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音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

MECO/Star Wars & Galactic Fank

2010年07月30日 23時27分31秒 | サウンドトラック
 70年代終わり頃、当時の日本は-世界的にだろうが-、「サタデイナイト・フィーバー」に象徴される空前のディスコ・ブームに沸いていた。音楽的にもディスコ・ミュージックと称される代物は、まさに粗製濫造という他はない状態で次々に制作されたが、そんな中である種の流行ともなっていたのが、既成曲をメドレーで繋げてダンスフロア向けの長尺曲として制作された「ノンストップ・ディスコメドレー」だ。
 当時、20代が終わりかけていた私は、エルトン・ジョンの「ヴィクティム・オブ・ラブ」だとか、ドナ・サマーの「マッカーサー組曲」を筆頭に、そうした「ノンストップ・ディスコメドレー」の類をけっこう愛聴していたのだが、その中でもとりわけ聴きまくっていたのが、ミーコの「スターウォーズ・メドレー」である。

 ミーコといえば、様々なテーマで有名曲をノンストップ・ディスコメドレーとしてまと上げる音楽職人として、「未知との遭遇」「スタートレック」「オズの魔法使い」「スターウォーズ/帝国の逆襲」などなど様々なディスコ物を乱発したが(ちなみにディスコ・ブームが去ってからも、しぶとく生き残り「フックト・オン・シリーズ」も手がけたりしている)、なんといってもこれが出世作であった。
 内容的にはジョン・ウィリアムスが作った「スターウォーズ」の第1作の音楽から、その聴きどころとなっている音楽を約17分にまとめたもので、とにかく劇中の有名な旋律がディスコ&フュージョン風なアレンジで(ついでに劇中の効果音をそのまま使っていた)、映画自体の晴れがましい雰囲気を良く残しつつ、実に調子のいいディスコ・メドレーとして再構成していたのが受けに受けて、この手のものとしては、かなりのヒットを記録したのだった。私などFMでエアチェックしたカセットを、一体何回聴いたことか知れないくらいだ。

 ともかく、その刹那的というにはあまりに巧緻なアレンジしているのが今聴いても実に素晴らしいものがあり、「王女のテーマ」や「酒場のバンド」などがこのメドレーに実に良いアクセントに繋げられているのはお見事というしかない。演奏陣はドラムはA.シュウーツバーグ、S.ガッド、ベースはA.ジャクソン、M.ミラー、ギターはD.スピノザ、J.トロペイなどなどけっこう豪華で、彼らにとってはやっつけ仕事だったことは、想像に難くないが、さすがに練達の面々だけあって、なるほどの安定感だ。
 なお、フィルアップに収録された「Galactic Fank」は、CTIサウンドでダブっぽいリズムの実験をしてみました的な意味不明な曲。残りは「スター・ウォーズ」のシングル・ヴァージョンであるが、これはやはりおまけというしかない。17分の「スター・ウォーズ・メドレー」のみ聴くべきアルバムといえるだろう。あぁ、なんだか他のアルバム、特にアルバム全体がメドレーになった「オズの魔法使い」が聴きたくなってきた。
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ヘンリー・マンシーニ/料理長殿、ご用心

2010年04月04日 19時00分31秒 | サウンドトラック
 昨夜、というか今朝にTwitterで盛り上がった映画ネタのひとつに、「料理長殿、ご用心」があった。この作品はジャクリーン・ビセットとジョージ・シーガルが主演したお洒落なサスペンス映画だったのだが、何しろ1978年といえば、時代は「スター・ウォーズ」を筆頭にSF大作か、あとは「ジュリア」とか「グッバイ・ガール」のような女性映画がトレンドになっていたため、こういう映画は当時既に珍品の部類になっていたように思う。私はオードリー・ヘップバーンの「シャレード」という映画が大好きだったし、その頃、大のヒッチコックのファンで、かつジャクリーン・ビセットも大好きだったので、これは見逃してなるものかと勇んで劇場に向かったのだった。

 映画自体は、まぁ、たわいもないものといってもよく、ロンドンやパリといったヨーロッパの一流レストランのシェフ達が次々に殺されるという設定で、ジャクリーン・ビセットはお菓子作りのシェフ役で、彼女を助けるの元夫役がジョージ・シーガルという役回り、これに彩りを与えるのがロバート・モーリー、ジャン=ピエール・カッセル、フィリップ・ノワレ、ジャン・ロシュフォールというヨーロッパの名優達が揃った脇役陣に、ある意味この映画の主役ともいえる有名レストランと絢爛たる料理の数々(鳩の料理というのを私はこの映画で知った)といったところであった。
 監督のテッド・コッチェフの演出はまぁまぁといったところだったが、ピーター・ストーンによる脚本はかつて「シャレード」を担当した人だけあって、台詞がなかなかシャレていたように記憶しているし、とにかく、1978年に往年のパラマウント・スタイルというか、それを再現しようしたと意気込みはよく伝わってきた映画だったことは間違いない。主演のジャクリーン・ビセットはまさにそれに相応しい華があったように思う。そしてこの作品にもうひとつ、忘れられない華を添えていたのが、ヘンリー・マンシーニの音楽でなのであった。

 当時のマンシーニは60年代に一世を風靡したかつての勢いはすっかりなくなっていて、この時期の作品としてはせいぜい「10」が目立ったくらいのものだが、この作品は後期マンシーニが残した傑作といえる作品である。私がこの映画のサウンドトラックで覚えているのは2曲で、ファンファーレに始まりバロック風に華やいだムードでわくわくするようなムードを演出するメイン・タイトル、そしてジャッキー扮するナターシャがケーキ作りのところで流れるラブリーな「ナターシャのテーマ」だけなのだが、この2曲は当時自分本来の持ち味を失いかけていたマンシーニが久々に、ヘップバーンの映画にさえ使えそうな持ち味を復活させていて、個人的には「マンシーニのベストスコアのひとつ」とさえ思っているくらいなのだ。
 ところが、この作品のサントラはどういう訳か、公開時にアナログ盤で出たきりで、現在では事実上全く忘れられている。おそらくマンシーニのベスト盤やスコア盤にももこの2曲は収録されたこともないのではないか、極東のいちマンシーニ・ファンとしては残念でならないところである。
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JAMES HORNER / Aliens

2010年02月14日 18時38分05秒 | サウンドトラック
 半年ほど前に、DVDのエイリアン・ボックスを購入し、メイキング映像も含め全4作を全て観た時に前後して購入したもの。「エイリアン」シリーズの音楽は、映画本編と同様、なんといっても第一作目、音楽でいったらジェリー・ゴールドスミスのもののインパクトが強かったため、こちらはそれほど印象に残っていない。映画の方は既にもう何回も観ているが、相変わらずその印象はそのままである。ジェームス・ホーナーという人は、それほど強烈な個性がある訳ではないが、アメリカ的なオプティミズムに支えられた、シンフォニックなスコアを書くところが美点といえるけれど(ジャズ風なスコアについては知らず)、この作品ではいつもの躍動感とか明快さがちと感じられないムキもあるのである。
 おそらくその理由のひとつは、時間が足りなかったということなのだろう。「エイリアン2」のところで書いたけれど、「製作のタイムリミットが迫っている状況で、結果的に最後の作られる音楽に当てられる時間がどんどん短くなってしまい、やがてブチ切れてしまう」というプロセスがあったため、とにかくそれらしい映像につけることが最優先になったしまったということが、大きく災いしてしまった原因のひとつと思われる。しかも、それがシンセを使ったものならまだなんとかなったろうが、本作はロンドン・シンフォニーを迎えてのオーケストラ物だったということも、さらにプレッシャーとなったことであろう。

 このアルバムはサントラ専業メーカーのヴァレーズ・サラバンデから、多数のボーナス・トラック付きのデラックス・エディションとしてリイシューされたもので、CDに収録時間一杯までボツテイクなども収録されている。で、こうして音楽部分のみを聴いてみると、けっこうゴールドスミスが作った1作目の音楽を踏襲していて、「エイリアン」らしくさがふんだんに感じられる、かなり重厚な仕上がり(ダークさは今一歩だが)の音楽であったことを再認識した。
 1曲目の「Main Title」や10曲目の「Sub-Level 3」などは、閉塞状況で迫り来るエイリアンの恐怖のようなものをよく表現しているし、11曲目の「Ripley's Rescue」や13曲目「Futile Escape」は、モダンなミリタリー調のサウンド、こちらはホーナーらしい躍動感を感じさせる明快な音楽(これは昔から印象に残っていた)になっている。また、ボーナス・トラックには「Ripley's Rescue」のパーカスのみのヴァージョンが収められていて、これがなかなかおもしろい。ブラスが咆哮するオリジナルもいいが、「エイリアン」シリーズらしいトーンからすれば、こちらを使っても悪くなかったと思う。更にエンディングの「Hyperspace」の別ヴァージョンも入っていて、基本それほど変わっていない印象だが、もう少し暗いトーンに終始していて、最後にはショッキングなオーケストラ・ヒットが2回入っているのも何だろう。当初のラッシュでは、次に3作目に繋げる場面でも入っていたのだろうか?。
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ミクロス・ローザ/プロビデンス

2010年01月17日 18時09分13秒 | サウンドトラック
 アラン・レネといえば「24時間の情事」や「去年マリエンバートで」といったヌーベル・バーグ期の歴史的名作を残したフランスの監督である。そのアラン・レネが70年代後半に往年の手法を再び駆使して作り上げた作品が、この「プロビデンス」だ。往年の手法とはトリッキーな時間の流れや客観主観が判然としないショットといったものだが(この最たる作品が映画史上の名作「去年マリエンバートで」である)、「プロビデンス」はこうした手法を再び使った作品という評判だったと思う。
 ストーリーはもはやあまり覚えていないので、解説文をそのまま引用させてもらうと、『78歳の誕生日の前夜、宏壮な館の奥深くで病魔に苦しむひとりの老作家が死の強迫観念に襲われながら、最後の力をふりしぼって構築する物語と現実を、重層的に交錯させて描く。』というもので、記憶によれば「去年マリエンバートで」のようなキレはなかったものの、ジョン・ギールグッド扮する老作家の妄執と、誕生日の当日に集まる家族らによって、それまでの映画語られてきた来た「事実らしい出来事」がそうでなかったことが判明するあたりはアラン・レネらしいところだった。

 で、これは後で気がついたのだが、この映画のサントラを担当していたのが、最晩年のミクロス・ローザだったのは意外だった。ローザといえば、ハンガリー出身とは国籍はアメリカで、1940年代から「白い恐怖」や「ベンハーなど」ハリウッドで数々の名作を作ってきた人だから、その最晩年によりによって難解をもって知られるフランスの映画監督の作品に音楽を付けるというのは、普通ならありえない人選だったからである。
 さて、実に久しぶりにこのサントラを聴いた印象だが、ピアノが哀しげだが優美な旋律を奏でるメインタイトル(ワルツ)など、「えっ、これがあのミクロス・ローザ?」と思うほど、ヨーロッパ映画らしいエレガンスを感じさせる仕上がりだ。少なくとも「ベンハー」や「クウォデバイス」の豪快さやスケール感は薬にしたくもないという感じ。当時ローザは70歳、そろそろ枯淡の境地に達していた故の作風なのだろう(そもそもヨーロッパの人ではあるし)。

 また、もともとはニューロティックな音楽を得意としていた人だけあって、「白い恐怖」を思わせるドラマチックな展開を見せるところもあるし、ハリウッド風でやや時代がかったが「愛のテーマ」のような楽曲も一部登場ないでもない。レネの作品には完全ミスマッチな作風だとは思うか、思うにこの映画が「かつては前衛だった手法を懐古的に使って作られた作品」だとすれば、こういう古臭い音楽をあえて入れるのは、かなり意識的なものだったのかもしれない。
 という訳で、晩年のローザの音楽を味わうにはいいアルバムだ。ちなみにローザはこれと同じ年に、ビリー・ワイルダーが監督した、これまた回顧的な作風そのものがトリックになっている「悲愁」という作品の音楽もつけているが、こちらもサントラは確か「懐古的偽ハリウッド音楽」のような作風だった気がする。残念ながら私はサントラを持っていないので(CDになっているのだろうか?)、なんとなくこちらもを独立して音楽だけを聴いてみたいになってしまった。
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伊福部昭/映画音楽全集3

