読書「毒麦の季」三浦綾子 光文社 昭和53年発行
短編小説5作品
「尾燈」昭和50年
官庁を定年退職して五年たった平川良三は、かつて目をかけた部下だった坂崎を尋ねて庶務課を訪れたが、表面的には懐かしがって迎えてくれた。しかし、定時が過ぎて一杯やろうという段になって局長との臨時打ち合わせが入ったといわれ一杯会は出来なくなる。だがそれは坂崎の芝居であったことが偶然分かって失望する。
その足で息子夫婦のところへ行ったのだが、当初は宿泊のつもりでいたがが嫁の冷たい対応にあきらめた。一人飲み屋で食事をし最終列車へ乗ろうと駅へ急いだが時すでに遅く列車は出てしまってその尾燈が光って遠ざかっていった。
「喪失」昭和53年
文恵は胃ガンの手術を受けた、それ以来自分はもうじき死ぬと思いこむ。そう思うのは彼女の妹がすでにガンで死んでいたからだ。妹の夫である守幸は文恵に好意を抱いていて気持ちを打ち明ける。文恵の夫 紘二郎は文恵を元気になれると励ます。守幸は若い女と再婚する、それを見て文恵は夫の紘二郎が自分が死んだ後、同じように若い女と再婚するだろうと思ってしまう。それで、自分も浮気をして死んでゆけば思い残すことはないと守幸の誘いに乗り浮気をする。だが、守幸の本心は単なるお遊びであったことがばれる。しかしなんということか、夫の紘二郎が出張先で脳卒中で急死してしまう。
「貝殻」昭和52年
私は嫁いだ夫や舅や姑の金銭的にも倫理的にもその嫌らしさに愛想を尽かして家出し、とある旅館に泊まり、夫を呼びだして心中しようと決心していた。だが、そこで出会った4歳の童のような心を抱いて無心に働く安さんという青年の男に惹かれる。無欲で純粋で一途なこの幼子のように生きる姿はわたしを死の淵から救ったのだった。それから10年たち再婚した私は再びその旅館を尋ねた、そこに安さんの姿はなく、彼が不幸な死に方をしたことを知ったのであった。
「壁の声」昭和49年
生まれつきドモリ(吃音)のために自分の無実をいい開くことができなかったため冤罪で死刑宣告を受けた青年が独房でその23年の短い一生を振り返ってつぶやく。どもりで言葉が思うようにでず同級生や父親からもいじめられた。バスの中で笑ったと誤解され殴られたこと、勤めた洋服屋でそこの主人が殺され犯人に仕立てられたこと、そして生きるに値しないこの世を去ることに何の未練も感じないとつぶやく。
「毒麦の季」昭和46年
達夫は小学一年生、父親に愛人ができ、その女が家まで尋ねてきて母 比佐子はその女が夫の不倫相手だと知る。ある日、父 営介は達夫を連れて遊園地に行くと偽りホテルで愛人と会う。その間、達夫は外で待たされる。この事実を知った比佐子は夫 営介と離婚を決意する。だが、営介の自己弁護の主張は厚かましくも強情でその非を認めない、それで結局達夫を自分のところにおき、家には愛人を引っ張り込む。
大人たちの勝手な生き方が、子供たちまで巻き込み争いを起こさせ、幼い達夫を悲劇の結末へと落とし込んだ。
「毒麦」では母の比佐子の代わりにその幼子の達夫が悲劇に遭う、「壁の声」のドモリの青年、「貝殻」の安さん、「喪失」の文恵、「尾燈」の良三、など全て他者の策略、裏切り、自分の病気、障害、などといった人生の落とし穴に落ち込み悲劇に遭う。
人生に対する甘い考え方、他人に対する警戒心のない安易な対し方が思わぬ苦難や人生の落とし穴にはまり込む。これら五つの作品の中では、どうやってこういった人生の苦難、不幸や落とし穴からはい出すか、救いを得るかという展開は全く用意されていない。三浦文学の真骨頂である神の救いはこれらには見えていない。むしろ人生の理不尽な不幸を徹底的に描ききることに力を注いでいるように思える。
三浦綾子さんと「氷点」が大ベストセラーになりましたが
私は「道ありき」「塩狩峠」等々、多数です・・・
三浦さんの作品について文学的に語る資格などありませんが
人生を深く掘り下げた作品が多いですね、、、
三浦綾子さんの作品には引き付けられます
いまや生存しているキリスト教信者の作家の
作品はないのでは
かつては、遠藤周作さんがいましたし、
内村鑑三をはじめ大勢おられました
最近はさびしくなりましたが
新しいクリスチャン作家が現れてほしいと思っています
ぼちぼち読んでゆきます