Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番/ムローヴァ、プレヴィン&RPO

2009年02月28日 23時31分20秒 | クラシック(20世紀~)
 お次はムローヴァ、なんだか女流ばかり続いているが(笑)、現在生きているカタログには実に女流による同曲の演奏が多い。段々と分かってきたのだが、オイストラフだの、コーガンだのの演奏がかつてのスタンダートとして名を馳せていたらしく、こちらも注文してあるのだが、今は注文したもので早く届いたものから、どんどん聴いているところだ。ムローヴァといえば、かつてソ連から亡命した美人女性ヴァイオリニストとして、以前から有名で、そのエレガントな容姿は私もよく覚えていたが、演奏を聴くのはもちろん初めてである。なにせソ連から亡命などという経歴の持ち主だから、年齢的には先の3名よりは先輩に当たるだろうが、先ほど調べてみたところ、なんと私と同い年(!)だった。容姿端麗なことから、30代後半くらいに思っていたが、そうなると先輩どころではなくて、大先輩である(笑)。この演奏はそんな彼女がプレヴィンとロイヤル・フィルのバックを得て、約10年前(1998年)に録音したものだ。

 演奏だが、同じロシア系の人ということで、未だCDのないバティアシュベリ的なソ連的な正確無比さと豪快さがハイブリッドしたヴァイオリンみたいなものを漠然と期待していたのだけれど、聴いてみると、まぁ、そういうところがないでもないが、先行して聴いた3人の後輩達とはちょっと違った演奏のように感じた。この演奏はムローヴァが30代後半の頃のものであり、40ちょい前といえばクラシックでも、そろそろ自分の個性と芸術との接点をきちんと確立する年代であり、ここで展開される演奏はそういう意味で、先の3人より一段と風格があり、優れて音楽的な演奏であるように思えた。例えば、それは瞑想的なムードや打ち砕かれた悲しみのようなものが充満する奇数楽章の味わい深さのようなものによく現れている。構造だの、文学性だのをあれこれ頭でっかちに追求するのではなく、まずこれがロシア音楽であることを素直に感じさせる演奏とでもいったらいいか。第3楽章のパッサカリアなど、これまで聴いた演奏の中では一番自然にこの楽章に内包する哀感をストレートに表出しているように思えた。先行する3人の演奏ではひたすら緊張感がみなぎっていたカデンツァもここでは緊張感プラス優美ともいえる表情を見せているのが素晴らしい。好意的に聴けばありがちなテクニック大会のもうひとつ上の段階にある音楽的表現といえるかもしれない。

 一方、ダイナミックな偶数楽章の方は、機械のように正確に、あたかもショーピースのように弾き切ってしまう後輩たちに比べると、いささかおっとりしている。ムローヴァという人もきっとテクニック的にはかなり凄まじいものがあるのだろうけれど、めまぐるしい最終楽章なども適宜レガートをつかって全般的滑らかに演奏しているせいか、凄いテクニックを次々に披露しつつ、表向き凄みを感じさせないのは、実はこれこそ本当に「凄い」ことなのかもしれない。ついでにいえば、この人はロックでいうやや後ノリ的感覚があるように思うし、前述のレガートをはじめとして女性らしい官能を滲ませるところが多々あって、男の私はそういう方に耳を奪われてしまったりする。
 まぁ、このあたりバックを務めるプレヴィンという指揮者が、どちらといえばシャープさを前面に出すタイプとは対照的なおっとり系であるのも影響しているのかもしれない。全般にリズムの角をほんの少し丸めて、スムースに流れていくようなところは、ムローヴァの個性とマッチしているのだろうが、その分この曲のシャープさ、現代性を多少後退させているともいえるかもしれない。

 という訳で、この演奏、先行する3人と比べるとやはり格がひとつ上という感じがするし、妙に突出したところも、これといった欠点もない、ある種スタンダード主張しうるオーソドックスな良さというが美点だと思う。ただし、格上だからといって全てが良いかといえば、この曲のはちゃめちゃに動的な面、もっといえば曲芸的なところにも魅力を感じている当方としては、これで全てことたりるかといえば、そうでもないのが切ないところだ。いずれにしても百花繚乱、どれかひとつなどという必要はない、聴き比べは本当に楽しい。
コメント

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番/ハーン、ヤノフスキ&オスロPO (SACD)

2009年02月27日 23時19分24秒 | クラシック(20世紀~)
 さて、ヒラリー・ハーンのショスタコーヴィチ、ヴァイオリン協奏曲第1番である。ヒラリー・ハーンといえば、よく知らないけれど、若手の女流ヴァイオリニストの中では昨今一番人気のあるではないか。前回も書いたけれど、私はソロ・ヴァイオリンが苦手なクチだったので、若手でルックス的にも華のある話題の女流が出てきたところで、ほとんど関心がなかったのだが、この人はやはりメディアへの露出度が群を抜いていたのか、さすがの私も知っていたくらいだ(ちなみにサラ・チャンは全く知らなかった)。それにしても、バティアシュベリ、チャンといい、この人といい、今の若手はこういう高度な技巧を要するに違いない楽曲を軽々と弾いてしまうのは驚く。私はつい先日この曲を知ったばかりだから、たいしたことはわからないものの、おそらくこの曲は四半世紀前は恐るべき難曲だったに違いなく、そういうものをデビューからほどなく取り上げるというのは、テクニックという超えるべき壁をやすやすと克服してしまった今時なヴィルトゥーゾ達にとっては、格好の履修課題になってしまっているのではないかとすら思う。

 で、ヒラリー・ハーン(アメリカの人らしい)、蝋人形みたいな華奢で可愛らしいルックスなのだがら、ジャケの写真からしてアイドル的に売り出された人なのだろうと思っていたら大違い(笑)。唖然とするほどに正確無比、まるで精密機械のような演奏なのは当たり前という感じで、その上に多分、独特といってもいいのだろう、温度感の低い怜悧な歌い回しに、スポーティーなドライブ感まで持ち合わせて、もうアーティストとして立派に自己主張しているのだから、恐れ入ってしまう。第1楽章の瞑想的な雰囲気や第3楽章の哀感など、ことさら声を荒立てる訳でもなく、かなり冷静なタッチで歌い込んでいる印象だが、音楽的な充実感があって聴き応え十分である。
 また、動きの速い複雑なパッセージが次々に登場する偶数楽章は、まさにしく一部の隙もない正確無比さと高速回転する精密機械みたいなドライブ感で乗り切っていて素晴らしい。この人の良さというのは、ハメをはずだとか、暴走するとかいう言葉とはほとんど無縁な端正があるものの、なにか不思議なドライブ感があって、それが実に耳に心地よいと思う。最終楽章のホットな展開など、めくるめくテクニックを駆使しつつ、どことなくクールなのはそういった特徴がよくあらわれている。また、カデンツァの次第に高まっていくテンションの表現も、流れを断ち切らず実になめらかに上昇していく感じでその構成力は見事なものである。

 という訳で、ヒラリー・ハーンの演奏、実に素晴らしい。先日聴いたサラ・チャンの演奏もそれはもう見事なものだったし、ショスタコといえば、必ず取り沙汰される屈折感だの、複雑に表現された感情の吐露のような表現となると、そのあたりすら読み切っているという感じのサラ・チャンはほとんど完璧と呼ぶに相応しい演奏だったように思うのだけれど、あまりに完全無欠な感じがして、いまひとつおもしろみがないようにも感じてしまう。また、録音のせいなのか、なんだかヴァイオリンが鳴りきっていないようなもどかしさも感じないでもないの比べると、ハーンの方はまずピーンと張った抜けのいいヴァイオリンの音色自体に感覚的な心地良さがあるのがいい(ちなみにヤノフスキ&オスロ・フィルのバックも好演、ただし、この点だけをとりあげると、チャンの方のバックは当代一のラトル&ベルリンだから大分ポイントが高いかな)。
 という訳で、ハーンの演奏なかなか気に入りました。ほんとは一番聴きたいのは、もっとヴァイオリンが鳴りきり、豪快かつ奔放に演奏したバティアシュベリなんだけど、彼女のショスタコはまだCDないんだよなぁ....。
コメント (2)   トラックバック (1)

ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲第1番/バティアシュヴィリ、ジンマン&N響

2009年02月26日 23時15分45秒 | クラシック(20世紀~)
 スゲー、凄すぎる....ショスタコのヴァイオリン協奏曲第1番が、かくも素晴らしい名曲だったとは、3日ほど前に私は録画してあった第1637回N響定期公演を何気なく拾い読みならぬ拾い観をしていたのだが、デビッド・ジンマン指揮、ソリスト、リサ・バティアシュヴィリによる演奏を聴いて、「なんだ、なんだ、この曲は!」と目をむいたのだった。ただ、その日は夜も遅かったので、翌日、仕事から帰って、今度は最初からじっくりと観てみたのだが、それはもう冒頭から興奮状態で、すっかりこの曲に魅了されてしまったのであった。もともと私はソロ・ヴァイオリンというが苦手で、ヴァイオリン協奏曲もせいぜいブラームスとベルクを除けば、ほとんど楽しめたためしがないのだが、この曲はそういう観念を吹き飛ばすほどの興奮を感じた。
 だいたい私の音楽的な感性は至って鈍感な方なので、ことにクラシックなどともなれば、一聴して魅了されるなどということは、ほとんど皆無、あったとすればほとんど僥倖に等しい出来事なのだが、今回実に久々にそうしたわくわくするような感覚を味わったといえる。個人的にはまさに何年に一度のイベントである。

 ざっくりと各楽章をさらってみたい。まず第一楽章では私の大好きなバルトークの「弦チェレ」と気分的に共通するような沈痛だが思索的で、なにやら深く沈み込んでいくような瞑想的な味わいに引き込まれ、続くスケルツォである第二楽章ではどう見ても、どう聴いても(笑)、やたらと難易度の高そうなヴァイオリンのフレーズが、ショスタコらしい諧謔的でぐるぐる回るようなめまぐるしさの中にこれでもかというほどに展開されていて、ある種スポーツ的な爽快感とともに最近あまり感じたことのない音楽的な興奮を感じた。
 また、第三楽章はパッサカリアで重厚な雰囲気の中で進んでいくが、凄いのはこれと切れ目なしに進む長大なカデンツァで、理知的な怜悧なムードを保ちつつ次第に高調していく展開が文句なく素晴らしい。私はヴァイオリンの奏法のことなどさっぱりわからないが、このカデンツァはおそらく古今のあらゆる難易度の高い奏法が駆使されているような感じであり、名技性という点でもある種突き抜けた凄みを感じさせる。
 最終楽章は第二楽章のムードに戻って、華やいだムードの中でソロもオケもそのテンションが最高潮に達する賑々しい楽章だが、ここでもヴァイオリン・ソロが天馬空を行く的な奔放さで暴れまくって壮絶な展開となり、聴いているこちらの興奮状態もすごいことなってしまう。まさに「スゲー、スゲー」の連発なのだ。

 なんだが、あまりに興奮してほとんど訳の分からない文章になっているが(笑)、とにかくそのくらい凄かったということである。「なんだ、ショスタコのヴァイオリン協奏曲の一番なんざ、昔から有名な曲じゃん」といわれるかもしれないが、ショスタコに関しては交響曲の方を何曲かかじって、そのあまりにシニカルな味わいに何度も玉砕してきたところなので、個人的にはまさかショスタコのカタログ中、よりによってヴァイオリン協奏曲がこんなになっているとは思いもしなかったといったところなのである。
 ちなみに私が観た演奏だが、リサ・バティアシュヴィリというロシア系(?)の女流ヴァイオリニストの魅力も大きかったと思う。すっくと伸びた長身の体をダイナミックに使い、技術的には最高難度に違いないこの曲をこともなげに(汗一つかかない-笑)ねじ伏せていく様は壮観で、ヴィジュアル的にもいうことなしのものがあった。また伴奏がジンマンとN響というどちらかといわずともロシア風味とはほとんど対極にあるような淡彩なサウンドだったのも、彼女の特性をいやおうなく際だたせていたように思う。

 ちなみに掲載したジャケはリサ・バティアシュヴィリではなくて、サラ・チャンの同曲のものである。翌日、ショップに彼女の演奏がないものかと探してみたのだが、どうもバティアシュヴィリまだそれほど大スターでもないらしく、めぼしいものがこれくらいしかなかったので、とりあえずこれを購入して昨日今日と聞いているところである。ちなみにこの演奏だが、チャンのヴァイオリンは美音で繊細、淡麗ないかにも女性らしい趣なのはありがちとはいえ、とにかくテクニックが恐ろしいくらいに完璧で、ラトルとベルリンの共々、水も漏らさぬパーフェクトな演奏といったところで、こちらも十分に楽しんでいるところなのだが、やはりバティアシュヴィリの演奏から感じた、パワーだとか推進力みたいなものはイマイチといったところか。
 では、ここまで書いたところで、今さっき届いていたばかりのヒラリー・ハーンの同曲を次に聴いてみることするか。はてさて、こちらはどんなもんだろう?。
コメント (2)

トスカニーニとの会話、トスカニーニのワーグナー

2009年02月24日 00時11分36秒 | クラシック(一般)
 先週末(2月15日)にNHKBS2でオンエアされたドキュメンタリー。この番組の目玉としては、隠遁後のトスカニーニのもとに訪れた来客や子供達と会話を、息子ワルターがひそかに録音していたものを基にドラマ風に再現したところにある。なんでも息子ワルターは150時間にも及ぶテープを残していたようだが、ここに再現されたドラマがある日(ここでは大晦日の設定)の会話を忠実に再現したものなのか、150時間のテープの中から再構成されたものなのかどうかは不明だが、結果的にトスカニーニの幼児期から引退までをクロノジカルに語る内容になっている(なお、たぶんかなりレアと思われる動画も多数登場する、50年代中盤くらいになるとカラーフィルムも出てくるが、一部だが動くトスカニーニがカラーで観れるというのも、けっこう凄いことなのではないか)。

 内容だが、何しろトスカニーニ自身が語る彼の歴史だから、やはりおもしろい。一番最初に指揮台に立った時だとか、ヴェルディに教えをこいにいったときの話などは、それが100%真実ということもないだろうが、やはり本人自ら語るというのは説得力がある。当然ナチだのファシズムも出てくる。また、ストコスキーやフルトヴェングラー、あとプッチーニ、ついでにマリア・カラスまでこき下ろしているのは笑ってしまった。こういうのは伝聞で聞くと、いやな感じしかしないが、好々爺なおじいさんが語るドラマとしてみると、その毒舌も愛すべきキャラクターのように感じてしまうから不思議だ。NBC交響楽団のメンバーから匿名の手紙をもらったエピソードなど、晩年のトスカニーニの老いと覇気の葛藤を象徴しているかのようで、けっこう泣かせる。また、大衆を愚かさを糾弾するような発言なども(これなど聴衆というより、ファシズムにあっけなくのってしまった大衆という感じなんだろうな)、彼の心の深淵をのぞかせて興味深かった。

 引き続き放映された「トスカニーニのワーグナー」は、彼がNBC交響楽団を指揮した映像からワーグナーのものばかり集めている。こうした映像がまとまって残されていること自体驚きだが、映像付きでみる彼のワーグナーは、半ば予想とおりでもあったのだが、クリアで筋肉質なオケがキビキビとしたダイナミズムで、ストレートにかつな壮麗に歌い上げるもので、「タンホイザー」や「ローエングリン」のまさにイタリア的としかいいようがない灼熱するような高揚感に気宇壮大さ、早めのテンポで一気に進む「トリスタン」の燃え上がるような情感など、やはりトスカニーニらしさがよく伝わってくる素晴らしい演奏だ(しかし、これだけ貧弱な音質でここまで伝わるのだから、せめてステレオ録音だったどんなに聴き映えしたことだろう)。ちなみに最後には、ヴェルディがイタリアの解放を祝って1862年に作ったという「諸国民の賛歌」が収録されていて、トスカニーニは第二次大戦下ということで、自身が原曲に手を加え、英・仏国歌や「星条旗よ永遠なれ」やなんと「インターナショナル」まで入っている非常にレアな演奏である。ベートーベンとワーグナーっぽい曲だが、合唱団まで加わって全15分なかなか盛り上がる。