2010年01月17日 12時02分06秒 | サウンドトラック
 このシリーズは伊福部先生が手がけた映画音楽から代表作を選りすぐり、作品毎に主要曲を小組曲風にまとめたアルバム10枚からなっている。先生の手がけた映画音楽は膨大なものがあるので、このアルバム10枚ですら、実のところ「抜粋盤」といった感はまぬがれないのだが(これの補遺のような形のシリーズもあり、それはそれで貴重だが、結果的に音源が分散してしまったのは残念なことである)、伊福部昭の映画音楽といえば、まずはゴジラ・シリーズという感がなきにしもあらずの状況が今も続いていることを考えれば、先生が作ったいわゆる一般映画からの音楽を多数含んだこのシリーズの存在は、実に貴重といわねばならない。今夜はその中から第三巻を聴いてみた。

 何故、唐突に第三巻なのかといえば、このアルバムには「暗黒街の顔役」が収録されているからだ。実は先日、日本映画専門チャンネルでオンエアされた同名作品を今し方観たところであり、実はオープニング・タイトルが流れるまで気がつかなかったのだが、冒頭のピアノのイントロが流れた瞬間、「あっ、そうか、これは先生がサントラ担当していたんだね」と思い、映画の内容もさることながら、一般映画での先生の音楽がどんな風だったのか、実は私はよく知らないので、検証するのにいい機会とばかりに、本来の目的である三船敏朗はどうでもよくなって(三船敏朗特集の一本としてオンエアされた)、もっぱら映画音楽に耳をそばだてることになってしまったのだった。

 観ていて、いや聴いていて感じのは、一般映画(今回の場合、和製フィルムノアールだが)では、先生はあまり劇中に音楽をつけていないということだ。冒頭から流れるピアノに導かれてオケが重厚に響くメインテーマが、劇中ではいくつかのヴァリエーションでもって流れるという感じで、特撮物のようにいろいろな音楽素材がつるべ打ち状態になっているものに慣れている私には、ストイックな風情すら感じさせるものだった。実は劇中にあふれかえる音楽というのは特撮映画ならでは事態で、一般映画はおおむねこのようなものだったのだろうとは思うし、先生ならではの見識もあるとは思うが(自動車修理工場での銃撃戦には全く音楽を付けていない)、それにしても「意外に目立たないな」という正直な印象だ。なお、度々繰り返されるテーマは、暗鬱で人生の悲劇を感じさせる重厚なもので、時にバンドネオンやアコスティック・ギターを交えて、場末に生きる人間達のドラマをマクロ的にクローズアップしている。ハイライトはやはり息子への土産を買って公園を歩く場面あたりだろうか。

 ちなみに映画自体はまずまずの仕上がりだ。東宝の映画で鶴田浩二というのは、「電送人間」でもそうだったけれど、後年のイメージからすると違和感を感じないでもないが、ただしこちらは心に傷を負った人間性溢れるヤクザという設定で、基本的にはその後の東映でのキャラと全く同じだから、まぁ、普通のフィルノアールとして楽しめたといったところだろうか。日活のそれと比べると、全体的に都会的で舞台も台詞もソフィスティケーションされているのは、やはり東宝ならではという感じである。
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すぎやまこういち/交響組曲「ドラゴンクエストVIII」(都響版)

2010年01月13日 00時31分00秒 | サウンドトラック
 ついでに、こんなのも出てきた「ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君」の交響組曲である。このゲームのサントラはPS2の内蔵音源を使い、その巧みで緻密なオーケストレーションのせいで、ほぼこれをそのままCD化したアルバムをすぎやま氏はかなり自信満々にリリースしたが、なるほどかつての内蔵音源によるCD化とは一線を画する非常に高いクウォリティに、私は「これコレがPS2の内蔵音源?」と、仰天したのをよく覚えている。ついでにいえば、ほぼ時を同じくして、違う意味で驚いたのが先日取り上げた「真・女神転生マニアクス」のサントラで、メガテンがロック系のサウンドのシミュレートだったとすると、もちろんドラクエは正統派の疑似管弦楽という違いはあるものの、どちらも打ち込みという方法でもって、「行くところまで行った」音楽だったと思う。私は20代後半から30代前半にかけて、ずいぶんと打ち込みで音楽をつくることに入れ込んでいたことがあるから、まさに10年という時の流れがいかにも凄まじい音楽テクノロジーを深化させてか、こういうところで思い知らされた感もあった。

 ともあれ、私はこのオーケストラ版を購入したはいいが、きっと「ドラクエストVIII」のサントラのサウンド・クウォリティに満足してしまったのだろう。こちらのアルバムを封も切ることなく、あれから3年も経った今夜、ようやく聴いたという訳である。さて、この交響組曲で一番、オーケストラ・サウンドとして聴いてみたかったのは、アルバムでなんといっても「おおぞらをまう」と「大空に戦う」である。「おおぞらをまう」はもともと「ドラクエIII」で登場した音楽だが、この「ドラクエVIII」の中でも、とりわけ印象的な使い方をされていた音楽である。まさに大空をゆったりと回遊するような伸びやかな旋律に、幻想味と一抹の哀感を滲ませたところは素晴らしかったし、「大空に戦う」は自分の文章を引用すると、『「おおぞらをまう」の音楽をベースにバルトーク風なオーケスレーションした仕上げた曲』ということになるが、もともとバルトーク風にモダンなオーケストレーションをロック風に仕上げたサントラが、元通りオーケストラで演奏されたらどうなるのか興味津々だったからだ。

 ちなみに前者は若干使用楽器に異同があるような気がするが、ほぼ「ドラクエIII」と同じアレンジ、これはいつもと同じように楽しめた、録音も新しいので、非常に透明感があるサウンドであるのもいい。後者は「終末に向かう」「ドルマゲス」にこれとラストのハイライト・シーンをまとめた組曲風な構成になっている。後者は実際に管弦楽として聴いてみると、ちょっとバルトーク風とは違い、金管の咆哮、生オケ+ドラムスのジャズ・オーケストラ風なサウンドなど、どちらかといえば007のサントラみたいな感じである。まぁ、スケールが大きく、構えが大きいのはサウンドはそれだけでも聴き応えがあるのだが、これはちょっと予想とは違った感じ(笑)。やはりあんまりシリアスなオーケストラ・アレンジは、商品として出すために控え気味にしたのだろうか?。一方、「馬車を曳いて」「広い世界へ」「つらい時を乗り越えて」といった、ゆったりとした曲ではオーケストラのナチュラルでゆくもりあるサウンドが、やはり打ち込みとはひと味違った良さを感じさせてくれた。「大空に戦う」はちと予想と違ったが、おおむね満足できたアルバムだ。
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すぎやまこういち/交響組曲「ドラゴンクエストIV」(LPO版)

2010年01月12日 23時02分56秒 | サウンドトラック
 昨夜はドラクエVの交響組曲を聴いたので、今夜はその一つ前、ドラゴンクエストIV「導かれし者たち」のそれを聴いてみた。ドラクエVは聴きたかったLPO版がなく、こちらは何故かLPO版のみがあった。この交響組曲はオケごとのシリーズがあり、かつまたベスト盤、ライブ盤なども乱立しているので、自分でも何をもっているのか、自分でも良くわかっていなかったりする、もう少し若い頃ならば、そのあたりは脳内データベースでもってきっちり掌握できていたのだが、さすがにここ10年くらいに入れ込んだソースは、当方の音楽的関心が相対的に後退しているせいもあるが、どうもメモリの性能が明らかに低下しているのを実感する今日この頃だ。大昔、高校の担任教師から「年取るを本を読んでもなかなか頭に入らない。だから若いうちに沢山読んでおけ」とかいわれたものだけれど、書物ではないがそのあたりは事情は音楽でも全く同じだと思う。手前味噌な話なるが、その意味で書物にせよ、音楽にせよ、若い頃に乱読、乱聴気味であったとしても、沢山のものを読破、聴破したのは、今でも私の良き財産になっていると思う....などと話がわき道にそれた。

 ドラゴンクエストIV「導かれし者たち」は確かゲーム自体をやっていないと思う。なのでこの交響組曲を聴いても、ゲームの場面や物語などはさっぱり思い出すことができない。幸いにこれは一昨年だったか、DSでリメイクされたものが出ているので、そちらをやることもあるかもしれない。音楽的にはお馴染みの「すぎやまズ・ドラクエ・サウンド」なので、ほとんど安心して聴いていられる。「街でのひととき」組曲はにぎやかでちょっと鄙びたあのドラクエの町並みを彷彿とさせるなにやら心が妙になごむ音楽。「勇者の故郷~馬車のマーチ」「恐怖の洞窟~呪われし塔」あたりは、ドラクエVのダンジョン組曲を似た感じのエキゾチックでゆらゆらするような抒情、そして箱庭風のファンタジーが童心に返ったような気分にさせてくれる。「栄光の戦い」から始まるバトルシーンの組曲もいつもヴァリエーションではあるが、ティンパニやスネアの音色が効いたパンチある曲だ(途中むミクロス・ローザ風になるのはご愛敬)....という訳で、なんだか、これを聴いてたら、こっちを先にやりたくなってきてしまった。ちなみにLPOは、さすがに線が太いサウンドだ、ややくぐもった音色はやはりイギリスのオケであることを感じさせたりもした。
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すぎやまこういち/交響組曲「ドラゴンクエストV」(都響版)

2010年01月11日 23時59分30秒 | サウンドトラック
 FFXIをお休みして、最近はもっぱらDSとPS3でゲームを楽しんでいるところなのは、ここにもあれこれ書いているところだろうけれど、今やっている「Wizardry 生命の楔」もそろそろ後半に差し掛かってきたところであり、次は何をやろうかと考えているところだ。そこでいつも思うのは、「そういえば、ドラクエ9ってやってなかったよな」ということ。発売当初は「DS持ってねーから、今度のはオレには関係ないや」などとも思っていたのだが、いつの間にかDSを購入して、毎日のようにこの小さなキカイでゲームをやっているのだから、ソフトさえ買い込んでくれば、ドラクエ9はいつでも出来るのだ(当たり前である)。そんな訳で、やはりWizardry系の殺伐としたものばかりやっていると、たまには童心にもどって(とはいえ、最初のドラクエをやっとき、私は既に20代中盤だったけれど-笑)、ドラクエみたいな世界が懐かしくなってきたりもする訳だ。

 そんな訳で、久しぶりのドラクエの音楽をひっぱり出してきた。ドラクエといえば、すぎやまこういち氏の音楽も大きな魅力であり、その様々なボキャブラリーを縦横に駆使した情報量の豊富さに裏打ちされた箱庭的ファンタジーに日本的なほのぼの感がプラスされたその音楽は、日本のサウンドトラック史上の傑作として評価していいと思う。そんなドラクエの音楽で、私が好きなのはやはり「天空の花嫁」である。ゲーム自体の出来が非常に良かったということもあるだろうが、「街角のメロディ」に始まる街の組曲で次々に登場するなんとも可愛らしい生き生きとした音楽、「愛の旋律」の甘酸っぱくほんのり陶酔的なムード、「空飛ぶ絨毯~大海原へ」の爽やかなファンタジー(ストラヴィスキーの「火の鳥」を拝借したみたいなブリッジを経て演奏される「大海原へ」は最高!) 。「洞窟に魔物の影が」に始まるダンジョン組曲はたゆとうような不安感が実にいいムードを演出している。「戦火を交えて」はすぎやし氏の作ったバトル・シーンの傑作。バッハ風な「天空城」、シュトラウス風な「結婚ワルツ」も楽しく、全編に渡って印象的な音楽が続くのがいい。

 演奏だが、一番慣れ親しんだN響によるものを聴いた後、今度はロンドンフィルが演奏したものを聴きたくなったのだが、どうやらこれは購入していないらしく見あたらなかったのだが、そのかわりといってはなんだが、最新の東京都交響楽団によるものが未開封のまま出てきたので、いまそちらを聴いているところである。聴いた感じとしては、けっこうN響に近いスリムな演奏で、さらさらとした水彩画のようなサウンドなのは、やはり日本のオケならではの感覚という感じだ(録音もあるかもしれないが)。どちらかといえば、ロンドン・フィルの油絵みたいな太いサウンドが聴きたかったのだが、こちらは録音のクリアさもあいまって別の良さがある。ちなみに、演奏のリズム感みたいなものは、収録時期の違いというのも無視できないが、非常にシャープで縦割りのきっちり感は歴代随一という感じだろう。
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フランコ・マンニーノ/家族の肖像

2010年01月08日 23時57分59秒 | サウンドトラック
 今では信じられないことだが、70年代最後の頃から数年間、日本の映画界ではヴィスコンティがブームだった。78年に岩波ホールで公開された「家族の肖像」がけっこうなヒットを記録したことがきっかけだろうが、その後「イノセント」「ルードヴィッヒ」「郵便配達は二度ベルをならす」などが公開されたし、名画座で「地獄に堕ちた勇者ども」や「ベニスに死す」はいつもけっこうな人が入っていた。私もご多分にもれず当時は大のヴィスコンティ・ファンだった。豪華な美術や貴族趣味、左翼思想にかぶれた青年期から次第に支配階級ある自ら血の世界に戻っていった経緯など、背伸びしてある種のハイブロウな趣味を嗜好していたあの時期の私(笑うしかねー)にとって、きっと格好の対象だったというところかもしれない。

 この「家族の肖像」はほとんどヴィスコンティの晩年の心境を伝える、ほとんど遺言、遺作ともいえる作品である。舞台を主人公(これを演じているのが「西部の男」バート・ランカスターなのが今もって凄い)が住むアパート内に限定し、共演のヘルムート・ベルガーやシルヴァーナ・マンガーノなどとのディスカッションに終始するような、一種心理劇ともいえるようなものだったが、その緊迫感あるやりとりと終末感ただようムードに私はとても魅了され(当時は英国病だったし、ヨーロッパはECの前で没落ムードが強かったのだ)、今もってヴィスコンティといえば「ベニス」と「家族の肖像」と思うくらいなのである。で、この「家族の肖像」で忘れられないもののひとつが、フランコ・マンニーノの音楽である。マンニーノはヴィスコンティとは長い付き合いなる作曲家で、特に晩年はほとんどのヴィスコンティ作品で、既成作品のアダプテイションも含め音楽を一手に担当していた人(映画音楽専業ではなくシリアス系の作曲家らしい)。この「家族の肖像」は、恐らく彼の最高傑作ではないかと思う作品なのだ(「イノセント」も良かったが、これに比べるといまひとつ落ちる)。

 この映画(サントラ)にはモーツァルトだの、モダンなカンツェーネなども含まれているが、メインタイトルや劇中の音楽はほとんどマンニーノが書いたオリジナル作品で、確か弦楽合奏によるものだったと思うのだが、これが実に素晴らしい音楽だったのである。内容的にはプラームスをより沈痛にして、絶望感とある種の終末感を漂わせたような、痛ましいほどに美しい音楽だったが、それはまさに映画にぴったりのものだったし、サントラ単体で楽しんでも十分に感銘を受けるものだったと思う。しばらく前にテレビで「山猫(完全版)」や「白夜」がオンエアされたのをきっかけに、このところなんとなくヴィスコンティのことを思い出したりすることが多いのだが、そうなると聴きたくなるのがこのサントラという訳だ。ただ、残念ながらこのサントラもアナログはともかく、CDの方を私は持っておらず、現在聴けない環境なのがかえすがえす残念なのだが....。
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伊福部昭/海底軍艦

2009年12月30日 18時43分25秒 | サウンドトラック
 今年も「海底軍艦」を観た。この作品は年末の29~31日あたりになると必ずといっていいほど観たくなる作品で、個人的には年末の恒例行事(?)になっている。そもそもこの作品、田崎潤と上原謙の重厚な演技に、高島忠夫と藤木悠の極楽コンビ、藤山陽子と小林哲子というふたりの対照的なヒロインという俳優陣らのドラマ面がすこぶる充実していることに加え、海底軍艦というこれまでにないメカニックのおもしろさが加わり、これに前後する作品と比べると、やや異色な感はあるものの、東宝特撮映画全盛期を彩る名作である。その「海底軍艦」の盛り上げるもうひとつの絶大な魅力は、いうまでもなく伊福部先生の音楽であろう。私は先生つくった映画音楽ならなんでも有難く聴けてしまう人だが、あえて先生の東宝特撮関連の映画音楽のベスト3を個人的に選ぶとすると、それは「ラドン」、「モスラ対ゴジラ」、そしてこれということになるだろう。いや、「ゴジラ」や「地球防衛軍」、「宇宙大戦争」も大好きなのだが.....。

