(童話)万華響の日々

生活の中の多種多様な万華の響きを聴き、万華の世界を視ていてます 古稀1になりました、今だからできることをしたいと思います

安倍政権の新三本の矢は揃った、一方で韓国は脱原発宣言をした

2017-06-21 20:24:52 | 社会診断

着々と安倍政権が数の力に物言わせ強引なやり方でアベノミクスなる隠れ蓑に隠れてやってきたことは誰の目にも明らかとなってきた、もはや隠れ蓑はぼろぼろに破けて中が丸見えである、

だがもはやそんなことは問題ではない、数の力があるからだ、国民の支持率も落ちたとはいえ相変わらず高水準である、そこのけそこのけお馬が通る、特定秘密保護法、安保法、そして共謀法、三つの強力な武器が揃った(新三本の矢)、安倍政権は大喜びである、残るは憲法改正である、祖父岸信介も孫の快挙を喜んでいるだろう、経済に目を奪われていた多くの国民はここでようやく抜き差しならぬ状況に立ち至ったことに気づいたのではないか、

さて、原発稼働について、韓国の文大統領は脱原発宣言をした(6/20朝日新聞)、前大統領が原発推進政策を取り、原発の電源率30%を目指すとし現在の25基をさらに増設しようとしていた、だが文大統領は廃炉1号が出た(稼働37年)ことを契機に原発は開発途上国だった時代のエネルギーと述べ、国民の生命と安全が最重要だということが社会的合意だと指摘し、脱原発を図り新規増設設計中止並びに稼働中の原発の設計寿命の延期なしと宣言した、その根拠には福島原発事故からの教訓が大であるそうだ、この英断に拍手を送りたい、日本のお寒い原発依存政策とは真逆である





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「「ジャコメッティ展」 国立新美術館 を観た印象

2017-06-18 14:37:33 | 展覧会

国立新美術館で開催中の「ジャコメッティ展」を観に行った、アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)はスイス生まれのフランスの彫刻家、独特の細長い男や女の彫刻は一度観たら忘れられない、

初期の作品はキュビズム・シュルレアリズムに属し「女=スプーン」(1926)、「キューヴ」(1934)は大型作品である、「鼻」(1947)は細長いピノキオの鼻のように大きな鼻を持て余したような口をあんぐり開けた頭部が針金でぶら下げられている、この「鼻」が以後の線状の人物の彫像へ繋がってゆくような感じがある、

また幾つかの小像も頗るユニークだ、数センチの小さな線状人物像が展示されている(1946年ごろ)、形は小さいが後のもっと大きい線状彫刻の先駆けか、一方の群像彫刻は完全にジャコメッティ独自の線状彫刻になっている、

人物以外に犬と猫の彫刻が展示されている、これが面白い、「猫」(1951)は完全に直線状の細い猫、頭部のみが膨らんでいて猫だと分かる、「犬」(1951)は「猫」より胸部や腹部が幅広に垂れ下がって犬らしい、地面の臭いを嗅ぎながら歩く犬かと思われる、

ジャコメッティの細長い人物像は骸骨のような体の線が無駄を一切省いた像であるにもかかわらず、はっきりと肉が着いた人物であると分かるから不思議である

 

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共謀罪は成立すると暴走の危険がある、まさに凶暴法になりかねない

2017-06-12 21:46:55 | 社会診断

一旦法律として成立してしまったらもう後戻りは無理だ、それが共謀罪法案、政権交代して廃案に至ればまた別ではあるが、そう簡単ではなかろう、

であれば立法化を阻止することが最善である、国会の議論が全く足りないと痛感、野党には必死で阻止して欲しい、国民の過半数が反対しているのだから政権は耳を傾けなければならない、全く強行採決の姿勢でお寒い限りだ、凶暴なのはどっちだと言いたい

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ブリューゲル「バベルの塔」 (都美術館)を観た印象

2017-06-02 17:16:39 | 展覧会

東京都美術館で現在開催中のブリューゲル「バベルの塔」展を観た、ボイマンス美術館の所蔵で24年ぶりの来日であるそうだ、ピーター・ブリューゲルは1526-1569年のベルギーの画家、出始めは聖書の物語を版画で示す、農村の風景や農民の絵を得意とした、ヒエロニムス・ボッシュの絵画も同時展示である、その他同時代の画家や彫刻家の作品もある、印象に残ったのとして「ソドムとゴモラの滅亡がある風景」(ヨアヒム・パティニール1520年ごろ)と「ロトと娘たち」(同上)がある、聖書からの題材である、火と爆発の中で滅亡するソドムとゴモラ、

ボシュの絵画も幻想的で謎と寓意に溢れている、「放浪者(行商人)1500年ごろ」や「聖クリストフォロス 1500年ごろ」、また作者不明の「ムール貝」1562年というものが目を惹いた、

