11月25日(日) 田舎の素人歌舞伎の見物に行きました。
群馬県の渋川市郊外の上三原田地区。
赤城山の西斜面で、あたり一面は桑や野菜の純農村地帯です。
そんな田舎には全く相応しくない立派な歌舞伎舞台があるのです。
演劇好きのその筋には超有名な“上三原田歌舞伎舞台”です。
筆者も何回か訪ねましたが、何時もはひっそりと佇むだけの古い茅葺きの建物。
毎年秋に一回のみ地元の有志が演じる歌舞伎が催されるだけの舞台です。
今年は11月24・25(日)の両日、この上三原田歌舞伎舞台を活用して田舎歌舞伎が上演されるのです。
今年は“全国地芝居サミット・IN しぶかわ 上三原田”という催し。
早速、朝早くにを飛ばして渋川市の赤城山斜面へ・・・。
さすが、田舎歌舞伎だけあって朝は早いです。
オープニングセレモニーの木遣唄の木遣衆が舞台へ入場するのは朝の七時四十分!!
筆者は夜更かしですから、この時間は普段はまだぐっすりと寝ている最中です。
近くの三原田小学校に駐車して、上三原田歌舞伎舞台へ・・・。
歌舞伎舞台の近くの田圃には巨大な凧が朝日を浴びて今にも飛び立ちそうな姿です。
画像の上の車と比較すると大きさが判りますね。
国道353号線に沿った小高い場所に上三原田歌舞伎舞台はあります。
朝早くから人々が駆けつけて賑わっていました。
上三原田歌舞伎舞台の広い観客席の屋根を支えるのは太い杉(ハネ木)!
杉の根が道路の上まで張り出していました。根は重りのアンカーで引っ張られています。
勿論、反対側にも同じ様に根が出て、観客席中央で二本が結ばれています。
座って800名が収容できる舞台桟敷席を納める大屋根が見事なアーチを描いていました。(立ち見も加えると約1000名。)
杉の木を二本束ねて横に梁渡し、舞台に向かって太い青竹を縦に結わえ、更にその上に竹を弧状に張った構造になっていました。
アーチ状屋根の最上部には刈取った稲ワラのムシロで葺いてあり、江戸風情漂う桟敷席になっていました。
観客桟敷席に着座すると体育館と見まごう大きさに驚かされます。(奥行き30m、幅18m、高さ6m)
地元の有志が9月からボランティア活動で設営にあたったそうです。
桟敷ドームの建設には設計図は無く、古老からの言い伝えを元に作ったとの事。
作業に携わった方々の粋な心意気が感じられる力作です。
早朝なので、まだ空席も有り、都合の良い桟敷席が確保出来ました。
着座して程なく、三ヶ所から威勢の良い木遣りの入場です。
50名程の木遣衆が舞台に上がり、歌舞伎上演を祝って木遣唄の御披露!
続いて舞台の上では笙(しょう)篳篥(ひちりき)など古楽器の「雅楽」演奏。
雅楽演奏は天台雅楽会とありましたから天台宗の僧侶の楽隊でしょうか?
雅楽演奏の後、上三原田歌舞伎舞台に舞台装置の披露がありました。
三重の衝立絵で遠近法を使って立体的に見せる遠見機構。
実際に奥行き深い御殿座敷を見ているような錯覚を起こさせました。
この上三原田歌舞伎舞台には舞台中央に大きな回り舞台が作られています。
地元の水車大工“永井長治郎”によって江戸時代・文政2年(1819年)に建設された回り舞台付き歌舞伎座です。(国指定重要有形民俗文化財)
現存する回り舞台ではこの上三原田の歌舞伎舞台が日本最古のものです。
舞台が回ることは勿論、せり上がり・せり下がりなど見事な仕掛けです。
江戸時代の当時としては世界に類を見ない特殊機構だったと云います。
大昔ですから動力は無論のこと人力です。
舞台の床下には約35人が入って、舞台仕掛けを操作します。
暗い狭い舞台床下での厳しい作業で華やかな歌舞伎が演じられるのですね。
「縁の下の力持ち」とはこの事を云います。
この舞台床下のことは“奈落”とも言うそうです。「奈落の底」って・・・ブタ箱の守屋武昌!
