旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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琉歌百景・御前風五節編

2009-03-05 22:41:42 | ノンジャンル
★連載NO.382

 民謡という言葉は「民族歌謡」の略語とされる。各都道府県のそれは「里うた。俚謡あるいは単に“うた”」と称していたが明治以降「民謡」に統一されたようだ。沖縄も例外ではないが沖縄の場合、民族歌謡にはふたつの流れがあって、琉球王府・宮廷音楽を中心に発達してきた歌三線音楽を「古典音楽」、地方の庶民の中で歌われたものを「民謡」としてきた。これも廃藩置県後の呼称。しかし、昭和47年<1972>の日本復帰以降から古典音楽は変わらないが民謡は、古来使われてきた「島うた」が主流になり、今日では普通語になっている。
 古典音楽は、教本及び記録本とされる「工工四・くんくんしー」上中下巻に124曲が収められて、その後収集記載された楽曲を合わせると204曲が伝承されている。さらには年代別あるいは形態によって5節づつ区分「五節・いつふし」と呼称している。これらを〔あくまでも〕私流の解釈を混じえて楽しんでみよう。表記は口語体にした。

 ※御前風五節<ぐじんふう いちふし>。宮廷の祝儀の際、国王の御前で演奏されたことによる呼称。

 琉歌百景○22〔御前風五節その①かじゃでぃ風〕
 ♪今日の誇らしゃや 何にじゃな譬てぃる 蕾でぃゆる花ぬ露逢ちゃたぐとぅ
 <きゆぬ ふくらしゃや なWUにじゃなたてぃる ちぶでぃゆる はなぬ ちゆちゃ たぐとぅ>
 歌意=今日の誇らしい歓びを何にたとえようか。花の蕾が朝露に出逢って、いましも満開するような心地。
 琉球、殊に古語を普通語に訳するのは至難。そこで私流に〔花〕を〔命〕と解釈してみた。
 *今日の誇らしくも歓ばしい祝儀を何にたとえたらよかろうか。それはひと皆が新しく輝かしい命の誕生とその活力を得て活性する心地がする。
 「かじゃでぃ風」には「嘉謝手風」「鍛冶屋手風」「冠者手風」の記載がある。
 なお「ちぶでぃWUる・・・・」の発音もある。


 琉歌百景○23「御前五節その②恩納節・うんなぶし」
 ♪恩納松下に 禁止ぬ碑ぬ立ちゅし 恋忍ぶまでぃぬ 禁止や無さみ
 <うんな まちしたに ちじぬふぇぬ たちゅし くいしぬぶ までぃぬ ちじや ねさみ>
 女歌人ナビーの詠歌。地方の庶民の唯一の娯楽は、歌三線を持ち出しての毛遊び<もうあしび・野遊び>であった。そのことは、王府から見れば著しい労働力の低下につながるとして、毛遊びの風習を改めるべく禁止令を出した。それに反発した1首と言えよう。
 歌意=若者たちの寄り所・並松<なんまち>の下に毛遊び禁止の立て札が立った。いかに御上の命令が絶対と言えども、若者の恋心を抑圧することはできまい。禁止の碑文!何するものぞ。無視して大いに語らおう。
 恩納ナビー=生没未詳。詠歌の背景を推察するに尚敬王<1713~1751>、あるいは尚穆王<しょうぼく。1752~1794>時代の人物と思われる。

 琉歌百景○24〔御前風五節その③中城はんた前節・なかぐしく はんためぇぶし〕
 ♪飛び立ちゅる蝶 まじゆ待て連りら 我身や花ぬ本 知らんあむぬ
 <とぅびたちゅる はべる まじゆまてぃ ちりら わみや はなぬむとぅ しらんあむぬ>
 歌意=春。花から花へ飛び移るハベル<蝶。ハビル・ハーベールーとも言う>よ。しばし待ってもらいたい。花の咲く野を知らない私をそこへ連れて行ってはくれまいか。一緒に遊びたい。
 直訳すればそうなるが実は、花の本は花の島・遊郭をさしているようだ。そして、この歌の場合の蝶は遊郭通いに長けた友人を意味している。と言うのも作者本部按司朝救<もとぶ あんじ ちょうきゅう>が、妻とくつろいでいる所へ悪友連が遊郭遊びへの誘いをかけてきた。本部朝救は按司<あじ。あんじ。高官位名>ながらもその遊びの経験がなかったわけではないが、妻の手前「花の島なぞ私は行ったことがない。しかし、せっかくの誘いだから連れて行ってほしい。いいかい?愛しの妻よ」と、妻の許可を得るために即興で詠んだと言うことだ。特記しておかなければならないのは、王府時代の遊郭は酒色のみにあらず。身分の高いお歴々の親睦会、歓送迎会、文化討論会、詠歌会、さらには政治的会合の場にもなっていたという。
 中城は、沖縄本島の地名中城ではなく、久米島宇江城、比屋定あたりをさす旧地名。「はんた」は、一般的には集落のはずれ、あるいはその先端地形や崖淵をも意味するが、ここでは〔中と称する城〕一帯のこと。その中城の支配者が貯水池を建設。水路をひいて稲作をはじめ作物の増産を成したことから、次の歌が生まれた。

 琉歌百景○25
 ♪はんた前ぬ下ゐ 溝割てぃどぅゆくす 三十まし三まし 真水込みてぃ
 <はんためぬ くだゐ んじゅ わてぃどぅ ゆくす さんじゅうまし みまし まみじ くみてぃ>
 んじゅ・んーじゅ=溝、水路。まし=水田地の数詞あるいは形の称。下ゐ=この場合は傾斜地。
 歌意=中城周辺の傾斜地に水路を通して、多くの農耕水田に水をひいた。おかげで豊作を得た。実りの地は見た目にもなんとも美しい。
この節は別に「中地はんた前節」「仲地はんた前節」として残っているが、楽曲がいいせいか歌詞を替えて歌われ、組踊「姉妹敵討=しまい てぃちうち」にも「石川はんた前節」の節名で用いられている。御前風五節に組入れられたのも、その辺が理由ではなかろうか。
“飛び立ちゅる”の歌詞は、遊郭とは切り放して純粋に「春の歌」として鑑賞した方がいいのかも知れない。  〔御前風五節。後の2節は次回につづく〕

次号は2009年3月12日発刊です!

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