ブリューゲルの版画には、「大きな魚は小さな魚を食う」1557年、「七つの大罪から大食、邪淫」、「七つの徳目から希望、慈愛」などがあり、やはり寓意的だ、

今回の目玉はブリューゲル「バベルの塔」1568年である、これには図解と映像で開設がなされ解りやすい、東京芸大が製作した拡大複製画が展示されてあり細部を観察するのには便利、

兎に角バベルの塔の持つ意味は暗示的で黙示的であり500年を経た今でもモナリザの微笑(ダ・ビンチ)のように不可解なのである、巨大な塔は雲を突き抜け上へ上へと伸びて建造されていて、その最中にも下の階では人々が生活を営んでいる、しかも見ようによっては巨大な塔は画面左側に傾いているかのように描かれている、いつかは倒壊する運命が待っているように見える、この絵はまさしくいま現在の人類の姿そのものだ、

人類が究極を目指して進めているあらゆる分野についてこの「バベルの塔」は警告を発しているように思えてならない、自分らの陥っている生活、政治、社会や文明や科学技術についてよく見まわしてみないといけない

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共謀罪法には絶対必要な「一般人証明書(仮名)」

2017-05-25 20:02:46 | 社会診断

共謀罪の成立が強引に採決され山場にかかっているようである、どうも国会議論を聞いていると「一般人」とは何か、その定義付けが実にアヤフヤで曖昧模糊である、これでは駄目だ、たとえ自分は一般人と自認する人でも萎縮する、捜査側の勝手な思い込みや類推でどうにもなる、

自民・公明・維新は自分たちこそ「一般人」と思っているらしい、自分には嫌疑がかからないと思っているらしい、暢気というか抜けているのではないかと疑いたくなる、一旦法律化されれば誰彼かまわず襲い来ることを知らないのか、

そこで提案であるが、いっそのこと「一般人証明書」というものを不安な人には発行したらどうだろうか、それを携帯したら安心していられる、身分保証書のようなものだ、勿論、国会で「一般人証明書」の中身をよく吟味し確定してもらいたい、その時、その場で適当に判断されては困る、国が認定した「一般人証明書」であるからもしも暴力的テロ事件を起こしたらこの証明書ははく奪されるのだ、普通に会話をし集会をし、平和に暮らしたい人々には必要な「一般人証明書」である

 

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「ミュシャ展(超大作 スラヴ叙事詩 全20作)」 国立新美術館を観た印象

2017-05-22 20:24:36 | 展覧会

「ミュシャ展(超大作 スラヴ叙事詩 全20作)」が国立新美術館で開催中だ、会期終了までまだ余裕ありとみて行って観て驚いた、すごい混雑だ、さすがに好評開催中というのは当たっている、広い館内で他の人にぶつからないように移動するのが大変であった、聞きしに勝る大壁画である、最も大きな作品は6m×8mである、作品は写実的でありながらファンタスティックである、かつ技法は朧げな印象である、これが叙事詩と言われる所以か、


ミュシャといえばアール・ヌーヴォーな美人画のポスターということで自分にとっては印象付けられていたが、今回のような大作壁画を搬送してくれた関係者のお陰でミュシャの別面を知ることができた、これこそがミュシャの本来の姿であったのだと知った、晩年の16年間をかけてスラヴ民族とチェコの民族自由・独立と統一を願って制作したものという、それも思うようには展示されなく紆余曲折の末に今のようにプラハのヴェレトゥルジュニー宮殿に安定した、2012年のことであった、

 

                                                  四芸術「音楽」1898年           スラヴ叙事詩「スラブ民族の賛歌」1926年

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アメリカの「特別検察官」制度が羨ましい

2017-05-19 20:35:34 | 社会診断

さすがはアメリカだと思った、トランプ大統領のロシア疑惑究明のために司法省が「特別検察官」を任命した、「特別検察官」は政府機関の指示系統から完全に独立しているそうだ、予算にも制限がないという、大統領の権限も強いがこうした司法の力もバランスさせて強い、このようなアメリカの仕組みには羨望を感じる、

わが国にはこうした独立性のある「特別検察官」のような仕組みがないように思う、もしあれば安倍総理の森友疑惑や加計疑惑はとっくに解明され今とは全く違った政治環境を見たかもしれない、野党による国会の追及は埒が明かない、歯がゆい思いはまだまだ続くようだ、

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黒塗り「安倍記念小」隠しは反って焦点を明らかにしてしまった

2017-05-09 20:14:26 | 社会診断

{黒塗りで「安倍記念小」隠し 森友資料開示 民進が財務省批判}、これは今日の朝刊のニュースである、相変わらずの証拠隠し、正体隠し、この黒塗りはのり弁と呼ばれるこの方面の役人が良くやる得意技だ、テレビでちょいちょいお目にかかるが実に品が良くない、

