ツトムさん家の写真日記。

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第313回 長野県上田市 “第26回 真田まつり” 下巻。

2008-05-15 18:18:18 | 旅行

2008 04 29(火・昭和の日)

上田市の街中には到る処に真田まつり幟り旗が立てられて・・・。
 
上田市内の海野町と原町の交差する中央二丁目交差点で“真田まつり”を見物。
武者行列が到着するまでは御神輿などで祭りを盛り上げていました。

上田駅方面から武者行列が陸続と到着。
午後2時から上田決戦劇「決戦!真田軍VS徳川軍」の始まりです。(司会者は立川談慶)
 
真田十勇士の幟り旗が続きます。戦場で華々しい戦果を挙げた真田緋縅し甲冑部隊も整然と隊列を組んで登場!
 
女子部隊の先頭には真田幸村公の奥方・竹林院(利世殿も加わっています。

真田子供部隊も緋縅しの鎧兜の出で立ちで胸を張って・・・。
 
豊臣方から派遣された「大阪甲冑隊」の面々は幾多の戦場を駆け巡った勇壮な面魂です。

御大将・真田安房守昌幸公(九度町長)は乗馬姿で指揮を執ります。
 
真田昌幸公の奥方・寒松院(山手殿)も真田家存亡を賭けた闘いに凛々しいお姿で戦場へ・・・。

上田城を守備する女子長刀隊は襷(たすき)掛けで城を枕に決死の討死覚悟!
 
天下にその名を轟かした真田十勇士が最後に戦場に到着、決戦の機運が間近に迫ります。

真田武者行列も無事に終了、真田幸隆・真田昌幸・真田幸村(信繁)の三将は床机に着座にて観戦。
 
戦機が熟したとき、重々しく法螺貝が響き渡り、徳川秀忠の軍勢の襲来を伝えていました。

両軍の緒戦は真田徳川忍者同士の斬り合い戦が中央交差点の戦場で・・・。
真田忍者・猿飛佐助霧隠才蔵たちの力闘により徳川忍者・服部半蔵一派は手傷を負って逃げ帰ります。
 
真田・徳川両軍の武将による決戦がそこかしこで繰広げられていました。

真田子供部隊の猛攻撃も開始され、しだいに徳川軍の敗色が濃厚に・・・。
 
徳川秀忠を主将に頂く徳川軍は上田城を攻略出来ずに日時を費やし、東西両軍が死闘を演じた天下分け目の関が原決戦の間に合わず父君・家康から叱責・謹慎とされる結果となります。

無事、徳川秀忠軍を打ち破り、大喜びで勝鬨の声を挙げる真田の勇者たち・・・

天正13年(1585)の第一次上田合戦と慶長5年(1600)の第二次上田合戦の両戦闘で徳川の大軍を上田城に引き付け、真田昌幸・信繁(幸村)親子は地の利と智略を縦横に駆使して大勝を遂げ、真田の武名を天下に知らしめたのでした。

第26回 真田まつり”も恙無く終了。 真田の殿様たち(右から二番目・真田幸隆公は真田家子孫・真田 徹氏)もにこやかに記念撮影です。
 
入道姿の猛将も若い長刀女子隊に囲まれて武勇談でしょうか・・?

真田忍者・猿飛佐助霧隠才蔵は女性に大人気です。 なんと云ってもイケメンはモテますね・・・。 忍びの者の殺陣仕草はサマになっていました。
 
一方で観客を沸かせたのは真田十勇士三好兄弟。体も声もずば抜けて大きい豪傑!(適任ですね。)

真田まつり”の記念に筆者も上田一番の美形とツーショット! 可愛い美丈夫でしょう・・・。
 
交差点に陣取って真剣に太鼓を打ち鳴らし、勇壮な雰囲気に盛り上げた真田陣太鼓の皆様に感謝の拍手・・・!

2008 05 15(木)記。   前橋市   最高気温24℃


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2 コメント

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有難うございました (三好青海入道)
2008-06-22 17:25:20
自分の写真があるなんて、びっくりです。
今は、ひげをそり、髪の毛もあります。
来年も、たぶん同役になるかも・・・
また、お越し下さい。
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お見事!! (ツトム)
2008-06-23 22:14:20
三好青海入道さま。

上田市真田祭でのご活躍ご苦労様でした。
五月晴れの暑い中、大きな鉄棒を振り回しての熱演、さぞ大変だった事と思います。
お陰で素晴しい真田祭を楽しむ事が出来ました。

このBLOGにも勝手ながら使わせて頂き、誠に有難う御座います。遅ればせながら御礼申し上げます。

来年も同役とのこと、更なる入道演技を期待し楽しみにしております。 くれぐれもお体にご留意のほど・・・。
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