旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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卯年。なに見て跳ねる

2011-01-01 01:07:00 | ノンジャンル
 “明雲とぅ連りてぃ ふきる鶯ぬ 声に初春ぬ 夢や覚みてぃ
 〔あきぐむとぅ ちりてぃ ふきる うぐゐしぬ くぃーに はちはるぬ いみや さみてぃ

 歌意=春眠暁を覚えず。深い快眠の中にあったことだが、外は朱に染まる東雲と連れ立って、庭の木々に鶯の声しきり。その声で初春の夢から覚めた。ああ、いい1年のはじまりである。
 鳥の鳴き声は「歌う」の他に「ふける=沖縄語ではフキーン」がある。琉球箏曲の〔歌もの〕と称される3節の中のひとつ「船頭節」では“殿の屋形<館>に鶉<うずら>がふける 何とふけるか立ち寄り聞けば 御世は永かれ世もよかる”と歌われている。
 「ふける」は、ひとつのことに夢中になって心を奪われる・熱中するを意味する〔耽る〕の転語ではないかと思われる。冒頭の琉歌の「ふきる」に、この語意を当てはめると、鶯が春到来に歓喜・夢中して、声を発しているさまが見えてくる。庭の木々は、間違いなく梅の木だろう。詠みびとは、今帰仁王子朝敷<なきじんおうじ ちょうしき>。琉球王統第2尚氏18代・尚育王<1813~1847>の第3子。のちに王位を継ぎ、琉球最後の国王となる尚泰<しょう たい=1843~1901>の弟にあたる。王家直系の王子の館〔御殿=うどぅん〕であってみれば、一般的な庭ではなく、春夏秋冬・花鳥風月をめでる背景が整った立派な庭園だったことは、容易に理解できる。

 さて、巡り来た卯年。
 ウサギはほぼ世界的に分布しているそうな。ノウサギ類とアナウサギ類に分けられ、日本に生息する野生のウサギは6種類ほど。しかし、沖縄・宮古・八重山には野生のウサギは生息しない。移入された時代も定かではないという。けれども、お隣の鹿児島県奄美大島と徳之島には〔アマミクロウサギ〕が生息していて、現存するウサギ科の中でもっとも原始的とされる。学術上も貴重な種で天然記念物に指定されているが、樹皮や若木を好んで食するため、有害視されたこともある。自然と共存するのは並ではないということか。
 ウサギ・卯年は言うまでもなく十二支の4番目。昔の時刻の〔卯の刻〕は、今の午前5時から7時までの2時間。方角は東をさしている。ゲンをかついで言えば、今年卯年は、日本が暗く長い低迷の時から、さわやかな午前5時、東方から明雲を染めて昇る旭日の如く蘇る、いわば〔日本の夜明け〕を予祝するものがある。
 独白=そうでも思わなければ365日、暮らしては行けない。


 ウサギを用いた慣用句に「ウサギの耳」がある。他人の秘密などをよく聞き出してくる人のこと。しかし、長いうさぎの耳も立て様次第。世の中の表ばなしも裏ばなしも、きっちりと聴取したい。そして、取捨選択を誤らず、参考にして行動したい。
 独白=そう決意しなければ、明日に夢が結べない。

 私には、ウサギにまつわるせつない思い出がある。
 昭和24、5年に小学校4、5年生だったころ、当時の少年たちすべてがそうだった例にもれず、私もウサギを飼っていた。学校帰りには、ウサギの好む苦菜類やたんぽぽなどなど。あるいは、ひと様の畑に無断侵入して、芋やその葉カンダバー<かずらの葉>やチデークニー<黄大根=にんじん>などを引っこ抜いて持ち帰っていた。もちろん、うしろめたさはあったが、家で待つウサギのことを思うとその罪悪感はすぐに薄らいだ。また、畑の持ち主も〔ウサギを飼う少年〕の純真を察してかどうか、収穫がすんでも芋・にんじん・大根畑の畔沿いのそれらは残して置いてくれた。かつての大人たちは、少年やウサギに気遣いをする“やさしさ”を持ち合わせていたように思える。
 そんなある日。カンダバーチデークニーを抱えて帰宅し、親父手作りのウサギ小屋を覗いて見ると、2匹いるはずの1匹がいない。残された1匹は寂しくて泣いていたのか目が赤い。慌てふためいて、そこら中を探し回ったが見つからない。〔散歩に出たのだろう。お腹がすいたら帰ってくるさ〕。少年は、ウサギを信じ愛していた。
 そのうち日が暮れて、家族が揃って食卓につく。久しぶりに肉汁が出た。食べ盛りの少年は、嬉々としておかわりを2度した。しかし、馳走を前にしても父も母も、兄や姉たちまでが妙に黙りっこく箸を使っている。いつもは談笑しながらの夕食なのに・・・・。
 翌朝、いつもより早起きして小屋を見やったが、散歩に出たに違いないウサギは帰っていなかった。そして、それっきり行方不明になった。少年のあの日のウサギは、どこへ行ってしまったやら・・・・。北朝鮮に拉致されたのか・・・・。他の肉汁とは異なる〔美味〕の食感を胃袋だけが記録している。

 “ウサギ ウサギ なに見てはねる 十五夜お月さま 見てはねる”
 明治25年<1892>『小学唱歌第二巻』で学校唱歌として認められた作詞作曲不詳の「うさぎ」の1節である。
 ウサギは、十五夜お月さまを見て跳ねる。しからば私は、相変わらずではあるが〔わがウチナー〕と向き合い見つめあい、脚力の限り飛び跳ねることにする。