暦も陰暦は、神無月に入った。「かんなづき・かみなづき」とも読む。陰暦10月の異称であることは言うまでもない。
沖縄ではこの月を「飽き果てぃ十月=あちはてぃ じゅうぐぁち」と称している。神様が小休止なさる月・神無し月と位置づけて、毎月ある万民共通の古来の行事が少ない。神を対象とした季節行事の日には、馳走を作って火の神や仏壇に供えて諸々の祈願をした後、供え物をウサンデー〈御下げの意〉をして、人びとは馳走にあずかる。しかし、10月には、これと言った行事がなく、馳走の機会がないため「飽き果てる」ほどのひと月を過ごさなければならない。このことを「飽ち果てぃ十月」と称したのである。
もちろん、まったく行事がないわけではなく、陰暦10月ミズノエに行われるタントゥイ、またはタニドゥルと言う八重山諸島の種子取祭。女性たちが山籠もりをしてなす宮古島の祖神祭ウヤガン。そして、これは全地域的な火災除けの祈願祭カママーイ〈竈回り〉などがあるにはある。常に神と向き合って生きてきた沖縄人には、祈願行事は怠ってはならない重要事であった。そこで願い事を叶えてもらうためには、季節の食材でこしらえた馳走を供えて祈願する一方、ウサンデーを食することを何よりの楽しみにしたのである。諸行事を丁重に執り行い、ウサンデーをいただくために、日々働いたと言っても過言ではなかろう。
陰暦お盆後の吉日を皮切りに8月15日の豊年祭、さらに9月にかけて演じられる芸能に「臼太鼓=ウスデーク・ウシデーク」がある。その期日は、それぞれの地域によって異なるが、豊年祈願と豊作感謝を趣旨としているのは共通している。臼太鼓は、女性だけでなされる奉納集団舞踊。集落の祭祀を司る老女の神人〈かみんちゅ〉を先頭、あるいは円陣を中心にして中年女性、若い女性と組み分けして、でんでん太鼓風の鼓〈チヂン〉を打ち鳴らし、こぞって五穀豊穣、琉球国の繁栄と安寧、青春賛美を内容とする歌を唄い円陣を描いて踊る。衣装にも地域差があり紺がすり、芭蕉布、紅型。そして、王府時代の女性の着衣のひとつ胴衣・下裳〈どぅじん・かかん〉を着用する地域もありさまざま。さらに赤や白、紫の長い鉢巻き背にたらして、ゆったりと踊るさまは荘厳、かつ神秘的。集落の守護神を祀った神アサギ前の演場・遊び庭〈あしび なぁ〉に、神が降りてきたような感すらある。
[糸満市与座のウスデーク]
ウスデーク・ウシデークの呼称は、薩摩及び日向の国〈宮崎県〉、肥後の国〈熊本県〉のそれに因んだとされる。宮崎や熊本など南九州では、豊作祈願や雨乞いの際、臼形の太鼓を胸下に固定して打ち踊る奉納芸能を「臼太鼓=うすだいこ」と称しているという。沖縄の場合は、五穀の精製具のひとつウーシ・臼をアージン・杵や手ごろの棒で叩き歌舞したことによる名称とする説と、石臼や木臼の上に火を焚き、その回りで円舞したことによる名称とも言われている。
踊りの所作もまた拝み手、こねり手、招き手、押し手、払い手、捧げ手などがあり、足運びも左へ右へ、ゆるやかになされ、とかく神と人との一体感がそこにはある。注目すべきは、これらの古式のウスデークの所作が王府時代に形式化されて、今日の琉球舞踊の母体になっていることを見逃してはならない。
しかし、昨今は娯楽が多様化して、各地のウスデーク演者が極端に少なくなっている。昔びとたちが演じた際、経験豊かな老女を先頭、また円陣の中央に座してもらい中年女性組の後ろに若い女性組を配したのは、「見聞して習得せよ」とする後継者育成の意図があったのではなかろうか。芸能にとどまらず、いかなる技も若い血を注入しなければ、消滅の道をたどることになる。
いま、活発化している老人会、婦人会活動の中で積極的に「ウスデーク継承」の取組がなされている。若い世代が関心を寄せつつあることは、ウスデークが消滅寸前で歯止めされたことになる。
[八重瀬町東風平世名城のウスデーク]
12月24日、25日までにはまだ間があるが繁華街やホテル施設などは、すっかりクリスマスモード。それも本来の宗教的意味合いからはだいぶ外れてはいるものの、数100年来の伝統行事には違いない。今日的クリスマスパーティーの100分の1ほどのエネルギーを、それぞれの地域の伝統行事に向けることができたならばひとつ、またひとつ消えかかっているそれらを蘇生、継承していくことが出来ると思うが、これは時代に逆行した単なる[思い入れ]だろうか。
「飽き果て十月」も和洋の行事も楽しみ、飽きずに過ごすと陰暦霜月になる。この月は、11日ごろ「トゥンジー」行事がある。トゥンジーとは冬至のこと。冬至は一年の中で昼間が最も短い日。したがって、翌日から夏至に向かって日脚が伸びることから、古くは暦の始まる日と考えられてきた。そのため沖縄では元旦同様、大切は日とされ「トゥンジー ジューシー=冬至雑炊」を作り、これまた火の神・仏壇に供えた後、ウサンデーして食する。長い太陽の季節に負けて低下した体力を活性させる行事だ。雑炊の字に当てたが和風の「おじや」ではなく豚肉、昆布、しいたけ、蒲鉾、人参等々を具にした「炊き込みご飯」と思えばいい。
そして師走。8日=ムーチー・鬼餅。24日=ウグァン ブトゥチー・年内に掛けた御願事を解く=などをこなせば、30日のトゥシぬユル=年の夜・大晦日を迎えて丑年を締める。因みに沖縄正月・陰暦元旦は陽暦も明けて2月14日にあたる。
すでに寅年の沖縄カレンダーが出回っている。その日々に記された「沖縄年中行事」を確認するだけで、オキナワン・スピリッツを感得できて結構楽しい。
沖縄ではこの月を「飽き果てぃ十月=あちはてぃ じゅうぐぁち」と称している。神様が小休止なさる月・神無し月と位置づけて、毎月ある万民共通の古来の行事が少ない。神を対象とした季節行事の日には、馳走を作って火の神や仏壇に供えて諸々の祈願をした後、供え物をウサンデー〈御下げの意〉をして、人びとは馳走にあずかる。しかし、10月には、これと言った行事がなく、馳走の機会がないため「飽き果てる」ほどのひと月を過ごさなければならない。このことを「飽ち果てぃ十月」と称したのである。
もちろん、まったく行事がないわけではなく、陰暦10月ミズノエに行われるタントゥイ、またはタニドゥルと言う八重山諸島の種子取祭。女性たちが山籠もりをしてなす宮古島の祖神祭ウヤガン。そして、これは全地域的な火災除けの祈願祭カママーイ〈竈回り〉などがあるにはある。常に神と向き合って生きてきた沖縄人には、祈願行事は怠ってはならない重要事であった。そこで願い事を叶えてもらうためには、季節の食材でこしらえた馳走を供えて祈願する一方、ウサンデーを食することを何よりの楽しみにしたのである。諸行事を丁重に執り行い、ウサンデーをいただくために、日々働いたと言っても過言ではなかろう。
陰暦お盆後の吉日を皮切りに8月15日の豊年祭、さらに9月にかけて演じられる芸能に「臼太鼓=ウスデーク・ウシデーク」がある。その期日は、それぞれの地域によって異なるが、豊年祈願と豊作感謝を趣旨としているのは共通している。臼太鼓は、女性だけでなされる奉納集団舞踊。集落の祭祀を司る老女の神人〈かみんちゅ〉を先頭、あるいは円陣を中心にして中年女性、若い女性と組み分けして、でんでん太鼓風の鼓〈チヂン〉を打ち鳴らし、こぞって五穀豊穣、琉球国の繁栄と安寧、青春賛美を内容とする歌を唄い円陣を描いて踊る。衣装にも地域差があり紺がすり、芭蕉布、紅型。そして、王府時代の女性の着衣のひとつ胴衣・下裳〈どぅじん・かかん〉を着用する地域もありさまざま。さらに赤や白、紫の長い鉢巻き背にたらして、ゆったりと踊るさまは荘厳、かつ神秘的。集落の守護神を祀った神アサギ前の演場・遊び庭〈あしび なぁ〉に、神が降りてきたような感すらある。
