2014 01 05(日)
雨引山楽法寺、通称雨引観音の境内を前回に引き続き探訪します。
画面の左に軒先が見えるのが多宝塔、朱塗りの大きなお堂は観音堂(本堂)、右奥には絵馬堂(土産処)、右の暗く見える建屋は御供所(御札・御守り授与所)。
本堂前の石階段の最上部に見られる古びた一対の石灯篭は江戸時代の万延元年(1860年)に渡邊盛作により寄進された真壁小御影石製の常夜灯。
御供所に隣接して建つ御堂は六角堂、堂内には諸佛像と天女の壁画が拝見できます。
御供所と六角堂の裏側は名古屋城の石垣をも凌ぐ切り立った大石垣になっています。
六角堂の相向かいの小高い場所の御堂を参詣。
この御堂は足利尊氏が祀られている御所権現堂(鬼子母神堂)、足利尊氏が京都を攻めるにあたり、雨引観音で戦勝祈願したのに因み建立されたそうです。
鬼子母神堂近くの高台に建つ気品ある御堂は聖見堂。弁財天女を本尊として脇侍に16尊を祀っている御堂。
聖見堂入口前に置かれた弁財天石像に水を掛ながら祈念すれば学問・芸術の願いが叶うそうです。
弁天石像から流れ落ちる清らかな滝は弁天滝。
雨引観音の本堂裏手にそびえる「仏の山」を訪ねます。
登頂道は「佛の山 十三佛満以里」と名付けられ、登る道脇に童子姿の石地蔵が沢山並び、参詣者を頂上へ誘ってくれます。
「仏の山」頂上まではお地蔵様以外にも沢山の石仏が安置され、それぞれが死後の転生の世界を表しているそうです。
「仏の山」頂上に立つひと際大きな塔は“十三之塔”。
仏の山は鎌倉時代に万霊供養のため築かれ、死後の五十七忌に縁者がここで供養する慣わしとか・・・。
十三塔下には鎌倉時代からの供養塔が多数見ることが出来ます。
比較的に新しい立像は御影石造りの白衣観世音菩薩像。
仏の山からは観音堂(本堂)や多宝塔の背後を廻りながら下ります。 庭園の工事中でしょうか? 碑文を刻んだ大きな石碑が2個。
雨引観音境内を左に更に進むと、池や回廊、雨引会殿、本坊など拝見できます。
寛政4年(1792年)旗本・鈴木氏の喜捨金700両で建立した奥の院(雨引山会殿)。 内陣に安置されているのは台湾仏師・呉雲が刻んだ観世音菩薩立像。
本坊は現存する世界最古の企業である金剛組(寺院仏閣建築業。西暦578年創業 四天王寺や法隆寺など多数の寺社を建築。)が平成23年12月に建設・落成。
本坊玄関脇に置かれた石碑「見はるかす 枯野の果て乃 入日かな」は聖定の作。この場所からの眺望は素晴しい。
境内の一段下がった場所に建つのが子安地蔵堂、建長6年(1254年)に宗尊親王の御願により建立。
享保年間(1715年)に仏師・無関堂円鉄(円哲)が刻んだ地蔵菩薩像が祀られ、安産・子育ての守護尊として慕われています。
帰り道石階段(磴道)を下り仁王門の近くで見た巌のような巨樹には圧倒されました。
「宿椎」(やどしい)と名付けられたスダジイ(ブナ科)の巨樹。樹高16m幹周り7.5m樹齢約450年、天然記念物の霊木。
室町時代の文明4年(1472年)、楽法寺大火の際、この椎樹の陰に御本尊を避難させ、仮の宿として難を逃れたとの故事から「宿椎」と命名。
茨城県中央部の山中に立つ由緒ある雨引観音を初詣し、御本尊の延命観音を拝顔できた意義深い一日でした。
雨引観音・楽法寺は一度は訪ねてみたい名刹です。
2014 02 05(水)記。 前橋市 最高気温 3.4℃ 最低気温 -3.7℃
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