旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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琉歌百景・千鳥編

2009-07-16 00:20:00 | ノンジャンル
 「千鳥」とは、不思議な鳥だ。
 海岸、河川、湿原、干潟などに生息するチドリ科の鳥の総称が「千鳥」。世界に約60種、日本にはシロチドリ、コチドリ、イカルチドリなど10種がいるそうな。人里には生息しているわけでもないのに人間は、千鳥に親しく想いをあずけてきた。歌謡の世界では、鶯と並んで数多く登場するのではあるまいか。
酒に酔ってよろよろ歩くさまを千鳥足と言い、和裁用語にも千鳥掛、千鳥縫いがあり、模様の千鳥格子、紋所に[丸に千鳥][波輪に千鳥]などがある。文芸には短歌“淡路島通う千鳥の声聞くに 幾度寝覚めぬ須磨の関守”〈金葉和歌集・源兼昌〉。童謡の「浜千鳥」“青い月夜の浜辺には 親をさがして鳴く鳥が 波の国から生まれ出る ぬれた翼の銀の色”〈鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲〉。「ちんちん千鳥」“ちんちん千鳥の鳴く夜さは ガラス戸しめてもまだ寒い”〈北原白秋作詞、近衛秀麿作曲〉などは、学校唱歌の名作に数えられている。また沖縄の歌謡でも千鳥は、沖縄人の唇に乗って飛んでいる。
 まず、舞踊と共に最も親しまれているのが「浜千鳥節」。

 琉歌百景92[浜千鳥節]

 symbol7旅や浜宿ゐ 草ぬ葉どぅ枕 寝てぃん忘ららん 我家ぬ御側
 〈たびや はまやどぃゐ くさぬふぁどぅ まくら にてぃん わしららん わやぬ うすば〉

 歌意=旅の1日の終わりは、行き着いた所に人家がない場合、野宿や浜の岩陰を宿として、草の葉を枕とする。寝付くまでいや、寝ても夢の中に出てくるのは、親兄弟が睦ましく暮らしている我が家のあたたかさ。愛する人との添い寝の温もり・・・・。
 「浜千鳥節=一名チヂュヤーぶし」の歌詞は4首で構成され望郷、旅情を歌っているのだが「千鳥」という言葉はいずれにも登場しない。しかし、30音の後に“千鳥や 浜居てぃ チュイチュイナー=千鳥は浜辺でチッチチッチと鳴いている”の句が付き、哀感をもって旅情を表現している。戦前、沖縄をあとに東京に学ぶ沖縄学生や働く人たちは、下宿の窓から月を眺めながら、このひと節を口ずさみ、ふるさとに思いを馳せたという。
 ほかにも八重山の「千鳥節」はじめ、俗語の「夫婦千鳥」「千鳥小」「恋々千鳥」「恋千鳥」などがある。さらに[毛遊び千鳥]にいたっては持味である哀感、旅愁をすっきりと削いで、ハイテンポの歓喜の[遊び唄]になっている。沖縄人は大したアレンジャーと言わなければならない。
 ここで取り上げるのは、いまひとつの名曲「下千鳥=さぎ ちぢゅやー」。「さぎ」は低音を意味するのではなく、舞踊曲の「浜千鳥節」よりもローテンポで歌われ、二揚調子で演奏して哀感をいやが上にも深くしている。そのため沖縄芝居では孤独、愁嘆を表現する場面には、決まって「下千鳥」を用いている。つまり「下・さぎ」は、テンポを落としたの意。詠歌も詠み人のその時の心情を詠み上げていて、記録されているだけでも10数首に及ぶ。次の詠歌には背景があった。
 戦後50年目の平成7年〈1995〉7月13日。東京九段の靖国神社「御霊祭」は、全国都道府県の民謡を奉納した。沖縄のそれは、神奈川県川崎市在住野村流音楽協会師範名渡山兼一氏に出演依頼があった。名渡山兼一氏は「下千鳥」に乗せて2節を歌った。

 琉歌百景93[下千鳥]

 symbol7散りてぃ逝く命 物言やんあてぃん 国ぬ行く末ぬ 礎思むら
   “安々とぅみしょり 花ぬ台=うてな・うてぃな”
 〈ちりてぃいく いぬち むぬいやん あてぃん くにぬ ゆくしゐぬ いしじ とぅむら “やしやしとぅみしょり はなぬ うてぃな”〉

 歌意=戦火に散った御霊はもう言葉を持たないが、その沈黙を教訓として、国の将来の礎としなければならない。“御霊よ。極楽の花の台で、安らかにお眠り下さい。

 琉歌百景94[同]

 symbol7五十年経てぃん 心安まりみ 語ゐ継じ行かな 後ぬ世ぬ為に
     “忘るなよ 忘しな 戦嵐”
 〈ぐじゅうにん ふぃてぃん くくる やしまりみ かたゐちじ いかな あとぅぬゆぬ たみに  “わしるなよ わしな いくさあらし”〉

 歌意=戦後50年経ても、戦死者を思えば心の痛みは癒えない。日本の戦争は何だったのか、語り継いでいかなければならない。次代の平和のために。“忘れるな、忘れまい。あの鉄の爆風”。

 話は「千鳥」に戻る。
 三線造りの名人・名工と言われた故又吉真栄氏〈大正5年~昭和60年(1916~1985)〉は晩年、自作の三線の上部「天」に、千鳥の紋様をあしらい「又吉千鳥=マテーシチヂュヤー・マテーシ チドゥリ」と銘名した。職人・名工の自信と誇りの証としたのである。
 千鳥は意匠として用いる場合、右下から左上に飛ぶ図柄をよしとしている。逆の場合のそれは「凋落」を意味し、好まれない。ものごとには嘉例・不嘉例〈かりー・ぶかりー=吉・不吉〉があるということだ。