「いろはの“い”の字から勉強仕直さなければならないなぁ」
ますます混迷の深みにはまっていく日本の政治経済。何が何だか分らなくなった自分に対し、嘆息まじりにもらしたひと言を聞いて、25歳の青年は問い返してきた。
「あのぉ・・・・いろはの“い”の字って何ですか」
現在でも小学校に上がると、まず“いろは”48文字の平仮名と片仮名を教わるものと思っていたのだが、それはいつの頃からか教科にはなくなり、彼らははじめから”あいうえお”の五十音から入ったという。正確にはいつ何時、小学校から“いろは”が消えてしまったのだろう。もっとも、子どもたちの習字を見ると墨黒々とした“いろは”3文字をよく見かけるから、五十音と並行して“いろは”は、細々と生きているのかも知れない。それとも、習字・書道の先生は“いろは”を教わった年代で、毛筆の初歩としては“いろは”が、筆運びには適しているとし“いろは”を用いているのだろうか。早速、近くの書道塾の先生に問うてみよう。
われわれの少年時代は、ちょっとした繁華街を歩くと“いろは”の3文字は容易に目にしたものだ。市場の中の「いろは食堂」。ここの沖縄そばは辺りに聞こえていた。貸本と文房具を扱っていた「いろは書房」。「いろは湯」は、よく通った銭湯。Aサインバー「IROHA」には、暮色が闇に変わるのを待ち兼ねていたように、看板や入口のドアの縁に赤青黄色の豆電球が勢いよく点滅。軍作業と言われていた米軍基地に働く沖縄人が、アメリカ兵と連れだって三三五五出入りしていた。彼らがドアを開けて、すぐに閉めるその瞬間だけ、中からジュークボックスの「テネシーワルツ」やジャズらしき音が漏れ聞こえた。さらにその一瞬だけ、原色のスカートやブラウスで着飾り、パーマネントで見栄えよくしたオネーサンたちの嬌声も聞くことができた。いかなることが行われているのか覗きたい気持ちは山々だったがそこは少年の身、入ることは叶わない。(いずれ大人になったら、何やら興奮を誘うAサインバーIROHAを体験しよう)と、固く決意した。
その決意のせいか高校3年生のころには“七つ八つからイロハを覚え ハの字忘れてイロばかり”なぞと、誰かが持ち込んだのか江戸前の都々逸の文句を諳んじて、粋がるようになっていた。しかし、イロの道に踏み込むのは3、4年あとのことになる。
ジュークボックス
“いろは”は、小学校に上がってイの1番に教わる国語の第一歩と心得ていたのだが長じて、ある国文学者がエッセイふうに書いた「イロハばなし」を読んで面食らった。“いろは”の48文字は、私の思い込みのように生易しいものではなかった。平安時代末期に流行った歌と言われている。
御釈迦さまが入滅する直前に説いたとされる経典「涅槃経=ねはんぎょう」の内容を持っているのが「いろは歌」だそうだ。即ち「諸行無常=しょぎょうむじょう」「是正滅法=ぜしょうめっぽう」「生滅滅已=しょうめつめつい」「寂滅為楽=じゃくめついらく」を表わすと言う。
“色は匂えと散りぬるを 我が世誰そ常ならん 有為の奥山今日超えて 浅き夢見し 酔ひもせす=いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならん うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす”
※色は匂えど散りぬるを【色よく香しく咲いている花もやがて散る=諸行無常】
※我が世誰そ常ならん【現世に生きる私も永遠の命があるわけではない=是正滅法】
※有為の奥山今日超えて【有為転変。迷いの奥山<現世>を今日終えて、来世に入らんとする=生滅滅已】
※浅き夢見し酔ひもせす【悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることもなく、知覚できる事柄、つまり現象の仮相の世に酔い痴れることもない。安らかな心境なり=寂滅為楽】
ここまでくると「たかがイロハ」と、軽く覚えてきた48文字も「イの一番」「イの字から始める」「ハの字忘れてイロばかり」「AサインバーIROHA」なぞと言い流すわけにはいかなくなった。意味が深い説法なのだ。
お気づきだろうが「いろは歌」には、五十音から削除された「ゑ」や「ゐ」が生きている。これらは日本語をより滑らかに発音する重要な「音・おん」であると言い切りたいがいかがなものか。
【余談】
戒めのための怒鳴りことばに「いろはーにーわらばぁ!」がある。「わらばぁ」は童・小僧っ子の意。
相手は年下。でも、常識のイロハも知り物事の分別もつく年頃なのに、的外れのことを言ったり、らしからぬ行動をとったりするときに投げかける言葉である。意味するところは、常識をわきまえない子どもみたいな言動をするなッということだ。それらの言動を戒める場合「やなッ!いろはーにーわらばぁ!」を発してから本格的に叱りつける。「やなッ!」はこの場合「この野郎ッ」の「このッ」に当たる接頭語。
それにしても「イロハわらばぁッ」ではなく、匂えどの「に」までつけたのは、沖縄語の言葉のリズムのせいか。とかく沖縄的で私は愉快である。
ますます混迷の深みにはまっていく日本の政治経済。何が何だか分らなくなった自分に対し、嘆息まじりにもらしたひと言を聞いて、25歳の青年は問い返してきた。
「あのぉ・・・・いろはの“い”の字って何ですか」
現在でも小学校に上がると、まず“いろは”48文字の平仮名と片仮名を教わるものと思っていたのだが、それはいつの頃からか教科にはなくなり、彼らははじめから”あいうえお”の五十音から入ったという。正確にはいつ何時、小学校から“いろは”が消えてしまったのだろう。もっとも、子どもたちの習字を見ると墨黒々とした“いろは”3文字をよく見かけるから、五十音と並行して“いろは”は、細々と生きているのかも知れない。それとも、習字・書道の先生は“いろは”を教わった年代で、毛筆の初歩としては“いろは”が、筆運びには適しているとし“いろは”を用いているのだろうか。早速、近くの書道塾の先生に問うてみよう。
われわれの少年時代は、ちょっとした繁華街を歩くと“いろは”の3文字は容易に目にしたものだ。市場の中の「いろは食堂」。ここの沖縄そばは辺りに聞こえていた。貸本と文房具を扱っていた「いろは書房」。「いろは湯」は、よく通った銭湯。Aサインバー「IROHA」には、暮色が闇に変わるのを待ち兼ねていたように、看板や入口のドアの縁に赤青黄色の豆電球が勢いよく点滅。軍作業と言われていた米軍基地に働く沖縄人が、アメリカ兵と連れだって三三五五出入りしていた。彼らがドアを開けて、すぐに閉めるその瞬間だけ、中からジュークボックスの「テネシーワルツ」やジャズらしき音が漏れ聞こえた。さらにその一瞬だけ、原色のスカートやブラウスで着飾り、パーマネントで見栄えよくしたオネーサンたちの嬌声も聞くことができた。いかなることが行われているのか覗きたい気持ちは山々だったがそこは少年の身、入ることは叶わない。(いずれ大人になったら、何やら興奮を誘うAサインバーIROHAを体験しよう)と、固く決意した。
その決意のせいか高校3年生のころには“七つ八つからイロハを覚え ハの字忘れてイロばかり”なぞと、誰かが持ち込んだのか江戸前の都々逸の文句を諳んじて、粋がるようになっていた。しかし、イロの道に踏み込むのは3、4年あとのことになる。
ジュークボックス
“いろは”は、小学校に上がってイの1番に教わる国語の第一歩と心得ていたのだが長じて、ある国文学者がエッセイふうに書いた「イロハばなし」を読んで面食らった。“いろは”の48文字は、私の思い込みのように生易しいものではなかった。平安時代末期に流行った歌と言われている。
御釈迦さまが入滅する直前に説いたとされる経典「涅槃経=ねはんぎょう」の内容を持っているのが「いろは歌」だそうだ。即ち「諸行無常=しょぎょうむじょう」「是正滅法=ぜしょうめっぽう」「生滅滅已=しょうめつめつい」「寂滅為楽=じゃくめついらく」を表わすと言う。
“色は匂えと散りぬるを 我が世誰そ常ならん 有為の奥山今日超えて 浅き夢見し 酔ひもせす=いろはにほへとちりぬるを わかよたれそつねならん うゐのおくやまけふこえて あさきゆめみしゑひもせす”
※色は匂えど散りぬるを【色よく香しく咲いている花もやがて散る=諸行無常】
※我が世誰そ常ならん【現世に生きる私も永遠の命があるわけではない=是正滅法】
※有為の奥山今日超えて【有為転変。迷いの奥山<現世>を今日終えて、来世に入らんとする=生滅滅已】
※浅き夢見し酔ひもせす【悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることもなく、知覚できる事柄、つまり現象の仮相の世に酔い痴れることもない。安らかな心境なり=寂滅為楽】
ここまでくると「たかがイロハ」と、軽く覚えてきた48文字も「イの一番」「イの字から始める」「ハの字忘れてイロばかり」「AサインバーIROHA」なぞと言い流すわけにはいかなくなった。意味が深い説法なのだ。
お気づきだろうが「いろは歌」には、五十音から削除された「ゑ」や「ゐ」が生きている。これらは日本語をより滑らかに発音する重要な「音・おん」であると言い切りたいがいかがなものか。
【余談】
戒めのための怒鳴りことばに「いろはーにーわらばぁ!」がある。「わらばぁ」は童・小僧っ子の意。
相手は年下。でも、常識のイロハも知り物事の分別もつく年頃なのに、的外れのことを言ったり、らしからぬ行動をとったりするときに投げかける言葉である。意味するところは、常識をわきまえない子どもみたいな言動をするなッということだ。それらの言動を戒める場合「やなッ!いろはーにーわらばぁ!」を発してから本格的に叱りつける。「やなッ!」はこの場合「この野郎ッ」の「このッ」に当たる接頭語。
それにしても「イロハわらばぁッ」ではなく、匂えどの「に」までつけたのは、沖縄語の言葉のリズムのせいか。とかく沖縄的で私は愉快である。