旬刊・上原直彦 「浮世真ん中」の内『おきなわ日々記』」アーカイブ版

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月のころ・星のころ

2007-09-06 13:13:18 | ノンジャンル
★連載NO.304

 まだまだ日中の気温が30度を切ることはない。それどころか「寒の戻り」の逆「戻ゐ太陽=むどぅゐ てぃーだ」は、これからだろう。
 しかし、昔から伝えられるように旧盆の念仏歌舞・エイサーの賑わいが遠のくにつれ、夜は心なしかシダカジ<涼風>を感じるようになった。

 ♪夏や走川に涼風ぬ立ちゅし むしか水上や秋やあらに
 <なちぬはいかわに しだかじぬたちゅし むしかみなかみや あちやあらに>
 歌意=夏。山の端を流れる川の岸辺を通る。汗をひとふきして、ふと、川面に目をやると、吹いてくる川風が気のせいか清々しい。もしかすると川上には、今年の秋が生まれているのかも知れない。
 沖縄の夏と秋の間<はざま>を見極めるのは難しい。せいぜい、我が世の夏を誇らしげに鳴いている夏蝉が、声色を変えて秋蝉のそれになった時、夏の終わりを実感するのだ。
 したがって、この琉歌を引き出したのは、60回以上の夏を経験してきた私自身が暑さにうんざりして、シダカジの候を待ちかねているせいだろう。
 因みに、蝉の呼称はサンサナー。ジージャーが一般的。古語には「あさは。あささー」があり、シミ<蝉>も琉歌に多く用いられている。沖縄には「18種の蝉がいる」と聞いて、この島で生まれ育った私としたことが、いまごろになって驚いている。

 一方。夜空が楽しめる時候を迎えた。
 「名月を取って呉れろと泣く子かな」
 この(泣く子)は、子だろうか孫だろうか。それとも守姉の背の子だろうか。最近は、己の年齢に合わせて「孫」と解釈している。
 この情景を「月」ではなく「星」に置きかえた俗語がある。
 「子・孫ねぇ 星んむてぃ呉ゐん=くぁ・んまがねぇ ふしん むてぃ くぃゐん」
 夕涼みに出たおり、月や星を(とってくれろッ!)と、子や孫にせがまれると親や祖父母は、バサナイ<芭蕉実。バナナ>やクニブ<九年母。シマミカン>など、果実をもぐように星でももぎ取ってくれるとしている。情愛を言い当てた俗語だ。

 ある年の夏。
 まだ片言しか持たない孫に(月を取って呉れろッ)とせがまれた祖父。ターレー<盥・たらい>を庭に持ち出して水を張り、その水鏡に月を写して言った。
 「ほれ、ごらん。この月は、お前だけの月だよ」
 いつ、どこで、どこの、どなたがやったのか定かではないが、幼いころからよく聞かされた話である。

 月と親しいのは(子ども)だけではない。
 ♪夕汲みゆすりば月ん汲み移ち わが宿ぬ苞になるが嬉りさ
 <うすくみゆ すりば ちちん くみうちゅさ わがやどぅぬ チトゥになるが うりさ>
 歌意=水桶に汐を汲み移したら、月影までついてきた。これは、わが家へのいい苞<つと>、いいみやげ。なんと嬉しいことか。
 豆腐造りには欠かせないニガリとしての汐を汲みに行くのは、たいてい娘たち。昼間の汐の騒ぎもおさまった夕刻、娘たちは三々五々連れ立って、近くの海へ汐汲みに行く。新しい汐が生まれる早朝の場合もあったが、夕刻の仕事のひとつにしていたようだ。海水は以外に重く、運搬は重労働だったが(月をみやげ)に持ちかえって、弟や妹に見せてやりたかったのだろう。昔の暮らしぶりが(写った)1首である。
 つと[苴・苞] ①わらなどで包んだ物。わらづと。②みやげにする土地の物産。③家に持ち帰る土産。家づと。(日本語大辞典=講談社)
 沖縄でも、祝座などからの持ち帰り物は「チトゥ」。旅先からのそれは「ナージムン。みやげ物」と使い分けられている。

 夜空と語らいができる今日このごろ。
 ♪照り清らさあてぃん咲ち美らあてぃん 誰とぅ眺みゆが月ん花ん
 歌意=清らに照っても、美しく咲いても、誰と眺めようこの月この花。

 月見は一人でするものではなかろう。傷心ならいざ知らず・・・・・。とは言うものの、いまもって誰からの誘いもない私・・・・。

次号は2007年9月13日発刊です!

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