旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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師走=忘年会・クリスマス雑感

2013-12-09 22:22:00 | ノンジャンル
 巷にクリスマスソングが鳴り渡り、それに煽られたか、沖縄の風も北から吹き、年末の慌ただしさに拍車をかけている。別にこれといって成すこともない私まで気忙しくなるのはどうしてだろう。(世間の慌ただしさに反応できるのは、元気な証拠サ)と、妙な納得をしているのだが・・・・。

 ※忘年会。
 就職した年の12月下旬のある日、初めて忘年会参加の声が掛かった。場所は、当時の琉球新報社編集局長池宮城秀意氏の私邸。記者諸兄をはじめ、各部局の役職者。中には作家、画家など高名な芸術家も列席。20歳の青年には固苦しい宴会だったが、それも酒や馳走が払拭してくれて、したたか飲んだことが、いまでは懐かしい。二日酔いの朝、そのことを男親代わりの兄に話すと(無礼行為はしなかったか)と、念を押された後にひと言あった。
 「貴様も大人になったな」。嬉しかった。
 昭和30年代から40年、50年代までの忘年会会場は(料亭)が定番だったが、随所にホテルやホールが出来るにつれて、宴会は畳座から立食形式に移行していった。
 先輩の話を聞けば、戦前の忘年会はそれなりの人たちが、那覇の花街「辻=チージ」に集まり、綺麗どころをはべらせての歓談はもちろん、歌三線、踊りありで「それは賑やかだった」と回顧する。それは公人やその関係者の宴。庶民的は、暮れも差し迫った日、それぞれの稼業で使う道具類を磨き、手入れして、座敷や床の間に飾り、一家そろって酒肴を共にした。つまり、1年間の労働を慰労、それに感謝する催事だったそうな。忘年会は、この1年を忘れるのではなく、むしろ過ぎし日々を振り返って確認しあう行事。(自分の年齢を忘れる)(過去を忘却する)宴ではないようだ。
 私はもう忘年会をひとつこなした。年内にもうふたつほど声が掛かっている。仲間に入れてもらえるのは嬉しい。

 ※クリスマス。
 「西洋にはイエス・キリストさまという偉い方がいて、12月25日、世界中の子どもたちにキャンディーや絵本の贈り物をしてくれる」。
 昭和20年、小学校1年生の少年は、そうクリスマスなるものを先生からそう教わった。また、近くに急造の木造教会があったおかげで、クリスマスには早く馴染むことができた。教会が開く日曜学校にも、時折かよった。それも11月後半から12月25日までは欠かさず出かけ、神妙に讃美歌を歌い、牧師さんの説教を拝聴していた。おかげで讃美歌の5曲10曲は、いまでも口ずさむことができる。が・・・・説教内容はまるで覚えていない。12月24日、25日にもらえる(イエスさまからの贈り物)目当ての(アーメン!)だった。長じてもそうだった。厳粛な生誕祭であることを無視して(飲めや歌えや!)を繰り返してきたクリスマス。イエスさまは許して下さるだろうか。不遜をお詫びしてやまない。
 20年ほど前、ヨーロッパを旅した際、ガイドをしてくれたパリ大学留学の日本人学生が言っていた。
 「留学生にとって12月は寂しい。この時季、地元の学友たちは皆、夕食は各家庭で家族揃って摂る慣わしで外出を控える。教徒ではない日本人のボクは語る人がなく、ひっそりとアパートで夜を過ごすのですよ」。
 本来、クリスマスシーズンは家庭単位で過ごすものらしい。
 いまや巷には讃美歌どころか、ハイテンポにアレンジされた「ジングルベル」や「赤鼻のトナカイ」が流れ、パーティーを楽しむ若者たちはAKB48を歌いまくっている。日本のクリスマスはイエスさまを抜きにして賑わっているが、これも日本文化?なのだろう。
 
 沖縄の新聞に見るクリスマス裏話をしよう。
 *昭和22年。
 この年、日本本土で公休日を新しく制定した。これにならい琉球民政府では12月8日付で、有給休日として次の通り民間に指令した。
 *元旦=新暦の1月1日。
 *4月24日=琉球民政府創立記念日。
 *5月30日=戦死者慰霊祭。
 *7月4日=米国独立記念日。
 *旧暦7月15日、16日=旧盆。
 *12月25日=クリスマス。
 ◇ただし、4月24日は、民政府より給料を受けている者に限る。

 *復帰前後。
 クリスマスに異教徒の住民が浮かれ出すようになったのは昭和24、5年ごろから。沖縄一の歓楽街、那覇市牧志の「桜坂」は「酒徒の聖地」となり、昭和30年前後からは、トンガリ帽子を被った者たちが横行した。そのブームも47年の日本復帰の年まで。それ以降はクリスマス景気は衰退。不夜城・桜坂は衰退してしていった。

 *コザ暴動事件。
 昭和45年12月20日に起きた米軍と民間人が衝突したコザ暴動事件を受け、米軍はAサイン業者が密集しているコザ市内のゲート通りをオフ・リミッツ(米兵立入禁止)にした。例年ならクリスマス景気に沸いた基地の街は「電気代にもならない」と軒並みネオンが消え、不気味に静まりかえった。基地の街にとって「生活が破壊された」その年のクリスマスだった。

 かくて今年も忘年会、クリスマス。
 読者諸氏はどんなクリスマスをなさるのでしょうか。私はと言えば、孫の招待に応えて、オーダーのプレゼントを携えて行く。俄かサンタが分相応というところ。ともあれ、それぞれのクリスマス・・・・。

 ※12月中旬の催事。
 第15回いとまんピースフルイルミネーション(糸満市)
 開催日:12月16日(月)~2014年1月3日
 場所:糸満市観光農園