「二揚=にあぎ」
三線の調絃の基本【本調子】の中絃〈なかぢる〉を1音揚げた調子である。洋楽的音階にすると、本調子の解放絃の音は男絃〈WUぢる〉、中絃〈なかぢる〉、女絃〈みーぢる〉順にド・ファ・ド。二揚調子はド・ソ・ドになる。野村流工工四=くんくんし=上中下巻及び拾遺集204曲中、二揚節は主に下巻と拾遺集に多く38節ほどある。
その中でも「二揚五節=にあぎ いちふし」は【古典音楽の花】と称され、殊に劇構成の芸能・組踊に多用されている。心理描写を必要とする組踊では「二揚」に乗せた歌詞が台詞同様、語るがごとく謡われ、場面を盛り上げるからだ。俗に組踊は「観に行く」のではなく「聴きに行く」と言われるのは、このことに理由がある。また、歌う人の声質や表現力によって、それぞれの個性が味わえるのも「二揚五節」の特長と言える。
琉歌百景57[二揚五節その①干瀬節=ふぃし ぶし]
里とぅみば何故でぃ いやで言み御宿 冬ぬ夜ぬゆしが 互に語やびら
〈さとぅ とぅみば ぬゆでぃ いやでいゅみ うやどぅ ふゆぬゆぬ ゆしが たげに かたやびら〉
琉歌の基本体八八八六音ではなく、八八八八音になっていることに気づく。これは玉城朝薫〈たまぐすく ちょうくん=1684~1734〉作・組踊「執心鐘入=しゅうしん かにいり=一名・中城若松=なかぐしく わかまち」の中で用いられたからだ。
中城間切安仁屋村〈なかぐすくまぢり あにやむら〉から首里への道中、夜陰に迷った主人公若松は、ある一軒家に一夜の宿を頼む。そこには、女ひとりが住まいしている。美少年若松に魅せられた女は夜中、若松に言い寄った。
歌意=〈あなたは、近隣に聞こえた評判の高いお方〉。何故に一夜の宿乞いを“嫌”と断りましょうや。どうぞ心置きなくお泊まり下さい。そして、長い冬の夜もすがら互いに語り合いましょう。
ところが、ウブな若者は女の求愛を振り切って宿を出て、首里郊外・末吉の寺に逃げ込む。なおも追いすがる執念は、遂に女を鬼に変えてしまう。最終的には、寺の座主の法力に救われるが、げに恐ろしきは女の執念を描いた物語である。「執心鐘入」の上演以降、この歌詞が表立っているが節名にもなっている、つまり「本歌」とされる詠歌がある。場所は海浜。深更まで語らう男女が、別れの時を惜しむ1首がそれ。
琉歌百景58
干瀬に居る鳥や 満潮恨みゆい 我身や暁ぬ 鶏どぅ恨む
〈ふぃしにWUる とぅゐや みちす うらみゆい わみや あかちちぬ とぅゐどぅ うらむ〉
語意*干瀬=海岸の岩礁。満潮時には波に隠れる。
歌意=干潮時に羽を休めた海鳥だが、満潮になると飛び立たざるを得ない。寄せる波が恨めしいに違いない。わたしが恨むのは、ふたりの逢瀬の別れを促す暁の一番鶏。なんと無情な・・・・・。
曲節が哀調を帯び切々としているため、他にも「干瀬節に適している」とされる歌詞が50首余りある。詠歌の心得のある文人、粋人たちは恋や物の哀れを主題に「干瀬節に適した歌」を好んで詠んだということだろう。また、現代の声楽家もそれぞれ、その時・その場に適した歌詞を選んで熱唱している。野村流古典音楽協会師範・人間国宝島袋正雄氏は、次の1首がお好みのようだ。
琉歌百景59
とぅてぃん思み切らば ままなゆみ二人 一期義理ぬ上に 居らじゆいか
〈とぅてぃん うみちらば ままなゆみ ふたゐ いちぐ ぢりぬうぃに WUらじゆいか〉
語意*とぅてぃん=いっそのこと。*まま=自由。ままなゆんは〈男女が〉縁を結ぶこと。恋愛の自由が認められなかった昔、それに反発して一大決心を告げる男の心情を詠んでいる。
歌意=いっそのこと!思い切って一緒になろうではないか。義理や観念に縛られた一生を過ごすよりは、不義と言われても愛をまっとうしよう。
また、野村流古典音楽保存会師範・玉栄昌治〈1920~2007〉氏は、次の歌詞をよく歌った。
情あり童花ん一盛ゐ 散りてぃ後求める 人や居らん
〈なさきあり わらび はなん ふぃとぅぢゃかい ちりてぃあとぅ とぅめる ふぃとぅや WUらん〉
語意*童=この場合、若い女性。乙女。*とぅめる=探す。求める。
歌意=花の乙女よ。情愛を尽くしておくれ。咲き乱れる花々にも時節があるように、若いときは短い。散った花を求める人はいない。乙女花に浮かれて無駄に散らさないよう心得たほうがよくはないか。
一見、説教風にも受け取れるが、今風に言う内向的な[告白]と解釈したほうが「干瀬節」的と思える。歌詞の選び方にも表現者の性格がうかがえて興味深い。
次号は2009年5月21日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