 それにしても、トスカニーニという人の指揮振りは、撮影された時期が晩年だったせいもあるだろうが、手を振り上げ、体を揺すり、髪を振り乱して演奏しているかと思ったら、意外に端正ですっきりとして、ある意味生真面目な職人の極致みたいなスタティックさあったのは驚きであった。それとこの人指揮していてちっともうれしそうでないし、忘我の境地で陶酔するような表情もあまりない。ドラマの方では「音楽は苦悩の源泉」みたいなこという場面があったけれど、おそらく彼の心中はオケを指揮しつつ、「こんなもんじゃない、ワーグナーの音楽はもっと、もっと」みたいなことを常に考えていたんじゃないと思う。映像を観ていると、なんだか全く満足していないトスカニーニがよく伺えるのである。
コメント   トラックバック (1)

ベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサート

2009年02月23日 01時58分48秒 | クラシック(20世紀~)
 NHKBS2のクラシック ロイヤル シートという番組で先月放映されたもので、ラトルとベルリンが2008年5月1日にモスクワ音楽院の大ホール行った演奏会を収録したものである。NHKのBSでは先日も書いたとおり、N響関連の他にも、「ハイビジョン クラシック館」だとか「ハイビジョン・ウイークエンド・シアター」では、こういうプログラムをけっこう当たり前のよう放映されていて、番組表を見ていると、ザルツブルグ音楽祭のオープニングだとか、ウェルザー・メストとクリーブランドのブルックナーとか、観逃せないプログラムが目白押しだ。生のコンサートには縁遠い私のような人間にはありがたいことこの上ない。

 さて、今回観たラトルとベルリンの演奏会だが、一見してベルリンが様変わりしているに驚いた。なにしろベルリンといえば、ラトルの前のアバドはもちろんのこと、カラヤンが居たころだってろくに映像を観たことないのだ。だが、それにしても久しぶりに観るベルリンはなんと女性メンバーが多く、メンバーが若返っていることだろう(ちなみにコンマスの安永さんは現在ですが....)、かつてカラヤン&ベルリン・コンビ末期の頃、両者の関係を決定的に険悪化したザビーネ・マイヤーの事件など思い出すに、なんだか歳月の流れを感ぜずにはいられない。そうかあれはもう20年くらい前の出来事になってしまったのか....。いやはや、自分がもうすぐ50歳になるハズである。ちなみにラトルは私より4歳上になるから、彼ももう50代中盤になる訳だけど、クラシックの世界では50代中盤くらいだと、まだまだ若造だから、はつらつとしているラトルを観ていると、もうすぐやってくる50歳という年齢になんだか複雑なものを感じたりする(笑)。

 さて、プログラムだが、 ストラヴィンスキーの「三楽章の交響曲」、 ブルッフのバイオリン協奏曲第1番、そしてベートーベンの交響曲第7番の三曲だが、個人的にはなんといっても「三楽章の交響曲」が楽しめた。ストラヴィンスキーのかの曲といえば、一般的には彼の新古典期の掉尾を飾る作品ということになると思うのだが、両端楽章のリズミックでダイナミックな動きなどからして、まさにラトル&ベルリンのコンビにうってつけであり、あまりこの曲に馴染みのない私でもけっこうひきこまれた。なにしろ、リズムが凄い。ラトルの若さがものをいっているのだろう。なんだがロックを聴いているみたいな、立ったリズムとそのスウィング感ともドライブ感ともいえないようなノリが気持ちよく、まさにビシバシ決めていると感じで楽しめたのだ。それは、「ひょっとすると「春祭」に続くストラヴィンスキーの人気曲候補はこれなんじゃないの?」思わせるほどに、痛快なものであった。
コメント (6)

Joe Beck / DMP Years

2009年02月22日 01時32分50秒 | JAZZ
 ジェフ・ベックを聴いたところでハタと思い出してきいているのが、もうひとりのベックと名がつく私が好きなギタリスト、ジョー・ベックである。ジェフの方が先の映像でもはや時間の止まったかのような現役ぶりを開陳していたのに比べ、ジョー・ベックの方は半年前くらい前に訃報が世界中をかけめぐった。つまり亡くなってしまったのである。その時も何か書こうと思っていたのだけれど、あれやこれで書く機会を逸していて、あれから半年後、久々にゆったりとした週末な今、ちょいと前にiTunesで作ったジョー・ベックのプレイリストを今聴いてるところなので、遅すぎた追悼としてこのプレイリストについて書いてみたい。

 ジョー・ベックは、一般的にはマイルスが最初に雇ったエレクトリック・ギタリストとして有名だし、恐らく同傾向のミュージシャンの間でもかなり高い評価を得た人だと思うのだけれど、不幸なことに「ジョー・ベックといったら、この一作」みたいな代表作がないのだ。せいぜい70年代の作ったKudoの諸作とかがかろうじて知られている作品かもしれないが、これだって大して有名な訳ではない。おそらくこれらの作品によって、彼は「ラリー・コリエルよりもう少しオーセンティックなフュージョン・ギタリスト」みたいに位置づけられていたように予想しているのだけど、そんな彼が80年代中盤から約半ダースに及ぶアルバムをリリースしたDMPレーベルでの作品群は、フュージョン・ギタリストとしてのジョー・ベックとは少しばかり....いや、かなり違う彼の姿が刻印されている。

