はじめて台北の街でばったり陳昇に会ってしまった時のはなしです。
友人と台湾旅行中だった私は、知り合ったばかりの台湾の陳昇ファンの人たちと一緒に夕食をとることにしていました。その店に陳昇がやってきたのでした。
1998年10月17日
今夜の夕食会は、やはり蛋蛋に頼んでアレンジしてもらったもので、場所は、東区の火鍋屋肥牛。
この日のために毎晩、インターネット昇網で宣伝活動をしたのだけどさて誰が来るのかな?しごとで遅くなる人たちは、このあとのKTV大会に来るらしい。
店は小さくて庶民的な感じ。8人がけくらいの丸いテーブルが5~6台あったか?私たちはテーブル2つつなげて、一つは辛い鍋、もう一つは辛いのと辛くないのと2色鍋にした。今井さんは、辛いのはあまり得意じゃないらしい。
蛋によると陳昇や、伍佰も来る店らしく壁に伍佰のポスターが貼ってあった。
麻辣火鍋は初めて食べる。お肉や野菜やはんぺんみたいなのをいろいろ入れる。調味料と薬味はテーブルにはなくて店の中央においてある。辛いのを食べるなら、緩和させるのに酢をいっぱい取ると良いよとKAWAのアドバイス。なるほど、酢と辛いのはなかなか良く合う。でも結構辛い。
いちばん辛かったのは、お店の人がサービスで出してくれたとか言う皿。私は、タイ料理とか韓国料理とか辛いの大好きだけど、食べられないくらい辛いのもあった。とくに最後にまわってきた緑の唐辛子を炒めたのは、ほんとに泣くほど辛かった。お行儀悪いのは分ってたけど、ティッシュで口の中ぬぐってしまったよ。
さて、宴もたけなわになった頃、遅れてきた人の車を駐車しに行って戻った蛋蛋が、
「YOKO、これからBOBBY(陳昇)がここに来ます。僕が10万円彼にあげましたから」と、冗談のようなことを言う。
「え?!どういうこと?」
「BOBBYがここにきますよ。」
「え?!ほんとに来るの?」
「はい」
「え?!え?うそ~~~~~~!!だめだめ心の準備できてないから。わたし、もう帰る!」
などと騒いでいたら、恨情歌(陳昇のバンド)の、ギターの人(陳傑漢)とベースの人(趙家駒)が入ってきた。
あれれれれー、これは現実なんだ、彼らが、私たちのテーブルによったので
「HELLO、YOKOです。」
と挨拶する。趙家駒は愛想良しだったが、小傑は反応なし。まあいいや。
で、その後時間差で、陳昇が入ってきた。水色のTシャツに短パン。
あ、本物だ。陳昇は、私たちのテーブル(入り口近くにあった)を一瞥して、ファンだと分った様子で、嬉しいような、いやな様な複雑な顔をした。
ドラムの小李、林秋伊、楊老師もやってきた。
予期せぬ展開。
「陳昇には会いたいけど、会っても何話たらいいかわかんないし、きっと緊張して何も話せないだろうなあ・・。まあそんな心配しなくても会う事なんてないんだよね。」
なんて、台湾に発つ前、友達と話してたばかりだったのに。こんないきなり偶然会ってしまうなんて。(当然蛋蛋が10万円払ったわけではありません。まったくの偶然)
みんなは、陳昇がいても別にこれと言って騒ぐ事なく普通に食事を続けていたが、わたしは一人で呆然としていた。(と思う)半ばパニックになってるわたしに、KAWAが、
「YOKO、折角日本からきたんだから、陳昇に挨拶してこよう」という。
MASAO君が通訳してくれるといって、3人でビールの瓶を持ち(この辺は日本の宴会の作法と一緒だ)陳昇達のテーブルに行く。
会話は全部中国語だったから、ここからは想像
KAWA「お食事中、すみません。日本から昇迷の女性が来てます。ちょっと挨拶させてください。」
MASAO「彼女は日本人で、あなたの大ファンでお正月のコンサートにも来てたんですよ」とか何とか。
わたし「ニーハオ、ウォーヘンガオシン・・・・・・・・・・・・(絶句)」
で、陳昇はこのテンションの高い闖入者にちょっとタジッてたみたいだったけど、ちゃんと耳を傾けてくれて、KAWAがビールの瓶を持ち上げると、きちんと立って乾杯してくれた。よく映画とかで見る中国式の乾杯、飲んだ後、ちゃんと飲み干しましたよ、とグラスの底を見せるしぐさをするあれです。これも初めての体験だった。
その後、MASAOが「何か話したい事はないですか?」と聞いてくれたが、乾杯してもらっただけでもう胸がいっぱい。
「いえ、もう充分です。有難う」と、逃げるように自分の席に戻った。それからは、心臓がバクバクしてるのを収めようと、ビールをがんがん飲んでしまった。しかしこれだけではすまなかった。
テーブルに戻り、食事を続けていると、誰かが陳昇の夏のコンサートの写真をくれた。
その写真を見たKAWAが、
「YOKO、この写真にサインが欲しい?」と聞く。