譬えが悪いかもしれないが、かつてのヌード雑誌でお馴染みであったが今やヘヤ解禁されて堂々と女性ヌードが見られている、ということは黒塗りのり弁で隠された部分は実は恥部ということであろうか、人には社会には恥ずかしくて見せられないということか、ヌード雑誌ではもう恥ずかしい隠すべきものではなくなった、芸術感が変わったのである、それと比べれば政治や会社の世界では相変わらずの醜態が演じられ、(芸術とは無関係の世界であり)、会計偽装などの疑惑や不正取引などの実態を隠して何とか逃げおおせようとしていることがよく見受けられる、

今回の件でも新聞によれば「財務省の佐川宣寿理財局長は「公にすると、法人の利益を害する恐れがある。タイトルも含め一体として学校の経営方針なので不開示にした」と説明した」ということだ、だが肝心要の渦中の籠池氏が声を大にして真相を明らかにしてほしいと訴えているではないか、それが何故「法人(森友学園)の利益を害する」というのであろうか、利益を害するのは法人ではなく財務省の方ではないのか、すなわち保身の弁である、自分たちの恥部を隠したいのが明白である、だがもう黒塗りは剝がされてしまう時期に至っているというべきだ、黒塗り「安倍記念小」隠しは反って焦点を明らかにしてしまった

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「シャセリオー展」国立西洋美術館を観た印象

2017-05-03 20:51:35 | 展覧会

只今国立西洋美術館で開催中の「シャセリオー展」を観た、テオドル・シャセリオーはフランスの画家(1819-1856)で37歳で夭折した天才と言われる、11歳でアングルの弟子入りを許されたそうだ、「自画像(1835)」はシャセリオー15歳の作である、黒い服に身を固めた若い面長の少年がシャセリオーである、端正な表情で自信に溢れた傑作だと思う、

今回はルドン、モロー、ドラクロア、クールベ等の作品も同時展示されている、いずれもシャセリオーから大いなる影響を受けたといわれるそうだ、今回のような総合的網羅的なシャセリオー展は日本で初公開と言われる、わたしもシャセリオーという名前は恥ずかしながらかつて馴染みがなかった、だがポスターの美人肖像画を見てこれは是非とも観に行こうこうと思った

「アポロとダフネ(1845)」、「泉のそばで眠るニンフ(1850)」、「気絶したマゼットを見つけるコサックの娘(1851)」などは古典に題材を求めたものだが想像力豊かなテーマがエロス漂う裸婦像や男女がたっぷりとした写実性に裏打ちされて艶めかしい、

肖像画もまた暗い背景の中にくっきりと人物が個性を発揮して描かれている、特に「カバリュス嬢の肖像(1848)」や「コンスタンティーヌのユダヤの娘(1846-1856)」は惹きつけられた、目力が凄い

会期は5/28までだからぜひ鑑賞を薦めたい

 


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共謀罪は成立してからこんなはずではなかったと思っても遅い

2017-04-29 20:39:31 | 社会診断

何度も言うがオリンピックの美名のもと、国際条約締結の目的と力説し共謀罪を政府は数の力で強引に成立させようと企んでいる、ものも言えない孤独な淋しい個人や集まりだけが一般人というらしい、一旦政治的なことやデモや集会や署名活動などを行おうとしたら、警察の恣意的判断で犯罪集団と決め付けられかねないのである、過去三度も廃案になったのには理由がある、それを四度目で成立を図ろうというのには深い訳と狙いが隠されている、メディアやあらゆる多様な意見を持つ個人個人を潰してしまおうという企てである、戦中の陰険な監視社会の再来だ、

実に狡猾な政権勢力である、法案には安心できる要素は何もない、たとえうまく説明し言い逃れても法律は成立すれば何とでも解釈活用される、対象集団を犯罪集団か否か決めるのは警察官である、一度睨まれたら容易には嫌疑は晴れないだろう、法律が決まってからでは遅い、皆よくよく注意しなければならない

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他人との会話時間が1日20分弱とは情けない

2017-04-25 19:09:50 | 雑感

TBSラジオで久米宏の土曜日番組があるが、「一体どれだけ他人と会話しているか」というテーマであった、独居で家で仕事をしている人などは外出もなく他人の訪問もないと何もしゃべらずに一日が終わるといった話もあった、それが高じると独り言が多くなったり、しゃべり方を忘れるんではないか、いざ人と会ったときに声がちゃんと出ないのではないかとか、恐ろしくなる人もいた

そこで自分はどうだろうかと思って考えてみた、かあちゃんと話すのは除外して第三者との会話をした時間を一か月単位で計算してみた、毎週決まった集まりというものや、月に一日だけというのを会話時間に絞って集計したらなんと全部で10時間ぐらいしかない、30日で割って1日当たりでは20分ぐらいだ、これには呆れたし驚いた、こんなに少ないのかと・・・

