夏目漱石「吾輩は猫である」の朝日新聞連載が終わった、漱石の博学ぶりが余すところなく発揮された作品、毎回の難語解説るが役立った、随所に漱石の未来を見る目が感じられる、独特の観点から権力におもねることなく自由自在な発想の展開を試みる、時として執拗と思われるほどに一つのテーマに集中して議論を続ける、読む方がくたびれる程だ、
猫が漱石か漱石が猫なのか、混沌としてくる、以前にも書いたが漱石が将来は死と言えば自殺しかなくなる、という下りがある、これは当たっている、人は死のうにも死ねない生きる辛さ、言わば生き地獄のような状態が当たり前の時代が来る、というのだ、その時には何とかして工夫を凝らして自殺するしかない、
そして漱石は猫にビールを飲む誘惑を与え酔っぱらわせ水甕に落ち、最初は生きようともがくが「もうよそう、勝手にするがいい」と生への足搔きを捨て諦め安穏のうちに死なせた、まるで漱石が酒に酔って死んで逝ったかのごとくだ、
人生は所詮このように生きる意味や死の意味を探求し続ける足掻きであり、にもかかわらず死は唐突にやってくる、だから常日頃のこころの安穏・平安こそ最後の辿り着くところといった悟りなのか、漱石に感謝
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます