★連載NO.309
「息子がニービチ<結婚>をした。すぐにンマガ<孫>が抱けると期待していたのに、4年経ってもシルシがない。しかし、息子夫婦は仕事の都合もあって、沖縄市泡瀬のビジュルの近くに新築移転したとたん、嫁は懐妊。初孫を抱くことができた。ビジュル神は実に(まささ あみしぇーん)。霊験あらたかだ」
初老のKさんは、真顔で話しビジュルに長々と合掌した。
ビジュル信仰は各地にあって、確認されているだけでも120個体は下らないとされている。大きさもさまざまで15センチほどのものから、1メートルくらいの自然石を信仰する習俗があるのだ。
由来。
昔々その昔。集落近くの海浜に人形<ひとがた>の石が漂流した。
「石が波に浮き、海を渡って来るとはッ。しかも人形をしている。これは、この島にミルク世<弥勒世。平和な世>をもたらす御神加那志の使者に違いない」
と、丁重に拾い上げて集落のそれなりの所に祀ったのが始まり。
ビジュルの由来ばなしは、所によって多少、内容を異にしているが、大抵は(漂着)で共通している。海の彼方にあって、この島に果報・幸福をもたらす理想郷ニライ・カナイ信仰とも結びついているようだ。土の上から出現したとする伝承も1部にはある。
五穀豊穣。子孫繁栄。航海安全。天災回避。雨乞い。夫婦円満。家内安全。商売繁盛。良縁成就。最近では、学力向上などなどなど。これだけ叶えて下さるビジュルは、やはり参拝せざるをえまい。丁寧な地域では、祠を建てて安置しているが終戦この方、区画整理や宅地造成などによって、かつての集落形態も変貌。いまは、集落はずれの雑木林にポツンと残されたビジュルもある。「ビジュル」のほかに、古語としてのビンジルはじめ、ビンジリ、ビジリ、ビンジュル、ビジュンとも呼称されている。
ビジュル例祭は陰暦9月9日<今年は10月18日>。奄美大島・竜郷町や徳之島天城町のジンズルガナシ例祭も日を同じくしている。
沖縄市泡瀬の場合、この日、区域の長老、有志がビジュル前に集合。この1年の加護による無病息災、平穏無事を感謝し、これからの1年のそれを祈願する。年末ではなく、この時期を区切りとしているのは、豊かなる収穫を報告するためによるものと考えられている。泡瀬区では、本尊前での神事・儀式を行った後、区内6カ所の御嶽<うたき。拝所>を巡礼。ビジュル前に戻って舞踊や民俗芸能が奉納されて賑わう。かつては、年内に子を授かった夫婦、家族が「ビジュルメー=ビジュル詣で」をしていたが、最近はそれらに関わらず、老若男女が馳走を持参して参拝。ビジュル前庭に筵やシートを敷いて歓談。陽射しがやわらかくなった秋の日を楽しむようになっている。
初孫をみたKさんの話に戻る。
「ワシが聞いた泡瀬ビジュルの由来はこうだ。昔、高原<たかはら>なる村の男が浜辺の木陰で休憩していると、波打ち際に何やら流れ着いているのを見つけた。人形<ひとがた>の石である。神秘なそれを感じて村に持ち帰り祀った。それから、しばらく時がたってのある日、盲目の老婆が霊石ビジュルの目と思われる部分をなでて(モノが見えるようにして下さい)と嘆願すると、その日のうちに見えるようになった。また、足の悪い男が(普通に歩けるように)と祈ると、これも帰路につくころには完治。元通り働くことができた。さらにまた、子宝にさずかれないミートゥンダ<夫婦>は、(シブイ=冬瓜=のようにまるまるとした子を授けて下さい)と懇願すると、その通り元気な男児を産んだ。はたまた、20歳になってもニービチ<結婚>話のない娘は(容姿は問いません。働き者の男に出会えますように)と、手を合わせた。これも、時を置かず叶った。ほんとうに、いいことづくめだよビジュルさまはッ」
Kさんは、自分が見届けてきたかのようにひとつひとつ熱っぽく語った。
「トゥジ<刀自。妻>と、うまく別れられるようにと願掛けしたWUTU<夫>はいないか」
ふと、日ごろ胸中に芽生えては消える感情をKさんに投げかけてみた。
「ビジュル神は、そのような不遜な事柄には無関心。仮に願い出たとしてもそれは却下されるだろう。でも、ビジュル神は罰は与えないよ。離婚なぞは、夫婦の問題。離婚を考えるようでは、男も女も埒<らち>のあかない人生を歩むことになる」
グサッと胸に刺さる返事が返ってきた。ビジュル神はあくまでも前向きな人間のための<神>なのだ。
心洗われて、悟りのようなものを感じた私は、何を祈るともなく心を空にして合掌していた。信じるものは救われる。
中城安里
次号は2007年10月18日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
