おてんとうさんのつぶやき & 月の光の思案 + 入道雲の笑み

〔特定〕行政書士/知的財産管理技能士/国家試験塾講師等が生業の巷の一介の素浪人の日常

修学旅行

2020-08-09 | ■ サマザマな おはなし

 

 

修学旅行は中止 というような記事を見るたびに 自身は淋しくなる
〔もっとも 通常で無い時期であるから ということではなく ソモソモ
廃止すべき制度であるのだ という意見さえあることも 事実でしょうが・・・ 〕

自身の中学時代のそれは どのようなものだったのか と フト 卒業アルバムを

久しぶりに眺めてみました

 

団塊の世代 の一人として その頃のエネルギーある行動ともみえる記録に 今さら

ながら ビックリもしたりしました

北海道の道南にある登別市(入学当時は幌別町)の中学校だったのですが 

国鉄(JR)幌別駅⇒日光東照宮⇒東京都内(夜間の自由行動なども含み 東京タワー・

上野動物園・浅草・松坂屋での買い物・羽田空港・皇居等々)⇒江ノ島・鎌倉
(大仏・鶴ヶ岡八幡宮)

等々のコースを 列車・バス・青函連絡船を使っての 車中泊もある 5泊6日 の旅でした

5月16日が出発日でした

昭和37年のこと でした

 

当時 一クラス45人平均として 三年生9クラス 我がクラスは 47人 

どのような行軍 ?であったのか  それこそ 疲れなどナンノソノ という雰囲気

だったのでしょう か・・・

迷った者もあった という記録も見えますが 華やかでもない町で暮す中学生が 

初めての大都会にて 夜間の自由行動さえ許されていたようなことに その当時の

学校教育の懐の深さのようなものを感じてしまったのですが・・・真相はわかりません・・・が

 

列車内で ゴチャゴチャと 男子も女子も おかまいなく ? どんなふうに寝どころ

を工夫したりしたのか そんなふうなことを思うだけで 少しばかり 涙を覚えたりしてしまいました 

〔現情況下での “三密” などという言葉などに ナントモ 世の習い という意味での 複雑な思いを 

あらためて 強く覚えさせられました 〕

 

 

65歳の折 担任の先生(自身は3年間同じ方でした)を交えたクラス会を 登別温泉でしました

楽しかったなー   

皆 どうしているやら・・・

地元で暮らし続けている方も 10人ほど?おられます 

行ってみたいなー

 

それにしても 卒業旅行・修学旅行も叶わぬ生徒たち

おおよその子は 残念無念の心でいることでしょうね・・・

 

 

マスマス 予断を許さない情況

自身にできること 

まず 接触を 避けるよう 最善を尽くす

それに限る と ツクヅク 思います