旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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さんしんの日・余話

2013-03-20 00:30:00 | ノンジャンル
RBCiラジオ主催・第21回「ゆかる日まさる日さんしんの日」は3月4日、読谷村立文化センター鳳ホールを主会場に県内はもちろん、県外各地、ボリビア、ブラジル、ハワイ、ロンドン、台湾など、大げさに言えば世界中を音色に染めて、三線文化を共有した。11時45分から9時間15分の生放送。そこには、さまざまな話題が飛び込み放送された。

 ※「刺身の日」
 宜野湾市真栄原の鮮魚店の前の期間限定・特性看板に大書された文字。「三月四日は・刺身の日」。サシミの「サ・シ」を「三・四」に掛けての語呂合わせ。売り上げは、どうだったのか。翌日問い合せてみると、経営者の上地英樹さんの返事はこうだった。「平日と変わりませんでしたね」。


 ※「結婚記念日」
 秋田県秋田市のS.Aさんと、沖縄県うるま市平良川のF.Uさんの結納の儀は3月3日、佐川家縁者も駆けつけて福原家で執り行われた。
 「翌日は(さんしんの日)。沖縄中が祝儀歌(かぢゃでぃ風節)を歌う。この機を逃すまい」と、3月4日に婚姻届を出した。毎年、世界中が結婚記念日を祝ってくれると、両人悦に入っている。(三線結婚)とでも名付けようか。幸多かれ!

 ※「くるちの杜100年プロジェクトin読谷」
 三線の棹は(くるち・黒檀=通称黒木)を主に造作される。しかし、その黒木は50年以上、7~80年経て切り出しても、さらに5~7年ほど乾燥させなければ、上質の棹にはならない。しかも昨今、県内産の黒木が激減。そこで読谷村が立ち上がった。
 「いま始めなければ、10年も50年もない。今年を元年として黒木を植樹。樹齢100年の黒木で三線を造って弾き歌おう!」。この壮大な夢を実現するためにスタートしたのが、石嶺傅實村長を初代実行委員長とする(くるちの杜100年プロジェクトin読谷)である。
 実行委員長を(初代)としたところに、100年後を見据えた意気込みがある。加えて、100年後の2103年は、琉球国・藩から沖縄県が成立し、読谷間切が読谷村を名乗って200年目にあたる。
 黒木は村内の苗畑で育てられ、移植可能になったところで、琉球歴史に名を残す読谷村の景勝地にして、名将護佐丸の居城だった座喜味城跡に移される。つまり、この城跡が(くるちの杜)になる。城跡には、2008年から同村文化協会によって300本近くの黒木がすでに植樹されているが、これが本格的に始動し、第1次は3400本を目指している。御察しの通り(3400本)にも「三・四=さんしん」へのこだわりがある。
 では、いかなる手段で実行するのか。
 まず、県内外から「くるち会員」を募る。入会費は、これまたこだわりの黒木1本代3400円。会員になると、実行委員会によって苗畑の黒木が会員のネームプレト付きで座喜味城跡「くるちの杜」に移植される。そして100年間、実行委員会及び有志や地域の人々によって管理、育成される。3400円には、その管理費が含まれている。また、同実行委員会には、ミュージシャン宮沢和史さんも名誉会長として名を連ねている。沖縄をテーマにしてヒットした「島唄」を出してから今年20年にあたることからの就任。
 筆者も会員登録した。100年後、己の所有の黒木で三線を打ち、第121回「ゆかる日まさる日さんしんの日」に(かぢゃでぃ風節)を弾き歌う心算でいるからである。
 まさに「百年の計」。文化の継承とは、保存育成することはもちろん重要だが、未来を見据えていま行動を起こすことも成さねばならない。
 「さんしんの日」を仕終えた夜、夢を見た。曾孫の曾孫たちが見居る前で得意気に(かぢゃでぃ風節)を自前の三線を弾いている自分がいた。

※お知らせ ばん塾12期公演
 日時:2013年4月28日(日)午後6時30分開演
 場所:沖縄市民小劇場 あしびなー
 料金:2,000円
 チケットのお問い合わせ先:(有)キャンパスレコード 098-932-3801