春は野山に緑を敷きつめ、人里に明るい照明を点けて、今年の役目を終えて去って行き、入れ替わった夏は、4月半ばからエンジンをかけ始め、一気に走り出す構えを見せている。そのエンジン音を待っていたかのように、山籠もりをしていた野鳥たちも里に下りてきて合唱。誇らしく独唱する鶯もいる。
もうすぐやってくるゴールデンウイークに浮かれだした我々に、ちょっと意地悪を仕掛けたくなったのか、空は灰色と青色を繰り返している。その割合が灰色が多くなると、早くも梅雨入りということになる。これもまた、天の恵みとして受け止めなければならない。
二週間ほど前から、何時も通る古都首里の龍潭の湖上や那覇久茂地川に‟鯉のぼり”が泳いでいる。家並みを見ると、見るからに新しいそれが屋根や門口を彩っている。5月5日を待ちきれない新保育園児や新1年生のいる家庭なのだろう。
「お父さん。早く鯉のぼりを揚げようよっ!」
「ああ。よしよし」
子どもにせがまれて目を細めて作業に取り掛かる親子の会話が聞こえてくるようだ。
ボクは(ボクのための鯉のぼり)を知らない。
なにしろ、終戦の年の1年生。幼稚園さえ閉鎖された時期の少年には「鯉のぼり」の「こ」も泳がなかった。親たちは、その日の飢えをどう凌ぐか、その日の雨露をどう凌ぐかがすべてだったのだ。そのことはボクひとりだけではなく、沖縄の幼少、少年は等しくそうだったことを高学年になって知るのである。それでも少年たちは、大人の苦労を知るよしもなく明るかった。
渾名を付けあって(親しく)していたのもそのころだ。
當山英男クンは「はたけー」。
逃避行の折、艦砲の破片か爆風のせいで、前頭部に段々畑のような傷跡があった。それを(段々畑のようなカンパチ・禿げ)というので「はたけー」。昨今なら(いじめ)で社会問題になっている。けれども当の英男クンは「はたけー」と呼べば「ぬーが?なんだい?」と、気にもせず返事を返していた。少年期を共にした(はたけークン)。いまでも親しくしているが、その段々畑のカンパチはすっかり整地。拡張され立派な農耕地となり、社長業の貫禄を示している。
玉城清侑クン「アイゼンハワー」。
時折、校庭でなされる米軍政府の宣教映画(主にニュース映画)に出てくる極東司令長官アイゼンハワー元帥に、どこか似ていると誰かが言い出したことからその渾名が付いたものと思われる。その証拠に彼は「アイク・アイゼンハワー」の渾名を苦にしていなかった。むしろ、戦勝国の元帥似に小鼻をふくらませていたようなきらいがあった。それが日米戦争の仕掛人のひとり東条英機似だったらどうだろう?。エライ人に似ていればいいというものでもない。
古堅睦子さんは「あんむちゃー」。
睦子の「むつ」を餡餅の「あん」にし、それにerを付けただけのこと。そう渾名を付けた張本人平田弘一クンが自ら言うのだから間違いない。それにしても単純。その平田弘一クンの渾名は「ゴリラ」。当時の人気映画、ジョニー・ワイズミューラー主演「ターザン」に出てくるチンパンジーのチータならぬゴリラを彷彿する骨格、面体?だった。
島袋明子さんは「ちょっかくー」。
聡明で美少女だったが、極端な恥ずかしがり屋。学校ではそうでもないが、下校後、道で悪童どもを前方に見ると、右か左に(直角)に曲がり、来た道を引き返す警戒の仕様だった。
かく言うボクの渾名はというと「ガッパイ」これは仲間内で付いたものではなく、兄や年上の従兄たちが愛称したものらしいが、ボクには悪口にしか受け取れなかった。
「ガッパイ」とは、体の部位としては前頭部(前ガッパイ)、後頭部(後ガッパイ)を指す。メーガッパイ、クシガッパイが多少出ていると、またぞろerをつけて「ガッパヤー・後頭部・前頭部のサイズが大きめの人」に昇格する。ボクの場合、身内が愛称として付けた(ガッパイ)には甘んじられたが、それがどう漏れ広がったのか仲間内でそう渾名されるのには耐えられなかった。そのことをおふくろに訴えた。おふくろはボクの目をみながら言った。
「ガッパイのどこがいけないの。ワタシは、わざわざそう生んだのよ。他の子よりガッパイであることは、脳みそが多いということ。先生に教えてもらったことは、他の子より多く詰まるということ。自慢していいのよ」。
ガッパイコンプレックスが、スーッと引いた瞬間だった。
ガッパヤーと一等最初に言い出したはずの兄はこう言った。
「ガッパイが目立つのは、丸坊主の時だけ。大人になってメーガントゥー(前髪のこと。転じて長髪)にすると、ガッパイの方が形よいそれになる」。
高校3年の3学期。待望のメーガントゥーにしたことだが、兄の審美眼は正しく、二十歳過ぎには俳優山崎務とも言われた。いまは似ても似つかない面体の、ただの爺になったが・・・。
ハタケー英男。アンムチャー睦子。チョッカクー明子。アイゼンハワー清侑。ゴリラ弘一・・・。久しく逢っていないが息災にしているだろうか。ガッパイ直彦も日々好日を楽しんでいることを知らせてやらなければなるまい。
