キカクブ日誌

熊本県八代市坂本町にある JR肥薩線「さかもと駅」2015年5月の写真です。

夏休みの一泊旅行 つくば学園都市へ

2024年08月14日 | ☆旅行─国内旅行
今年の夏休みは土日祭日を入れて6 連休。
とっても暑いので何もする気にならず、特に計画も立ててなかったのですが、
「つくばに行ってこようかな、のんびり 1泊で」と思いつきました。

今年は同級生がお店を出したこともあり、大学時代の友人に会う機会が増えました。(先日のブルーベリー狩りも大学の友人つながり)それで 大学時代を過ごしたつくばに行ってみようかなと思ったわけなんです。

卒業後も何度か行ったことはありますが 、今回は1人旅で自分のペースで訪れたいと思います。


宿の予約サイトで日航ホテルが結構安かったので 予約。このホテル、私がつくばにいた頃は「つくば 第一ホテル」でした。その後 オークラグループになり、今は日航。ホテルってどんどん運営会社が変わりますよね。

当日は午前中に新橋で人に会い、午後イチ、秋葉原からつくばエクスプレスに乗りました。

つくばエクスプレスの沿線は新しい開発がどんどん進んでおり、ファミリー層に人気のマンションがたくさん 建っています。休日ということもあり 車内にはベビーカーや 子供連れがたくさん。ここだけ少子化が関係ないような世界でした。私が子供の頃は日本中がこんな感じだったんでしょうけどね。

2時前につくば駅に到着。



ホテルのチェックインは2時からなのでちょうど良かったです。
今回は先払いプランで、1泊シングル 素泊まりで7500円ぐらいでした。




茨城県にあるつくばは、東京 横浜 に比べれば 気温も1度ぐらいは低いようですが、こう 天気がいいと容赦なく 暑い!

部屋で少し休憩して 今日の行動を考えます。お昼を食べていないのでまずは食事ですね。Google マップでレストラン情報をチェック。
どうせ行くなら学生時代からあるお店に行こうと思います。バスに乗って30分くらいで着けそうです。

つくばセンターにはバスターミナルがあります。
バスターミナルのそばに観光案内所がありました。
ここでバスの情報が手に入ります。


「筑波大学循環」という路線に乗って北上します。
一番北側にある農林技術センターで下車。


大学構内の道路の樹木がとても大きくなっています。鬱蒼としていると言っていいほどですね おかげで日陰が多くて助かりました。


バス停から北に10分ほど歩くと目指す和食屋さんに到着。「割烹 一の矢」という店です。午後3時過ぎという中途半端な時間だったので営業しているか電話して確認しておきました。


昼ご飯も食べてなかったのでお腹がペコペコ、カツオの刺身にカレイの煮付け それに アジの開きとカニ汁 という 豪華な定食を食べました。 これで2000円弱。


せっかく ここまで来たので 平安時代に創建されたという 一ノ矢八坂神社によってみました。学生時代に来た記憶はあまりないんですけどね。立派なお社でした。


お腹もいっぱいになりましたので、ここからはゆっくり徒歩で大学構内を通ってホテルへ戻りたいと思います。
筑波大学は南北4キロあると言われています。


まずは 私が2年間住んでいた一の矢学生宿舎へ。


学外の皆様へ という 注意書きを見つけました。禁止されてる行為はあるものの、散歩は問題ないようですね。よかった。


筑波大学は 開学 51年。
当初からあった学生宿舎は相当老朽化しています。私の時代はほぼ100%近い新入生が宿舎に入ってましたが、最近は、宿舎はオンボロだというので、入居する学生は多くなく、 もっぱら留学生などに利用されているという話を聞きました。


私の入居していた建物は昔のままでした。 エアコンは各部屋に入っているようで、部外者が侵入できないようセキュリティー強化されていました(私の頃は誰でも自由に出きりできました)


ここの308号室に1年間住んでいました。

こちらは 2人部屋。
面積が1人部屋の3倍あってベランダ付。
ペイントされてますね。中はちゃんと綺麗になっているんでしょうか?
何年か前に、宿舎に住む学生さんの YouTube 発信を見たことあるんですが、部屋が相当 ボロボロだったのに衝撃を受けました。国立大学もお金がないんですよね…。

次にこのエリアの共用棟へ。
歩いて行ける距離にお店が何もなかった私の学生時代、この共用棟が生活を支えてくれていました。銭湯、 食堂、 売店、 床屋、喫茶室、 電話、郵便受けなどなどが揃っていました。今はどうなってるでしょうか?


