ツトムさん家の写真日記。

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第324回 上泉伊勢守 生誕五百年記念祭 前橋市上泉町。 下巻。

2008-06-15 15:15:15 | 旅行

2008 05 10(土)

前橋市上泉町の桂萱中学校体育館で行われた上泉伊勢守生誕五百年祭は中休みは挟んで、午後時から記念式典第二部の開催となりました。

最初に上泉伊勢守生誕五百年祭実行委員会会長・渡辺善衛氏の伊勢守500年祭の意義と銅像建立の説明とご挨拶。

続いて高木政夫・前橋市市長の祝辞と前橋市出身の上泉伊勢守をもっと広く認知され町おこしに活用するよう努力との話。
 
来賓として演壇に立った山形県米沢市から立派な市長・安部三十郎氏(54歳)が伊勢守の話題にかこつけて、さり気なく米沢市のアピールをした軽妙洒脱な講演で観衆を沸かせていました。

来賓の挨拶・講演も終盤となり、米沢市から駆けつけた上泉伊勢守から16代目子孫・上泉一治氏が「伊勢守は1570(元亀1年)の足利義輝将軍上覧試合に続いて、正親町天皇の前で天覧試合を行った功で従四位下に叙せられた事は、征夷大将軍・足利義輝や織田信長が同じ従四位下だった事からして、いかに伊勢守の剣技と人格・人望が高かったか・・。」との上泉伊勢守の講話。
 
続いて、剣聖・伊勢守の編み出した新陰流を引き継いだ柳生新陰流代22世宗家・柳生厳信(耕一)氏の剣術の基礎を築いた新陰流剣法と柳生新陰流についての詳しい講演がありました。(全国各地で講演しているのでしょう、手馴れたお話が聴衆を魅了していました。)
 
柳生厳信氏は伊勢守が考案した袋竹刀と旧来使われた木刀を比較しながらの丁寧な講演でした。

いよいよ柳生新陰流演武の人達の入場!
模範試合を演じる方々の手には上泉伊勢守が作り上げた袋竹刀が・・・。
 
この袋竹刀が使われるまでは、硬い木刀の試合稽古で怪我人や死者が続出・・・。
上泉伊勢守は一本の8~6に割り赤漆を塗った皮袋に入れて、叩かれてもケガしない安全な練習武具にしました。 

それまでの稽古では木刀寸止めでしたが、袋竹刀の使用により完全に打ち込めるようになり、以降の剣術の発展に大きく寄与し、この袋竹刀から現在の剣道で使用する竹刀に発展したのです。

午後45分から、特別演武「柳生新陰流兵法」が開始!
 
体育館の滑る板床の上ですが、上手に色々な構え・型を披露していました。
 
試合の打ち合いでは模範演技とはいえ、真剣そのもので館内は静まり返っていました。

柳生新陰流兵法」試合の最後に、柳生新陰流代22世宗家・柳生耕一(厳信)氏が登場!
 
さすが柳生新陰流22世宗家ですね、56歳とは思えないキビキビとした動作で柳生新陰流の模範演武を・・・。

体育館を揺るがす大声を出しての裂帛の気合!!  新陰流恐るべし!

楽しく勉強にもなった上泉伊勢守生誕五百年祭記念式典も午後10分に無事終了・・・。

小雨降る中、近くの上泉城跡地に立つ上泉伊勢守秀綱公の墓所へ・・・。
 
上泉城跡地の一角に建つ曹洞宗・恵雲山西林寺の墓地に上泉伊勢守秀綱公の墓所があります。 (西林寺は伊勢守銅像のある上泉町自治会館の西隣り。)

小雨に濡れた大きな石板碑には「剣聖 上泉伊勢守藤原信綱 顕彰之碑」と刻まれています。(伊勢守秀綱は武田信玄から一字を授けられ、信綱と名を変更。)
 
上泉伊勢守の墓は雨天で無ければかなり明るい墓所です。
卒塔婆の前の縦細の墓石上泉伊勢守秀綱公の墓

天下にその人有りと知られ、柳生石舟斎・宝蔵院胤栄や丸目蔵人など大勢の弟子達に剣の道を教え、新陰流を全国に広めた剣聖・上泉伊勢守秀綱公の墓所も生誕五百年祭で何故か嬉しそうに華やいでいました。

立派な剣聖・上泉伊勢守銅像が見つけにくい自治会館P場に設置されて寂しそう・・・。 上泉町皆様の浄財での地元建立のコダワリは判かりますが、この場所では訪ねる人も少なくなります。 前橋市と協議し前橋駅前か商店街とか中央公園などに移設して多くの人々に伊勢守の遺徳を偲んで頂いては如何でしょうか・・・。 

2008 06 15(日)記。    前橋市  最高気温29℃


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