旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

月がとっても青いから・道うた

2010-09-02 00:50:00 | ノンジャンル
 “月がとっても青いから 遠回りして帰ろう あの鈴懸の並木路は・・・”

 旧盆を済ませた沖縄は、旧暦8月15日に向かって日一日“月がとっても”青くなってくる。それは旧暦9月15日の「後ぬ十五夜=あとぅぬ じゅうぐゃー」には、さらに青さを増し、10月半ば過ぎ、ちょっと「太陽ぬ ねぇーゐる時分=ティーダぬ ねぇーゐる じぶん」まで続く。沖縄の太陽は、秋口にきて[やわらぐ]ではなく[萎える]のである。それでも昼間の残暑は、道行く人を萎えさせるに十分。夕暮れの明りが、ほんものの闇に抱き込まれるころになって、気のせいかどこからともなくシダカジ〈涼風〉が吹いてくる。

 歌謡曲「月がとっても青いから」は、作詞清水みのる・作曲陸奥明・うた菅原都々子・昭和30年〈1955〉のヒット曲。独特なビブラートの利いた歌唱は、成年、少年を問わず「歌まね」の格好の1曲だった。
 変声期を終えたばかりの私のノドにも、まだヨーデルが発声できるほどの柔軟さは残っていて、周囲のおだてに乗って菅原都々子になり切ることしばしばだった。
 また、歌詞の中の“あの鈴懸の並木路は・・・”のフレーズで[すずかけの木]の存在を知った。すずかけの木は[スズカケノキ科の落葉高木。高さ約23メートル。葉は掌状。雌雄同株]であることを植物図鑑を開いて知ったのも、菅原都々子さんのおかげであった。さらに、スズカケノキは[春に雄花と雌花が別々の枝に付き、晩秋に球状果が枝の下にさがる。プラタナス、ボタンノキの別名がある]ことを知るのも最近のこと。現物にはまだお目にかかっていない。アジア西部・ヨーロッパ南西部原産で、日本には明治時代に入ってきたといい、移入されたものはあるかも知れないが、沖縄には育ってないようだ。

 月がとっても青い夜の遠回りに似合うのは、鼻歌や音楽だろう。いまはもっぱら車で聞くCDに任せているがそれでも徒歩の場合は、どうしても鼻歌程度は歌わなければ歩が進まない。昔風に言えば「道うた」である。

 高校時分の登下校はもちろん徒歩。それも丘を越えるのに40分ほど要した。登校は、時間的余裕がなく道うたどころではない。しかし、クラブ活動を終えての下校路はアコークロー〈明こう暗ろう・夕間暮れ〉の中を「ユー・アー・サャンシャイン」や覚えたてのロシア民謡を三々五々の仲間たちと歌って帰ったものだ。

 道うたには、ふた通りある。
 ひとつは民謡のうち、道路での仕事唄や夜道の道連れに歌うそれ。沖縄の道普請に集団で歌われた「やりくぬしー節」。近年に歌われた「県道節」「汗水節」などもそれだろうし「なーくにー」「けーひっとぅり節」などは、夜道の道連れに適している。
 沖縄が平和だったころの昔。夏の夜なぞ、遠くから道うたが聞こえてくると[どこそこの誰々が、どこかで一杯ひっかけて帰ってきた]ことが分かったそうな。それが昭和14、5年にもなると、日本の戦争はいよいよ先が見えなくなり、道うたは戦意を消沈させるとして禁止され、警察が厳しく取り締まることになる。それに抵抗して密かに歌われた道うたの文句がある。

 “道うたん止みる 警察ぬ巡査 我した罰かんてぃ 位牌になりよ
 〈みちうたん とぅみる キーサチぬじゅんさ わした ばち かんてぃ イーフェーに なりよ
 
 歌意=道うたまで禁止、取り締まる巡査よ!われわれの罰を受けて早く位牌になりやがれ!
 凄まじい。恨みの対象は巡査ではなく、戦争を仕掛けた国だったはずなのに。

 道うたその2。
 祭の広場や行列舞のおり歌われ、道理や祈り・願望を内容としている。七月エイサーのひと節「仲順流り」や臼太鼓〈うしでーく・うすでーく〉などもそれに当たるだろう。八重山の与那国島には、ずばり「道唄」と称するひと節がある。土地の言葉では「ミティウタ」。年の始めに歌われる祈り歌である。集落の広場や村道を歩きながら歌われるが、なにしろ与那国の言葉は、沖縄語の中でも発音を異にし、記述するのも私には重荷。ここでは意訳にとどめる。いわく。
 『迎えたこの年が弥勒世・平和な日々でありますように。五風十雨をいただいて豊作でありますように。願い事が叶いますように。島びとの願いが天に届いたのか、島の上を鳩や鷹が舞い飛んでいる』

糸満市真栄里の綱引き

 “月の雫に濡れながら 遠回りして帰ろう”“月もあんなにうるむから 遠回りして帰ろう”
 沖縄は、月がとっても青いシーズンに入る。殊に旧暦8月15日・16日〈今年は9月22日・23日〉には、各地で十五夜遊び〈じゅぐや あしび〉があり、綱引きや村芝居が華やぐ。私もひとりで出かけて遊びを堪能し、菅原都々子さんが勧めるsymbol7ふと行きずりに知り合った 思い出の小経 夢をいとしく抱きしめて 二人っきりで帰ろう~を実現させたい。
    
      八重瀬町富盛の十五夜遊び