どうやら5月は幼年期、少年期を蘇らせてくれるようだ。鯉のぼりが(あの日)を連れてくるのだろう。
もうすぐやってくるゴールデンウイークに浮かれだした我々に、ちょっと意地悪を仕掛けたくなったのか、空は灰色と青色を繰り返している。その割合が灰色が多くなると、早くも梅雨入りということになる。これもまた、天の恵みとして受け止めなければならない。
二週間ほど前から、何時も通る古都首里の龍潭の湖上や那覇久茂地川に‟鯉のぼり”が泳いでいる。家並みを見ると、見るからに新しいそれが屋根や門口を彩っている。5月5日を待ちきれない新保育園児や新1年生のいる家庭なのだろう。
「お父さん。早く鯉のぼりを揚げようよっ!」
「ああ。よしよし」
子どもにせがまれて目を細めて作業に取り掛かる親子の会話が聞こえてくるようだ。
ボクは(ボクのための鯉のぼり)を知らない。
なにしろ、終戦の年の1年生。幼稚園さえ閉鎖された時期の少年には「鯉のぼり」の「こ」も泳がなかった。親たちは、その日の飢えをどう凌ぐか、その日の雨露をどう凌ぐかがすべてだったのだ。そのことはボクひとりだけではなく、沖縄の幼少、少年は等しくそうだったことを高学年になって知るのである。それでも少年たちは、大人の苦労を知るよしもなく明るかった。
渾名を付けあって(親しく)していたのもそのころだ。
當山英男クンは「はたけー」。
逃避行の折、艦砲の破片か爆風のせいで、前頭部に段々畑のような傷跡があった。それを(段々畑のようなカンパチ・禿げ)というので「はたけー」。昨今なら(いじめ)で社会問題になっている。けれども当の英男クンは「はたけー」と呼べば「ぬーが?なんだい?」と、気にもせず返事を返していた。少年期を共にした(はたけークン)。いまでも親しくしているが、その段々畑のカンパチはすっかり整地。拡張され立派な農耕地となり、社長業の貫禄を示している。
玉城清侑クン「アイゼンハワー」。
時折、校庭でなされる米軍政府の宣教映画(主にニュース映画)に出てくる極東司令長官アイゼンハワー元帥に、どこか似ていると誰かが言い出したことからその渾名が付いたものと思われる。その証拠に彼は「アイク・アイゼンハワー」の渾名を苦にしていなかった。むしろ、戦勝国の元帥似に小鼻をふくらませていたようなきらいがあった。それが日米戦争の仕掛人のひとり東条英機似だったらどうだろう?。エライ人に似ていればいいというものでもない。
古堅睦子さんは「あんむちゃー」。
睦子の「むつ」を餡餅の「あん」にし、それにerを付けただけのこと。そう渾名を付けた張本人平田弘一クンが自ら言うのだから間違いない。それにしても単純。その平田弘一クンの渾名は「ゴリラ」。当時の人気映画、ジョニー・ワイズミューラー主演「ターザン」に出てくるチンパンジーのチータならぬゴリラを彷彿する骨格、面体?だった。
島袋明子さんは「ちょっかくー」。
聡明で美少女だったが、極端な恥ずかしがり屋。学校ではそうでもないが、下校後、道で悪童どもを前方に見ると、右か左に(直角)に曲がり、来た道を引き返す警戒の仕様だった。
かく言うボクの渾名はというと「ガッパイ」これは仲間内で付いたものではなく、兄や年上の従兄たちが愛称したものらしいが、ボクには悪口にしか受け取れなかった。
「ガッパイ」とは、体の部位としては前頭部(前ガッパイ)、後頭部(後ガッパイ)を指す。メーガッパイ、クシガッパイが多少出ていると、またぞろerをつけて「ガッパヤー・後頭部・前頭部のサイズが大きめの人」に昇格する。ボクの場合、身内が愛称として付けた(ガッパイ)には甘んじられたが、それがどう漏れ広がったのか仲間内でそう渾名されるのには耐えられなかった。そのことをおふくろに訴えた。おふくろはボクの目をみながら言った。
「ガッパイのどこがいけないの。ワタシは、わざわざそう生んだのよ。他の子よりガッパイであることは、脳みそが多いということ。先生に教えてもらったことは、他の子より多く詰まるということ。自慢していいのよ」。
ガッパイコンプレックスが、スーッと引いた瞬間だった。
ガッパヤーと一等最初に言い出したはずの兄はこう言った。
「ガッパイが目立つのは、丸坊主の時だけ。大人になってメーガントゥー(前髪のこと。転じて長髪)にすると、ガッパイの方が形よいそれになる」。
高校3年の3学期。待望のメーガントゥーにしたことだが、兄の審美眼は正しく、二十歳過ぎには俳優山崎務とも言われた。いまは似ても似つかない面体の、ただの爺になったが・・・。
ハタケー英男。アンムチャー睦子。チョッカクー明子。アイゼンハワー清侑。ゴリラ弘一・・・。久しく逢っていないが息災にしているだろうか。ガッパイ直彦も日々好日を楽しんでいることを知らせてやらなければなるまい。
どうやら5月は幼年期、少年期を蘇らせてくれるようだ。鯉のぼりが(あの日)を連れてくるのだろう。