旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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うちなぁ口を学ぶ・沖縄

2015-07-01 00:10:00 | ノンジャンル
 各地の自治体、あるいは個人の(方言教室・講座)が開かれて、小・中学生から6,70歳までが懸命に受講している。県もまた9月18日を「しまくとぅばの日」と条例で制定。連絡協議会も立ち上げて普及に努めている。
 けれども、なぜ(うちなぁ口・沖縄方言)が、希薄になったのだろうか。
 言うまでもない。
 明治12年4月4日。琉球国・琉球藩から日本国の1県となった折り「共通語を日常語とすべし」という国の教育方針に始まると言えるだろう。それは沖縄のみにとどまらず、他府県も同様であった。各地方にあった日常語では、全国一律の教育に都合がよくない。そこで共通語励行をせざるを得なかったのだが、長い歴史の中で十二分にコミニュケーションが取れていた地方語を即、共通語に移行するのは至難。なかなか共通語は徹底されずに時代は流れた。
 「胴なぁ達ぁ 島ぬ言葉失いねぇー 親失なたしとぉ同むんどぅなぁたぁシマぬクトゥバうしないねぇー うやうしなたしとぉ ゐぬむん」。
 つまり、自分たちの地方語を失ったら、親を失ったのと同じだ!として、共通語励行に抵抗した御仁も実際にいたという。その地方の文化は、その地方語が育んだからだろう。また一方には、地方人は地方の言葉で語ったときに真に自由であると言い切った学者もいる。
 事実、沖縄では戦前まで「学校では共通語、家庭ではうちなぁ口」という習慣が昭和20年の終戦まで続いたのがほとんどである。学校教師や公務員などは例外かも知れないが・・・・。
 本土からきたある医師。うちなぁ口を知らず、共通語で診察したために、「くぬ医者ぁ 何んでぃが言ちょおら分からん、我ぁ病ぇや ゆくん悪しくなとぉーん。くぬ医者ねぇー掛かんなよぉくぬイサぁ ぬーんでぃが いちょうら わからん。わぁヤンメーや ゆくんアシクなとぉーん。あぬイサねぇーかかんなよぉ」。
 (この医者の話は、何と言っているかわからない。この医者にはかかるな!診せるな!)の風評が立ち(本日休診)を余儀なくされたという珍事もあった。

 戦後70年の歳月は徐々に共通語を推進してきている。
 大和世に蒔かれた共通語は、アメリカ世になって加速的に普及した。政治、経済、教育などすべてが共通語でなければならなくなった。それはそれで大いによいわけで、うちなぁ口に固辞していては沖縄の今があったかどうか。が・・・・ここへきて「うちなぁ口を復活させよう」と、県民は真剣に考えてきている。沖縄文化を語るときに、共通語だけでは伝わらないからだ。大和世、アメリカ世の歴史の中から、このことを学習したのも確かである。
 さかのぼれば、大和世になった明治にも共通語講習はいち早く実施されている。沖縄で「うちなぁ口」を習得するのではなく「やまとぅ口」を学習した。「会話伝習所」がそれである。

 ◇会話伝習所。
 廃藩置県の翌年。明治13年〈1880〉2月。教員養成が急務とされて県庁内に設置された。しかしそれは同年6月に創設された沖縄県師範学校に吸収されている。これは沖縄だけでなく、師範学校の設置に先立って他府県にも伝習所、講習所、養成所の名称で教員速成機関が設けられた。ただ沖縄の場合「伝習所」の上に「会話」を被せたところに特色がある。当時、沖縄には共通語を自由に話せる人がほとんどなく、まずは「会話」の「伝習」から始めた。これまでの琉球時代は、一部の王府官人を除いては、まったく「大和口」教育は成されておらず、その上、地域語が多く、それを是正するために「会話」から付けなければならなかったのである。入所、入学者は旧来の学校所(がっこうじゅ)に在籍した優秀な若者。「全国一律の教育を実施するにあたり、まず教員養成をすることを目的」に、県学務部職員が教師を務めた。
 教科書は、急遽作成した「沖縄対話」と称する1冊。内容の1部を見てみよう。

 ◇貴方ハ東京ノ言葉ガ出来マスカ。
 ◆ナカナカヨクハ話セマセヌ。
 ◇誰ニ御習ヒナサレマシタ。
 ◆此頃、伝習所デ習フテオリマス。
 こうした会話文を沖縄方言と対比させての学習。
 就学期間は4ヵ月だったが、新制度の学校教育の第1歩機関としては特記すべきではなかろうか。

 これはいま、沖縄語を共通語に訳して学習している。なにか妙な気持になるのだが・・・・100年前に失ったモノを復活させるには、やはり100年の、いや、それ以上の時が必要だろう。いまがその元年と言えよう。

 ◇大和口すしん 楽やあいびらん 御汝・我んしちょてぃ 暮らしぶさぬ
 〈やまとぅぐち すしん らくや あいびらん ウンジュ・ワンしちょてぃ くらしぶさぬ
 標準語励行の最中詠まれた琉歌である。
 歌意=いやはや、大和口を習って使うのも楽ではありません。これまでのように、方言で呼び合って暮らしたいものだ。
 世替わりは日常会話も替えてしまうということか。
 しかし、少なくなりつつあるが、沖縄各地の方言はいきいきとして生きて島びとの心を伝え交わしている。願わくば、いま少し復活させて沖縄を語りたい。伝えたい。