退職してから隠居生活だから家にいることが多い、外出しても映画だったり、美術館だったり、余り会話の機会に恵まれていないなあと痛感した、会話が少なくなるとボケて認知症になってゆく、努めて会話チャンスを開拓する必要がある、だが安易にAIのアンドロイドなどの助けを求めることはやめたい

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共謀罪は警察の権力乱用を招きかねない

2017-04-20 20:12:33 | 社会診断

共謀罪は、通過すれば警察の権力乱用を招く恐れが大である、テロ防止の国際条約に調印するだけなら現行の法律のみで十分OKと言われている、なぜそれを詰めないのか、法律の文言は独り歩きし行政側の勝手な解釈で如何様にも拡大して援用される、オリンピックをするために国民の内心の自由を奪うようであればいっそオリンピックは悪であると言われても仕方ない、天秤で量ったらどちらが貴重なものか火を見るより明らかではないか

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太りだしたら注意、ふと思ったこと

2017-04-19 21:33:26 | 雑感

豚は太らせてから料理するのが常套だ、豚自身はますます醜く太ってきた自分に気づかない、これを哀れという、昔の人は良いことを言ったものだと思う、ところで誰が虎視眈々と機会を狙って料理するのか、

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北へ帰って行ったヒヨドリ

2017-04-17 20:09:59 | 日記

冬の渡り鳥たちが北へあるいは山へと帰って行った、昨日までは囀っていたのが今日は姿も鳴き声もない、以前ブログに書いたが庭の木の枝にあるときは柿、あるときはリンゴ、そして好物だったのがバナナ、毎日木の枝に刺してやった、

メジロやヒヨドリが啄みに来た、ヒヨドリはそのうちに枝に止まって餌が出るのを待っているようになった、何羽のヒヨドリがそうしたかは分からない、だが犬のように枝にお座りして待っていてくれるのだから実に可愛くなった、なにやら情が通じ合うような気がした、

一羽が食べ終わるとピーと鳴いて飛び去る、するとしばらくして他の一羽が飛んできて残った餌を啄む、それが急に来なくなった、それで北へ帰って行ったなと思った、また秋になったら覚えていて飛んでくるのを楽しみにしている

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いつの間にか実質的に戦前回帰、安倍政権を支持する先に待っているものは

2017-04-11 13:23:31 | 社会診断

北朝鮮危機はかつてのキューバ危機に匹敵するかも知れない、そんなときに日本の国会では自民・公明の与党による強引な政策運営が行われている、また懸案(森友・籠池問題など)や失言・放言などが六に議論もされずに放免されたままだ、与党の圧倒的多数による傲慢な政治が気になる、


現在の日本は実質的にまるで戦前の窒息社会に回帰したような状態にいつの間にかなっている、まずNHK会長を政権追随派の人物にした人事(今は違うかも)、経団連からの安倍政権へ政治献金復活、BPO(放送倫理・番組向上機構)に対する規制のような雰囲気作り、マイナンバー制度導入による国民個人の情報管理、

さらに使用済み核燃料の最終処理案もない司法を抱き込んだ原発再稼働強行、捻じ曲げた憲法解釈で安保法強行採決、それによる自衛隊の集団的自衛権や駆けつけ警護、武器輸出・輸送や弾薬提供解禁、防衛装備庁設置、など防衛力強化、

高市総務大臣「電波停止」発言、教育基本法に教育勅語問題なし扱い、共謀法(テロ等防止罪)案成立化を急ぐ、などなど・・・こんなにも我々の周囲は何重にも不気味な戦前的身動きできない縄で縛られている、それも国会では大した議論も時間もなく強行制採決的に済まされてきた、行き着くところは憲法改正である、9条をなくそうというのか、


更に言えば特養など介護施設へは要介護度3以上でなけれは入れない、要介護度2以下や要支援などの身体が不自由な人たちは家に閉じ込められ家族によって介護させられる、

医療も同じだ、病院のベット数は10%削減で軽度の病人は家で養生せよとのことだ、これも家族の負担が増すものだ、また病気にかかったら自分判断で薬屋で薬を調達せよという、

家族が家庭の基本と考える考えは戦前のもので教育勅語の中にも出てくる、家を核とする社会の再構築が安倍政権の政治の裏にあるのである、個人を重視・尊重する平和憲法の精神が犯されてきている、それはもう随分と浸透している、家族や家庭を大事にすることに異存はない、だがそれが個人よりも優先して強制されるとき、気が付いた時には犠牲になる多くの弱者が街に溢れだしているということになってしまう、

最近でも殺人事件の多くの割合が家族内で起きているといういう分析結果が出た(老々介護の果て、介護疲れ・・・)、これでもこの政権を支持していいのだろうか

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