旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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琉歌百景・終章=立雲節

2009-07-30 00:20:00 | ノンジャンル
 2009年7月。
 RBCiラジオの番組「民謡で今日拝なびら」の1コーナー「琉歌百景」は、15年を経てなお続いている。
 「この際、あらためて琉歌100首を選出、文字にしてみてはどうか」
 古馴染みであり、沖縄市諸見大通りに店を構えている(有)キャンパスレコード社長備瀬善勝に勧められ、2009年1月29日号から書き始めた琉歌シリーズが遂に100首に達する。また、2003年11月1日に創刊して連載中の「浮世真ん中」自体、備瀬善勝の企画。同店のホームページのスペースを開けてもらってのことである。つまり、すべて備瀬に操られるままにここまできた。「琉歌百景」またしかり。
 [お主の心の趣くままにの選出]という彼の勧め方。何といい加減なと言われると、その加減なのだが、書く者にとってはこれ以上の気軽さはないし、楽しみながらの作業であった。古歌を中心に、時には自作の詠歌をはさみながら・・・・。

 琉歌百景99[立雲節=たちぐむぶし]

 symbol7東立雲や 世果報しにゅくゆゐ 遊びしにゅくゆる 二十歳女童
 〈あがり たちぐむや ゆがふう しにゅくゆゐ あしび しにゅくゆる はたち みやらびや〉

 語意*しにゅくゆゐ=支度。準備。*世果報=果報は、過去、前世の報いの意から転じ、しあわせ・幸運の意。したがって「世」が付くと、平和に治まっている世。そのさまの意。
 果報者は、言うまでもなくしあわせ者のこと。慣用語にも、幸運はあせらず待っていれば必ずやってくるとする「果報は寝て待て」あるいは運がよすぎて、かえって災いを招くことを言い当てた「果報負け」などの言葉を口にすることもある。
 沖縄には「世果報」を筆頭に「孵でぃ果報=しでぃがふう。生まれる、生まれ変わる、よみがえる果報」。「命果報=ぬちがふう。命あることの果報」などがある。沖縄における日米陸上戦争で多くの人びとが犠牲になった。しかし、辛うじて「命果報」があって九死に一生を得た人たちは「孵でぃ果報」もあって今日に子孫を繋げている。唇に歌を乗せることのできる「歌果報=うたがふう」は、「世果報・命果報・孵でぃ果報」の賜物だろう。思わぬ馳走にありつけた時は「食ぇ報=くぇーぶー」があると言い、この果報は五穀豊穣のおかげとし、飢餓にも遭わず食物を得ることのできる「果報」としている。“この秋は雨か嵐か知らねども今日のつとめの草を取るなり”の努力の裏づけがなければ「食ぇ報」は寄ってこない。神仏に願掛けをしたならば、それが成就するように尽力なしでは叶わない道理も説いている。待て!屁理屈が過ぎた。乞う容赦。
 歌意=暁の空にわき立つ雲は、偉大なる太陽の命を受けて豊作、豊年を約束し、その支度をしている。さあ、豊作の感謝祭を仕組もう。この神仏への感謝こそが来年の豊作を招く。

    
      写真:玉城グスクからの朝日

 戦後この方と思われるが、古典音楽公演が日常的に行われている。演目の幕開けは祝歌「かじゃでぃ風」の大合唱。これは決まり事に近い。誇らしく開幕すると独唱や舞踊をはさんで賑わうが、最後にはどんな節曲で幕を下ろそうか。決まり事ではないが大抵は「立雲節」だ。演奏時間1分20秒の小曲ながら内容は意味深長。公演のメインになる演目は後から2番目に演じ、最後は嘉例〈かりー=めでたい。吉事〉の歌で締めるという演出意図がある。つまり、めでたい「かじゃでぃ風」で始め、めでたい「立雲節」で終わる。明日に果報を繋げるという願望、祈念を汲み取ることができる。

 琉歌百景100[立雲節の内]

 symbol7夢ぬ世ぬ中に ぬがしシワみしぇが ただ遊びみしょり 御肝晴りてぃ
 〈いみぬ ゆぬなかに ぬがし シワみしぇが ただあしび みしょり うちむ はりてぃ〉

 琉歌集「立雲節」の項には14首が記載されているが、この1首は演奏会などで歌われることはほとんどない。前記99首目が完璧すぎるのだろう。しかし「立雲節」は、豊年の祝歌のみならず人生や風物なども詠み、組踊にも用いられていて[14首]を数えている。そこで私は「琉歌百景」を締めるには、この歌詞が最適と思い100首目に置いた。
 語意*シワは世話を語源としている。人様に気を配る・面倒をみるの意から転じて沖縄語では「心労・心配」を意味している。
 歌意=人生たかだか100年。昔は50年と言ったが・・・・。夢のような浮世で何をそう気をもむことがあろう。泣いても笑っても一生は一生。ただただ心晴ればれと快適に生きようではないか。
 詠みびとは定かではないが、酸いも甘いもなめ尽くしてきた人生の達人の1首と言わなければならない。
 八八八六音詩形の琉歌が確立されて400年か500年か。とかく貴賤を問わず詠まれて、今日に残された琉歌は星の数に届くだろう。これは現在も続いている。[あなたも力まず臆せず気負わず、沖縄口を駆使して八八八六をモノにしてみてはいかが]とお勧めして、琉歌百景シリーズの筆をひとまず置くことにする。




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