[糸満市与座のウスデーク]
ウスデーク・ウシデークの呼称は、薩摩及び日向の国〈宮崎県〉、肥後の国〈熊本県〉のそれに因んだとされる。宮崎や熊本など南九州では、豊作祈願や雨乞いの際、臼形の太鼓を胸下に固定して打ち踊る奉納芸能を「臼太鼓=うすだいこ」と称しているという。沖縄の場合は、五穀の精製具のひとつウーシ・臼をアージン・杵や手ごろの棒で叩き歌舞したことによる名称とする説と、石臼や木臼の上に火を焚き、その回りで円舞したことによる名称とも言われている。
踊りの所作もまた拝み手、こねり手、招き手、押し手、払い手、捧げ手などがあり、足運びも左へ右へ、ゆるやかになされ、とかく神と人との一体感がそこにはある。注目すべきは、これらの古式のウスデークの所作が王府時代に形式化されて、今日の琉球舞踊の母体になっていることを見逃してはならない。
しかし、昨今は娯楽が多様化して、各地のウスデーク演者が極端に少なくなっている。昔びとたちが演じた際、経験豊かな老女を先頭、また円陣の中央に座してもらい中年女性組の後ろに若い女性組を配したのは、「見聞して習得せよ」とする後継者育成の意図があったのではなかろうか。芸能にとどまらず、いかなる技も若い血を注入しなければ、消滅の道をたどることになる。
いま、活発化している老人会、婦人会活動の中で積極的に「ウスデーク継承」の取組がなされている。若い世代が関心を寄せつつあることは、ウスデークが消滅寸前で歯止めされたことになる。
[八重瀬町東風平世名城のウスデーク]
12月24日、25日までにはまだ間があるが繁華街やホテル施設などは、すっかりクリスマスモード。それも本来の宗教的意味合いからはだいぶ外れてはいるものの、数100年来の伝統行事には違いない。今日的クリスマスパーティーの100分の1ほどのエネルギーを、それぞれの地域の伝統行事に向けることができたならばひとつ、またひとつ消えかかっているそれらを蘇生、継承していくことが出来ると思うが、これは時代に逆行した単なる[思い入れ]だろうか。
「飽き果て十月」も和洋の行事も楽しみ、飽きずに過ごすと陰暦霜月になる。この月は、11日ごろ「トゥンジー」行事がある。トゥンジーとは冬至のこと。冬至は一年の中で昼間が最も短い日。したがって、翌日から夏至に向かって日脚が伸びることから、古くは暦の始まる日と考えられてきた。そのため沖縄では元旦同様、大切は日とされ「トゥンジー ジューシー=冬至雑炊」を作り、これまた火の神・仏壇に供えた後、ウサンデーして食する。長い太陽の季節に負けて低下した体力を活性させる行事だ。雑炊の字に当てたが和風の「おじや」ではなく豚肉、昆布、しいたけ、蒲鉾、人参等々を具にした「炊き込みご飯」と思えばいい。
そして師走。8日=ムーチー・鬼餅。24日=ウグァン ブトゥチー・年内に掛けた御願事を解く=などをこなせば、30日のトゥシぬユル=年の夜・大晦日を迎えて丑年を締める。因みに沖縄正月・陰暦元旦は陽暦も明けて2月14日にあたる。
すでに寅年の沖縄カレンダーが出回っている。その日々に記された「沖縄年中行事」を確認するだけで、オキナワン・スピリッツを感得できて結構楽しい。