 長くなるので結論だけいうと、DMP時代の彼の作品はフュージョン風なギタリストからではなく、もっと伝統的でオーソドックスなジャズ・ギタリストとしてのジョー・ベックがよく出ていて、私はこういうジョー・ベックが大好きだった。83年の「Relaxin'」はそういうジョー・ベックを最初に見せた作品であり、84年の「Friends」では、逆にこれまでのフュージョン路線を総決算してみせた作品だったが、その後一作おいて90年の「The Journey」では、本格的にバーニー・ケッセルやケニー・バレルだのの伝統にのっとったオーセンティックなギタリストに脱皮して、重厚な風格を漂わせ始めた作品だったと思う。

 このプレイリストはこのDMP時代の三作から作ったもので、あくまでも個人的には....だが、ジョー・ベックの「ミッドナイト・ギター」という感じで構成した。調度今夜みたいにゆったりとした深夜に聴くには調度いい感じである。ジョー・ベックはその後、日本のヴィーナス・レーベルで、こうした路線の作品を3作残すことになるが、あれこれヴァリエーションを広げたのは彼の器用さ故だったのだろうが、できることならば「夜のストレンジャー」のような正統派の作品をもう1枚くらいは聴いてみたかったと思う。遅くなったが、彼の冥福を祈りたい。



01 Isn't She Lovely (Relaxin' -`83)
02 Belle Touche (Friends -`84)
03 There's Always Time (Friends -`84)

04 Killer Joe (The Journey -`90)
05 Zanzibar (The Journey -`90)
06 Quidado (The Journey -`90)
07 Body & Soul (The Journey -`90)

08 Secret Love (Relaxin' -`83)
09 Skating In Central Park (Friends -`84)
10 Golf Swing (Friends -`84)
コメント (2)

ジェフ・ベック/ライヴ・アット・ロニー・スコッツ・クラヴ

2009年02月21日 23時15分58秒 | ROCK-POP
 つい先日まで来日していたジェフ・ベックだが、これはそれに合わせたのか、昨晩NHKのBS hiで放映された、2007年11月イギリスはロニー・スコッツ・クラヴにおける行われたライブである。このライブは既にCDでも出ているが、映像の方はBBCでシューティングされたものらしいので、恐らくそうした事情でNHKでオンエア可能となったのだろう。この映像と全く同一になるかどうかはともかくとしても、このライブはDVDとしても間もなく発売されるようだから、その意味では「ワールドプレミアライブ」という番組名もまんざら看板倒れではない(笑)。

 さてジェフ・ベックだが、近年の活動についていえと「そういえば、ライブ盤を連打してたな」くらいの知識しかなく、今回のライブなどについても全く予備知識なしに観はじめたのが、スタジオではテクノだのドラムンベースだのやっているらしいが、今回のライブはギター、ベース、キーボード、ドラムという4ピース・バンドによる、基本的には四半世紀前と全く変わらない、実にオーソドックスなベック流王道ロック・インストゥメンタルであった。
 ただし、今回のライブは少人数の会場、BBCのシューティングということからして、なにか特別なコンサートだったのだろう、ベックのテンションもかなり高く、かつて自分の書いたフレーズをそのまま引用すると「ロック・ギターの完璧なお手本であると同時に完璧にワン・アンド・オンリーな世界でもあるという、二律背反をいとも簡単に実現してしまっている」あの暗い情念とテンション、そしてシャープなダイナミズムが渾然一体となった、例のフレージングを全開している(それをドアップで観れる)のは、けだし見物であった。いやー、この人の個性というか音楽的な自我みたいなものはもはや時代を超えてます。

 ちなみにメンツだが、当代ナンバーワン・ドラマーといっても過言ではないヴィニー・カリウタを格闘相手に、話題の女流ベーシスト、タル・ウィルケンフェルドとキーボードのジェイソン・リベイロが脇を固めるという布陣。カリウタは例によって凄まじいテクニックだが、ライブだと更に壊れたコンピュータのような壮絶な暴れ方で、まさにベックと肉弾戦を演じている。昔より高速に演奏される「スキャッターブレイン」など、さすがに縦割りでみれば乱れがちなところもないではないが、音楽はとんでもなく凄いことになっていて、きっと会場にいたら、息がぜいぜいしてくるんじゃないと思うほどだ。
 ちなみに男なら誰でも思わず目がいく(笑)、ベースのタル・ウィルケンフェルドはまだ20代前半の妙齢のベーシストだが、今の若い世代らしく、テクニックもボキャも十全なのに加え(ただしジャズ系ではないようだ)、ゆったりとしたグルーブ感があってなかなかもの。ああいう重鎮に囲まれて萎縮する訳でも、またいきりたつ訳でもなく実に伸び伸びとニコニコ演奏しているのは絵的にも楽しいものがあった。キーボードは初めて聴く人だが、まぁ、この人も今時な「超絶技巧な軽いヤツ」という感じ。

 ついでに書くと、イギリスのR&B系の女性ボーカルをゲストに迎えたボーカル作品では、ブルージーなギターが堪能できて、音楽的に似ていた訳でもないが、大昔のジェフ・ベック・グルーブを思い出してしまったりしたが....。
 大昔といえば会場にはジミー・ペイジだの、ロバート・プラントなどの有名人が一杯だが、そうこうしているうちにラストのゲストであるエリック・クラプトンの登場。ヤッピー風に洗練されたオジサンになってしまったクラプトンに比べ、ベックの方はまるで時間が止まったようなロック・ミュージシャンといった風情で、このルックスの対比はいろいろな意味で歳月の流れを感じさせるに十分(笑)。でも、こういうシチュエーションで聴くと、クラプトンの陰影ある流れるようなギター・フレーズもやっぱ素晴らしいよなぁ....という訳で、あれよあれよという間の90分。楽しかったぁ。

