夢のY字路からすぐのところにもう一つのY字路がありました。このあたりは水路のあった関係でY字路だらけなのです。
「ファーストY字路」として登場
そして、微妙な段差も多い。
この廟は裏口から入るときは道路と同じ高さでしたが、正面に回ると道路との間に段差が。
廟の裏側からのアプローチ。道路と段差無し。
廟の正面。7段くらいの段差がある。
廟の正面。7段くらいの段差がある。
このY字路にも日本家屋が大事に保存されて、和食店として活用されています。
ビルに囲まれぽつんと残る平屋の日本家屋。
おそらく昔はこういう家が、軒を連ねていたのだと思われます。
「野草居食屋」という料理屋さんです。
台湾に残されている戦前からの日本家屋で、改修されて公開(店舗などに活用されているものを含めて)されているものは、ほとんどが前の住人も特定されて、子孫が訪問したりしているようです。
この家も戦前は石井稔という台北帝大の先生が住んでいたそうで、さらに戦後は熊大に留学経験のある台大の教授の家になったそう。それにちなんで熊本のお酒など飲めるのだとか。
この道を少し川の方まで歩くと「紀州庵」というむかし料亭だった日本家屋があります。そこは以前たまたま通りかかって見学したことがあります。
2018年3月の写真「紀州庵」
今、台北ばかりでなく、台湾中で街のそこかしこに戦前からの日本家屋が修復保存されているのを見ることができます。
でもこれを短絡的に「親日」と考えてはいけないと感じます。
「日本時代を懐かしんでいる」というのも的外れです。
この本の著者も書いていましたが、台湾の人たちの台湾アイデンティティの探求の中で出てきた当然の態度だと思います。
台湾にこのような時代があった。
良い悪いという評価以前に事実だからしっかり受けとめて自分たちの歴史として保存する。
これは「日本人が建てたもの」ではあるけれど、「日本のもの」ではなくて「台湾のもの」だととらえているんだと思われます。
いま日本では今までにない台湾ブームだし、訪れる日本人も多いと思いますが、日本人だからこそ、このことを知っておいてほしいと思います。
なんだか偉そうですが、20数年台湾と付き合ってきて、感じていることです。