「息子がニービチ<結婚>をした。すぐにンマガ<孫>が抱けると期待していたのに、4年経ってもシルシがない。しかし、息子夫婦は仕事の都合もあって、沖縄市泡瀬のビジュルの近くに新築移転したとたん、嫁は懐妊。初孫を抱くことができた。ビジュル神は実に(まささ あみしぇーん)。霊験あらたかだ」
初老のKさんは、真顔で話しビジュルに長々と合掌した。
ビジュル信仰は各地にあって、確認されているだけでも120個体は下らないとされている。大きさもさまざまで15センチほどのものから、1メートルくらいの自然石を信仰する習俗があるのだ。
由来。
昔々その昔。集落近くの海浜に人形<ひとがた>の石が漂流した。
「石が波に浮き、海を渡って来るとはッ。しかも人形をしている。これは、この島にミルク世<弥勒世。平和な世>をもたらす御神加那志の使者に違いない」
と、丁重に拾い上げて集落のそれなりの所に祀ったのが始まり。
ビジュルの由来ばなしは、所によって多少、内容を異にしているが、大抵は(漂着)で共通している。海の彼方にあって、この島に果報・幸福をもたらす理想郷ニライ・カナイ信仰とも結びついているようだ。土の上から出現したとする伝承も1部にはある。
五穀豊穣。子孫繁栄。航海安全。天災回避。雨乞い。夫婦円満。家内安全。商売繁盛。良縁成就。最近では、学力向上などなどなど。これだけ叶えて下さるビジュルは、やはり参拝せざるをえまい。丁寧な地域では、祠を建てて安置しているが終戦この方、区画整理や宅地造成などによって、かつての集落形態も変貌。いまは、集落はずれの雑木林にポツンと残されたビジュルもある。「ビジュル」のほかに、古語としてのビンジルはじめ、ビンジリ、ビジリ、ビンジュル、ビジュンとも呼称されている。
ビジュル例祭は陰暦9月9日<今年は10月18日>。奄美大島・竜郷町や徳之島天城町のジンズルガナシ例祭も日を同じくしている。
沖縄市泡瀬の場合、この日、区域の長老、有志がビジュル前に集合。この1年の加護による無病息災、平穏無事を感謝し、これからの1年のそれを祈願する。年末ではなく、この時期を区切りとしているのは、豊かなる収穫を報告するためによるものと考えられている。泡瀬区では、本尊前での神事・儀式を行った後、区内6カ所の御嶽<うたき。拝所>を巡礼。ビジュル前に戻って舞踊や民俗芸能が奉納されて賑わう。かつては、年内に子を授かった夫婦、家族が「ビジュルメー=ビジュル詣で」をしていたが、最近はそれらに関わらず、老若男女が馳走を持参して参拝。ビジュル前庭に筵やシートを敷いて歓談。陽射しがやわらかくなった秋の日を楽しむようになっている。
初孫をみたKさんの話に戻る。
「ワシが聞いた泡瀬ビジュルの由来はこうだ。昔、高原<たかはら>なる村の男が浜辺の木陰で休憩していると、波打ち際に何やら流れ着いているのを見つけた。人形<ひとがた>の石である。神秘なそれを感じて村に持ち帰り祀った。それから、しばらく時がたってのある日、盲目の老婆が霊石ビジュルの目と思われる部分をなでて(モノが見えるようにして下さい)と嘆願すると、その日のうちに見えるようになった。また、足の悪い男が(普通に歩けるように)と祈ると、これも帰路につくころには完治。元通り働くことができた。さらにまた、子宝にさずかれないミートゥンダ<夫婦>は、(シブイ=冬瓜=のようにまるまるとした子を授けて下さい)と懇願すると、その通り元気な男児を産んだ。はたまた、20歳になってもニービチ<結婚>話のない娘は(容姿は問いません。働き者の男に出会えますように)と、手を合わせた。これも、時を置かず叶った。ほんとうに、いいことづくめだよビジュルさまはッ」
Kさんは、自分が見届けてきたかのようにひとつひとつ熱っぽく語った。
「トゥジ<刀自。妻>と、うまく別れられるようにと願掛けしたWUTU<夫>はいないか」
ふと、日ごろ胸中に芽生えては消える感情をKさんに投げかけてみた。
「ビジュル神は、そのような不遜な事柄には無関心。仮に願い出たとしてもそれは却下されるだろう。でも、ビジュル神は罰は与えないよ。離婚なぞは、夫婦の問題。離婚を考えるようでは、男も女も埒<らち>のあかない人生を歩むことになる」
グサッと胸に刺さる返事が返ってきた。ビジュル神はあくまでも前向きな人間のための<神>なのだ。
心洗われて、悟りのようなものを感じた私は、何を祈るともなく心を空にして合掌していた。信じるものは救われる。
中城安里
次号は2007年10月18日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com