 
コメント (4)   トラックバック (3)

フォープレイ/エナジー

2009年02月18日 23時13分14秒 | JAZZ-Fusion
 またまたレーベルを移籍したフォープレイ、今度はヘッズアップというコンコード・レーベルの傘下にある新興レーベルに移ったようで、昨年後半に出た本作はそのレーベルかから第一作となる。結局、RCAのブルーバード(これも新興レーベルだったはず)には、「ハートフェルト」「ジャーニー」「X (ten)」しか残さなかったことになるが、当初の彼らといえばワーナー・レーベルを代表するスーパー・グループで、かつ文句なしに売れ筋のアーティストだった訳でもあるんだけど、アルバムを重ねるにつれセールスでも落ちているのだろうか、ワーナーからどんどんマイナーなレーベルに都落ちしているような気がするのだが(そういえば、ボブ・ジェームスもいつの間にかKochレーベルに移っているし)、なんか他に理由でもあるのだろうか?。

 ともあれ、本作も早いもので通算11作目、ラリー・カールトンが入ってからも7作目になるが、この新作もよく言えば不変の金太郎飴的なフォープレイ・サウンド、悪く云うと取り立てて新味のないワンパターンの音である。あえて本作の特徴を探しだすとすれば、今回は「ハートフェルト」や「X」にけっこう色濃く感じられた打ち込みを含むエレクトリックなサウンドをやる順番ではなく、「イエス、プリーズ!」とか「ジャーニー」あたりと共通するような、比較的ナチュラルでアコスティックなサウンドをやる回に当たっていたのかもしれない(考えてみると、調度交互にやっているように思うのだが、どうだろう?)。ともあれ、今回はアルバム全編を通じて、なだらかでナチュラルなサウンドが特徴になっていて、あまりハウス風のリズムだの、アンビエント風なサウンドはあまり出てこないのが特徴といえるかもしれない。
 あと、これはメンバーの年齢のせいもあるのだろうが、ますます枯れた音になってしまっている。いや、もちろんフォープレイらしいセンスの良さ、その洗練度は相変わらず他に追従を許さない、ある種孤高な佇まいすら感じるほどなのだが、今ひとつキャッチーなリフのある曲だとか、心の琴線に触れてくるようなメロディックな曲などがどうも見あたらないので(このあたりはボブ・ジェームスのソロも全く同じような趣である、当然かもしれないけれど)、アルバム全体の印象としては、いつもフォープレイの音は聞こえてくるけれど、全体に妙に平均化された、希薄なものにしてしまっているような気がする。

 もちろん、「そもそもそういう音楽をやるのがフォープレイなんだよ」というならば、確かにそうには違いないだろう。多分、本作をBGMとして何気なく車や部屋の中に流しておければ、回りの空気や雰囲気が一瞬にしてワングレード上がるに違いない。そういう音楽的な効能というか機能性みたいな点からいえば、フォープレイの音楽は確かにこれでいいのかもしれないけれど、それにしてもここまで来ると、極端に抽象化されたジャズ的なボキャブラリを使ったアンビエント・ミュージックみたいな気すらしてしまったりするのだが....。
 ちなみにお約束のゲスト・ボーカルだが、今回はエスペランザとヒラリー・ジェームス、あと気がついたところでは、「ルックス・ボーズ・ウェイズ」の途中でアップテンポな4ビートのピアノ・トリオになってみたり、「セバスチャン」では、なんだかジャック・ルーシェみたいなクラシカルさを見せたりするあたり、まぁ、どちらもお遊びなんだろうけれど、けっこうおもしろかった、もう少しあざとくやればよかったのに(笑)。
コメント (2)   トラックバック (4)

中川財務相辞意表明

2009年02月17日 20時52分54秒 | others
 うほほ、これはまさに自滅という相応しい出来事でしたね。中川昭一ってあの憎めないキャラがけっこう好きだったし、客観的にみて今回G7では、あの会見以外は実に有能な働きをしたとも思っていたんだけど、よりによってこの時期にあんな醜態さらしたんじゃねぇ....。
 案の定、昨今自民叩きのネタをかぎ回っているとしか思えないどう猛なマスコミの餌食になって、朝から晩まであの顔がオンエアされ、したり顔のコメンテーターに叩かれているのは、ちと可哀想にになるくらいだ。とはいえ、中川昭一って、某巨大匿名掲示板群では「中川(酒)」とかいわれたくらいだから、今回の件、ことの真相はどうあれ、中川昭一であの映像じゃぁ、誰だって泥酔状態だと思われるちゃうのは、もうしょうがないところかも。
 
 しかしなぁ、取り巻きや事務方はなんであんな姿を晒させしまったのだろう。体調不良とかなんとかいって、記者会見なんぞピンチヒッターだすなり、延期するなりできなかったのかねぃ。まぁ、こういう起こってしまうこと自体、今の体制のタガが緩んでるってことなんだろうけど、それにしても田舎の市会議員の海外視察じゃないんだから、もう少しきちんとマスメディア対策とかできんかったのだろうか。
 ともあれ、ただでさえガタガタの自民党としては、小泉元首相からは現首相を強烈に批判され、その直後に内閣の大臣がこんな墓穴を掘ってるんじゃ、なんだか自民党末期の断末魔みたいな感じすらしてしまう。それに客観的にみて、中川昭一がいなくなったら、今の内閣、もう与謝野さんくらいしかいないじゃん....とか思うのは、私だけですかね。麻生さんも大変だな。

 うーむ、やはり酒はこわい。しかし、もっと怖いのは、「辞めない」といえば「辞めろ、辞めろ」と連呼し、「辞めた」といえば、今度は手のひらを返したように「この時期に無責任」とか、決まって誰か口を借りてもっともらしい民意を弄ぶマスコミという名の化け物の方かもなぁ(笑)。
コメント (5)

ダイアナ・クラール/フロム・ディス・モーメント・オン

2009年02月16日 01時39分18秒 | JAZZ
 先日、某ネット・ショップのぞいて知ったのだが、3月に出るダイアナ・クラールの新作は超待望のクラウス・オガーマンのアレンジである。なにしろ、彼がかかわった「ルック・オブ・ラブ」は私がこの10年に聴いた様々のアルバムの中では、ベスト3に入る作品だったので、その後出たややコンテンポラリーな「ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム」や「クリスマス・アルバム」も悪い出来ではなかったが、やはりオガーマンとのコラボの素晴らしさを知ってしまった後では、いささかくいたりなかったのも確かである。だいたいダイアナ・クラールが好きとかいうと、なんとかのひとつ覚えみたいに「美人女性ヴォーカル」みたいなキーワードで語りたがる人もいるが、私も男だからそういう側面は確かにあることは認めるけれど(笑)、個人的にはダイアナ・クラールといえば、なんといってもオガーマンとのコラボであって、その場合、彼女のルックスというのはあまりカンケーなく、「音楽的な素性の良さ」ということに尽きる....と思っている。まぁ、あくまでも個人的な印象であるが。

 そんな訳で「早くこいこい3月の新作」なのだが、そういえばこの作品を未だ聴いていなかったことを思い出し、今聴いているところである。基本的には前作の「クリスマス・アルバム」と同様、ライブで息のあったクレイトン・ハミルトン・ビッグ・バンドを従えてのスタンダード集となる。「クリスマス・アルバム」ではその性格上、かなりロマンティックでメロディックな要素がフィーチャーされていたけれど、こちらはビッグ・バンド・ジャズという特性を生かした、ライブなノリでダイナミック、ある意味とてもジャジーな仕上がりといえる。また、「ザ・ガール・イン・ジ・アザー・ルーム」で前面に出した、ブルージーさだとか、アーシーな要素も見え隠れしていて、ファンの期待とクラールの音楽的自我を頃合いでバランスしたという仕上がりといってもいいかもしれない。
 そんな訳で、客観的に見て本作出来は決して悪くはない。個人的にもしばらくはウォークマンやカーステレオなど活躍することにもなると思うが、現時点ではやはりちと地味というか、華かない作品という気がしてしまう(余談だが、こういう作品なら、もう少し彼女のピアノをフィーチャーしても良かった)。それもこれもオガーマンとのコラボの出来があまりに素晴らしかったからだ。そうなると、ますます新作に期待が高まってしまうのだが....。
コメント (6)

マーラー 歌曲集「大地の歌」/バースタイン&VPO、他

2009年02月13日 23時12分24秒 | マーラー+新ウィーン
 ゲルギエフがロッテルダム・フィルを振ったマーラーの交響曲第8番を観て、久しぶりにかの曲を聴いてみたくなり、クーベリック、テンシュテット、インバル、バーンスタインと立て続けに聴いたところで、「お次は....」とばかりに聴いているのが、この「大地の歌」である。私はかなりマーラーを愛好している方だと思うが、正直言って第8番と「大地の歌」はどうも馴染みがない。今回第8番の方は映像観て、いろいろと演奏を聴いたせいで、かなり馴染めた....というか、初めてうっすらと全貌が見えてきたような気もするのだが、ついでに聴いた「大地の歌」については、依然としてけっこうな難物だ。

 マーラーの交響曲をクロノジカルに眺めると7番までは、その音楽的な変遷やその必然性のようなものがある程度分かるような気がするのだが、8番以降はなにやら「生涯の総決算」とくくってしまえば簡単だけど、気宇壮大、西洋の祝祭的ムードが極限まで拡大されたみたいな第8番の後、どうして虚無的でしかも東洋風な「大地の歌」なのか?、まずそのあまりの落差のようなものが居心地が悪い。また、単体の曲としても、歌曲集と交響曲がないまぜになったような構成(ついでに書けば最終楽章だけ異様に巨大なのも)、そして随所に飛び出すちとあざといまでに中国風なエキゾチックな旋律など、個人的にはけっこう抵抗感を感じるのである。

 今回は、まずファリアーとキングをフィーチャーしたワルターとVPOによるモノラル期の名盤から聴いてみた。レコード時代から聴いていたものだが、改めて聴くとやはり音が貧相なのがつらい。また、ファリアーのリリカルだが深い感情を伴った歌唱も今の自分が聴くにはちと高カロリーすぎるような気がして馴染めなかった。そこでもっと録音が良く、もっと美麗なものということで、カラヤンとベルリンが70年代中盤に録音したものを聴いてみたが、こちらはとにかく録音が良いし、この時期のカラヤンらしく、滑るような美しさが出た演奏で、この曲のマーラー的なモノがいくらか見えてきたような気がしたので、そこそこ楽しんで聴いているところである。

