昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

三鷹通信(298)三鷹市民大学・日本の文学・柳田國男

2018-10-07 04:01:06 | 三鷹通信
 一昨日10月5日(金)は三鷹市民大学・日本の文学コースは、メイン講師、大久保喬樹東京女子大名誉教授の「民族の発見」だった。
 
 大久保喬樹講師は、民俗学の柳田國男、折口信夫について、2時間めいっぱい、休憩時間も質問時間も割いて熱く語られた。
 よくもこれだけ詳細に次から次へと話題を繰り出してこられるものだと思うほどで、質問時間なんて1分しか残されていなかった。
 とりあえず、今日は柳田國男について、そのさわりだけご報告申し上げる。
 
 *民俗学と言っても、民間習俗(庶民の日々の暮らし)の<民俗学>と、民族特質全体(日本民族とかアイヌ民族とか・・)を学ぶ<民族学>とがある。
 *18世紀までは、学問の対象は上流階級の文化だけに限られていた。(貴族社会、ギリシャ、ローマなどの古典主義)
 *19世紀になって、フランス革命により、民族文化、ナショナリズム、そしてそのルーツに目が向けられるようになった。
 *<グリム>(童話)、<ハイネ>(流刑の神々など、キリスト教に排除された土着の神々に関心)、<ワグナー>(北欧神話)、<ケルト>(アーサー王伝説)など。
 *19世紀のロマン派の文化の根っこは民族の文化だった。

 日本では20世紀に入って、民俗学のパイオニアとなったのが柳田國男である。
 *大学時代は文学青年だった。(ロマン派、島崎藤村、田山花袋、泉鏡花などに傾倒)
 *卒業後、農務官僚として新渡戸稲造に従って、全国各地を巡回する過程で、農村の暮らし、考え方に関心を抱く。
 *1910年「遠野物語」
 *1925年「山の人生」発刊。
 *山と里の交流、山人の起源(先住狩猟採集民族、長足巨人)などに関心を持つ。
  ・・・ダイタラボッチは巨人の足跡<くぼ地>であって、世田谷の代田の語源だそうだ。・・・
 *「遠野物語」の冒頭には・・・この書を外国に在る人々に呈す・・・とある。
  (外国に出ている日本人にも、日本人のルーツを知らしめようとしたものだった)
 *「国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人(近代人)を戦慄せしめよ」とある。
 *「山の人生」は文化の及んでいない野生の文化についての民俗学の集大成である。

  来月10日からの韓国での観艦式に日本は参加を見送るという。
 「旭日旗を掲揚しないよう」と韓国側から要請されたからだという。
 国際的にも認められているこの旗は、大漁旗など日本で広く使われており、韓国のいうような軍国主義に由来するものではない。
 だから、どう言われようと、堂々と掲げて参加すればいいのでは。

 <千年の恨み>の韓国に配慮してのことかと思うが、いつまでもそんな感情論の繰り返しでは事は収まらない。
 
 同じ論法で言えば、日本だって原爆を投下したアメリカに恨みがあるのだ。
 そろそろそんな後ろ向きな堂々巡りから脱却すべきと思うが・・・。

 
         





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