昭和のマロ

昭和に生きた世代の経験談、最近の世相への感想などを綴る。

なるほど!と思う日々(237)日本型リーダー(3)

2013-02-24 06:27:22 | なるほどと思う日々
 <話し合い>は、日本では絶対的なものだが、実は個人の倫理から一国の政治の基本にまでかかわる大きな問題だと山本七平氏は説く。
 売春を行った女子高校生が、補導されたときに述べる言葉は次のようなものである。
 
「相手も楽しいし、自分も楽しいし、世の中だれにも迷惑をかけていない。そのうえお金まで入る。どうしていけないのか」
 これに対する反論はなかなかむずかしい。
 彼女たちの言っていることは、前提なしの無条件の話し合いに基づく合意が絶対であり、それを外部から拘束する法的、倫理的規範は一切認めないということであり、まさしく、超法規的、超倫理的な<話し合い>が絶対的な<義>であり。これに干渉する権利は誰にもないということなのである。・・・

 大日本帝国憲法の下では、首相の任命権は天皇にあった。
 当時は天皇は神様であり、不磨の大典といわれた憲法は絶対である。
 とすると、天皇は自由に首相を任命できるはずであり、法的にはこれを阻止しうるものはないはずである。
 ところが当時の陸軍には<三長官会議>があった。
 これは法的には何の根拠もない会議、いわば私的な<話し合い>である。
 ただ陸軍の意向を表明するため、参謀総長、陸軍大臣、教育総監の三人が話し合いをするということにすぎない。
 この三人は別個に天皇に直属しているのである。
 
 さて、内閣が交替し、天皇が新首相を任命すると、この三人が話し合いのうえ、新しい陸軍大臣を推薦するという慣行があった。・・・ところが、新たに天皇が任命した首相に不満な場合は、三長官の話し合いで陸軍大臣を推薦しないのである。こうすると、結局はその新首相は、組閣に至らずに辞めなければならない。
 彼らは、これを利用して、天皇の首相任命権に対して、実質的に拒否権を行使できることになってしまった。

 これが、機能集団であるべきはずの軍隊が、一種の共同体に転化し、それが天皇を超えた絶対的な力をもってしまった一例である。
 いわば、日本を敗戦に導いた最大の要因は、軍部すなわち<軍隊一家>ともいうべき共同体の要請が、すべてに優先し、国民はその要請に対応すべき存在とされてしまったことである。
 簡単にいえば、軍共同体維持のため、機能集団としての軍隊が機能するという状態である。

 (その軍隊機能を最大限に具現したリーダーが東條英樹であった)
 
 司馬遼太郎氏曰く。
「東条英機という人は成規類聚の権威でしてね。それを盾にして人々の違反を追及して権力を握っていった人ですな。あれが一番こまります」と。
 成規類聚はいわば陸軍の社規社則である。
 軍人は、就業規則を読まない社員同様、通常はそれを読まない。
 だが、それに違反しているといわれれば、どのような提案も引っ込めざるを得ないのだ。
 それは結局、この規則が<陸軍共同体の話し合いの原則>を守るために使われているにすぎないからである。


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