「勿論欲しいけど・・・」とわたし。
「じゃあ、もらっておいでよ。」
「えええ。もうそんな勇気ないよー。」
「じゃあ、この写真にはKAWAのサインを書いちゃうよーー」
「わー!だめだめ。わかったよ。行ってくるよ。」
「サインくださいって言うのは、中国語では○○○○○というんだよ。(中国語忘れました。)」とMASAO君。
テーブル中から「YOKOがんばれ!」コールも起きるし、また行きました。陳昇達のテーブルに、今度は一人で。
陳昇の顔見たら、教わったばかりの「サインください」の中国語はすっかり飛んでしまい、"Excuse me..May I have your sign please?"と言ってしまってました。(ちなみにこれも正しくない英語らしい。)
陳昇は、またまたニコリともせず、サインを書いてくれた。
でもなぜか「Be Cool」って書いてあった。これは、私に、落ち着けと言ってるのか?わ、恥ずかしい。(後から得た情報によると、陳昇はいろんな人にサインするときこう書くらしい)サインしてもらってると、誰かが(みーさんかな?)「写真いいですか?」といって、2ショットの写真をとってくれた。
ああ、いい友達だ。ありがとう。私は舞い上がっててそんな事思いもつかなかったです。
うれしいのと、酔っ払ったのと、料理が辛いのとで、その後は半べそ状態でした。
陳昇達、迷惑に思ってないといいなあ。
お騒がせしました。
そして皆ありがとう。
お店を出る時、もう一回陳昇達のテーブルに手を振った。
陳昇もちゃんと手をふりかえしてくれた!
私の行動は、狭い店の中、やっぱり目立ってたんだろう、お店のオーナーに、「美味しくて、そして辛い料理をありがとう」と言ったら、
「今度Mr.Chenがうちに来る時には、またあなたに連絡しますよ。」
とかっていわれた。はずかしい・・・。
19年前の私、ういういしいなぁ。ふふふ。
ここに登場する「肥牛」という火鍋屋さんは、いつの間にか閉店してしまい、結局再訪することはありませんでした。
ここに登場する蛋蛋、KAWA、MASAOくんたちとは今も仲よくしています。
陳昇の当時のバックバンドの人たちとも、この後友だちになりました。彼等は皆もうすでに陳昇のもとを離れ、各自すごい活躍をしています。
友人と台湾旅行中だった私は、知り合ったばかりの台湾の陳昇ファンの人たちと一緒に夕食をとることにしていました。その店に陳昇がやってきたのでした。
1998年10月17日
今夜の夕食会は、やはり蛋蛋に頼んでアレンジしてもらったもので、場所は、東区の火鍋屋肥牛。
この日のために毎晩、インターネット昇網で宣伝活動をしたのだけどさて誰が来るのかな?しごとで遅くなる人たちは、このあとのKTV大会に来るらしい。
店は小さくて庶民的な感じ。8人がけくらいの丸いテーブルが5~6台あったか?私たちはテーブル2つつなげて、一つは辛い鍋、もう一つは辛いのと辛くないのと2色鍋にした。今井さんは、辛いのはあまり得意じゃないらしい。
蛋によると陳昇や、伍佰も来る店らしく壁に伍佰のポスターが貼ってあった。
麻辣火鍋は初めて食べる。お肉や野菜やはんぺんみたいなのをいろいろ入れる。調味料と薬味はテーブルにはなくて店の中央においてある。辛いのを食べるなら、緩和させるのに酢をいっぱい取ると良いよとKAWAのアドバイス。なるほど、酢と辛いのはなかなか良く合う。でも結構辛い。
いちばん辛かったのは、お店の人がサービスで出してくれたとか言う皿。私は、タイ料理とか韓国料理とか辛いの大好きだけど、食べられないくらい辛いのもあった。とくに最後にまわってきた緑の唐辛子を炒めたのは、ほんとに泣くほど辛かった。お行儀悪いのは分ってたけど、ティッシュで口の中ぬぐってしまったよ。
さて、宴もたけなわになった頃、遅れてきた人の車を駐車しに行って戻った蛋蛋が、
「YOKO、これからBOBBY(陳昇)がここに来ます。僕が10万円彼にあげましたから」と、冗談のようなことを言う。
「え?!どういうこと?」
「BOBBYがここにきますよ。」
「え?!ほんとに来るの?」
「はい」
「え?!え?うそ~~~~~~!!だめだめ心の準備できてないから。わたし、もう帰る!」
などと騒いでいたら、恨情歌(陳昇のバンド)の、ギターの人(陳傑漢)とベースの人(趙家駒)が入ってきた。
あれれれれー、これは現実なんだ、彼らが、私たちのテーブルによったので
「HELLO、YOKOです。」
と挨拶する。趙家駒は愛想良しだったが、小傑は反応なし。まあいいや。
で、その後時間差で、陳昇が入ってきた。水色のTシャツに短パン。
