2008 10 04(土)
二本松少年隊で有名な大隣寺の前にある隊士館でラーメンを食べていると何やら笛太鼓の音が聞こえてきました。 食事もそこそこに、店の外へ・・・。
二本松市成田町の田畑の中を立派な屋台が曳かれてきました。
この屋台は今夜の“二本松提灯祭り”に参加するため昼間の巡行の最中でした。
昼食していたお店の前で屋台は小休止してから再出発。
金箔で飾られた豪華な屋台は二本松の名城・霞ヶ城へ・・・。
賑やかな屋台を見送ってから、戦前の画家であり、高村光太郎の妻でもあった“智恵子の生家”を見学に・・・。
智恵子の生家脇の道路には“智恵子純愛通り”と彫られた大きな石碑が置かれています。(石碑の横が市営無料P場)
軒先に杉玉(酒林)を飾った大きな商家が智恵子の生家。明治初期に建てられたそうです。(生家付近からコロムビアローズⅡが歌う「智恵子抄」が流されています。)
高村智恵子はこの家で1886年5月20日に長沼今朝吉の長女として生まれました。( 戸籍名は長沼チエ )
長沼家はこの地方で屋号を「米屋」と称する酒造業を営む資産家でした。
当時醸造していた清酒の商標は「花 霞」。 1914年に高村光太郎と結婚するも、父・長沼今朝吉の死後、1929年(大恐慌)に長沼家は破産し智恵子は心労などから次第に心を病み、自殺未遂など起しながら1938年に肺結核で亡くなりました。(享年52歳)
智恵子生家の裏側から内部に入ることが出来ます。(入場料400円)
智恵子の生家の勝手口からの屋内です。
智恵子が使っていた什器などの生活用品が展示されていました。
長沼家の中心の居間。 智恵子は二階の部屋に住んでいたそうです。
右手前のガラスケースに智恵子が愛用した琴が綺麗な状態で保存されています。
奥の部屋に置かれた智恵子が使っていたはた織機は、今でもカタカタと音をたてて動き出しそうでした。
昔懐かしい蓄音機。 この蓄音機で智恵子はベートーベンの第6交響曲「田園」を好んで聴いていたそうです。
智恵子の生家特別公開(2015.10.31) (拝借動画。)
智恵子生家の裏手にある近代的な“智恵子記念館”に入館。
芸術家・智恵子が残した油絵や紙絵などの作品の数々が展示され、芸術的雰囲気に浸れる記念館です。
高村光太郎と幸せなツーショット。丸顔の智恵子が愛らしく写っていました。
夫・高村光太郎作の彫像・「乙女の像」(1953年)。智恵子をモデルにして製作したそうで、顔には智恵子の面影が色濃く表現されています。
高村智恵子の詳細はここクリック。
智恵子の生家と記念館を見学してから直ぐそばの小高い丘にある“智恵子の杜公園”へ・・・。
丘の頂上に建つグロテスクな展望台に上がってみました。
二本松市の一部が眺望できます。
智恵子は時々この丘に上がって安達太良山を眺めていたそうです。
「あれが阿多多羅山、あの光るのが阿武隈川・・・」(智恵子抄・樹下の二人)
「阿多多羅の山の上に、毎日出ている青い空が、智恵子のほんとの空だといふ。」(智恵子抄・あどけない話)
智恵子は故郷のこの丘から眺めた安達太良山の空がほんとに好きだったのですね・・・。
昭和懐メロの名曲 「 智恵子抄 」 歌手 コロムビアローズ 二代目
次回は奥州安達ヶ原鬼婆伝説の地。
2008 10 16日(木)記。 前橋市 最高気温24℃
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