旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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酒の座の遊戯=サムイ・おとーり

2015-11-10 00:10:00 | ノンジャンル
 少なくとも5、6人はいて飲んだほうが酒はうまい。
 二人のさし向いそれも悪くはないが、どちらかというと5人はいたほうがいい。世間ばなしが交換できるのがいい。かつて少年のころ、親父たちが気心を知った人たちと車座になって、酒瓶を回して歓談しているさまを見てきたからだろう。
 興にのると親父たちは、遊戯を始める。
 座の中央寄りに(ふたり)が進み出て向い合って正座。その手にはお箸が3本握られている。
 「とぉいっ!=(用意は)よいかっ!」。
 座の中の年輩者の掛け声とともにふたりは、お箸を持った両手を後ろ腰のあたりに隠す。そして、相撲の立ち合いよろしくにらみ合い、気の乗ったところで、互いに声を発する。
 「いくちっ!いくちっ!いくちっ!ヤイッ!」。
 (幾つだ!幾つだ!幾つだ!)の声の後の(ヤイッ!)で、右手か左手に持ったお箸を目の前に出すと同時に(何本っ!)と数を言う。差し出すお箸は1本でも2本でも3本でも、あるいは持たなくてもいい。要するに双方が差し出したお箸の合計本数を言い当てた者を勝ちとするのである。先に3連勝した者は、座主からなみなみと注がれた祝杯を受けるという遊戯だ。そしてそれは組み合わせを替えて、延々となされる。真剣勝負の親父たちの大声は隣家にまで聞え、夜なぞ起き出して覗きにくる童もいるほどだった。わが家でそれがなされると、ボクは(親父の傍)という特等席で(見学)。「早く大人になってボクもやりたい!」と、切望したものだ。

 宮古島市の各地の酒座にも似たような(サムイ)と称する遊戯がある。
 サムイの場合、那覇とはちょっと異なり、お箸3本は初めから両者の前に置いて勝負はなされる。睨み合いのあと気合いを入れて片手を出す。ジャンケンの要領だ。その片手の指の数の合計を当てるというもの。そして勝つと目の前のお箸を1本取る。3本のお箸を先に取った者は(勝利の美酒)を喉にすることが出来るのだ。
 サムイは琉球王朝時代に中国から入ってきたもののようで、首里士族の酒座の余興として流行り、その後、庶民の間でもなされたものという説がある。必勝法はただひとつ。
 「相手の癖を読みとること」だそうな。

 また、宮古島には「おとーり」という酒座の作法がある。土地の言葉では「ウトゥーイ・ウトゥーズ」。起源は神事にあり御嶽・拝所でなされたが、いまでは個人の家や巷のお座敷、スナックなどでも頻繁に見られる光景である。簡単にいえば酒の回し飲みだが、本来は「神に捧げた貴重な御酒」を皆して、均等に飲むという(平等の精神)を強調した儀式だった。
 まず酒宴を司る(親・おや)が発声する。酒宴の趣旨説明を祝辞として述べた後、盃の酒を飲む。そして、その盃は次の者に渡される。指名を受けた者は、誇らしく祝辞を述べ、盃を干し、次へ回すという段取り。かつては(チブ・おちょこ)で成されたが、今ではコップ。酒は泡盛。筆者も2度3度経験しているが、要領を知らず飲み干していると、結構早めに酔いが回る。

「おとーりの作法」に詳しい「ぷらかすゆうの会=平和の世の会」の川満和彦氏はこう説明している。
 1.親はひと通り盃がまわると「つなぎます」と言い、2番手に仕切りを繫ぐ。口上は長くなってはいけない。3分程度がいい。
 2.回し方は親を中心に右回りと左回りがある。親の仕切りしだい。一般的には時計回り。
 3.グラスに注ぐ酒量は、最近は受ける人の意向を尊重している。かつて華やかなころは、親に負けじと量を増やすことを自慢していたが、最近は良心的になっている。
 4.酒の濃度は一般的に8~10度。市販されている泡盛の濃度は25~30度。43度などがある。などがある。‟おとーり専用”の8~10度の1升瓶を限定販売している。
 5.酒はほとんど泡盛だが、時にはビール、ウィスキーも用いる。しかし、それは「おとーりの伝統」に反する。おとーりは泡盛に限る。
 6.参加者全員におとーりが一巡すると、このごろは宮古空港を発着する飛行機に準えて1順目を「第1便」2順目を「第2便」3順目を「第3便」と称して宴席がお開きになるまで、‟おとーり”の盃は飛ぶ。中には居残り組がいて、それからは何便飛んだのか管制塔も司令不能になる。
 なお「ここが肝心なのだが」と断っては川満和彦氏は、
 「おとーりの親や子が口上を述べている間は、私語を慎み、静粛に聞くことを礼儀としている」と結んでいる。

 ‟白玉の歯に沁みとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり”
 歌人若山牧水は(静かに)を好んでいるがそれもよし。けれども年末は古馴染みや後輩たちとの‟サムイ”や‟おとーり”もいいのではないか。
 ここまで書いて、ふと部屋の一隅にある亡父の白黒写真に目をやると、真面目な顔が一瞬ほころんで、こう言っている。
 「お前もいっぱしの酒飲みになったな」。