 そんな訳で、調子にのってつい先日HMVで購入したのがコレだ。この演奏は通常アルトで歌う偶数楽章をフィッシャー=ディスカウが歌っている変わり種なのだが、実は「大地の歌」といえば、私が最初に購入したアナログ盤が他でもないこれなのであった。だからという訳でもないだろうが、「あぁ、コレコレ」とまでいかないものの、一聴して実にしっくりときた。バーンスタインの豪快さ、ウィーンのエレガントな音色、ありがちな絶叫調にならず、理知的にコントロールされたフィッシャー=ディスカウ....この三者のバランスが絶妙なのである(ついでに録音もデッカ最良の部類ではないか?)。という訳で、今の私が聴いて一番違和感のない「大地の歌」はコレだな。さて、実はこのアルバムと一緒にクレンペラーとフィルハーモニアによる有名なアルバムも購入したのだが、そちらはどうであろうか?。
コメント

そうだ、N響アワーを録ろう

2009年02月05日 23時31分20秒 | クラシック(一般)
 私はTVというものをニュースと一部の報道番組を除くと全く観ない。特にワイドショーだのバラエティ系などは、出来上がった番組の刹那的質の悪さもさることながら、それ以前にああいう代物が自分の趣味に全く合わないので、頼まれても観たくない....のである。ちなみにこういう番組を楽しんでいる人のことを、あれこれいうつもりは全くありません、単に趣味の問題です。念のため....。また、民放のコマーシャルの入る映画放映というのも気が散るので、よほどのことがないと観たいと思わない。だいたい観たい映画ならレンタルするか、メディア自体を買うし....。そういう訳なので、私はTVをほとんど観ないのだが、先日STBが新調されて、録画しやすくなったこともあり、何か録画したいけど、何をとったらよいのだろうなどと、本末転倒なことを考え始めたところで、はたと思いついたことがあった。「そうだ、N響アワーを録ろう」である。

 私がまだ20代でそれはもうクラシックに耽溺していた頃、NHKの教育の方ではN響アワーというNHK交響楽団の定期演奏会をレギュラーで放映していたし、その他にも正月のニュー・イヤー・コンサートはもちろん、バイロイトだの、なんとか音楽祭だのをけっこう放送していたのだが、なにしろ当時の私はレコードやCDで「音楽を聴く」こと自体に忙しかったため、「こういうのはジジイになってからでもゆっくり観よう」とか思ってほとんど観ることがなかった。それをジジイになったからやってみようという訳だ(笑)。
 さて、今はあれから時代も変わってNHKでクラシックといったら、BSである。けっこういい番組やってたよなぁ....とか思って、改めて番組表だのサイトだのを観ると、意外にもゴージャスそのもの(笑)。「すげぇなぁ、こんなんタダで観れるのか、オレは今まで何をやっていたんだ」という感じで、N響の定期演奏会はもちろん、いろいろな番組を録りまくっているところだ(なにしろこういう番組は朝とかにやっているのだ)。

 ラトルとベルリンのモスクワ音楽院大ホールで詩篇交響曲その他を演奏するライブ、ゲルギエフがロッテルダム・フィルを振ったマーラーの「千人」、アルゲリッチとフレイレが登場してバルトークを演奏するヴェルビエ音楽祭だとか、この二週間くらいでこれだけオンエアされるのだから恐れ入る。個人的にはNHKの報道姿勢というのは感心しないことが多いのだが、これについてはNHK様々、NHK万歳!である。ちなみにNHK交響楽団の定期の方だが、イルジー・コートの振ったワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」が良かったし、デュトワが振ったストラヴィンスキーの「エディプス王」「ミューズ率いるアポロ」を筆頭にバラエティに富んだ選曲でなかなかものだ。今話題、若き中国の女流ピアニスト、ユジャ・ワンが颯爽に弾ききった「パガニーニ・ラプソディー」観れたのもよかった。
 
 残念なのはこれだけ録っても、ひとつのプログラム通して観る時間があまりないことだが、仕方がないので最近はひとつのプログラムを3つくらい分けて、深夜寝る前に30分くらいづつ観ることにしている。この時ばかりはネットからのうるさい雑音は一切遮断して、好きな酒の飲みつつ、「あぁ、明日休みだったら、これも最後まで観れるのになぁ」などと思いながら観ているのはけっこう楽しく、疲れたオッサンの一日の締めくくりに、「明日の鋭気を養う」のに一役かっている。という訳で、新しいSTBにしたのは大正解だった。
コメント (4)   トラックバック (1)

Google、どうにかしちゃったかな

2009年02月01日 00時10分00秒 | others
 30分くらい前から、検索結果に全て「このサイトはコンピュータに損害を与える可能性があります」と出てますね。しょうがないのでYahooだのGooだので調べてみみましたが、どうも各地で発生しているようで、私のパソコン固有の問題ではないみたいです。そーだよな、特にあやしいこともやってないし....。Googleがどうにかしちゃったかな?。
 ちなみにgoogle自身まで、「損害を与える可能性があるサイト」になってるのは、大笑いさせていただきましたが(笑)。それにしても、私みたいな公私ともにネット依存度の高い人間は、Google使えないだけでも、相当不自由ですね。ライフラインってほどじゃないけど、TVが映らないよかよほど堪えます。身にしみました。

※ 0時30分くらいには復旧したようですね。某巨大匿名掲示板群の某所においての発言「しかし、何か深刻なウイルスにでも感染したせいかと真っ青になった精神被害はどうしてくれんだまだドキドキしてるぜ」も、さもありなんです。
コメント (3)