2月25日(土) 晴天・温暖なので、久し振りに出歩いた。
場所は群馬西部の松井田町・五料の茶屋本陣。
五料の茶屋本陣は江戸期の五街道(東海道・中山道・甲州街道・奥州街道・日光街道・)の一つ中山道(宿場69次・日本橋⇒京三條大橋 132里)の松井田宿と坂本宿の中間に位置し、主に大名・公家の休息場所(庶民では次の宿場までの「間宿」)として用いられた。
(中仙道とも書くが1716年に江戸幕府は中山道を正式名称とした。)
五料茶屋本陣は地元の名主屋敷で「お西」と「お東」と呼ばれる同形式の二つの建物からなり、一年交代で要人の休憩所として役目を果たした。(共に中島家 1806年築)
(「お東」)
中山道は女性が通行するには大きな川の多い東海道(川止め・関所の女改めが厳重。)より楽であった為「女人東海道」とも言われ、
幕末(1861年)に徳川家(家茂)に降嫁した皇女・和宮の行列も中山道が使われた。
五料茶屋の内部は江戸時代のままで、カマドの煮炊き・囲炉裏の煙りで煤けていた。母屋内部には馬屋もあり当時の生活様式が垣間見える。
順路に従って奥座敷に入ると、広い二間に渡って一面に雛人形が飾られて華やかな桃の節句の雰囲気を醸していた。(多数の雛掛け軸も貴重で興味深い。)
お内裏様や三人官女・五人囃子などお馴染みな雛人形に加えて、
「傘さし雛」や乳をねだる「母子雛」(文政期)などの変わり雛もある。
犬の狆(ちん)を飼育している女官の「狆ひき雛」(昔し狆は安産の象徴。)、
嵯峨衣装雛の「次郎左衛門雛」など珍しい雛人形が展示されていた。
これは「享保内裏雛」(時代により男女の位置が異なる。明治から男が左側、本来はこの享保雛のような配置が正しいとされる。)
江戸時代には雛人形も次第に大きく豪華になり高さ80cmもの人形までが現れた。 享保の改革(徳川吉宗・1716~1745年)の倹約令で雛人形も約20cmまでに抑えられた。
五料の茶屋本陣には江戸期を中心にした雛人形が多数展示されています。
家屋も江戸時代の様式を伝えており、一見の価値大いに有りと思います。
雛人形の展示は3月26日迄。 料金210円。
2006 02 26(日) 朝から夕方まで雨天
荒川静香さん、金メダルおめでとう!!(06 02 23[木] トリノ冬季五輪)