吾妻渓谷の散策を終わって車で吾妻線・川原湯駅の前から川原湯温泉に行ったんだ。
吾妻線にお似合いの小さな木造駅舎も水の底になるんだ・・・(ー_ー)!!
川原湯駅から道路を左に上がると直ぐに川原湯温泉に着いたよ。
坂道に沿っている温泉街を通り抜けて、温泉街から1km先の”不動の滝”を見に行ったんだ。
路端の無料駐車場から散歩道を歩いてたら赤い実をいっぱい付けた草に出会ったよ。
大きくて鮮やかな深紅色で何て名前なんだろうね
途中の不動滝神社を拝んで、5分程歩いて山間の”不動の滝”に着いた。
この近辺では一番大きな滝だけあって結構立派だったね。
秋だから水量は少なかったけど、落差が45mもあるから迫力があるよ。
温泉街に戻ってハイキングの疲れを癒すためにお風呂に入ることにしたんだ。
川原湯の風呂で一番有名な”王湯”は、壁面に大きく源氏紋章の”笹りんどう”が描いてあったから直ぐに見付けられたよ。
「なぜ共同風呂に源氏の紋所?」だって、
源頼朝が浅間の鷹狩りの帰りに、この付近を通った時に山の斜面から湯気が出てる場所を見つけて、湯浴みしたんだって。
その場所が今の”王湯”なんだ。 だから”王湯”には源氏の”笹りんどう”があるんだね。 恐れ多くも由緒正しいお風呂だよ。
”王湯”の入湯料は300円で露天風呂と内湯に二つの湯があって、
両方入ったけど内湯の方が趣きがあって良かったね。
湯質は無色で薄っすらと硫黄の臭いがしてたよ。
湯温度は71℃だからかなり熱かった。
いつでも水で薄めていないと入れないんだ。
”王湯”の真ん前に松尾芭蕉の古色蒼然とした句碑が建ってた。
碑文には「山路来て 何やら床(ゆか)し 菫(スミレ)草」ってね。
今でもこんな鄙びた温泉地なのに江戸時代に芭蕉が来てここで句を詠んだんかね~。
上州(群馬県)の山ん中に芭蕉が来たなんて聞いたことが無いけど、
お忍びで彼女連れての逃避行かもね・・・。
王湯を出て川原湯温泉街を散歩してたら、まだまだ共同風呂があったんだ。
階段下にひっそりと建っている”笹湯”(入湯料300円)とか、
小高い場所の”聖天様露天風呂”(100円)は湯船一つの男女混浴風呂で、
囲いがないから丸見えなんだよ。 女性はかなり勇気がいるね。
”王湯”以外は管理人がいないからって、入湯料のゴマカシは御法度だよ。
”川原湯温泉”は吾妻川の河原じゃなくて、山の高い中腹に有るのに何で川原湯って云うんだろうって調べたらね。
約800年前程に旅のお坊さんがこの付近のお堂に泊まった夜、夢枕に”薬師如来”が立って近くの岩陰に湯の出る場所を教えたそうだ。
そのお坊さんが自分は「川原朝臣権頭光林」(かわらのあそんごんのかみこうりん)って長ったらしい名前を云ったんで、簡略して”川原朝臣光林の湯”から”川原湯”になったんだって。
だから、山の中腹でも”川原湯”って云うんだ、人名から名付けたんだ。
この噺、嘘か真か知らないけど・・・ね。
毎年1月20日に川原湯(温泉)神社奉納祭りの”湯かけ祭り”が温泉街で行われるよ。
大寒なのにフンドシ一つで男達が湯をかけあう祭りなんだ。
その祭りで使うのは源氏嫡流の”王湯”の湯だって。
結構有名な祭りだから、見に行くと良いよ・・・雨合羽着てね。
川原湯神社の近くに”新源泉”って熱湯の湧き出す場所があるから、
近くの店で生卵を買ってここで茹でると美味い”温泉玉子”が直ぐに出来るよ。
ここ川原湯は草津温泉の”仕上げの湯””上がり湯”として名高い温泉だ。
草津温泉の”上がり湯”では沢渡温泉も有名だね。
紅葉の吾妻渓谷と川原湯の散策は絶対出来るよ。
早く行かないと全部ダムの底だからね。 あ~ぁモッタイナイ自然破壊だね~~。
源頼朝も涙ながして嘆いてたっけ・・・、劣悪土建行政にやられたって白旗上げてね。
2005 11 18(金) 無風・快晴。 S・GOLF大会(70位 飛賞)