ツトムさん家の写真日記。

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第673回 水戸市 偕楽園 観梅。

2012-04-12 18:13:31 | 写真・旅行・日記・コラム

2012 04 05(木)

北関東自動車道が開通して1年、時間的に近くなった水戸市へ観梅の旅です。

前橋市から車を飛ばして約2時間で水戸偕楽園に到着。
平日なので、直ぐ傍の無料P場に楽々駐車ができました。

偕楽園には4~5ヶ所の入場口がありますが、先ずは正門と思われる茅葺き屋根の表門(別名・黒門)から入園です。(入園無料)
 
梅の香が仄かに匂う園内には幾つかの散策道がありましたが、丁寧な道標識が設置され迷うことはありません。

雲一点も無い青空の下、偕楽園名物の紅梅白梅を観賞しながら小道を進みます。
 

水戸偕楽園は水戸藩第九代藩主徳川斉昭公の命により天保12年(1841年)から造園開始され翌年に完成。日本三名園(偕楽園 後楽園 兼六園)の一つに数えられています。
園内には110種類、約3000本の白梅紅梅が植えられているそうです。

2日前の爆弾低気圧の強風で梅の花が散らされて半分ほどしか樹木に付いていません。


梅の木の間には古い石碑などが垣間見られます。(奥の石碑は水戸彫りと呼ばれた彫金の2師匠を顕彰した「二名匠碑」)。


偕楽園内には「水戸六名木」と呼ばれる銘木が大切に保護されています。
古木なので花の咲き方はイマイチですが、樹幹の姿が奥ゆかしく風雅です。
  
因みに上画像は左から「江南所無」「月影」と「柳川枝垂」と名付けられた梅銘木。
この他に烈公梅」「虎の尾」「白難波」の梅木をくわえて「水戸の六梅木」と言います。

偕楽園見晴らし広場」の樹木で一番目立ったのが巨大な「左近の桜」。
満開時はさぞかし見事な桜花を咲かせて花見客を喜ばせることでしょう・・・。


偕楽園南端の景勝高台「仙奕」(せんえきだい)からの眺望が素晴らしい。
遠くに穏やかな湖面をみせるのは水戸市民の憩いの場「千波湖」。


偕楽園には数々の石碑や像が建てられていました。
左から第九代水戸藩主・徳川斉昭公直筆の「偕楽園記碑」。
偕楽園は一部の人の物で無く皆で共に楽しむ公園という意味と記してあります。
  
高下駄でマント姿の学生像は「向学立志の像」。片手にコンサイス辞書を携えた旧制水戸高等学校の生徒立像。
若人青年に勉学奮起を促すために設置されたそうです。

右の石碑は「大日本史完成之地」碑。
水戸光圀公が編纂着手してから250年後の圀順公の時、明治39年にこの地で完成したのを記念して建てられたそうです。

水戸偕楽園の南端崖下(仙奕台の下部)に深く掘られた洞窟「南崖の洞窟」が見られます。
今から約350年前の第二代藩主・水戸光圀公時代から、第九代藩主の斉昭公の時代にかけて「神崎岩」を採掘した跡で、奥行き約150mの長さといわれています。
 
南崖洞窟内部は落盤の恐れで立入禁止状態です。

更に崖下を案内標識に従って進むと、清水がこんこんと湧き出る「吐玉泉」に出会います。
真っ白な大理石の中央から一日100トンの清水が湧き出し、この水は眼の病に効くそうです。
 
「吐玉泉」の横に屹立する大木が樹齢800年の「太郎杉」。
この周囲には巨木が沢山生えていて、順に名が付けられて五郎杉まであったと言われています。

水戸の偕楽園はこの他にも見所が沢山ありました。
次回は偕楽園の中の建つ史蹟建物「好文亭」を訪ねます。

10時過ぎから入園し色々見物して時刻は正午。
偕楽園東門から退園して昼食タイムです。
表門より東門の方が立派で土産店など立並び賑やかですから東門が正門なのかな・・・?
 
昼食で頂いたのは「偕楽園レストハウス」の「ねばり丼」(1100円)。
水戸納豆を始め、とろろ・イクラ・根昆布・マグロ・イカそうめん・マグロ・半熟卵・オクラなど粘って精力が付きそうな食材がたっぷりと載って美味しい丼でした。

次回の水戸の梅大使(娘)と「好文亭」をお楽しみに・・・。

2012 04 12(木)記。      前橋市      最高気温23.3℃    最低気温10.2℃


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