旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

生まれ年を祝う・13祝い

2014-03-09 22:58:00 | ノンジャンル
 「孫が13歳の生まれ年。内祝いをする。話のネタにおいで下さい」。
 その孫は男児。孫自身がデザインしたというイラスト入りの招待状を祖父にあたる友人に手渡しされた。彼もまた今年午年の生まれの73歳。断る理由は一切ない。むしろ、招待に感謝し言葉に甘えた。
 いわゆる「年日祝儀=トゥシビースージ」である。沖縄の人生祝儀のひとつ。
 この祝儀は生後満1年の「満産祝儀=マンサンスージ」に始まり、13歳~25歳~37歳と12年越しに行う。殊に男児の13祝いは、昔の観念だろうが「大人への出発」の意味を有して盛大に祝う。現代的には「7年後に迎え、立派な成人になるための予祝」と位置づけする向きもある。一方、女児の場合は、次の25歳には(他家に嫁いでいる)のが普通として、実家で成す最後の人生祝儀・儀式と捉え盛大だ。このところ13祝いは影をひそめていたが、ここへきて復活の兆しがこれまた顕著になってきた。

 午年が明けた1月12日。
 沖縄市越来小学校(ごえく)では、13祝いをPTAの企画で催した。同校では10年ぶりの開催。該当児童は47名。この日、児童はおめかしして会場体育館入り。父母の三線演奏やマジックショーなど祝いの余興に終始笑顔。各家庭から1品ずつ持ち寄った馳走にご満悦の態。「7年後、20歳には立派な大人になるために、いまから努力する」と、決意を披露する13歳もいたそうな。その後、13歳たちは父母に対して(感謝の手紙)を渡すプログラムも組まれていて、有意義な親子歓談のひとときだった。
 那覇市の泊小学校でも「13祝い」があった。

 13祝い。
 一方には厄祓いの信仰的思考もあったが、祝儀を成すことによって厄を外し、健やかな成長を願う儀式としての考え方が濃い。
 12年毎に回ってくる生まれ年。これは、成長とともに肉体的にも精神的にも「孵でぃー変わゐん=生まれかわる」という意味もあり、新たな出発の節目と捉えると、大いに行ってもよい儀式ではなかろうか。
 戦前までの13祝いの馳走は、祝事には欠かせない赤飯、豚肉を主に白蒲鉾、こんにゃく、シイタケなどを入れた濃い白味噌で作った汁ものイナムドゥチ。昆布とスンシー(筍)干瓢、赤蒲鉾の細目の切りなどをほどよく調和させたクーブイリチー(昆布炒め)などが出た。因みにイナムドゥチという料理名は、かつてはイノシシ肉を用いていたのが豚肉に替わったところから「猪もどき」が沖縄語のイナムドゥチになった。また、それの代わりに豚の腸を具にし、生姜を入れて食する汁もの「ナカミぬシームン=中味の吸い物」をつくることもある。
 ちょっと、琉球料理の本を参考にして、13祝いの古式馳走を記すると赤飯、イナムドゥチ、肉の煮つけ、蒲鉾、かすてら蒲鉾などを盛り付けたウージャラと称する大皿・昆布イリチー・サーターアンダギー(砂糖油揚げ菓子)シルアンダギー(白てんぷら)・帯結びにして揚げた煎餅風のマチカジ(巻松風)と称する菓子。それに米で作ったコーグァーシー(香菓子)の2椀5皿を整えた。が、いまではめったにお目にかかられず、シチュー・チキンのから揚げ・ハンバーグ等々がハバを利かせている。時代に沿って儀式料理も変遷するもののようだ。

 「13歳の年、あなたは何を希望していたか。何を考えていたか」。
 大正10年生で沖縄風俗史研究家崎間麗進氏は「早く20歳になって徴兵検査を受けて、立派な軍陰となり、お国のために滅私奉公したいと考えていた」という。
 「これが日本男子の本懐!。当時の男児皆がそう心底、生きる目標としていた」。
 昭和13年生の筆者の13歳は戦後の昭和25年寅年。料理上手だった親父が国から配給されるメリケン粉(小麦粉)で作るヒラヤーチー(フライパンで焼いた平焼き。沖縄クレープ)、米軍払い下げのチキン、トマト、クリーム、コーン等の缶詰スープ。クラッカー、パンなどで、近所の少年少女を招待して祝ってくれた。時代が時代だけに筆者の13祝いは近所の評判になったそうな。
 「食糧難の時!贅沢だ!」というそしりもあったことは後に知った。
 親父は集まった少年少女ひとりひとりに聞いた。
 「大きくなったら何になるか」。
 さすがに「軍人!」と答えたものはいなかった。
 「医者」
 「看護婦」
 これらには幼ながらも負傷兵、マラリア、栄養失調など悲惨な病人を目のあたりにしてきたからだろうか。
 「軍トラックのドライバー」
 「通訳」
 これは終戦直後の稼ぎ頭であることを少年少女たちは知っていたからだ。かく言うボクはどうだったのか。ボクには記憶がないが、
 「軍作業員」だったそうな。そして、
 「米軍基地から建築資材の戦果をあげて、台風に強い住居を建てる!」と、胸を張って言ったという。
 沖縄戦を(鉄の暴風)と表現しているが、終戦になっても自然の台風は変わることなく猛威をふるった。茅葺やテント屋根の仮設住宅に住んでいた我が一家はひと夏に2度3度は破壊された。その恐怖から逃れたい思いが「軍作業員」と言わしめたのだろう。なんと健気なボクだったことか。
 「戦果」とは、戦争における勝利の成果を指すが、沖縄では米軍基地から諸々の食料品、衣料品、建築資材等々を無断持ち出しすることをそう言った。これは沖縄だけで通じる戦後言葉のようだ。

 今年、13祝いをする少年少女に同じ問いかけをしたならば、どんな答えが返ってくるだろうか。
 (戦果)は立派な窃盗。かりそめにも「戦果あぎやー=戦果常習犯」とは言わせたくない。

 ※3月中旬の催事
 *第32回 東村つつじ祭り
  期間:3月1日(土)〜23日(日)
  場所:東村村民の森つつじ園

 *日本最南端 八重山の海びらき2014 in 西表島
   開催日:3月16日(日)
   場所:月ヶ浜(トゥドゥマリの浜)

 *第3回 シュガーライド久米島2014
  日時:3月16日 (日)
  場所:サイプレスリゾート久米島