この他、平舞台の操作に20人。屋根裏からの仕掛けにも25人。合計80人の地道な裏方作業で回り舞台が成り立っています。
江戸時代に上三原田歌舞伎舞台を建てた永井長治郎は舞台建設の他にも、寺社や大水車などを造り、また利根川に跳ね橋を幾つか架けたそうです。
安政五年、前橋藩の命により架けた利根川大渡りの“万代跳ね橋”は関東の名所の一つとして錦絵にも描かれた流麗な橋だったそうです。
また、鼠彫刻の競争では永井長治郎の彫った鼠だけをネコが咥えて逃げたとの逸話があります。(実際には永井が鰹節で鼠を彫ったとの事。)
更に「鶴に乗って伊勢参りする」と云って、鶴形の飛行機を製作し乗って墜落した話もある日本のダビンチです。
舞台花道にもセリの上がり下がりの仕掛けが・・・。(通称スッポン)
観客の一人が花道から下がり、代わって舞台説明の星野事務局長が下から登場し拍手喝采。
舞台装置の披露が終わり、シンポジューム「子ども歌舞伎にみる日本の伝統文化の現状」など貴重な講演を拝聴しました。
午前の10時からお待ちかねの歌舞伎上演になりました。
演目は「新版歌祭文 野崎村(百姓久作住家の場)」。演じるのは“みなかみ(
水上)町子ども歌舞伎”の一座。
粗筋は「大阪の奉公先から帰郷した久松を許婚にするお光、お光の親・久作は二人の婚礼を行おうとするところに、久松の恋人で奉公先の娘・お染が現れます。
恋人同士の久松とお染は、結婚できないなら一緒に死のうと覚悟します。
これを知ったお光は二人を助ける為、久松との結婚を諦め、剃髪して尼になる物語。」
小さな子供とは思えない程の真に迫った熱演!! 実に楽しい子ども歌舞伎です。
お駕籠や舟まで登場して、お光の優しさ溢れる叙情的な子ども歌舞伎でした。
子ども歌舞伎が終わり、11時30分から日本各地に伝承されている芝居の座主が集まって講演や“第十八回全国地芝居サミット宣言”などが執り行われました。
(全国の地芝居は現在約200団体、群馬県には7団体が活動中。)
第二回目の歌舞伎上演は素人大人歌舞伎です。
渋川市半田町“半田歌舞伎 坂東座”が演じる「陸奥の白萩 老後政岡 綱村御殿別れの場」。
“伽羅先代萩”(めいぼくせんだいはぎ)・伊達騒動のその後篇で、忠死した千松の母・政岡(鶴千代の乳母)が伊達綱村(幼名・鶴千代)に暇乞いをしに御殿を訪ね、千松の位牌を抱いて千松の想い出を回顧し、子供時代に聞いた「飯炊き(ままたき)唄」を綱村に所望される政岡の名場面。
素人大人歌舞伎もトチッたりしながらも泣かせたりして楽しめた演技でした。
無事に幕が引かれて、拍子木がチョン、チョン、チョン・・・!!
最後に半田歌舞伎坂東座の一同と舞台関係者全員が登場し、盛大な“千秋楽”!
赤城山の中腹の農村地帯に斯くも立派な歌舞伎舞台があるとは・・・。
地芝居・素人歌舞伎を朝から上演して楽しませて頂き、しかも無料(江戸時代から)なのです。
有意義な一日をタップリと過ごせました事に三原田地区と出演された方々に御礼を申し上げます。(感謝・感謝!!)
駐車場までの途中にに第二会場がありましたので、渋川・三原田の農産品を購入。
柔らかくて、水々しく美味しい野菜にも感激でした。
読者の皆様も群馬へ行った時は上三原田の歌舞伎舞台をぜひ御覧下さい。
※ 今回の上三原田歌舞伎は群馬TVの12月14日(金)夜10時に放送。
※ 歌舞伎舞台造りはここクリック。
2007 12 04(火)記。 前橋市 時々 最高気温11℃。
こんな事もあるんだなhttp://inomate.net/dlm/878