奈落の声 「病めるときも」から 三浦綾子 朝日文庫 昭和53年発行
三浦綾子の作品の中では貧しい旅芸人の一座を扱った珍しいものだ、北海道の某炭坑町を
訪れた旅の一座、その名も「沢野清十郎一座」、座長の父と名子役を演ずる息子 清志と
の間に起こった悲劇、清志の母は夫に愛人ができたことに耐え得ず家出し行方不明、清志
は孤独、旅先で小学校に二三日だけ出席して次の興行地へ旅立つ、故に清志に友達のでき
る暇などなく、いわんや親身になって守ってくれた教師などかつて一人もいなかった、
だが、今回は違った、担任教師の高津真樹子はクラスで虐められている清志をかばってくれた、
そして彼女はいなくなった母に何故か似ていた、清志は初めて母以外の女に親密感を抱く、
ところが父 清十郎は常日ごろ息子に対して暴力的でありひがみっぽくいじけた性悪
な親であった、彼は清志が学校でまじめに勉強に励むことをよく思わず馬鹿にさえして
いる、旅役者に学問など不要だと思っている、従って担任の高津真樹子には憎悪を抱い
ていた、さて清志は優しくされた真樹子の胸で泣きじゃくり彼女のシャツを汚して
しまい何とか弁償したいと思っていた、ある洋品店のショウウインドウに彼女にあう
シャツを認めたことから予期せぬ事件が起こってしまった
このドラマ自体が旅芸人一座の演じたお涙頂戴的お芝居のようだ、いたいけな子供役者
は時代遅れで女癖の悪い座長の父親ときっぷのいい女教師の間に挟まれ、生まれて初めて
受けた親切とそれを素直に消化でききれなくて成長できないもどかしさに泣き叫ぶ
という最後である、観客は子役に同情して一緒に泣き性悪の親父に怒りをあらわにする、
ここで重要な立ち回りは女教師のとった行為である、清志は女教師がつい感情的に吐き
捨てた言葉に傷つく、中途半端な親切はかえって仇になる、いっそ中途半端な優しさを
かけないほうが良かった、もし親切を施すならば最後まで注意深く徹底的でなければ
ならなかった、
作者にとって隣人愛をどう描くか難しい課題だったと思われる
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます