ツトムさん家の写真日記。

写真いっぱいの楽しい日記です。(全面表示でご覧下さい)

第951回 前橋空襲 上。  前橋市あたご歴史資料館。

2015-08-13 10:00:00 | 写真・旅行・日記・コラム

2015 08 08(土)


主に大東亜戦争(太平洋戦争)の資料を収集・展示するあたご歴史資料館を見学。
場所は 前橋市住吉町2-5-4。 電話 027-289-4844.
 

あたご歴史資料館の入口前に造られていたのは防空壕
昭和20年8月5日(日)夜に前橋市はB29爆撃機による空襲で市街地の80%が焼失、死者535名に達する大被害を受けたのです。

戦時中の防空壕は約1mほど地下に低く造られたそうです。

防空壕の周囲には土嚢やコンクリート製防火水槽・荒縄を取付けた火バタキなど置かれ緊迫した非常時の様子が感じられます。
  
火災は防火用水の水をバケツリレーで消すしか術のないのが戦時の一般庶民。

見学用の防空壕ですから、生活感のない小奇麗な内部。ロウソク・灯油ランプは照明用。
  
実際はもっと深く掘られますから、さぞかし湿気でジメジメとしていたと思われます。

あたご歴史資料館の内部、戦時中の物品が整然と展示。






恐怖の「赤紙」と云われ嫌われた召集令状。群馬県勢多郡桂萱村の高橋平次郎さん宛に横須賀海軍人事部から郵送された赤紙。

昭和20年5月28日午前8時までに横須賀海兵団に到着すべし。

陸軍の軍隊手帳なども珍しい・・・。


輝皇威八紘」の表字に寄書きの日章旗と保存状態の良い軍服。                  木村 清さんの入営を祝す入営旗
 

兵隊さんの必需品、アルミ製水筒・飯盒(はんごう)・鉄カブト・脚に巻くゲートルなど・・・と、鉄不足で戦争末期の陶磁器製の手榴弾
 

出征兵士が御守りとして身に着けた「武運長久 千人針」。
は「千里を往って、千里を還る」の諺(ことわざ)から、千人針は寅年の女性が縫うと効果大なると言われていました。
また、五銭硬貨を縫い付けて四銭(死線)を越え、十銭では九銭(苦戦)を逃れると験担ぎ・神頼みの皇軍(日本軍)でした。


前橋市に投下された焼夷弾(実物)。左からナパーム剤が充填された焼夷弾筒(六角形 長さ50cm 重量2.7kg)、
真中は焼夷弾筒の底部を利用した灰皿。右の円盤状は収束焼夷弾の鉄製先端部(頭部)。


前橋市を初め全国の主要都市に投下された焼夷爆弾の説明図。
 

余裕のアメリカ軍から事前に撒かれた爆撃予告ビラ、長野・富山・大津・前橋・水戸は県庁所在地。




戦時下の暮らしを物語る品々も展示、少しは役に立ったのでしょうか?布製防空頭巾。粗末な女性用もんぺ。愛国婦人会が配った茶碗。筆者も子供時代に搗(つ)いた一升瓶入りの米。懐かしいやら悲しいやら印象に深く残る“前橋 あたご歴史資料館”です。
   


前橋市 あたご歴史資料館。


まるちゃんの遊人帳8月5日 「前橋大空襲」



第445回 戦争と暮らし 埼玉県平和資料館。(2009年8月8日ブログ)
http://blog.goo.ne.jp/ttmida/e/7d6c4824dad55630802dd5c89d5bdc2c


悲惨な敗戦から70年、キナ臭くなってきた昨今、戦争と平和を真剣に考えては如何でしょうか・・・。


2015 08 13(木)記。       前橋市 一時       最高気温 29.3℃      最低気温 22.4℃ 


おまけコーナ-.

 事故車の車窓から ドライブレコーダー映像集。