共用棟の前には リヤカーが何台も。
私たちもこれを使って引っ越しなどをしました。 今でも健在ですね。


共用棟のロビーは広々してましたが あまり使われてないようです。一番奥にあった喫茶コーナーは廃業して久しいようです。

朝食から夕食まで出してくれていた食堂。今は食堂ではなく、フリースペースとして使われてるようでした。
学生さんたち、ご飯はどうしてるんでしょうね。自炊かな?



売店は山崎 ショップが入ってるようですね この他に電気屋さんと 床屋さんもありました。




銭湯は コインシャワーに変わっていました。留学生が多くなって 共同浴場 形式はニーズが少ないのかもしれませんね。


共用棟の事務室。
ここの雰囲気は変わっていませんが 私たちの頃は ここに各棟ごとの郵便受けが置いてあり、また実家からの伝言などの張り紙もあったりで、毎日ここに立ち寄る必要がありました。今は 各宿舎の入り口に郵便受けが設けられ、電話も各部屋に引けるようです(もういらないでしょうけどね)。



思い入れが強すぎてずいぶん長居してしまいました。
これから 学内を南北に貫く歩行者専用道路(自転車も通りますが)ペデストリアンデッキ(通称 ペデ)を通って大学 中心へ 向かいます。

一の矢学生宿舎を出るとすぐに池があります。
筑波大学というか 学園都市全体に言えることですが、土地を造成した時にたくさんの人工池が作られました。
ここは兵太郎池。写生に来たことがあります。水面が見えないほど 水草で覆われてました。宿舎から 校舎エリアまでは徒歩約10分くらいなのですが、入学したばかりの頃は暗くなると歩いて帰るのが怖くて嫌でした。今ならむしろ自然いっぱいなのが嬉しくて、気持ちよく歩くところですけどね。


ペテはこういう車道の上を 陸橋で越えていきます。

学内のバス道路(ループ)を超えると もう校舎が立ち並ぶ エリアになります。



この案内表示のデザインは変わってないですね。



第2 第3エリアへ到着。
ちょうどこの日から大学 全体が盆休みで、図書館や事務の人たちも休みになっていたようで本当に人の少ない校内でした。

藤棚 が立派!


草ボーボー で近づくことすら ためらわれる ベンチ。

ここも水面に水草がいっぱい。


ガマの穂がたくさんありました。これは自然に生えてきたんでしょうか? それとも景観を作るために植えたのかしら??


今回は一人なので、すこしマニアック(笑)な場所にも行ってみました。
ここは 休みの日や夜間などでも出入りできる校舎の裏口です。いつもここに 原チャリを停めてました。駐輪する時に操作を間違えて壁に激突させてしまったこともありましたっけ。

昼間なので 表も開いていたんですが、懐かしくてこの裏口から入ってみることにしました。


壁の色は綺麗に塗り直されていましたが 昔のままですね。


学生課の場所。
よく図書館の本を延滞して張り紙されたりしました。

建物の入り口がほとんど 自動ドアになっていました。


学食の裏にウッドデッキ スペースができてました。おしゃれですね。


学校全体がお休みモードでしたが、図書館広場前の噴水は動いていました。


図書館前の石の広場。
そろそろ 夕焼け。


ループ 道路に出て、1学エリアへ向かいます。
つくば時代後半は、自転車を手放し、バイクに乗っていたのでこの道路のほうが馴染みがあります。
大学本部棟。
ほとんどの学生は足を踏み入れることのない場所ですが、サークル連合の委員をやってる頃に大学側との懇談会とかで来たことがありました。


文化系サークル会館。
普通の校舎じゃないせいか、老朽化が激しすぎます。

学生さんの姿はなかったのですが、開いていたので ちょっと入ってみました。
文サ連執務室。自分のサークル活動もそっちのけでここに詰めていることが多かったですね。


写真があんまりないんですけど 1学エリアの松見池前です。
池がうつってなかった…


この後 天久保3丁目を少しうろうろして、昔 アルバイトしていた 丸善ビルの跡やアティック 401のあったビルの跡などを探しましたが、古いビルはなくなっており、もう記憶もおぼろげでした。

友達がアルバイトしていたランプという喫茶店は昔のままありましたが もう 営業時間が終わっていました。

大学会館エリアへ。
昭和なテイストが色濃く残る 案内板。


大学会館のエリアは旅行会社や書店、画材屋さん、郵便局などいろいろな生活サービスがあり、不便な大学の中にあって少しワクワクする場所でした。


保険管理センターは今でも学生の健康支えてるようですね。


体育芸術(タイゲイ)エリアへ。
大学の中で一番最初に建てられた校舎だったとはずです ここ。築50年を超えてるということですね。


写真ではまだ明るいですがだんだん薄暗くなってきました。
誰か 練習している人がいるかな と思って グランドに行ってみましたが、テニスコートも誰もいませんでした。
このグランドでは 陸上運動を2年間とり、テニスの授業も1年間(と言いたいところですが 朝1限目で1学期で履修放棄!)一般学生も使える施設です。


遠くのサッカー場だかには ライトがついていて練習している声が聞こえました。

タイゲイエリアを抜けるとまた学生宿舎があります。
ペデを歩いていると自転車に乗った 学生さんたちが時々通ります(歩いてることはほとんどいない)ほとんどが外国人のようでした。

学生宿舎の手前にスーパーとカフェがあります。
これは最近できたもの のようです。
オアシスですね!
スーパーはお休みでしたが カフェは営業していました。


平砂学生宿舎。
所々 明かりのついてる窓もありましたが、ほとんど学生さんがいませんでした。

平砂共用棟。
もう暗いので 中には入りませんでした。
(私のいたエリアではないですしね)


平砂エリアにはグローバルビレッジと言って留学生と日本人学生が共同生活をする新しい宿舎群が立ち並んでいます。ここだけ建物もピカピカで別世界のようです。どんな学生生活を送ってるんでしょうね?


ここから学外へ出ます。3〜4年生の頃に住んでいた、天久保2丁目の辺りを散歩します。

妻木バッティングセンター。 1回だけ行ったことあるような気が。


このエリアのアパート たちも どんどん 新しく建て替わっていて、そのころのお店もほとんど残っていないのですが、友達の住んでいた このアパートだけは変わらずありました。細田 グリーンコーポ。

私の住んでいたアパートはついに取り壊されて新しい建物が建築中でした。なんだか寂しいけどおそらく 築50年ぐらいだったので仕方ないですね。
塀だけは昔のままでした。

ここまでで大学のエリアはおしまい。
すっかり暗くなっているのですが、もう 汗だくになってるし バスには乗らずに歩いて ホテルまで帰りたいと思います。

メディカルセンターのところからまた ペデに戻ります。
松見公園の栓抜き棟は健在です。

つくばエキスポセンターの前の池、 噴水が綺麗でした。


やっとつくば駅に到着!
ビールが飲みたい。
どこか テラス席 みたいなところでビールが飲めるお店ないかしら??


1回ホテルに戻ってシャワーを浴びて 着替えてから出直そうか?

色々考えましたが、結局駅前のコンビニで夜食とビールを買い込んで、 ベンチで飲んでしまいました。
美味しかった!


午後4時半から歩き始め、4時間 近く経過していました。歩数を見ると 23000歩 ぐらいでした。
暑さもあったので くたびれました。
この夜は風も涼しく、夜風に吹かれながらのビールは最高でした。

この後 部屋に戻り シャワーを浴びてもう1本 ビールを飲んでから寝ました。



2日目。
6時起床。
ホテルのチェックアウトは11時なので、それまでにもうひと散歩して、シャワーを浴びてからチェックアウトしたいと思ってます。

6時半に出発。
今度はホテルのあるセンタービルから南にペデを歩いて洞峰公園まで行きたいと思います。Google マップによれば 片道30分くらいらしい。

センタービルの中庭。
大学1年の時にクラスのみんなで映画を作ったんですがそのロケ地です。
見た感じはあまり変わっていません。



筑波大学出身のアーティスト 明和電機 さんのオタマトーンの巨大なオブジェがありました。


このペデ(歩行者専用道路)を歩いて行きます。街路樹があるので日陰を選んで歩け そうです。

つくばセンターより南側のエリアは学生の頃はほとんど 足を踏み入れたことがなかったので新しい町のような気分で歩くことができます。

ジョギングをする人や散歩する人、通勤なのか 自転車で爆走していく人などたくさん出会いました。そしてこのペデは歩行者用の通路と自転車用の通路が分けられていて比較的安心して歩くことができます。