三線の調絃の基本【本調子】の中絃〈なかぢる〉を1音揚げた調子である。洋楽的音階にすると、本調子の解放絃の音は男絃〈WUぢる〉、中絃〈なかぢる〉、女絃〈みーぢる〉順にド・ファ・ド。二揚調子はド・ソ・ドになる。野村流工工四=くんくんし=上中下巻及び拾遺集204曲中、二揚節は主に下巻と拾遺集に多く38節ほどある。
その中でも「二揚五節=にあぎ いちふし」は【古典音楽の花】と称され、殊に劇構成の芸能・組踊に多用されている。心理描写を必要とする組踊では「二揚」に乗せた歌詞が台詞同様、語るがごとく謡われ、場面を盛り上げるからだ。俗に組踊は「観に行く」のではなく「聴きに行く」と言われるのは、このことに理由がある。また、歌う人の声質や表現力によって、それぞれの個性が味わえるのも「二揚五節」の特長と言える。
琉歌百景57[二揚五節その①干瀬節=ふぃし ぶし]
里とぅみば何故でぃ いやで言み御宿 冬ぬ夜ぬゆしが 互に語やびら
〈さとぅ とぅみば ぬゆでぃ いやでいゅみ うやどぅ ふゆぬゆぬ ゆしが たげに かたやびら〉
琉歌の基本体八八八六音ではなく、八八八八音になっていることに気づく。これは玉城朝薫〈たまぐすく ちょうくん=1684~1734〉作・組踊「執心鐘入=しゅうしん かにいり=一名・中城若松=なかぐしく わかまち」の中で用いられたからだ。
中城間切安仁屋村〈なかぐすくまぢり あにやむら〉から首里への道中、夜陰に迷った主人公若松は、ある一軒家に一夜の宿を頼む。そこには、女ひとりが住まいしている。美少年若松に魅せられた女は夜中、若松に言い寄った。
歌意=〈あなたは、近隣に聞こえた評判の高いお方〉。何故に一夜の宿乞いを“嫌”と断りましょうや。どうぞ心置きなくお泊まり下さい。そして、長い冬の夜もすがら互いに語り合いましょう。
ところが、ウブな若者は女の求愛を振り切って宿を出て、首里郊外・末吉の寺に逃げ込む。なおも追いすがる執念は、遂に女を鬼に変えてしまう。最終的には、寺の座主の法力に救われるが、げに恐ろしきは女の執念を描いた物語である。「執心鐘入」の上演以降、この歌詞が表立っているが節名にもなっている、つまり「本歌」とされる詠歌がある。場所は海浜。深更まで語らう男女が、別れの時を惜しむ1首がそれ。
琉歌百景58
干瀬に居る鳥や 満潮恨みゆい 我身や暁ぬ 鶏どぅ恨む
〈ふぃしにWUる とぅゐや みちす うらみゆい わみや あかちちぬ とぅゐどぅ うらむ〉
語意*干瀬=海岸の岩礁。満潮時には波に隠れる。
歌意=干潮時に羽を休めた海鳥だが、満潮になると飛び立たざるを得ない。寄せる波が恨めしいに違いない。わたしが恨むのは、ふたりの逢瀬の別れを促す暁の一番鶏。なんと無情な・・・・・。
曲節が哀調を帯び切々としているため、他にも「干瀬節に適している」とされる歌詞が50首余りある。詠歌の心得のある文人、粋人たちは恋や物の哀れを主題に「干瀬節に適した歌」を好んで詠んだということだろう。また、現代の声楽家もそれぞれ、その時・その場に適した歌詞を選んで熱唱している。野村流古典音楽協会師範・人間国宝島袋正雄氏は、次の1首がお好みのようだ。
琉歌百景59
とぅてぃん思み切らば ままなゆみ二人 一期義理ぬ上に 居らじゆいか
〈とぅてぃん うみちらば ままなゆみ ふたゐ いちぐ ぢりぬうぃに WUらじゆいか〉
語意*とぅてぃん=いっそのこと。*まま=自由。ままなゆんは〈男女が〉縁を結ぶこと。恋愛の自由が認められなかった昔、それに反発して一大決心を告げる男の心情を詠んでいる。
歌意=いっそのこと!思い切って一緒になろうではないか。義理や観念に縛られた一生を過ごすよりは、不義と言われても愛をまっとうしよう。
また、野村流古典音楽保存会師範・玉栄昌治〈1920~2007〉氏は、次の歌詞をよく歌った。
情あり童花ん一盛ゐ 散りてぃ後求める 人や居らん
〈なさきあり わらび はなん ふぃとぅぢゃかい ちりてぃあとぅ とぅめる ふぃとぅや WUらん〉
語意*童=この場合、若い女性。乙女。*とぅめる=探す。求める。
歌意=花の乙女よ。情愛を尽くしておくれ。咲き乱れる花々にも時節があるように、若いときは短い。散った花を求める人はいない。乙女花に浮かれて無駄に散らさないよう心得たほうがよくはないか。
一見、説教風にも受け取れるが、今風に言う内向的な[告白]と解釈したほうが「干瀬節」的と思える。歌詞の選び方にも表現者の性格がうかがえて興味深い。
次号は2009年5月21日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com