 そんな訳で映画を見終わった後、久しぶりに単体のサントラの方も聴いてみた。冒頭、由々しき事態の発生を告げるような「東宝マーク」の音楽(わずか20秒)からワクワクしてしまう。重厚に進むメイン・タイトル「海底軍艦のテーマ」は、その格調高い音楽の背後から悲愴感を漂わせているところがなんともいい。この映画は神宮司大佐の終戦間際からレールを逸脱してしまった悲劇がドラマの基調にあるので、いたずらに「海底軍艦」のメカニックを礼賛してはならないのだ。この「海底軍艦」のテーマは劇中に何度も登場するが、常にある種の悲劇的感情を伴っているのがポイントになっている。特に後半の「海底軍艦出撃I,II」は劇中はもちろん、音楽単体でも異様に興奮する音楽になっている。
 一方、この「海底軍艦のテーマ」と対をなしているのが「ムー帝国」のテーマだ。非常にエキゾチックな主題で劇中では造語による歌詞までついていたが、「ムー帝国」がこれもまた悲劇的な成り立ちを背負った国という設定だけに、音楽も一方的な悪するのではなく、なにやら儚げで哀感をともなった旋律でつくられるいるのが印象的だが、この両者が交錯しつつ音楽が進行する「挺身隊出動」の音楽はさしずめこの映画の音楽のハイライトであろう。

 あと、あと忘れられないのが、「真琴のテーマ」は一般ドラマで使いそうな先生らしい生真面目で荘厳な曲でこの映画にドラマ的な深みをあたえるものとなった。先生の場合、特撮映画といっても、いつもドンパチ風な音楽をつけるだけでなく、「ラドン」などでもこうした音楽をつけたことはあったし、「宇宙大戦争」では「愛のテーマ」風な音楽を作ってもいる。この「真琴のテーマ」は劇中2回しか現れないものの、先生のこうした音楽の中でもとりわけ印象的なものといってもいいのではないだろうか。ついでに書くとエンドマークのところで流れる「エンディング」の音楽もいい。ムー帝国のテーマが哀しげに演奏されると、やがてこれまでのドラマを全てを閉じるかのようなコーダがつく訳だけれど、先生のいつも手法とはいえ、本当に浄化されるような趣があって感動してしまう(昔の映画は延々としたエンドロールがなかったので、すぐ館内が明るくなって、我々は現実の世界に引き戻された訳だ)。
 という訳で「海底軍艦」を観て、改めてその音楽を聴けば、個人的には完全な年の瀬ムードである。
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坂本龍一 他/ラスト・エンペラー

2009年12月26日 01時59分42秒 | サウンドトラック
 映画を観たついでにサントラも聴いてみた。日本では「ラストエンペラー」の音楽といえば、問答無用で「坂本龍一の音楽」ということになるのだうろれど(私のことなのなんですけど-笑)、映画を観ても、いや、このサントラ盤を聴いても分かるとおり、この作品の音楽は坂本龍一に、トーキングヘッズのテビッド・バーン、そして中国の作曲家コン・スーの三者が作品を持ち寄った形で作られている。先ほど観たこの作品でもこと音楽面についていえば、「坂本の音楽ってこれだけしか使われていなかったけ?」という印象であった。特に前半はそうである。なにしろ冒頭のメイン・タイトル(あのデザインはモーリス・ビンダーだったのね)は坂本の「ラストエンペラーのテーマ」ではなく、デビッド・バーンによる、彼らしいモダンでいささか乾いたアイロニー漂うものだし(紋切り型の中国スタイルなんだよな)、幼年期の溥儀のシーンはかなりデビッド・バーンが音楽が多用されているのだ。記憶のデフォルメは怖いものだ。私などこの20年で坂本の音楽をあれやこれや聴いているうちに、もうすっかりこの映画から音楽が塗りつぶされてしまい、メイン・タイトルからして坂本によるあのテーマ・ミュージックが使われていたような気がしてまっていた訳だ。

 確かアナログ盤ではA面が坂本、B面がバーンとコン・スーという構成で、それはそれで筋の通った構成だったけれど、CDになるとそれが繋がってしまい、坂本による「エンドタイトル」がが終わると、今度はバーンの「メイン・タイトル」というのではちょっと気持ち悪い。坂本の音楽はオーケストラを使ったスケールの大きなものというイメージがあったけれど、今聴くと民族楽器を使った中国風なもの、シンセでオーケストラを代行したもの(戦メリ風でもある)などがけっこう多いことに気がつく。せんだって「エイリアン」の完全版のサントラを聴いたけれど、この「ラストエンペラー」についても、それこそ坂本のパートだけで一枚、その他のパートでもう一枚みたいな2枚組完全版のようなもの発売してもいいように思う(「プレイング・ジ・オーケストラ」の演奏はいろいろな意味で不満があるし)。ともあれ、「エンド・タイトル」を筆頭にここに収録されたトラックは、坂本が作ったあまたの映画音楽の中でも、とりわけ心に残るものとなっている。ベルトルッチとはかなり葛藤があり、本人はいろいろと不満もあったようだけれど、優れた映画音楽というのは、監督、プロデューサーと作曲家の良心との葛藤、時間的制限....そういった制約だらけの孤独な作業から生まれてくることだってあるのだ。
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真・女神転生III - Nocturne マニアクス/various artists

2009年12月15日 23時20分22秒 | サウンドトラック
 こちらは「真・女神転生III - Nocturne マニアクス」で拡張されたパートについた音楽を集めたもの。昨夜も書いた通り、元々この「マニアクス」をやっていたので、特にゲーム内では、拡張分の音楽がどうのこうの....とは考えなかったし、音楽自体は本編のメイン・ライターの3人が担当しているので、表向き全く違和感はないものの、こうやって切り離されてみると、全くほんの少し趣が違うような気がしなくもない。これは拡張分がもっぱら「アマラ深界」という、本編と同時に進行する長いトンネルみたいな様相を呈していた別ダンジョンで、あったことから来ているのだろうと思う。お馴染みのダンテが登場することも関係あったかもしれない。ともかく、全体としてはハードでストロングな印象で、本編にあった浮遊感だとか、暗い抒情のようなものは、このサントラからはあまり聴こえてこない感じなのだ。世界の終末的なムードやアシッド的な雰囲気はむんむんしているが....。

