★連載NO.337
私事ながら。
沖縄の2大新聞は、琉球新報紙と沖縄タイムス紙。その沖縄タイムス紙は、3月17日から朝刊1面下段に「ちゅくとぅば」と題するコラムを連載している。執筆者は15日毎に代わり、第1回目は沖縄方言普及協議会副会長小那覇全人氏、第2回目は芥川賞作家大城立裕氏。そして、どういうものか3番目の執筆が私に回ってきた。ただいま掲載中。4月30日まで。
「ちゅくとぅば」とは「ひと言」のこと。日常使われている沖縄口、もう耳にすることも少なくなったそれらを記録してみようという企画と聞き及んでいる。この島に生まれ育って、共通語と沖縄語を半々に話していながら、あらためて沖縄方言の温もりを実感すると同時に、それが時代に継承されていない現実を見せつけられることになった。振り返るとそのことは、昭和47年〈1972〉5月15日の日本復帰を境に加速しているように思えてならない。
ここへきて沖縄県も「方言の消滅は文化の危機」と捉え、毎年9月10日を「島くとぅばの日」に制定。県文化協会・市町村文化協会共催により「しまくとぅば語やびら大会」を開催し、今年は14回目を迎える。また、沖縄方言普及協議会の発足、各地には独自の沖縄口講座や教室もできて活動している。そこで、沖縄タイムス紙に15回掲載の勢いに乗って「浮世真ん中」も、毎月末を「沖縄口・ちゅくとぅばの日」と勝手に制定し、つれづれなるままに沖縄語の名詞、動詞、形容詞、歌言葉。そして、もはや島に溶け込んでいるオキナワンイングリッシュなどを拾い集めて記することにした。今週はその①
◇[ウチナーグチ]
言葉は口で発することから「語」ではなく「口」としている。そして、沖縄方言全般をさす。また別には訛り、抑揚、そのサマをふくめて、地名の下に「クトゥバ」や「ムヌイー」「ムニー」を付けた言い方もある。
まず、「クトゥバ」の例=ナァーファ クトゥバ〈那覇言葉〉。スイ クトゥバ〈首里言葉〉。以下、エーマ〈八重山〉。ナーク〈宮古〉。イチマン〈糸満〉。ナカガミ〈中頭。本島中部〉。ヤンバル〈山原。本島北部〉などなど。それも、1地域でも道ひとつを隔てただけでまるで、あるいは微妙な異なりがあり、話す人の出身地までが分かる。さらには別の言い方に「シマグチ=島口」があって、鹿児島県下の奄美大島でも沖縄の[ウチナーグチ]に当たる方言全般を「シマグチ」と称している。奄美大島は歴史的に琉球王国時代からの関係浅からず、共通する言葉は多い。もちろん、奄美大島でも島々によって異なりがあることは言うまでもない。それだからこそ国は全国的な[共通語]を選定する必要があったのである。
沖縄口の[ムヌイー]について。これも、物言いのサマをさしているが、実に多様。
◇ソー ムヌイー〈誠意ある真実的口調〉。ユクシ ムヌイー〈嘘ばなし〉。ナチ ムヌイー〈泣き語り〉。甘え言葉でもあるが、男は女のそれに弱い。ワラビ ムヌイー〈童物言い〉。図体は大きく成人だが小児的。逆に子どもが大人びた、おませな発言をするのは「ウフッチュ ムヌイー」である。
◇テーテー ムヌイー。
発声が甘く、活舌がよくないこと。大人のそれは聞き取りにくくて困るが
言葉を覚え始めの幼児のテーテー ムヌイーは、なんともかわいい。
◇クサ ムヌイー。
直訳すると、臭い物言いざま。これは理路整然としているようでその実、あまりにも理屈っぽく説得力に欠ける。青年期の私がまさにそれ。いまでもその傾向にあるが、状況によっては周囲に敬遠される。要用心。
クサ ムヌイーよりは、パーフチ ムヌイー・パーフチ バナシの方がまだいい。パーの語源はホラ貝の音とされる。つまり、「ホラ吹き」「ホラばなし」。これは語り出しからそれと分かるぶん、ユーモアさえあって罪がない。嘘とは違う。私の得意とするところ。
希薄になりつつある沖縄口に思いを馳せているうちに、1首の琉歌が脳裏をよぎる。
♪誠御汝なや恋神ぬしるし 散りてぃ行く花に情掛きてぃ
〈まくとぅ うんじゅなや くいじんぬ しるし ちりてぃいく はなに なさき かきてぃ〉
歌意=誠にもってあなた様は、恋を知り尽くした生き神様です。愛でるのは、いまを盛りの花とするのが常道ですが、あなた様は季節が過ぎて、もう萎み散り落ちる花に、情けを掛けることができる。恐れ入りました。
「花」は、女性をさしている。ここで私は、散りなんとする「花」を「沖縄口」に置き換えることにする。消え行く愛しの沖縄口を、せめて持ち合わせているだけでも情けの糸に貫きとどめて置きたいと思うのである。
待て!それこそ、クサ ムヌイーか。
次号は2008年5月1日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com
私事ながら。
沖縄の2大新聞は、琉球新報紙と沖縄タイムス紙。その沖縄タイムス紙は、3月17日から朝刊1面下段に「ちゅくとぅば」と題するコラムを連載している。執筆者は15日毎に代わり、第1回目は沖縄方言普及協議会副会長小那覇全人氏、第2回目は芥川賞作家大城立裕氏。そして、どういうものか3番目の執筆が私に回ってきた。ただいま掲載中。4月30日まで。
「ちゅくとぅば」とは「ひと言」のこと。日常使われている沖縄口、もう耳にすることも少なくなったそれらを記録してみようという企画と聞き及んでいる。この島に生まれ育って、共通語と沖縄語を半々に話していながら、あらためて沖縄方言の温もりを実感すると同時に、それが時代に継承されていない現実を見せつけられることになった。振り返るとそのことは、昭和47年〈1972〉5月15日の日本復帰を境に加速しているように思えてならない。
ここへきて沖縄県も「方言の消滅は文化の危機」と捉え、毎年9月10日を「島くとぅばの日」に制定。県文化協会・市町村文化協会共催により「しまくとぅば語やびら大会」を開催し、今年は14回目を迎える。また、沖縄方言普及協議会の発足、各地には独自の沖縄口講座や教室もできて活動している。そこで、沖縄タイムス紙に15回掲載の勢いに乗って「浮世真ん中」も、毎月末を「沖縄口・ちゅくとぅばの日」と勝手に制定し、つれづれなるままに沖縄語の名詞、動詞、形容詞、歌言葉。そして、もはや島に溶け込んでいるオキナワンイングリッシュなどを拾い集めて記することにした。今週はその①
◇[ウチナーグチ]
言葉は口で発することから「語」ではなく「口」としている。そして、沖縄方言全般をさす。また別には訛り、抑揚、そのサマをふくめて、地名の下に「クトゥバ」や「ムヌイー」「ムニー」を付けた言い方もある。
まず、「クトゥバ」の例=ナァーファ クトゥバ〈那覇言葉〉。スイ クトゥバ〈首里言葉〉。以下、エーマ〈八重山〉。ナーク〈宮古〉。イチマン〈糸満〉。ナカガミ〈中頭。本島中部〉。ヤンバル〈山原。本島北部〉などなど。それも、1地域でも道ひとつを隔てただけでまるで、あるいは微妙な異なりがあり、話す人の出身地までが分かる。さらには別の言い方に「シマグチ=島口」があって、鹿児島県下の奄美大島でも沖縄の[ウチナーグチ]に当たる方言全般を「シマグチ」と称している。奄美大島は歴史的に琉球王国時代からの関係浅からず、共通する言葉は多い。もちろん、奄美大島でも島々によって異なりがあることは言うまでもない。それだからこそ国は全国的な[共通語]を選定する必要があったのである。
沖縄口の[ムヌイー]について。これも、物言いのサマをさしているが、実に多様。
◇ソー ムヌイー〈誠意ある真実的口調〉。ユクシ ムヌイー〈嘘ばなし〉。ナチ ムヌイー〈泣き語り〉。甘え言葉でもあるが、男は女のそれに弱い。ワラビ ムヌイー〈童物言い〉。図体は大きく成人だが小児的。逆に子どもが大人びた、おませな発言をするのは「ウフッチュ ムヌイー」である。
◇テーテー ムヌイー。
発声が甘く、活舌がよくないこと。大人のそれは聞き取りにくくて困るが
言葉を覚え始めの幼児のテーテー ムヌイーは、なんともかわいい。
◇クサ ムヌイー。
直訳すると、臭い物言いざま。これは理路整然としているようでその実、あまりにも理屈っぽく説得力に欠ける。青年期の私がまさにそれ。いまでもその傾向にあるが、状況によっては周囲に敬遠される。要用心。
クサ ムヌイーよりは、パーフチ ムヌイー・パーフチ バナシの方がまだいい。パーの語源はホラ貝の音とされる。つまり、「ホラ吹き」「ホラばなし」。これは語り出しからそれと分かるぶん、ユーモアさえあって罪がない。嘘とは違う。私の得意とするところ。
希薄になりつつある沖縄口に思いを馳せているうちに、1首の琉歌が脳裏をよぎる。
♪誠御汝なや恋神ぬしるし 散りてぃ行く花に情掛きてぃ
〈まくとぅ うんじゅなや くいじんぬ しるし ちりてぃいく はなに なさき かきてぃ〉
歌意=誠にもってあなた様は、恋を知り尽くした生き神様です。愛でるのは、いまを盛りの花とするのが常道ですが、あなた様は季節が過ぎて、もう萎み散り落ちる花に、情けを掛けることができる。恐れ入りました。
「花」は、女性をさしている。ここで私は、散りなんとする「花」を「沖縄口」に置き換えることにする。消え行く愛しの沖縄口を、せめて持ち合わせているだけでも情けの糸に貫きとどめて置きたいと思うのである。
待て!それこそ、クサ ムヌイーか。
次号は2008年5月1日発刊です!
上原直彦さん宛てのメールはこちら⇒ltd@campus-r.com