旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

17年の長きに渡り、ネット上で連載された
旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』のアーカイブサイトです!

イジュぬ長雨・そして紫陽花

2010-06-03 00:20:00 | ノンジャンル
 沖縄は雨の季節真っ只中にある。
 気温は27、8度を行ったり来たりの雨の日々は湿度も高く、躰がだるくなる。時折、梅雨の中休みとやらで、空が青くなるのは歓迎だが、そうなったらなったで陽射しは半端ではなく、周囲は申し合わせたように皆、眉間にシワ寄せて出会いの挨拶も億劫そうに交わしている。これが(6月いっぱい続く)なぞとは、考えたくもない。
 小満<5月21日>から芒種<6月6日>へ。そして、その10日ほど後までの長雨の期間を沖縄人は「雨ぬ節=あみぬ しち」と言い、あきらめ気分で日々を過ごす。天気に愚痴を言っても仕方がないからだ。
 「梅雨」という沖縄口はない。いまごろの雨期を「雨ぬ節」で通している。とは言っても明治以降、気象用語が統一化されるにつれ「梅雨ぬ節・ちゆぬしち」「梅雨入り・ちゆいり」という表現をしないでもなく、いまでは日常的に使っている。
 雨の季節は、人間の力では如何ともしがたいことを知ると沖縄人は、言葉で鬱陶しさを和らげてきた。基地移設問題で平和闘争を続けている名護市辺野古・久志あたりの人たちは「雨ぬ節」を(イジュぬ花雨=はなあみ)または「イジュぬ花ぬ長雨」と称している。この鬱陶しさに白いイジュの花をかぶせると、確かに気分は晴れる。でもこの言葉は、本島の北部でしか使われない。イジュの木は、土質の関係で、中部西側の中城村から自生しているからだ。したがって、それ以南の人たちには(イジュの長雨)なる言葉は思いつかない。

イジュの花
 イジュは、ツバキ科の常緑高木。高さ20メートルに達し、非石灰岩地域の山地に、ごく普通に成育している。花は3~4センチで白色。4月下旬から6月に咲く。木の芯は淡褐黄色または黒褐色。家具や道具に加工、薪炭材にも利用される。基本種はヒマラヤからマレーシアに分布しているそうな。木は堅く強いため、近年は公園、庭園、街路樹としても植栽されているが、なんと言っても山地の夏色の青葉が雨に洗われて、その色をさらに青にする中に、純白のイジュの花を包み込んだ情景はなんとも美しい。南国ならではの夏景色として好まれている。
 樹皮には通称“ササ”という、魚類を痺れさせる要素が含まれている。かつての少年たちは、その効用を知っていて、イジュの樹皮を砕いて、干潮時の岩溝に撒いた。すると数分を待たず、いろいろな魚が白い腹部を上にして浮き上がってくるのだ。面白いほどに大量の漁獲があって、唐揚げのカルシュームにありつけた。しかし最近は、子どもたちのササを使った磯遊びは、とんと見かけなくなった。それらをなくても十分、海に遊ぶことはできるし、カルシュームも簡単に補給できるからだろう。時代の進歩と言えば、安全を考慮した進歩なのだろうが、いずれの遊具も(人工的に過ぎる)と思い込むのは、私が己の少年時代を懐かしむあまりのセンチメンタルなのかも知れない。

 今年の本土の梅雨入りは、いつごろだろうか。
 本土の梅雨時の花と言えば、一度訪ねた神奈川県鎌倉在の明月院・通称あじさい寺が目に浮かぶ。それまで、あじさいを見たことがなかったこともあって漢字では「紫陽花」と書き、雨の中にあって一段と美しさを増す花の存在を知ったのも明月院だった。男が花に感動するのも、ちょっとテレくさく、普通に振舞いながらも、傘を差して歩く足をしばらくとめて眺め入ったものだった。俳人高浜虚子の“あじさゐの花に日を經る湯治かな”を知ったのもそのおかげである。
 一方、箱根の登山電車の窓から見た沿線の紫陽花には苦い思い出がある。
 時は梅雨の最中。箱根山中の散策を試みたまでは良かったが、山頂終点までの電車はすし詰め状態の人・人・人。沿線の紫陽花は美しいには美しかったが、社内の気温は人息で34、5度はあっただろう。正直、呼吸困難で目まいを覚えた。大げさではない証拠に山頂終点駅には、救急車が待機していて、社内で貧血・酸欠を起こした人が2、3人いて運ばれて行った。(紫陽花は、屋外で傘を差して愛でるもの)と決めているのは、その経験からの学習である。
    
 紫陽花は、アジサイ科アジサイ属の植物の総称。英名・学名は「水の容器」を意味する「ヒドランジア」あるいは「ハイドランジア」と言うそうな。
 知っておきたいのは、紫陽花の蕾、葉、根には毒性があり牛、山羊、人などが食すると中毒を起こして過呼吸、興奮、痙攣、麻痺、ふらつき歩行の症状が出て、志望する危険もあるという。もっとも、どんなに食通を気どろうとも紫陽花までに口にすることもあるまい。ついでのことに、沖縄のイジュの樹液も目に入ると激痛が走る。ご用心!
 紫陽花がいつごろ沖縄に移入されたか、私はまだ知り得てないが、30年ほど前に本部町伊豆味の農家の老女が、自家のキビ畑を紫陽花畑に打ち直し、いまでは数千本の花を咲かせて、この時期の名所になっている。
 全国的には三重県津市及び桑名市、岐阜県関市、兵庫県神戸市、新潟県上越市、東京都練馬区、神奈川県箱根町、京都府舞鶴市等々の植物園、遊園地、寺社は〔紫陽花の名所〕と案内されている。
 「雨の旅路もいいなぁ」と、またぞろ旅ごころをそそられる。