 収録曲では、やはりボス戦の音楽が印象深い。目立つところを拾ってみると、「魔人」はストリングスが不気味なスケール感を醸し出すオーケストラ風の音楽で後半のリフなど聴くとやけに盛り上がってしまう。「ダンテ戦闘」、「ベルゼブブ」は教会風なオルガンを隠し味に使ったハードなレイブ・サウンドで実に痛快。「最後の戦い」が、本編の「ラストボス変形後戦闘」を更にメタルっぽい感じでアレンジした作品で、オリジナル同様かなり強烈だが、後半ギターのアルペジオにのってストリングスが入ってくるあたりの切迫感は秀逸だ....といったところか。他には「アマラ深界」のギラギラした感覚、「トーク」のヴォイス風なシンセ・サウンドにのった「ワープフィールド」の奇妙な遠近感、「闇の覇王」は「タイトルループ」をぐっとヘビーにしたヴァリエーション....が印象的に残る。ともあれ、独立したアルバムとしてこれを聴くのも悪くないが、個人的には本編とこれを併せ、ゲームの進行順に再構成した形で聴くのがいいと思う。というか、実は一度作ったこともあるのだが、曲順を忘れてしまったのが残念だ。

 余談だが、このアルバム、本編分とは発売元のレコード会社が別だったせいか、マスタリングが違っていて、こちらはコンプレッサーが聴いた、かなり押しの強い音になっていて、両アルバムをミックスして聴くと音量に明らかに差があるので、けっこう違和感がある。更についでいうと、本アルバムは悪名高いCCCDで、うちのメインのシステムでこれをかけるにはかなり勇気が必要だった(笑)。これを書くに当たってiTunesに取り込もうとした、どうしても取り込めなかったのは、おそらくそのせいだ(幸いにもEACでリッピングしたCDがあったので、iTunesにはそちらで取り込んだのだけれど)。
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真・女神転生III - Nocturne/various artists

2009年12月15日 00時49分15秒 | サウンドトラック
 何度も書いていることだが、私がこれまでやったゲームで一番楽しめたのは、おそらく「真・女神転生III - Nocturne」である(もっとも、私のやったのはマニアクス版の方だったのだが)。このゲームは戦闘のテンポの良さ、仲魔づくり、仲魔の合成、そしてなにより異形でアシッドな雰囲気がピタっと来るものを感じて、ずいぶん熱狂してやった記憶がある。まぁ、ゲーム本体についてはまた書く機会もあると思うが、実はこのゲームで良かったいまひとつのものが、このサウンドトラックなのだ。前にもちらっと書いたように記憶しているけれど、ゲームの音楽というのは非常に特殊なもので、好むと好むと好まざるとにかかわらず、ゲームをやる度にほとんど強制的に聴かせられる結果、リスナーの音楽的嗜好や価値観を麻痺させるような側面が確実にあり、本来なら大して好きな音楽でもないが、無性に聴きたくなるみたいな作用がある(場合もある)。例えば、私はもう何年もやっている「FFXI」や「FFX」の音楽というのは、基本的にはそれほど好きではない....が、妙に聴きたくなったり、愛着があったりするのだが、その好例といえるかもしれない。

 ところが、「真・女神転生III - Nocturne」は、もちろんゲームそのものに対する好印象も作用しているだろうが、なにしろ、私はここに収録された「音楽そのもの」が大好きなのである。音楽そのものは目黒将司、土屋憲一、田崎寿子の3名が分担して担当しているようだが、メインとなるのは目黒将司の作品のようだ。とにかく1曲目「タイトルループ1」から壮大なスケールと妖しげ雰囲気に魅了される。「真・女神転生III - Nocturne」の音楽は基本的にはアシッドテクノだと思う。アシッドテクノといってももちろん様々だが、私の場合、ここに収録されたような終末っぽいアシッドテクノが好きなのである。「啓示」や「新宿衛生病院」「東京受胎」といった曲では、アコピとシンセの浮遊する白玉サウンド、そしてブチブチいうリズムが組み合わさって、独特なアシッド空間を生み出していて、たまにWalkmanなどで聴くと、街に風景がぐにゃりと溶解するような感覚を味わったりする。「シブヤ」「ギンザ」「イケブクロ」「カブキチョウ」「カグヅチ塔」といった地名にちなんだ曲では、典型的なアシッドな空間を作り出していて、なんとも心地よい。特に「シブヤ」の遠近感を極端にとったサウンドは秀逸。「イケブクロ」の重厚なサウンドにのって進む、半音階の摩訶不思議な雰囲気も素晴らしい(10分聴かせろと思ってしまう)。

 一方、バトル・シーンの音楽では、「通常戦闘」「通常戦闘・街」「通常戦闘・大マップ」といった曲がヘビメタ調のロック・サウンドになっている。特に「通常戦闘・大マップ」では、ブルースロックがかったハード・ロック・サウンドを展開していて、おじさんは思わず燃えてしまう(笑)。しかも、このギター・サウンドが全て打ち込みとは、当時、ずいぶん驚いたものだが、今、聴いてもつくづくよく出来ていると思う(こういうことをやらせると、日本人の器用さはさすがである。)。「ラストボス変形後戦闘」は強烈なレイブ風なサウンドでこれも聴いていて興奮してくる....といった具合に、このアルバム、なぜか異様に私にぴたりと来る音楽ばかりなのだが、あと気に入っているところをあげると、「大マップ」「大マップ・現実世界」のポップなテクノ・サウンド、メイン・テーマのヴァリエーションである「ヨスガ」の70年代風なアナログ・サウンドのシミュレーション、同じく「スタッフロール」の浄化されたムードといったところか、ここでは振れられなかったけれど、土屋憲一や田崎寿子が作った曲も作品のムードに沿って、実にいいムードを出している。という訳で、このサントラ、実をいえばここ数年、私がもっとも聴くサントラである(ゲームの内容はかなり忘れてきているが-笑)。
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ヨーロッパ・ラブ・テーマ・ベスト36/various artsts

