広くなく、バカラックやポール・ウィリアムス、レオン・ラッセルといった若年寄り風な選曲とアレンジの妙味で聴かせる作品群とナイーブなオリジナル作品のみでシンプルに構成されていて、逆にそれがカーペンターズの核となる部分のみで構成されたような潔さとすっきりとしたセンスを感じさせて素晴らしいと思う。

 それにしても、今聴くとカレン・カーペンターのボーカルは凄い。彼女はほぼリアルタイムで十分に人気、実力共に評価されてきた人だと思うけれど、三十数年を経て彼女のボーカルにあった希有なオーラのようなものが、ますますはっきりしてきたような気がする。ある種ヒューマンな温もりを感じさせる穏和な感触、深いヴィブレーションをさりげなく表現する上品さ、研ぎ澄まされたよう感覚でもって自在にコントロールする精緻な歌唱力などなど、単に「歌のうまいお姉さん」ではなくて、たとえばエラ・フィッジェラルドとかああいった歌手と並び称されていい、まさにアメリカの国宝的な希有な存在だったことがわかるのだ。例えば2曲目にリチャード・カーペンターをフィーチャーした「サムディ」という曲に続いて、カットインするように「あなたの影になりたい」というバラード作品が始まるのだが、オーバーに彼女のボーカルが始まった瞬間、あたりの空気ががらりとかわるような形容しがたい神々しいようなオーラが立ちこめるのだ。そういうの感覚は昔は感じられなくて、今だから感じれられるものだと思う。まさに時の流れを経て、本当の音楽的価値が明らかになったというところだろうか。いや、ひょっとすると昔からそんなことは自明なことで、ワタシの耳だけが鈍感なだけだったのかもしれないが....。
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BLOOD SWEAT & TEARS / No Sweat

2008年08月16日 22時29分18秒 | ROCK-POP
 「ニュー・ブラッド」のところでも書いたとおり、私はBSTについてはあれをもって見限ってしまったので、この第6作については発表後35年を経てようやく聴いたということになる。メンツとしてはオリジナル・メンバーのスティーブ・カッツが抜け、ブラス隊の一部に変動した以外はほぼ「ニュー・ブラッド」と同様、音楽的にも基本的には前作の延長線上にあるといってもよい仕上がりだ。つまり「ややレイドバックしたポップ・ロック+クロスオーバー風味」な音楽な訳だけれど、結果にそうなったのか、意図的にそうしたのかは図りかねるものの、ともかく今回はインスト主体の曲と歌モノを明確に分け、アルバム全体に両者を満遍なく散らしているのが特徴といえる。

 冒頭の「Roller Coaster」は、当時一時的に流行したスワンプ・ミュージックなんぞという言葉を思い出すアーシーでブルージーなムードをベースにポップさを振りかけた作品だし、2曲目「Save Our Ship」や9曲目「My Old Lady」は前作の「Touch Me」の続編のようなゴスペル風味をもって作品(どちらもポール・バックマスターとデビッド・ヘンツェルという英国勢が参加しているせいで、その仕上がりは当時両者が関わっていたエルトン・ジョンあたりの雰囲気に非常に近い....というか狙っていたのだろうな)、7曲目「Back Up Against the Wall」はちょいとシカゴ風を意識したかのような正調アメリカン・ロック、逆に10曲目の「Empty Pages」はややブリティッシュ・ロック風(トラフィックの作品だからか)....といったあたりが、歌モノとしてのこのアルバムの顔だろう。

 一方、インスト重視な曲はリンク・トラック風な扱いが多いが、3曲目の「Django」は前作の「処女航海」続くスタンダード路線といったところか、なかなかいいムードでテーマを演奏したところでプイと終わってしまうのが惜しい。5曲目の「Song for John」はいかにも70年代前半、クロスオーバー寸前のジャズ的ムードをにおわせた浮遊感あふれる作品。12曲目の「Inner Crisis」も前半は同様で一層詩的で散文的なムードが強いが、後半はスリリングなギターをフィーチャーしたクロスオーバー的な展開となる。
 という訳で、アルバムに詰まった音楽の情報量はなかなかものなのだが、どうも全般に決めてに欠くという印象がないでもない。どうも歌モノとインスト作品とが、うまい具合にミックスせず、両者の美点を帳消してしまいるような感じだろうか。いや、聴き込むほどに味がある作品ではあるのだが、地味な作品であることは間違いない。発売当初、日本でも全く話題にならなかったのも納得できようものだ。
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