乱雑きまわりない書斎兼寝床の部屋の目立つところに、59歳で逝った親父直實と90歳の長命を全うしたおふくろカマドの写真がある。折りたたみのできる額に、ふたりは向き合っておさまっている。
1日に1度は目をやるようにしているのだが、このところ意識的に両親の遺影を見る回数が多くなっているのは、お盆の月だからだろう。[んッ?親父との2ショットの写真を撮った記憶がないな。おふくろとのそれもない・・・・」。そのことに気づいて、ちょいと寂しい。殊に親父は、私とは13年のつき合いしかなく、昭和24年に逝っている。そのころ親たちには、親子の写真撮影の発想も余裕もなく、どうしても撮らなければならない顔写真や特別の記念写真は、街の映画館へチュラスガイ〈おめかし。正装〉して出かけなければならない時代だったから仕方がない。
戦後すぐに沖縄芝居や映画の巡回興行が掛かる劇場が建ち、並行して貸本屋兼文房具屋に行けば、映画スターのプロマイドを買うことができた。中学3年、私が初めて手に入れたプロマイドは、松竹映画のトップ女優岸恵子の笑顔。技術的には上質な仕上がりではない印刷だったが、少年の胸を躍らせるには十分だった。しかし、児童生徒がそのようなモノを所持することは[教育上よくない]として禁止されていた。でも時遅し。岸恵子はすでに少年の中では恋の対象になっていた。彼女には兄が読み尽くした、少年には読んでも理解できない島崎藤村詩集の千曲川の辺りに住んでもらい、米軍払い下げの野戦用鞄を親父が改良して持たせてくれた通学鞄に忍ばせて朝夕、一心同体だった。したがって、いまでも映画やテレビで岸恵子に逢うと、私は少年に返ることができる。
新聞に切ない記事をみた。
大手の広告会社博報堂の生活総合研究所が暮らしの現状を探るため、2009年3月に実施した「持ち歩く写真」に関するデーター記事である。首都圏、名古屋圏、阪神圏の15歳から69歳までの男女約2800人から聞き取りし、人口構成を反映するように統計処理したという。この「外出時の持ち物実態調査」の写真に関しては、手段は「携帯電話」が87.3パーセントで圧倒的。あとは「手帳」など。
分析結果によると男性の場合、62.7パーセントが子どもの写真。次いで妻42.5パーセント。犬や猫などペットが27.2パーセントの順。では、女性の場合はどうか。トップは男性と変わらず、子どもの写真が54.0パーセント。その次がなんとペットの33.7パーセント。夫の写真は犬、猫にも及ばない25.0パーセントに過ぎない。同研究所によると「家族を心の支えにする男性とは対照的に女性は、夫が仕事で家にいない中、愛情をまっすぐ返してくれるペットを大切に思っているのでは」と分析している。ゴキブリや蚊を退治する殺虫剤メーカーのCMコメント通り、世の中には遂に「亭主元気で留守がいい」になってしまったのだろうか。
では、私の携帯電話におさまっている「持ち歩いている写真」はと言えば、中学校2年生を筆頭とする女児だけの孫5人の笑顔ばかりである。岸恵子にも遠慮いただいている。しからば妻女はどうだろうか。私と同じく孫たちのそれが大方なことは承知。そこで恐るおそる聞いてみた。
「オレの写真も入っている・・・・・かい?」
妻女はなぜか白けた表情のまま、あらぬ方向へ目を向けてしまった。ひと言のコメントもないまま・・・・。
写真余話。
後輩のTの妻女は、結婚前から琉球舞踊を正式に習っていた。ある年、お師匠さんの勧めがあって、沖縄タイムス主催の芸術選奨新人賞部門を受けることになった。課題舞踊は「伊野波節」。
逢わん夜ぬ辛さ 与所に思みなちゃみ 恨みてぃん忍ぶ 恋ぬ慣れや
[貴方に逢えない夜は、なんとも辛い。私のことを忘れて、よその美女に思いを寄せて逢っているのではないか。心は千々に乱れ、恨めしさがつのる。いやいや、貴方に限って、そんなことはあり得ない]と、否定しながらも、思いびとを忍ぶ恋ごころ。[恋の慣れとは、こうも辛く切ないものか]。琉球舞踊の中でも内容の濃い演目だ。
この繊細かつ華麗な舞踊表現するために、Tの彼女はあることをした。恋愛進行形中の彼Tの写真を紅型衣装の胸深くにおさめ忍ばせて「伊野波節」を踊り通し、新人賞に合格した。
この話には続きがある。二人はめでたく結婚するが、彼女が新人賞を得たのを契機に夫Tは、古典音楽研究所に入門。数年掛けて彼もまた、新人賞、その上の優秀賞を受賞している。夫婦してその道に進むつもりは最初からなく「オレの歌三線で妻を踊らせたかった」「夫の歌三線に乗って踊りたかった」なのだそうだ。サラリーマンを定年退職したいまでも、機会あるごとにそのことを披露している。
お盆。久しく開いていない数冊の写真アルバムをめくりながら、過ぎし佳き日に思いを馳せてみるのもいいかも知れない。そこには、現実の淡泊さとは異なった「伊野波節」のような想いの場面があるに違いない。私は、マチコ巻きの岸恵子を恋慕いつつ菊田一夫作詞、古関祐而作曲、歌織井茂子。昭和28年〈1953〉の松竹映画「君の名は」の主題歌を歌う。妻女の携帯ファイルに、私の写真は入ってなくても、気分は佐田啓二だ。
君の名はと たずねし人あり その人の名も知らず 今日砂山に ただひとりきて 浜昼顔に聞いてみる
1日に1度は目をやるようにしているのだが、このところ意識的に両親の遺影を見る回数が多くなっているのは、お盆の月だからだろう。[んッ?親父との2ショットの写真を撮った記憶がないな。おふくろとのそれもない・・・・」。そのことに気づいて、ちょいと寂しい。殊に親父は、私とは13年のつき合いしかなく、昭和24年に逝っている。そのころ親たちには、親子の写真撮影の発想も余裕もなく、どうしても撮らなければならない顔写真や特別の記念写真は、街の映画館へチュラスガイ〈おめかし。正装〉して出かけなければならない時代だったから仕方がない。
戦後すぐに沖縄芝居や映画の巡回興行が掛かる劇場が建ち、並行して貸本屋兼文房具屋に行けば、映画スターのプロマイドを買うことができた。中学3年、私が初めて手に入れたプロマイドは、松竹映画のトップ女優岸恵子の笑顔。技術的には上質な仕上がりではない印刷だったが、少年の胸を躍らせるには十分だった。しかし、児童生徒がそのようなモノを所持することは[教育上よくない]として禁止されていた。でも時遅し。岸恵子はすでに少年の中では恋の対象になっていた。彼女には兄が読み尽くした、少年には読んでも理解できない島崎藤村詩集の千曲川の辺りに住んでもらい、米軍払い下げの野戦用鞄を親父が改良して持たせてくれた通学鞄に忍ばせて朝夕、一心同体だった。したがって、いまでも映画やテレビで岸恵子に逢うと、私は少年に返ることができる。
新聞に切ない記事をみた。
大手の広告会社博報堂の生活総合研究所が暮らしの現状を探るため、2009年3月に実施した「持ち歩く写真」に関するデーター記事である。首都圏、名古屋圏、阪神圏の15歳から69歳までの男女約2800人から聞き取りし、人口構成を反映するように統計処理したという。この「外出時の持ち物実態調査」の写真に関しては、手段は「携帯電話」が87.3パーセントで圧倒的。あとは「手帳」など。
分析結果によると男性の場合、62.7パーセントが子どもの写真。次いで妻42.5パーセント。犬や猫などペットが27.2パーセントの順。では、女性の場合はどうか。トップは男性と変わらず、子どもの写真が54.0パーセント。その次がなんとペットの33.7パーセント。夫の写真は犬、猫にも及ばない25.0パーセントに過ぎない。同研究所によると「家族を心の支えにする男性とは対照的に女性は、夫が仕事で家にいない中、愛情をまっすぐ返してくれるペットを大切に思っているのでは」と分析している。ゴキブリや蚊を退治する殺虫剤メーカーのCMコメント通り、世の中には遂に「亭主元気で留守がいい」になってしまったのだろうか。
では、私の携帯電話におさまっている「持ち歩いている写真」はと言えば、中学校2年生を筆頭とする女児だけの孫5人の笑顔ばかりである。岸恵子にも遠慮いただいている。しからば妻女はどうだろうか。私と同じく孫たちのそれが大方なことは承知。そこで恐るおそる聞いてみた。
「オレの写真も入っている・・・・・かい?」
妻女はなぜか白けた表情のまま、あらぬ方向へ目を向けてしまった。ひと言のコメントもないまま・・・・。
写真余話。
後輩のTの妻女は、結婚前から琉球舞踊を正式に習っていた。ある年、お師匠さんの勧めがあって、沖縄タイムス主催の芸術選奨新人賞部門を受けることになった。課題舞踊は「伊野波節」。
逢わん夜ぬ辛さ 与所に思みなちゃみ 恨みてぃん忍ぶ 恋ぬ慣れや
[貴方に逢えない夜は、なんとも辛い。私のことを忘れて、よその美女に思いを寄せて逢っているのではないか。心は千々に乱れ、恨めしさがつのる。いやいや、貴方に限って、そんなことはあり得ない]と、否定しながらも、思いびとを忍ぶ恋ごころ。[恋の慣れとは、こうも辛く切ないものか]。琉球舞踊の中でも内容の濃い演目だ。
この繊細かつ華麗な舞踊表現するために、Tの彼女はあることをした。恋愛進行形中の彼Tの写真を紅型衣装の胸深くにおさめ忍ばせて「伊野波節」を踊り通し、新人賞に合格した。
この話には続きがある。二人はめでたく結婚するが、彼女が新人賞を得たのを契機に夫Tは、古典音楽研究所に入門。数年掛けて彼もまた、新人賞、その上の優秀賞を受賞している。夫婦してその道に進むつもりは最初からなく「オレの歌三線で妻を踊らせたかった」「夫の歌三線に乗って踊りたかった」なのだそうだ。サラリーマンを定年退職したいまでも、機会あるごとにそのことを披露している。
お盆。久しく開いていない数冊の写真アルバムをめくりながら、過ぎし佳き日に思いを馳せてみるのもいいかも知れない。そこには、現実の淡泊さとは異なった「伊野波節」のような想いの場面があるに違いない。私は、マチコ巻きの岸恵子を恋慕いつつ菊田一夫作詞、古関祐而作曲、歌織井茂子。昭和28年〈1953〉の松竹映画「君の名は」の主題歌を歌う。妻女の携帯ファイルに、私の写真は入ってなくても、気分は佐田啓二だ。
君の名はと たずねし人あり その人の名も知らず 今日砂山に ただひとりきて 浜昼顔に聞いてみる