2009年12月04日 00時14分03秒 | サウンドトラック
 最近はすっかりその作業も停滞気味だが、iTunesライブリなどを作っていたりすると、そろそろ音楽メディアとしてのCDのそろそろ終わりが見えてきたかなという気もする。ハードディスク(もしくはメモリ)に録りためるという方式が、次の音楽メディアとして一般化してきたことにより、併せてアナログ~CDと続いた、「アルバム」というパッケージで曲を集合させるのも、ひょっとすると終わってしまうのではないか....などと、考えたりしないでもないのだが、その一方、未だアナログ時代からCDに移行できていないソースというのも沢山あるのも事実である。私はかなり膨大な量のCDを所有しているが、それでも、アナログ盤時代に所有していたアルバムを全てCDで買い換えた訳ではない。90%くらいはCDになってだいたい買い換え済みなのだが、未だCD化されていないなどの理由により残り10%くらいは、アナログ・プレイヤーを片付けてしまった10年以上前くらいから、もう聴くことが出来ないままだ。

 このアルバムもそんな一枚である。先日アントニオーニの作品集や「プーベの恋人」のサントラをレビュウしたあたりから、なんだか無性に懐かしくなってしまい、「聴くことはできなくとも、せめてどんな曲が入っていたのか、確認するだけもいいや」と(笑)、さきほど押し入れから苦労して探しあててきた。タイトルは「ヨーロッパ・ラブ・テーマ・ベスト36」、これこれ(笑)。思えば、ヨーロッパの映画音楽(フランシス・レイ、カルロ・ルスティケリ、ニーノ・ロータなどなど)といえば、ラジオでエアチェックしたものなどを除いて、私はほとんどこのアルバムで学習したようなものである。曲は50年代後半から70年代前半にかけての有名作品からのもので、サントラも含まれているが、ヨーロッパのイージー・リスニング・オーケストラとおぼしき楽団がカバーした演奏も入っていて、それがまたセンスがよく楽しめる。ステルピオ・チプリアーニ・オーケストラなど、オリジナル・サントラより映画的ムードを伝えているような曲があるくらいだ....などと、書いていたら、なんか本当に聴きたくなってきてしまったよ。この年始でもアナログ・プレイヤーをひっぱりだしてこようか。

--side:A--
太陽がいっぱい/太陽はひとりぼっち/ひまわり/プーベの恋人/誘惑されて棄てられて/女王蜂/禁じられた恋の島/ガラスの部屋/流されて
--side:B--
ロミオとジュリエット/夜霧のしのび逢い/男と女/シェルブールの雨傘/パリのめぐり逢い/さらば夏の日/個人教授/ビリティス/ラストコンサート
--side:C--
白い恋人たち/フィーリング・ラブ/若者のすべて/O嬢の物語/愛の嵐/みじかくも美しく燃え/ブラザー・サン・シスター・ムーン/終着駅「ローマの秋」/甘い生活
--side:D--
エマニエル夫人/続・エマニエル夫人/あの愛をふたたび/雨の訪問者/女と男のいる舗道/サマータイム・キラー/私生活/刑事/スェーデンの城
コメント (2)
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宮川泰/ゲバゲバ90分ミュージック・ファイル

2009年11月29日 11時00分19秒 | サウンドトラック
 1969年から数年間のことだったが、ナイターのないシーズンの火曜、夜8時から日本テレビで放送された「ゲバゲバ90分!」だったが、斬新なバラエティとして、大変な人気を博した名物番組であった。巨泉と前武を筆頭に、宍戸城、小川知子、朝丘雪路、宮本信子、小松方正といった非お笑い芸人が多数登場して、ソープ風、ミュージカル風な短いギャグを、適当な区切りに例の「ゲバゲバP!」を挟みつつ、テンポ良くつるべ打ち状に構成したような番組だったが、その後、このスタイルを踏襲したバラエティがほとんど存在しないことあり、テレビ史上でも極めて特異というか、ワン&オンリーなプログラムとして現在でも高く評価されているようだし、単純にあれを懐かしむ声も多い。当時小学の高学年だった私も、ご多分にもれずこれを夢中で観ていたクチだ(なにしろ、日曜の昼に30分とか60分の編集された再放送も観ていたくらいだし)。

 さて、このアルバムはその「ゲバゲバ90分!」のサウンドトラックで構成されたものである。ちなみに「ゲバゲバ90分!」は、現存する映像から起こされたDVDも出ているらしく、残っていないといわれた、あの当時の映像の一部を今でも楽しむことができるのだが、さすがに今観て昔のように笑えるか不安なので私は購入していない。実は番組に使用された音楽についても、私はほとんど記憶に残っていないので、実はどうしてこのアルバムを購入したのか、よくわからないのだが(笑)、おそらくオプティミズム全開のオープニング・マーチでも聴きたくて購入してきたのだろう。という訳で、アルバム・トップは当然、「ゲバゲバP!」に続いて「オープニング・テーマ」である。いかにも高度成長期ニッポンのオプティミズムが全開という感じで、実に懐かしい。同時にメインのシステムで聴くと、テレビでは聴こえてこなかった(単に記憶にないだけかもしれないけれど)、ストリングスのカウンターメロディだの、バンジョーだの、シンバルの細かい音が聴こえて、かの曲はこんなに情報量の沢山あった音楽なのかと驚きもしたりする。

 以降に収録された約40に渡るトラックは、当方の記憶にはほとんど残っていないが、今聴いてもなかなかおもしろい。様々なテーマのヴァリエーション、ボサノバ、ジャズ、ディキシー、モダンなヨーロッパ映画風、往年のハリウッド風、ゴーゴー、バロック風、ピンクパンサーのぱくり、ジョビンのぱくり、スウィング、ティファナ・プラス風にアレンジされたカルメン....と、箱庭風にあれこれ様々な音楽ジャンルをつまみ食いしていく(これを器用に演奏していく、当時の日本人ミュージシャンもさすが)。いかにも宮川らしいバタ臭さい洋楽指向といった感じだが、そのセレクションのセンスはさすがだ....などとニヤニヤしながら聴いていたら、あっという間に60分過ぎてしまい、ミュージカル風に4ビートにアレンジされたオープニング・ヴァリエーションになっていた....(ちなみに、番組の方はこのエンド・タイトルの後、実は何分かオマケがついて、唐突に終わるのというのが、いつもパターンだったように思うんだど?)。
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