9時30分早朝の体温35,4度を確認して車内にビニールシート設置された送迎車に乗り込み,鹿塩1丁目小規模通所施設「絆jp」到着。
距離を保つために間隔あけた椅子に座って熱い生姜湯飲みながら仲間と談笑。
私を含めて「アベノマスク」「コロナ支援金振込み」をいただいた本日出席者一同はニコニコ笑顔でそれぞれのプランを語り合った。
10時入浴案内頂き何時もの手順で一人ゆっくり横長バスに40℃のお湯に約15分間伸び伸び漬かって快適気分を満喫。
スタッフに一部着衣を支援して貰って脱衣室から隣室へ移動すると待機されていた鍼灸師から全身マッサージを受診する。
受診後昼食迄睡眠。文字通り贅沢な「朝湯」「朝寝」を愉しむ。
昼食メニューは評判の家族料理「冷やしそうめん」「おみぎり」「煮豆」「季節の野菜サラダ]
6月11日(土)8時50分ポラリス送迎車に迎えられ、通所施設仁川ディケアセンター到着。
新型コロナウイルス感染拡大防止の影響で利用者が激減したマシントレーニング日本日参加者15人。バイタルチェック(体温36,5度血圧105-60)後オリエンテーション。リーダーの報告お知らせは「介護報酬算定にいての変更」厚生労働省認知症施策推進室指示に従って
「新型コロナウイルス感染予防に係る介護サービス事業所の人員の臨時的取り扱いで介護報酬の算定について説明がされ後日同意書に署名を求められる。
久しぶりの仲間の会話は盛り上がり、リーダー7の挨拶も耳に入らない有様「アベノマスク」が届いた「入金されたコロナ支援金で衣服を購入したとか・・・・最近のコロナニュースに関する話題が大半を占めるがお付き合いはほどに程にして週に2回の機能回復マントレーニングにゆったり基本と発声を大事にして3時間強真面目に取り組み心地良い汗を流す。
8時50分ポラリス送迎車に迎えられ、仁川ディケアセンター到着。
5月末から激減していた利用者仲間が一挙に増加している様子に驚く。
数ケ月ぶり再会の仲間に逢うと家族からコロナ感染拡大予防の行政の外出自粛要請で華族から通所止められていたと異口同音に返事が返ってくる。参加者が再び二桁台に戻り賑わい復活。久しぶりに仲間と楽しくマシン機能回復ヨレーニングに汗を流し運動する心地良さに満喫する。
政府は3日新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言期限を5搗き1日迄とする方針を固めた。自宅待機のの最大の楽しみは読書に限る。密集密着を避けて図書館は休業中、電話してみると予約は一人2件まで貸し出すとの返事で長年希望していた作家村上春樹・保坂正康の著書を依頼する借用書保坂正康著①東京裁判の教訓②「昭和史を語り継ぐ」「昭和史の教訓」村上春樹著①IQ84」②「海辺のハルカ」③「騎士団長殺し」山岡宗八著「徳川家康」全3感
今週末は、前線が日本付近にかかり、くもりや雨の所が多い見込みです。前線に向かって南から暖かく湿った空気が流れ込むため、半月から1ヶ月ほど季節を先取りした暖かさになりそうです。(tenki・jp)
7日の東京外国為替市場では円が急伸。米国によるシリア空爆を受け、リスク回避の動きが強まっている。(Bloomberg)
10:00 ENEOS DDセルフ宝塚さかせ店にて自動給油(レギュラー)は満タン、28.89㍑ (@135円)3,900円の支払い。
給油毎のTカードポイントは使用しないで累積、レシート見ると利用可能ポイントは547P貯まっていた。
隣のコンビニ「フアミリーマート」にて、大好きなコーヒーを飲みながら旧職場の先輩たちとの約束時間迄、日本経済新聞発刊「ニッポンこの20年」読書。
11:00 阪急電車「宝塚駅」南側ワシントンホテルロビーにて旧職場の先輩H・N氏と落ち合う。吹田南千里から来られた先輩H氏とは25年ぶりの再会、頻りに片麻痺患者の体をご心配頂く。
懐かしい千里ニュータウン開発時に在籍した職場の付近に在住され、阪急北千里線~宝塚線を乗り継いで来宝された。
定年退職後の年賀状の交換では、互いに再開を望んでいたが先輩N氏の希望もあって本日実現する。
2年後輩のN氏は、入社後紹介されたのがH氏であった事を始めて聞く、数年後は人事異動の度に不思議にH氏の職場を引き継いだ話が盛り上がる。
高度成長時代の職場は活気に溢れ、仕事終えての徹夜麻雀、深夜に及ぶ梯子酒は日常的に続いていたが上司の口癖は、飲んだり、遊んだりした翌日は8:30分出勤と言われ若さに任せて無茶したと振り返る。
繁忙期の職場、深夜残業は平常的に行われ、職場の片隅で就寝しても1週間~2週間は頑張ったと良い時代を懐かしく思い起こす。
昼食は3人揃ってコーヒー付き「ハヤシライス」注文、当レストランの嬉しいことは14:30分のラストオーダー迄アナザーカップが飲めて、引き続き談笑が認められる事だ。
近況報告では、H先輩(84歳)は昨年運転免許を返上し、もっぱら周囲公園の散歩を愉しまれ、N先輩(82歳)は一日中テレビの番と笑われていた。
しかし、今日も日本経済新聞を片手に持たれているところを推察すると時勢に遅れないように勉強されている様子が伺われる。