旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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4月・世替わりの月

2018-04-10 00:10:00 | ノンジャンル
 4月は世替わりの月だ。
 *1日=米軍、沖縄本島上陸(1945年)。琉球政府成立。
 *2日=読谷村チビチリガマで住民、日本兵の集団自決(1945年)。
 *3日=遠洋航海の琉球漁船、日章旗掲揚ができないため、不審船として狙撃され死傷者。「球陽丸事件」(1962年)。
 *4日=明治政府。琉球藩を廃して、沖縄県とする(1879年)。
 *7日=「ひめゆりの塔」除幕(1946年)。
 *9日=日本軍司令部、軍人軍属に沖縄方言使用禁止を命令(1945年)。
 *瀬長亀次郎人民党書記長、刑務所出所歓迎に1万人参加(1956年)。
 *12日=中国武装漁船団100隻が尖閣諸島で操業(1978年)。
 *日米間で普天間基地全面返還合意(1996年)。
 *15日=通貨切替。旧日本円から軍票B円へ(1946年)。
 *18日=米従軍記者アーニー・パイル、伊江島で戦死(1945年)。
 *20日=最後の琉球切手発行(1972年)。
 *22日=最高裁が渡嘉敷島の集団自決に日本軍関与を認めた判決(2011年)。
 *23日=沖縄市市長に東門美津子当選。沖縄初の女性首長誕生(2006年)。
 *第44回全国植樹祭開催。天皇初来沖(1993年)。
 *28日=サンフランシスコ講和条約発効。本土は独立。沖縄・奄美は米国統治下に(1952年)。
 *祖国復帰協議会結成(1960年)。
 *米民政府、祝祭日に限り、学校での日の丸掲揚を許可(1953年)。

 列記しているうちに、敗戦の年6歳だった(あの日あの頃)がよみがえってきた。幼年だったからこそ戦禍を奇跡的に生き延びた親兄弟や運命を共にした人びとと共同体を組んで時勢を、いや、保護されて今日まで息災にしていると思うと、胸が詰まってくる。
 衣食住の「衣」は、世界の国のキリスト教団体から贈られてくる「救援物資」で間に合わせ「食」は、軍政府が管轄する配給所の配給と鉄条網の向こうにいる米軍兵士に(ギブミー)を連呼して入手するモノ。それに軍作業と称する基地労働者が基地内から戦果(無断持ち出し)の缶詰など主にした食料品で補い(住)は、捕虜地の旧家や民政府が建てた避難住宅・企画ハウスで雨露をしのいだ。
 少年の舌を驚かせたのは米製で種々の缶詰。それ欲しさに幾度、米軍基地の鉄条網にすがり(ギブミー)を叫んだことか・・・・・。

 缶詰と云えば(いきなり昨日今日の話になる)。久しぶりに(缶詰)に関するニュースに接し、感慨深いものを覚えた。いわく。
 県内で「カツオ缶詰」の輸入が急増している。沖縄地区税関によると、2017年の輸入量は前年比4.2倍の317トン、輸入額は5倍の2億3200万円と、いずれも過去最高を記録した。従来はほとんど本土経由で運ばれていたが、物流コスト軽減を目的に近年は海外からの直輸入が増えているという。
 県内ではマグロ缶とともに、チャンプルーの具材によく使われるカツオ缶。
 家計調査によると、2016年の1世帯あたりの魚介缶詰の支出額は、全国平均の2.3倍の4859円。長い間全国一を維持しており、同地区税関は「アメリカサイズされた食文化の影響」としている。輸入動向をみると、2013年から輸入量・金額とも増加し、2017年に急増。カツオ缶は今も多くが県外経由で運ばれており、消費量はさらに大きいとみられる。
 地区税関の調べでは、1部の業者が物流コストを低減するため、直輸入に切り替えているという。地区税関は「チャンプルーの具材としてカツオを含む魚介の缶詰は欠かせないため、今後も輸入は堅調に推移していく」とみている。

 「缶詰は終戦直後を経験した沖縄人にとって忘却できない食材」
 そう言い切る人もいる。それぞれが、それぞれの居住地で飢餓をしのいだ貴重品だったからだろう。「缶詰太り」という言葉が日常語になっていたのもそのころだ。食糧難の折りでも(戦果)による缶詰は不足することがない。毎食事、コンビーフ缶など、栄養満点のそれを食していると人間、哀しいかな(肥満)を余儀なくされるものらしい。
 そのことを証明した(数え唄)がある。
 捕虜収容地のひとつ、現うるま市石川に生まれた「石川小唄」がそれである。作者は歯科医師小那覇全孝(芸名舞天・ぶうてん)。
 「石川小唄」の1部にこうある。

 ♪痩せたお方は あんまりいない いないはずだよ缶詰太り 娘のクンダ(ふくらはぎ)は太る一方 鏡水大根素足で逃げるじゃないかいナ~

 鏡水は(カガンヂ)と云い、現那覇市小禄在・自衛隊那覇駐屯地内にあった集落。かつて大根の名産地。
 
 現在私は、缶詰はほとんど食さないが、たまさか口にしても「あのころの米製の種々缶詰の方が美味だったような気がする」と、つぶやいてしまう。
 戦争後遺症?に違いない。