旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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敷地内禁煙

2019-07-10 00:10:00 | ノンジャンル
 「禁煙になりました。上からのお達しですから仕方ありません」
 いつものように××文化館に着いて館内に入る前に(一服)と、煙草を取り出したとたん、守衛さんに注意を受けた。
 「そうかそうか」。
 せっかく口にくわえかけていた1本を生唾を飲んでから、もとに戻した。(困ったもんだ)と、煙草の代わりに深いため息を吐いたボクに、守衛さんは言った。
 「携帯用の灰受けが出回っているようですから、それを活用し、当館に入る前に一服してから入館ください。ボクは仕事を失っては飯が喰えませんから禁煙しました」。
 守衛さんは申し訳なさそうに言い、ボクに合わせるように、深いため息をついた。

 かつては煙草のことを{縁づけ草}と称し、琉歌にも堂々と詠まれてきた。

 ♪煙草吹き姉小 ケンス吹ち何すが うりからどぅ縁ぬん 近くなゆる
 《たばくふき アンぐぁ ケンスふち ぬすが うりからどぅ ゐぬん ちかく なゆる

 この句は(分句)になっている。野良仕事の合間、ひと休みしている木陰などでフージョー(刻み煙草と煙管がセットになった煙草入れ)を出して火を点けた折り、男は傍にいる女童に誘いをかけた。
 「ねぇーちゃん。お前も一服どうだ」
 「あらまあ。そんなケンス(煙草の煙)を吸って何になるの?」
 男はすかさず言う。
 「同じ煙管から煙草を吸い合うことで二人の縁も近くなるのだよ」。
 いわば煙草は(恋の駆け引き)の小道具にもなった。また、煙草をたしなむことが、男も女も(成人)の証でもあったのだ。

 こうして煙草の導きで恋仲になると(寝ては夢 起きては現 幻の)で、何時でも(逢いたいっ)を常とする。いわく。

 ♪一人淋さびとぅ 煙草取てぃ吹きば 煙までぃ無蔵が 姿なとてぃ
 《ふぃちゅゐ ささびさびとぅ たばくとてぃ ふきば きぶしまでぃ ンゾが しがた なとてぃ

 就寝前、床についたことだが、彼女のことが思われて淋しくてならない。そこで気を紛らわすために枕元の煙草盆を引き寄せて一服する。すると彼女のことが、しばらくは忘れられると思ったのだが、吐く煙もしなやかな彼女の姿を描いて、切なさがつのるばかり・・・・。

 ボクが携帯するよれよれのカバンには眼鏡、手帳、読みかけの本、2、3の資料。それに(これだけは常備する)煙草が2個入っている。いやいや、1日に2個も吸っているのではない。予備である。あくまでも・・・・。それをしない、予備を持たないと下着のゴムがゆるんだようで、落ち着かないのである。
 周囲の者は「60年も吸ってきたのだから、もういい加減、やめたら」と、ボクの健康を気遣ってくれるのだが「60年も付き合ってきたモノをいまさら袖にするわけにはいくまい。そんな薄情はボクにはできないっ」と正論を吐く。義理堅いのか、へそ曲がり・あまのじゃくなのか・・・・。
 話を琉歌に戻そう。

 ♪宵ん暁ん 煙管咥てぃハメ小 立たん日や無さみ 鼻ぬ煙
 《ゆゐんあかちちん チシリくうてぃ ハメぐぁ たたんひや ねさみ チムリ

 これには元歌がある。組踊「花売りの縁」に主人公森川の子(むりかわぬしー)が、首里を離れて遠く大宜味間切り塩屋に隠遁し、「塩づくり」をして暮らしている孤独感を詠んだ。
 
 ♪宵ん暁ん馴りし面影ぬ 立たん日や無さん 塩屋の煙
 《ゆゐんあかちちん なりし うむかじぬ たたんひや ねさみ スヤぬチムリ

 をもじっている。
 *ハーメー=老婆。ここでは老妻。無理して漢字をあてれば(母前)。ついでに老爺は「ウスメー=御主前」。
 煙草好きの老妻の様子を見て老夫が言った。
 『うちの婆さんときたら、昼となく夜となく煙管を咥えている。婆さんの鼻からはよどみなく煙が立ち上がっている。まるで組踊の(塩屋の場面)のようだ。
 単なる狂歌のようにも思えるが、交わす口数は少なくても、長年連れ添ってきた二人暮らしの老夫婦の日常が詠み込まれているようには察し得ないか。己自身が老境に入ったせいか、詠み人の心境がよく理解できる。
 さてさて。
 「世界禁煙デー」も制定されて、喫煙者にとっては、いよいよ住みにくい世の中になった。それはそれとしてよいのだが・・・・。未だ「喫煙者の残党」でいるボクはどうすれば生き残れるか。
 ‟蟲取れば煙草の花のこぼれけり”思浪。