8月25日(土) 小千谷サンプラザでの雪フェアや緋鯉の里を見物した後、近くにある寺社など訪問しました。
日暮れが近くなると共に、日中の猛暑も少しづつ和らぎはじめました。
小千谷市の中心部から1km程の場所にある寺社を訪ねました。
お寺の名前は船岡山慈眼寺。 越後では屈指の古刹として有名です。
県道のそばに建っている立派な山門がひと際眼を引いています。
薩明大徳と云う偉いお坊様が建てたとありました。
山門脇のたて看板には天武天皇の白鳳元年(673年)の創建とありますから、古き由緒では相当なお寺と思います。
山門の左右には巨大な仁王様がお出迎え。 仁王像の後ろには大きな草鞋!
大草鞋は新しかったので最近の奉納と思われます。
手を上げたユニークなポーズで参拝者を軽く威圧していますが、素朴で憎めない雰囲気の仁王様です。
山門(仁王門)をくぐり、石敷の参道を進むと名高い船岡観音堂が見えてきます。
正式には真言宗智山派船岡山観音院慈眼寺船岡観世音堂とジュゲムの様な長い名前です。
観音堂の軒先にはビッシリと見事な彫刻が施され、この地方の往時の信仰の深さを物語っていました。
扉の隙間から観音様を拝ませて(撮影)頂きました。
お堂には衆生救済で霊験あらたかな船岡観音像が祀られています。
この船岡観世音菩薩像は大同年間にこの地に来た弘法大師が一刀三礼で彫り上げたと言い伝えら、元禄4年に江戸まで出開帳された時には善男善女がひきもきらず押し寄せ開帳法会は60日間にも及び。時の将軍・徳川綱吉も参詣して和歌を記した扇子を奉納したとの事です。(扇子は寺宝。)
船岡観音堂の横奥に慈眼寺本堂と河井継之助・岩村精一郎の長岡談判記念碑が建っています。(文・徳富蘇峰)
北越追討山道軍の官軍を率いる土佐藩士・岩村軍監は23歳、長岡藩を守る河井総督は42歳の上席家老。
ここ船岡山慈眼寺本堂の一間で会談(慶応4年5月2日)を持ちましたが、河井の情理を尽くした嘆願も岩村の一方的な拒絶で談判は決裂! 河井継之助はやむなく戦火を交える事となり、最終的に落城し長岡藩は滅亡する事となりました。(戊辰戦争)
偉傑・河井継之助の写真と長岡談判が行われた本堂の会見の間です。
(河井継之助については司馬遼太郎の「峠」を読まれたし。)
夕刻となり、かなり暗くなりましたが、車を走らせて次なる神社へ・・・。
小千谷市を中心とする米どころ魚沼地方の総社・魚沼神社の見学。
周囲を道路や住宅地に削られ、昔しは鬱蒼とした境内の杉木立も今では寒々としていました。
魚沼神社拝殿には弥彦大明神の扁額が有りましたから、祀っているのは弥彦神社と同じ伊夜比古神でしょうか?
拝殿奥の本殿脇には巨大な三又杉が天まで届く勢いで立っていました。
たぶん、天然記念物に指定される価値は充分にありますね。
魚沼神社の境内には小じんまりとしたお堂(茅葺き三間四方の宝形造り)が建っていました。
このお堂は元神宮寺の別当池源寺の阿弥陀堂で、内陣には大日如来と阿弥陀如来が安置されています。 (普段の日は見られません。) 神社にお寺は神仏混淆。
この阿弥陀堂は室町時代の建築様式を残し、内部の木建材に永禄6年(1563年)の文字が確認されたそうです。
越後の豪雪に適応すべく軒先が短く造られているのがこの阿弥陀堂の特徴です。
阿弥陀堂は国の重要文化財に指定されています。
2007 10 04(木)記。 前橋市 最高気温25℃。
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