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その一例を、長らく朝日新聞に連載された<折々のうた>の中で示してこられた大岡信氏が取り上げた<現代短歌>に見てみよう。
夜の渋谷公園通り 薔薇色の臓器を吊りて ピピピして居り
(佐々木幸綱)
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渋谷公園通り。日本でもたぶん一番雑踏の名が似合う地域だろうが、そこの夜景に取材する。
俗語に類する擬音語を駆使して、現代風俗の先端を読みすえていく野心的な歌。
<薔薇色の臓器を吊りて>は印象的な比喩で、なまなましい若者たちの無防備な生態も、ひたひたと押さえている。
<ピピピして居り>はもちろんケータイ。
こんな風俗も噛み砕いてしまう、なんとも不死身な短歌定型。
使ひふるされし臓器が 他者といふ敵地のなかに 灯るしずけさ
(岡井 隆)
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現代短歌を先導する歌人たちが、期せずして臓器を自作で採りあげているのは面白い。
社会の関心事への果敢な取り組みだろう。
この歌の場合、別の肉体へ移植された臓器が歌の主題だが、<使ひふるされし臓器><他者といふ敵地>などの表現に、複雑な情感が盛られていて、巧みな現代短歌。
たまはりし性に居直る娘らの腿 十数本が路上にころがる
(島田修三)
ぎょっとするような歌い口で、これが作者の特長の一つ。
元来、ある女子大学の謹直で有能な教授。
触目の風俗を過激で皮肉な、また諧謔的な歌い方で鮮烈に表現する点、現歌壇随一の辛口歌人だ。
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大学の休み時間の風景だろう。
天から授かった女という性に居直る女子学生たちのくつろいだ姿態の描写。
中年男のまぶしげな目に映る、若さに自足する女たちの戯画として不敵なもの。
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四回戦すべて、マイナスとなり、28名中下から三番目。ブービー賞にも与らず。
「どうしても」と誘われた二次会に敢えて参戦。
ところが快調に滑り出し、ダントツのトップで迎えた終盤、間三万、タンヤオで聴牌。
その日憑いていない親から三万が出た。上がればトップ確定だ。
しかし、上がらなかった。五万がくれば、ピンフ、三色の可能性がある。それからリーチをと欲張ったのだ。
そして、親マンを振り込む結果となりその場のトップを逃した。
・・・上がっているのに上がらないと悔やむ結果になる・・・
いつも心しているのに魔が差した日だった。
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