二の宮公園の時計台これには 見覚えがある。


洞峰公園前にあるウエストハウスという洋食屋さんです。
ここは私の学生時代からあって、カリフォルニア風のおしゃれなお店という記憶です。Google を見ると今も人気店のようです。

洞峰公園にも池があります この池も人工的に作られたものです。

ここまで30分。
公園で少し休んで同じ道を引き返します。

コーヒーが飲みたい。
考えたら 昨日の朝も コーヒーを飲まなかったので、カフェインが切れています(笑)さすがにこの時間に空いてる カフェ はまだ なさそうです。
コンビニでもいいのだけど、来る途中で全く コンビニは見かけませんでしたね。

つくば国際会議場の前に建設 功労者の記念碑がありました。
見てみると鳶の人とかの名前から書いてありました。こういう記念碑は珍しいいのでは?



結局 コンビニはないまま、センター地区まで引き返してきました。
今度はペデを西の方へ歩いて行きます。
陸橋の上から、いかにも 「昭和の頃の最先端」の建物が見えました。私がつくばにいた頃はたくさんあったなー。

近づいてみることにします。
「桜村共同溝管理センター」と書いてあります。つくば市になる前 ここは 桜村だったんですよね。一応 桜村のところは セメントで塗ってありますけど…




最近まで市の施設として使われていたようですが 今は空き家で廃墟になっていました。こういう建物は予算が取れたら 取り壊されちゃうんでしょうね。

中を覗いたらなんだかすごく斬新な設計の建物でした。中央の三角のところ共同溝の様子が見えたりしたんでしょうか?


この四角く尖った 窓も斬新です。
お金かかったでしょうね。

こういうコンクリートとタイルと鉄柱に色を塗ったものの組み合わせが 昔のつくばにはたくさんありました。
妙に懐かしくなって しげしげと 見ちゃいました。





うろうろしていたら8時過ぎました。
センター地区のカフェも開く時間です。歩き回ったので また汗だくになりました テラス席のあるカフェはあるでしょうか。

つくば駅前のトナリエという商業施設のスターバックスにテラス席がありました。
2日ぶりのコーヒーを飲みます。
朝でそれほど暑くないとは言っても テラス席で飲んでいるのは私だけでした。
つくば駅への通路になっているのか、目の前を通る人がちらほら。

一人のご年配の女性が私を見るなり びっくりしたような顔をして話しかけてきました。
「まあ!奥様、なんて色が白いの?日焼けしないんですか??」

奥様って私のこと? 色が白い?!
え?!
めっちゃ 日焼けしてますけど(笑)

とっても 山の手風の話し方でした。つくばにはこういう上品な方が昔からいらっしゃいますよね。



ホテルのあるつくばセンタービルの低層階にはアイアイモールという商業施設がのがありましたが、周りに強力な商業施設ができたせいで集客できなくなり、10年くらい前に来た時にもうすでに空きテナントだらけでした。
今はどうなってるんだろうと思っていたんですが、見事に再開発されていました。

つくば市の市民センターが入居し、市民に解放された図書スペースや キッズスペース、自習スペースなどが配置されていました。
さらにスタートアップ企業に向けたであろうオフィススペースがあり、そこに隣接してコワーキングスペース、ホテルに繋がるカフェスペースなど、今の時代にあった建物の利用がされていて素晴らしいと思いました。




ホテルに戻り シャワーを浴びてのんびりしてからチェックアウトしました。




筑波大学 お酒も作ってるんですね。
今度買ってみよう。

滞在時間 24時間の 筑波一人旅となりました。
やったこと といえば1回 レストランで食事したのと、筑波研究学園都市を南北に貫く 「つくば公園通り」という歩行者専用道路を 7〜8km歩いたくらい。
(大学内はあちこち歩き回りました)

思い出探訪 という意味でも楽しかったし、
つくば という発展する街に触れたことも楽しかったです。
学生の頃は住んで豊かな生活が送れる街とはとても思えなかったですが、 今のつくば なら 十分生活を楽しめる街になっていると感じました。
またここに住んでみたいな などと思いました。


使ったお金 メモ
ホテル1泊7500円
つくばエクスプレス 往復2410円
バス 310円
1日目 食事 2000円
1日目 ビールとおつまみ 1200円
2日目 カフェ 1000円
散歩中の水など 300円

以上 合計14720円でした。







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