あ、本物だ。陳昇は、私たちのテーブル(入り口近くにあった)を一瞥して、ファンだと分った様子で、嬉しいような、いやな様な複雑な顔をした。
ドラムの小李、林秋伊、楊老師もやってきた。
予期せぬ展開。
「陳昇には会いたいけど、会っても何話たらいいかわかんないし、きっと緊張して何も話せないだろうなあ・・。まあそんな心配しなくても会う事なんてないんだよね。」
なんて、台湾に発つ前、友達と話してたばかりだったのに。こんないきなり偶然会ってしまうなんて。(当然蛋蛋が10万円払ったわけではありません。まったくの偶然)
みんなは、陳昇がいても別にこれと言って騒ぐ事なく普通に食事を続けていたが、わたしは一人で呆然としていた。(と思う)半ばパニックになってるわたしに、KAWAが、
「YOKO、折角日本からきたんだから、陳昇に挨拶してこよう」という。
MASAO君が通訳してくれるといって、3人でビールの瓶を持ち(この辺は日本の宴会の作法と一緒だ)陳昇達のテーブルに行く。
会話は全部中国語だったから、ここからは想像
KAWA「お食事中、すみません。日本から昇迷の女性が来てます。ちょっと挨拶させてください。」
MASAO「彼女は日本人で、あなたの大ファンでお正月のコンサートにも来てたんですよ」とか何とか。
わたし「ニーハオ、ウォーヘンガオシン・・・・・・・・・・・・(絶句)」
で、陳昇はこのテンションの高い闖入者にちょっとタジッてたみたいだったけど、ちゃんと耳を傾けてくれて、KAWAがビールの瓶を持ち上げると、きちんと立って乾杯してくれた。よく映画とかで見る中国式の乾杯、飲んだ後、ちゃんと飲み干しましたよ、とグラスの底を見せるしぐさをするあれです。これも初めての体験だった。
その後、MASAOが「何か話したい事はないですか?」と聞いてくれたが、乾杯してもらっただけでもう胸がいっぱい。
「いえ、もう充分です。有難う」と、逃げるように自分の席に戻った。それからは、心臓がバクバクしてるのを収めようと、ビールをがんがん飲んでしまった。しかしこれだけではすまなかった。
テーブルに戻り、食事を続けていると、誰かが陳昇の夏のコンサートの写真をくれた。
その写真を見たKAWAが、
「YOKO、この写真にサインが欲しい?」と聞く。
「勿論欲しいけど・・・」とわたし。
「じゃあ、もらっておいでよ。」
「えええ。もうそんな勇気ないよー。」
「じゃあ、この写真にはKAWAのサインを書いちゃうよーー」
「わー!だめだめ。わかったよ。行ってくるよ。」
「サインくださいって言うのは、中国語では○○○○○というんだよ。(中国語忘れました。)」とMASAO君。
テーブル中から「YOKOがんばれ!」コールも起きるし、また行きました。陳昇達のテーブルに、今度は一人で。
陳昇の顔見たら、教わったばかりの「サインください」の中国語はすっかり飛んでしまい、"Excuse me..May I have your sign please?"と言ってしまってました。(ちなみにこれも正しくない英語らしい。)
陳昇は、またまたニコリともせず、サインを書いてくれた。
でもなぜか「Be Cool」って書いてあった。これは、私に、落ち着けと言ってるのか?わ、恥ずかしい。(後から得た情報によると、陳昇はいろんな人にサインするときこう書くらしい)サインしてもらってると、誰かが(みーさんかな?)「写真いいですか?」といって、2ショットの写真をとってくれた。
ああ、いい友達だ。ありがとう。私は舞い上がっててそんな事思いもつかなかったです。
うれしいのと、酔っ払ったのと、料理が辛いのとで、その後は半べそ状態でした。
陳昇達、迷惑に思ってないといいなあ。
お騒がせしました。
そして皆ありがとう。
お店を出る時、もう一回陳昇達のテーブルに手を振った。
陳昇もちゃんと手をふりかえしてくれた!
私の行動は、狭い店の中、やっぱり目立ってたんだろう、お店のオーナーに、「美味しくて、そして辛い料理をありがとう」と言ったら、
「今度Mr.Chenがうちに来る時には、またあなたに連絡しますよ。」
とかっていわれた。はずかしい・・・。
19年前の私、ういういしいなぁ。ふふふ。
ここに登場する「肥牛」という火鍋屋さんは、いつの間にか閉店してしまい、結局再訪することはありませんでした。
ここに登場する蛋蛋、KAWA、MASAOくんたちとは今も仲よくしています。
陳昇の当時のバックバンドの人たちとも、この後友だちになりました。彼等は皆もうすでに陳昇のもとを離れ、各自すごい活躍をしています。
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