旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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英霊の声が聞きたい

2010-08-19 00:20:00 | ノンジャンル
 映画全盛のころ、お盆興行と銘打ってスクリーンに登場するのは化け猫や幽霊だった。
「恐るさむんぬ見欲さむん=うとぅるさむんぬ みーぶさむん」。恐いものはかえって見たくなるもので、入江たか子の怪猫ものや「四谷怪談」「番町皿屋敷」など両手で目を覆いながらも、指の間から見入って“涼”を入れたものだ。大和の歌舞伎や大衆演劇や落語の夏興行も「納涼祭り」の幟が劇場前にはためいて、夏の風物詩になっている。
 巡業芝居華やかなりし頃の沖縄でも、それは例外ではなかった。名優比嘉正義〈明治26年~昭和51年(1893~1974)〉の得意芸のひとつ「深夜の叫び」は、四谷怪談の沖縄版で、夫に毒を盛られた妻が、鏡の前で髪をすくと髪が櫛にかかり、ポロポロ抜ける場面や青蚊帳の中から、凄まじい面相で出てくる場面は、少年ながらも“女の怨念”をもろに感じて震え上がった。
 「真壁道ぬ逆立ち幽霊」は、大二枚目平安山英太郎〈明治38年~昭和54年(1905~1979)〉の女形が冴えて、観客を恐怖させた。これまた夫に裏切られ殺された上に、両足には5寸釘を打たれて葬られた妻が、逆立ちして現れ、恨みを晴らすという物語。沖縄の幽霊には足があるのだ。

 人間の五感は、実体のないさまざまなモノを生み出す。この世に未練や怨念を残して夜な夜なさまよい出るモノ。動物や物が魔力を発揮して、人間に禍をするモノ。生命があるはずもないものが、不可解な動きや作用をするモノ。それらを人間は「あの世のもの」あるいは、計り知れない「魔界のもの」として恐れながらも、どこかで楽しんでいるように思える。
 【幽霊】=死者の霊が生前の姿をして現れるといわれる現象。特定の人の前に、時を選ばず現れるとされる。
 と、辞書にある。
 実体はないのに「見たッ」という人が私の周辺にも多少いる。いわゆる「ユーリー見じゃー=んーじゃー。幽霊を見る能力の持ち主」がそれである。彼らはきっと五感が並みではなく優れているのだろう。好奇心だけは旺盛な私も少年のころ、幽霊が見たくて[幽霊が出る]と噂される墓地の辺りや、長年住む人もなく放置された廃屋を悪童連れ立って探検したものだが、遭遇は果たせなかった。鈍感なのかも知れない。
「大勢で行ってはダメだ。幽霊にも都合がある。見たかったら1人で出掛けるがいい」
 大人にそう言われたが、その勇気を持ち合わせていなかったというのが、幽霊未遭遇の真相である。が、ただ1度それらしきものを見た?ことがある。夏の夜・・・もっとも幽霊は夏場のもので白いものを着けている。厚着をした冬の幽霊の話は聞いたことがない。雪女でさえ風になびくほどの白い薄着だ。幽霊にも個性的なファッションスタイルへのこだわりがあるのだろう。
   
 話を戻そう。
 ある夏の夜。小用に起きた少年は、家向かいのガジマルの大木の上から“おいでおいで”をしている白いモノを見てしまった。悲鳴を上げて就寝中の親や兄弟を起こしてしまったのは言うまでもない。その夜は「夢を見たのだ」と片付けられ翌朝、確かめたところ、どこから飛んできたのか白い洗濯物が大木の枝に引っかかり、少年に向かって“おいでおいで”をしていたことが分かった。“幽霊の正体見たり枯れ尾花”であった。
 幽霊の姿に見えても、実際は枯れたススキの穂であるように、恐れているものでも、実体を確かめてみると、何でもない平凡なものなのだ。

 まだ寒さが残る今年3月。仲間たちと九州の温泉を楽しんだ。
 熊本県北西郡に位置し明治10年〈1877〉、西南の時に戦場になった[田原坂]が移動コースの途中にあると聞いて立ち寄った。右手に血刀、左手に手鍋、馬上ゆたかな美少年たちの古戦場。彼らの凄惨な戦士の成り行きを碑文やパンフレットで知るにつけ、あたりの竹藪に霊気がただようものを感じた。地元の人の「いまでも時々、合戦の声や馬の蹄の音が聞こえる」の説明に[ここなら出ても不思議はない]ロケーションであった。戦死者名を石碑の前に花をたむけて合掌している人の姿もあった。
    
    田原坂公園      西南の役戦没者慰霊之碑

 戦後まもなくの沖縄にも、人心が未だ治まらなかったせいもあったのか戦死者がらみの幽霊ばなしが語られていた。「ふぃーたいユーリー=兵隊幽霊」もそのひとつ。
 場所は戦時中、日本軍司令本部のあった首里城界隈、最大の激戦地・南部の喜屋武・摩文仁・真壁集落界隈・中部や北部の山中や避難壕など、沖縄戦が現場になっている。
 6月から8月にかけて、毎夜のように号令とともに行進する日本兵の軍靴の音が聞こえてきたという。多くは軍靴の音のみだが、中には兵隊の一人が立ち止まって敬礼をし、また隊列に戻るのを見た人もいる。兵隊の霊のほとんどが青ざめて無表情だったが、敬礼をした兵隊は「何かを訴えたそうだった」そうな。
 「この世に幽霊なぞ存在するものかッ」
 私もそう思う。しかし沖縄戦終結・日本の終戦記念日・お盆と続く6月から8月になると「兵隊の霊も出てきてほしい。無言ではいず、あの戦争の実相を語ってほしい」と思うのである。日本の口先ばかりの平和論は、彼らに対して無惨過ぎはしないか。「恨めしい」のひと言も言えず国に殉じたまま、沖縄の風の中を彷徨う彼らは無念極まりないに違いない。われわれは彼らの軍靴の音や無言の敬礼をする姿を見、聞きする心情を平和に中に置き忘れている。