(童話)万華響の日々

いつもご訪問ありがとうございます、ブログ開始から大分心境も変わってきました

読書「KAGEROU」齋藤智裕の印象

2011-02-07 17:15:11 | 読書

                  

読書「KAGEROU」齋藤智裕 ポプラ社2010年


  話題の100万部を売ったというポプラ社の受賞作ということで読んでみた。
  デパートの屋上から自殺しようとしたヤスオはすんでのところで、謎の男キョウヤに助けられる。彼は闇の臓器移植の仲介業者であった。ヤスオは臓器移植の売買契約をさせられ、社会的には疑われない死因によって命を絶たれ、その臓器は幾人かの移植を待つ人に提供(売られる)されることになった。

 そして安楽死が実行され、まず心臓が若い女性アカネに移植された。しかし、他の臓器が取り出されるまえに手術ミスによってヤスオは意識を戻すのである。

 結論からいうと、キョウヤなる人物は結局のところヤスオの脳を移植され、ヤスオはキョウヤの体を借りて生き続けることとなったのではないか。多くの臓器移植を待ち望む人々にヤスオの臓器が提供されたのかどうかは定かではない。
 フランケンシュタイン的な人造人間の生き方をテーマとしたこの作品はSFとしてみた方が良さそうである。整形医療の行く末は体の多くの部分が臓器移植によって継ぎ接ぎだらけになった人間の姿を予測しているようだ。

 レシピエント(臓器移植希望者)は日夜移植を待ち望んでいる、それは言い換えるとドナー(臓器提供者)が死ぬのを待っていることにもなる。作者はこの二律背反の矛盾を指摘する。そのためには自殺希望者を狙うのが好都合だというのが本作品の主張である。ただし、近年多発増加する自殺者を思い留めさせるだけのメッセージを発してはいないのは非常に残念である。

 我が国の最近の臓器移植の法的判断は、脳死を人の死と見なしてこの段階で臓器移植手術に移るものである。事故や病気で死ぬ人に臓器提供を生前契約してもらうか、遺族の同意によっても可能としている。

 この難しい議論を本作は避けて、ただ、
自殺志願者を見つけだし、他者に迷惑を与えずきれいな死体を残して死ぬことがいかに大事かを説き、払われた大金が遺族へ渡されるのであり、おまけにその死体が数多くの臓器移植を待つ人のためになるという人助けの貢献を教唆し、その死が無駄でなかったと諭す。こんな商売が闇の組織としてならば、実在しそうな気もする。
 
 以上のように
本作品の主要なテーマである臓器移植を待つ人のために自殺志願者に綺麗な死体の確保を依頼し、一方で、それが自殺者の最後の他人への献身と説く思想は簡単には受け入れがたいが議論を呼ぶところであろう。
 なお
、自分の身体が他者の体の一部となって生き続けるということが、自分もまた生き続けると認識することは、生まれ変わり(輪廻転生)のワンパターンと捉えられなくもないが、本作品はそこまで主張する気はないようである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